70 予選⑤
「えー、今の試合の勝者はアイ選手です。」
マイクに流す魔素量を多めにし、喉に負担を掛けないよう、気を付けながら喋る。
しかし観客席はシーンと黙ったまま。
当然だろう、今俺がアイと戦ったことの何の説明にもなってないんだから。
「皆さん気になっていると思いますが、今私がアイ選手と手合わせしたのは……」
ガラガラ声で言いながら、必死に頭を回転させる。
本当のことを言って糾弾してやりたい気もする。たた、それでアイが恋敵でも何でもない俺に噛み付くようになるのは避けたい。……手遅れか?
何にせよ、さっさとカイトの恋愛事情に決着を付けて貰いたいものである。
で、何も思い付かないぞ?どうしよう。
「……アイ選手に申し込まれたからです!」
と、いつのまにか背後にいたルナがマイクに向かって喋り、俺をフォローしてくれた。
よし、それで行こう。
「そうそう、そうなんです。さっきあれだけの戦いを見せてくれた直後だと言うのに、思っていたよりも強くて驚きました。アハハハハ。……(で、ユイはどうした。)」
観客席からは愛想笑いすらもない。
「(今は休んでいます。)……しかし、素晴らしい試合でしたね。ええ。では次の試合へ移ります……」
まぁこの際、うやむやになっただけでも良しとするか。
「さて、ついに代表決定戦です。まずは初戦からここまでその圧倒的なスピードとパワーで対戦相手を蹂躙してきました、アイ選手!」
ルナのアナウンスが流れ、アイがリングに上がってくる。
瞬間、ドッと観客席がわいた。口笛を吹きはじめたり、ウォォと吠えている奴までいる。主に女性。中には、ボコボコにしてやれぇ!というなかなか物騒な叫び声も聞こえる。
一応言っておく。アイが人気とかいう訳では決してない。
「そして、相手の隙を突く形で今まで全ての試合をただの一刺しで決めてきました、ネル選手!」
呼ばれ、ネルもリングに上がってきた。
すると、男共がラブコールを連呼し出し、女学生達は一様に顔をしかめる。
相変わらずの目の置き場に困る出で立ちのせいもあるかもしれないけれども、これまでのネルの試合全てでこういうことが起きているのだ。
眼福なだけではこうはならない。
では何故なのかというと、まぁ簡単だ。戦士コースの男連中が揃って彼女のファンクラブなんて物を設立し、所属しているからである。
いやはや、流石はギルドの顔、受付嬢といったところかね?
……まぁそのせいで女性から嫉妬等の悪感情を持たれているのが本人からしたら困りものだろう。
にしてもあれで何で結婚できていないのだろう?
謎だ。
しかし、流石は体育会系の戦士コース。決勝戦と言ってもまだ代表を決める段階なのにうるさいったらありゃしない。
ちなみにネルの顔は真っ赤っか。このまま試合開始を引き伸ばしてどこまで紅潮するのか見ていたい気もしてくる。
「あなたを倒せばカイトと一緒になれる……。」
翻ってアイは周りの喧騒なんぞ気にしておらず、至って平常運転だった。俺にやられて少しは大人しくなったものの、そんなのは誤差の範囲内と言って良い。
[コテツ、毎回言うようだけど……]
と、羞恥でか細くなった声がイヤリングから聞こえてきた。
当然、出所は俺の目の前の人気者。
「分かってるって、あれはお前とは何の関係もないって言いたいんだろ?」
[そう、ボクにはほら、別にい、好い人がいるから。]
「おう、俺だってお前に誰かと無理矢理くっついて欲しいと思ってる訳じゃない。」
前にネルの意中の相手がゲイルやレゴラスじゃないかと邪推したとき、彼女をかなり不機嫌にさせてしまった事をこれでも一応は反省しているのだ。
[そ、そう?それなら良い……のかな?]
ちなみにこの会話はあのファンクラブが騒ぐたびに繰り返されている。
はたしてネルにとって余程重要なことだからなのか、俺が記憶力のない鳩以下の存在だと思われているからなのか……。前者だと願おう。
にしても……
「……できればその好い人ってのを知りたいんだけどなぁ?」
その方が効率的だろうに。
[駄目!]
「はいはい、分かったよ。そら、試合を始めるぞ。」
[ぐぅ、……絶対分かってない。]
「そりゃ教えてくれないんだから仕方ないだろうが。」
ったく、ネルは自身についての恋愛話を少し嫌がり過ぎだと思う。
ま、そこは本人の問題だ。俺にはどうしようもない。
「両者、構えて……」
片手を上げ、対戦する両者に声をかける。
「これに勝てばカイトと一緒これに勝てばカイトと一緒これに勝てばカイトと一緒……」
「こ、怖い。」
しかしアイはボーッと上の空、ネルはそんな相手の様子に、顔を真っ青にして震えている。
「おい、聞こえなかったか?」
なので語気を少し強めると、二人ともハッと正気に戻り、武器を握り直してくれた。
アイの得物はもちろん槍。
対するネルは片手に短剣を握るのみ。
バーナベルに教えられてきた結果、こっちの方が性にあっていたらしい。
「はじめ!」
「ハァッ!」
俺が号令を掛けるなり、アイがこれまでと同様、ハイジャンプを併用した突撃を敢行。
勇者であるユイ以外は全員これをかわしきれずに敗退した。ただ、ユイとある程度互角に戦えていたネルなら大丈夫だろう。
そして期待通り、彼女は真横に跳んでそれを危なげなく避け、アイの槍はネルの顔のあった位置を斜めに貫いていく。
すぐにアイの軌道は空中で折れ曲がり、ネルを斜め上から再び襲うも、またもや横に軽く跳ぶことで避けられてしまう。
「うざい!」
ネルの目の前に両足と左手で着地したアイは、今度はブン、と右手で掴んだ槍を真横に大振り。
「甘く見過ぎだよ!疾駆!」
ネルはスキルをもって相手の懐に踏み込み、槍の柄を片腕で受け止めながら強化した足を敵の脇腹に入れた。
「ぐっ!?」
屈んでいたアイの体が微かに浮き、かと思うと自分から真横に転がってネルから距離を離そうとする。
「逃がさない!」
「フラッシュ!」
「わっ!?」
ネルはすかさず距離を詰めたものの、それが仇となり、アイが起き上がりざまに放った眩い光をまともに食らってしまった。
それでも、慌てず騒がず――驚いた声は洩らしたけれども――無闇に突っ込むことなく、すぐに後退したネルの判断力は流石は元Aランク冒険者というところか。
「ピアース!」
おかげでアイの繰り出した鋭い突きを、完璧にとは言えないまでも避けられた。
「くっ!」
浅く切られた脇腹を抑え、ネルは眩しそうに目を細めたまま、対戦相手を視界の中に何とか捉え直そうとする。
「ハイジャンプ!」
しかしアイが相手の隙を見逃すはずもなく、スキルで一気に加速し、追撃。
一歩遅れて横に跳ぶもネルはそれを回避しきれず、しかし幸いなことに槍の穂先はネルの肘のプロテクターを削るに終わった。
「ッ!」
「さっさとやられろ!」
叫んで、アイが斜め上に大きく跳び上がる。かと思うとそのまま空気を再度蹴り、ネルへと垂直に勢い良く落下。
槍の穂先には眩い光。ユイに使ったのと同じ、あたかも稲妻のようなアイの攻撃。
「雷光!」
しかし自身を前方に一気に加速させることにより、ネルは大きく距離を離して何とか事無きを得た。
そしてアイの槍がリングに深々と突き刺さり、遅れてくぐもった爆発音と共に石の破片が空に舞って吹き荒れる。
「疾駆!」
ここでネルが攻撃に転じた。
一気にアイとの距離を縮め、繰り出したのは短剣による刺突。深々と地に潜り込んだ槍を抜こうとしてたアイは、それを諦めて後ろへ跳び、短剣を避ける。
「「ショック!」」
お互いに同じ雷系の魔法が放たれ、相殺。
「チッ」
舌打ちするアイ。
「加速!スティング!」
ネルはそのままさらに距離を縮め、スキルによる刺突で攻撃を畳み掛ける。
「しつこい!フラッシュ!」
後退して逃げるアイが痺れを切らしたように手の平をネルに向け、眩い光が放たれた。
「それはさっきも見たよ!ハァッ!」
しかし、二度目の目くらましを腕で容易く防いでいたネルは、立ち止まっていたアイの首元目掛けて短剣を一閃。
「くっ!?」
アイは大きく後ろに跳んで致命傷を回避。その胸のプレートに長い切り傷が入った。
「まだ!」
「ハイジャンプ!」
さらに攻撃を続けようとするネルに対し、アイが背後へさらに急加速。
「雷光!」
すかさずネルがその速度を一気に上げ、
「ふん!」
「あ、しまっ……!」
同時にアイは自身の軌道を鋭角に転換、ネルの頭上を越えるように跳躍した。
ネルがたたらを踏んで止まるものの、既に時遅し。
さらに空中でもう一度鋭い方向転換を行い、素早く着地したアイの側にはコロシアムリングに刺さったままの彼女の槍。
「ふっ!……さぁ、ここからは私の番!決めてやる!」
リングに突き刺ささっていた槍を片手で引き抜き、アイは宣言すると同時にハイジャンプでネルへ接近。
「……大丈夫、大丈夫。」
対するネルはリングの端まで逃げ、背水の陣でアイを睨み付けていた。
傍から見ている俺でも分かる。ネルの狙いは相手を場外にさせること。アイの攻撃をギリギリで回避するつもりだろう。
それはアイも分かっていたようで、彼女はネルを間合いに入れる手前で跳躍、またもや真上から襲い掛かる。
ズン、とコロシアムリングが揺れ、戦う二人へとほんの僅かに傾く。
「あーもう、面倒くさい!」
アイの罵声。
「君が分かりやすいだけだよ。」
内側に大きく跳んで逃げていたネルは、アイにそう返しながら振り返りざまに太腿のナイフを投擲した。
「エアシルト!」
すかさず魔法それらを魔法で明後日の方向へ飛ばし、アイは動きを淀ませることなく、ネルへと踏み込んだ。
「エアブレイド!」
叫び、繰り出されたのは薙ぎ払い。
空気の小さな歪みから槍の柄にも刃が象られているのが分かる。柄を腕で受け止めたが最後、スッパリ切られてしまうだろう。
「跳躍!」
心配は杞憂だった。
ネルはスキルでもって高く跳び上がり、回避に成功。
しかし、空中にいるネルは身動きがとれない。
「ハイジャンプ!」
そしてそれを見逃すアイではない。
ネルも空歩で一度は避けられるだろう。ただ、その後が続かない。
詰んだ、か。
「雷光ッ!」
と、ここでネルが破砕音を響かせ、俺の予想に反し、アイの方へと空気を蹴った。
彼女は紙一重でアイの槍を潜り抜け、
「無駄なあがきを!ハイジャ……「今っ!」えっ!?」
相手が方向転換する直前、真上を通り過ぎるアイの胸の革鎧をひっ掴んだ。
雷光とハイジャンプ、互いの使った技は違うものの、出している速度はそう変わらない。
自然、二人は空中で縦回転を始め、ネルはアイが自分の下へきたところでタイミング良く手を離した。
結果、ハイジャンプの勢いそのまま、おそらく上下感覚を完全に狂わされたアイは、場外の水へと突っ込んだ。
回転しながらリングへと落ちるネルの元へ行き、俺は軽く跳んで彼女を空中でキャッチ。
「勝者、ネル!」
そっと彼女を足から下ろしてやりながら、俺はマイクに向かって大声で叫んだ。
「ぜぇ、ぜぇ、勝て、た……良かった。」
すると、勇者に勝った実感がようやく湧き上がってきたらしく、ネルは俺の腕に掴まったままホッと胸を撫で下ろしてその口角をちょっと上げた。
「はは、お疲れさん。」
観客席から返ってくる、喜怒哀楽全てが詰まった声を聞きつつ、笑いながらネルを労ってやる。
いやはや、まさか勇者に勝つとはな。
「うん、ありがと。……あー!その顔、さてはボクが勝つなんて思ってなかったね?」
小さく頷き、こちらを見上げたネルは、しかし俺の顔を見るなりそう言って得意気な笑顔を浮かべた。
俺ってそんなに表情豊かかね?
「まぁほら、アイはスレインが召喚した勇者なんだぞ?身体能力や魔力とかは優遇されてるし……それに正直お前はかなり感情的で単純だと思ってたイタイイタイイタイイタイ。」
「感情的で単純で悪かったね!」
言うと、ネルが俺の脇腹に短剣の柄をグイグイと押し付けながらぷりぷり怒り出した。
「まぁ、確かに今の試合では結構冷静だったな。普段はアレでも……アタタタタ」
何とかフォローしようとするも、今度は短剣をグリグリと捩じ込まれはじめる。
「もう、一々一言多い!ボクが普段あんななのはコテツが……えっと……」
ネルが俺をさらに叱り、しかし急にその勢いが尻すぼみになっていく。
ただ……
「俺のせいなのか?」
それは横暴にも程があるだろ。
図星だったか、ネルはドンと俺を押しのけ、俺を手袋をはめた手で指差して、
「う、うるさい!とにかく、調子が狂うの!」
真っ赤にした顔で叫んだ。
「んなアホな。」
「はぁ……あのさ、勝ったんだからボクを褒めても良いんだよ?」
訳の分かっていない俺の言葉に、ネルはさっきまでの威勢を完全に消して額を抑える。
そして深ぁいため息をついたかと思うと、俺に褒め言葉を要請してきた。
「あー、そうだなぁ……」
「もう、そんな考えなくても良いでしょ?ほら、何でも良いんだよ?」
脳内で言葉を組み立てる俺の顔に顔を寄せ、ネルが挑発的な笑みで催促してくる。
……近い。ったく、言い難いったらありゃしない。
「分かったよ。」
「わっぷ!?」
だから俺はネルの頭を強く撫でるふりをして顔を離し、
「良くやった。素晴らしい試合だった。それに、明らかに分が悪い相手に勝てるなんてことはそうそうない。仲間として誇らしいよ。良い作戦だったし、お前の動きもキレがあって綺麗だった。はは、俺もうかうかしていると危ないかもな。」
そしてネルが頭を抑えられて慌てている間に捲し立てる。
直後、俺の手は両手で押し退けられた。
「いつもいつもそうやって頭を撫でて誤魔化して!それで許されると思ったら大間違いだよ?……って、あれ?今褒めてくれた!?」
ネルは俺の手が頭から離れるなりまたもや怒り出し、かと思うと信じられないとでも言うかのようにその大きな目を見開いた。
「ん?ああ、褒めてやったぞ。実際、良い試合だったし。」
改めて聞かれるとやはり照れ臭いのでなるべく素っ気なく返す。
「ふーん?そう?そっかぁ……くく、よし。」
しかしそれだけで当の本人は真っ赤な顔で照れていた。小さくガッツポーズをしてしきりにやった、とか呟いているのが聞き取れる。
「えーと、まぁまだ予選だし、本戦も頑張れよ。」
「うん、うん!」
ネルが嬉しそうに笑い、なんだか見ているこっちまで嬉しくなった来た。
……今度からはもっと頻繁に褒めるように心がけようかな。
「さっさと離れろォ!」
「俺達のネルたんに近寄るなァ!」
「ぶっ殺すぞコラァ!」
「ネルたん、おめでとう!」
「一緒に祝おうよ!」
「こっちにも笑顔を見せてぇ!」
「早くスッ込め変態教師ィ!」
と、ネルのファンクラブから、怒号、歓喜、懇願等々、様々な声が聞こえてきた。
「あ、あ、いや、これは。」
途端、ネルが慌て始める。
何故かこっちを向いて。
「どうした?俺は別に怒っちゃいないぞ?見ていて面白いからな。まぁ、変態教師って所には異論があるけれども……。」
しかしそれが好きな女性を心配しての言動だと考えるとどうしても怒りが沸いてこない。むしろ頑張れって思ってしまう。
ただ、一つだけ、一つだけ俺がどうしようもなく気にかかっていることがあった。
「……なぁネルお前、他の奴等にネルたんって呼ばせてるのか?」
「呼ばせてない!あいつらが勝手に言い出しただけだよ!もうやだ……恥ずかしいよぉ……。」
途端、赤面してうつむくネル。
そこで頭を俺に預けるもんだからファンクラブから絶望や悲哀等々、マイナスな感情が悲鳴となって爆発した。
ついつい面白がってネルの頭を再び撫でようと俺が腕を動かそうとすると、凄まじい憎しみのこもった眼光が襲ってきた。
素直に手を引き、彼らを恐れたかのように見せ、観客席が少し落ち着いたところで代わりにネルの背に手を置いてやる。
阿鼻叫喚。
くはは、青春してるなぁ。
いやしかしどうしようか。ネルをからかうための道具が一つ増えてしまったぞ。
俺は今、これ以上無いほどニヤついているんじゃないだろうか。
そしてそれがさらに火に油を注ぐ感じであのファンクラブメンバーがこれでもかと俺を睨ませているのかもしれない。
「あの、ご主人様、そろそろネルを借りても良いでしょうか?」
と、見かねたルナが後ろから声を掛けてきた。
「ん?」
「そろそろ代表者の発表を……」
「あー、そうだったな。分かった、始めておいてくれ。」
「では進行しておきますね。ネル……は後で呼びに来ますね。……各学年の学園大会出場者はこちらに集まってください!」
ルナにうなずいて返すと、ルナはマイクを持って代表者の召集した。
「ネルたん。」
ボソリと小さく声をかけると、うつ向いたままのネルがビクッと動いた。
……効いてる効いてる。
「代表者発表だぞ、ネルたん。本戦でもしっかり頑張れよネルたん。」
「うぅ……もう。」
ゆっくり顔を上げてくれたネルの声には力がまるでない。
しかしその目だけは俺を厳しく責めていたので、素直に手刀で謝っておく。
「すまんすまん、ほら、お前の名前が呼ばれたのには違いないんだ。行ってこい。」
小さく頷いたネルの背を押してやると、彼女はルナの下へ小走りで行った。
いやぁ、良いおもちゃを見つけたな。
ネルたん呼びはこれから先も、頃合いを見て使わせてもらおう。