7 職業:冒険者①
チクショウ、並ぶ列を間違えた。
どんどん列が進んでいき、思ってた以上に待たなくて済む、と期待してきたところ、なんと俺の一つ前に並んでいた男が受付の女性を口説き始めたのである。
さっきから甘ったるい言葉がずっと聞こえてきていて苛立たしい事この上ない。
ああもう、さっさと変われよ。そういうのはプライベートの時にアタックしに行けよ!
男が口説き始めたときは興味津々という様子でそれを眺めていたアリシアですら、今では待ちくたびれてうとうとし始めている。
なかなか可愛いので悪いことばかりじゃない気がしないでもない。
ちなみに受付嬢の方はネルというらしい。名札が左胸にあった。
年は18か19ぐらいか。容姿は――熱心に口説かれるだけはあって――整っていて、肩に届かない程度の赤髪や力のある赤い瞳からは彼女の活発さが感じられる。
あと、胸は控えめだ。
と、前の奴の言葉が止まった。どうやら口説き文句が無くなったらしい。
ま、かれこれ10分以上話し続けていればそりゃ尽きるわな。
受付嬢、ネルの返事を待つ。
つい俺も耳をそばだててしまう。
他の冒険者達も――野次馬根性を刺激されたか、俺の前の男と同じくネルに気があるのか――ネルの一挙手一投足にさり気なく注目しているのが分かる。
そして、皆の注目を浴びた受付嬢はおもむろに立ち上がると、カウンターから身を少し乗り出して男の手を両手で掴み、思わず見惚れてしまう程の笑みを作った。
「ありがとう、とっても嬉しかったよ。でもごめんなさい。ボク、強い人にしか興味ないんだ。……だからそうだね、君がBランクになったら考えてあげる。これからも頑張って。応援してるよ。」
そう言いながら顔を赤くした男をさりげなく自身の列の外へと歩かせ、彼の背をそっと押してやり、ネルは元の位置に座り直す。
熱烈なラブコールは空振った訳だ。
あーあ、泣いたかな?そう思って男を見るも、そいつはなんというか、燃えていた。うおーとか言っている。
中二病という概念もそうだったけれども、俺の感覚はこことは少しずれているらしい。
「次の人、どうぞ。」
何事もなかったように受付嬢がこちらに笑みを向けた。
……さて、やっとこさ俺達の番だ。
アリシアを揺すって起こす。
「むにゃ?」
うん、寝惚けた姿も可愛い。
つい笑ってしまいつつ、彼女と共にネルの前に進む。
「えーと、俺達の冒険者登録をしてもらいたい。」
「はい、冒険者登録だね。登録料は一人1シルバーだよ。さっきも言ったけど、ボク、強い人にしか興味ないんだ。だから頑張ってね。」
「はは、地道に頑張るよ。」
ウィンクまでしてきたネルに苦笑し、アリシアと一緒に1シルバーずつカウンターに置く。
「うふふ、ボクは強ければおじさんでも大丈夫だよ。」
自分の笑みが強張ったのが分かった。
誰がおじさんだッ!
さっきの口説き男のときにたまった鬱憤でピリピリしてたのもあいまって、ついつい軽口が口をついて出る。
「そうかい、俺も身体的特徴で人を(と、ここでチラッとアリシアを見る。)を差別したりしないさ。」
途端、受付嬢は固まった。
「だ、だ誰の胸が小さいって!?」
あ、自覚はあるのね。
「まだおじさんじゃない!」
「はんっ、なに言ってるの、もう21を越えたらおじさんだよ。」
こいつ!21歳になった後の人生の方が大体長いんだぞ!
あとやっぱり猫かぶってたな!?
「ほう、じゃあ後数年でおまえもフゴッ。」
「それ以上は、許さないよ。……ボクは行き遅れなんかじゃないんだから。」
俺の口を片手で塞ぎ、ネルが底冷えする声音で言う。
さすがにまずったと思い、口から手をどかしながら弁解。
「ああ、うん、悪かった。すまん。」
「ふん、分かればいいんだよ、分かれば。」
「それで、登録は……?」
「終わったよ。後はここに血印してくれれば君達は晴れて冒険者の仲間入り。そしてこれが、Gランク冒険者の証のプレートだよ。」
言葉と共に、2枚の紙と四角い木片がカウンターに並べられる。
紙の方には様々な条項がズラッと書かれており、一番下に中が空白の楕円が描かれていた。
ここに血印を押せば良いのか。
自分で血を出すというのはこの世界で生きていく上で必須の技能だからと、師匠に教えられた。なかなか慣れず、何度も失敗した覚えがある。
痛かったなぁ。でもおかげでここで恥をかかずにすむ。
右小指の腹を薄くかみ切り、血で親指を濡らして紙にそれを押し付ける。
すると、赤い印の横に俺の名前が浮かび上がった。
もちろんこの世界の文字で、だ。ただし俺はそれを理解できるし、何故か自分で書くことさえできる。
むしろペン先にしっかり集中しないと日本語の方が書けないぐらいだ。
『フォッフォッ、それはの……。』
「え?」
「ん?」
と、爺さんが何か説明しようとしたところで前方から驚いたような声が上がった。
見れば、ネルが珍しいものを見るような目をこちらに向けていた。……手に長い針を1本持って。
もしかして普通は針を使うのか?チックショウ、師匠に騙された。
「んっ!」
可愛らしいうめき声に後ろを振り返ってみると、アリシアが俺の真似をしようとしていた。
しかしなかなか上手くいかず、最後には血を出せないまま、俺を見上げて痛みを訴えてきた。
涙ぐんだ上目使いに、とてつもない罪悪感に襲われる。
ごめんな、でも分かるぞ、俺も最初はそんなんだった。
「えーとアリシア、針を使うみたいだぞ?」
「うぅ、すみません。」
そしてアリシアは無事に血を出した。
それでもとても痛そうだった。
「アハハ……自分で血を出す人なんてはじめて見たよ。」
呆れたような顔をして、ネルが紐付きの木製プレートを2つともこちらに滑らせる。
「じゃあ早速、受けられる依頼を教えてください、“おねえさん”。」
それを受け取りながら、おねえさんのところはゆっくりと言って尋ねると、ネルは楽しげな微笑を浮かべ、俺達の前に2枚の紙を置いた。
「ふふ、じゃあこの、“ゴブリン討伐”と“薬草の採集”はどうかな。この薬草ってゴブリンの住処の近くで取れるから、一気に二つも依頼が完遂できるからお得だよ。」
お得て……セールスかよ。
「討伐、ね。」
命を奪う訳か……。
「“おにいさん”ならできるでしょう。見たところ腕に覚えはあるよね?」
少し不安に思ったのを目聡く察したか、ネルはそう激励、というか挑発してきた。
このやろう。
軽く睨み返し、依頼内容の書かれた2枚の紙を乱雑に畳んでポケットに入れる。
「はぁ……、アリシアはそれでいいか?」
「……ん。」
聞きながら隣に目を向ければ、アリシアは小指を口にくわえたままコクコク頷いた。
噛んだ指がまだ痛むらしい。
「はは、よし、じゃあ行こうか。」
「無理をせず、くれぐれも生きて帰ってくるようにね。最初を乗りきれば冒険者として生きてはいけるようになるから。」
苦笑し、そのままギルドを後にしようとすると、意外にもそんな言葉がネルから掛けられた。
振り返り、笑う
「何を大袈裟な。でもありがとな、おまえも頑張れよ、婿探し。」
なんせおまえの計算じゃ後2年かそこらでおばさんに突入、行き遅れになるみたいだからなぁ!?
「なっ!?」
大声で言ったおかげでネルのところに男の冒険者が集まっていくのを尻目に、俺はさっさとギルドを出た。
プレートについた紐を首に掛ける。
職業が変わりました。
name:コテツ
job:冒険者 職業補正:対魔物攻撃力アップ
よっしゃ。無職卒業だ。この世界では無職と大して変わらないらしいけれども、本当の無職よりは良い。
「無事に冒険者になれたな。」
同じく冒険者の証を首から下げたアリシアに言うと、
「はい、これから頑張りましょう。」
彼女はそう言って笑顔を浮かべた。
「はは、やっと起きたか?」
「すみません、先程は迷惑をお掛けしました。」
「いいさ。これからは仲間なんだ、どんどん迷惑をかけてくれ。」
「はい!ありがとうございます。」
さて、カイルの勧めてくれた宿屋に向かおう。
名は満腹亭、美味しい御飯が売りの宿らしい。
満腹亭は真っ昼間から客で賑わっていた。
鎧やローブを着た人達が酒を片手に騒いでいる。
入り口のドア横のコートスタンドは、真っ黒なマントの塊になっていた。
取り敢えず厨房の奥で料理を作っている大柄な男に声をかける。
「なぁ、ここの店主っているか?」
「悪かったな、店主に見えなくて。」
質問に皮肉たっぷりに答えられる。
「あ、そうか、すまん。それで、部屋を二「すみません、お金は登録で全部使いました。」一つ借りたい。部屋は空いてるか?」
所持金1シルバーってどういうことだ?アリシアって案外ドジなのかね?
「これが鍵だ。部屋は二階の突き当たりを右に行ってすぐの部屋。ああ、金は一泊5シルバーだ。」
「なぁ、今日は何かあったのか?」
騒いでいる連中を指差す。
「いや、あいつらは依頼を受けて、纏まった金を手にいれるとここに来て金を使いきるまで騒ぐんだ。おかげでこっちも稼げて助かっている。」
「へえ。じゃあアリシア、何か食べようか。」
「いえ、私はお金がないので」
「明日から討伐にいくんだ。体調が万全じゃないと俺が困る。おっさん、おっさんの得意料理を二つ!」
「はいよ、ったく、誰もメニューを見やしない。頑張って作ったんだが。」
店主はブツブツ言いながら厨房へ引っ込んだ。
アリシアを座らせる。
「そういえば、アリシアはその装備のままでいいのか?」
「ええ、これには神のご加護が掛かっているので見た目よりも防御力は高いんです。今までで一度もこの服で大怪我を負ったことはありません。」
えへんと大きな胸が張られる。
ただ、神ってあの爺さんのことだからなぁ、心配だ。
鑑定!
name:高位神官服
info:高位の神官が着る神官服。神の加護が付いている。加護の内容は幸運アップ大。
おいこら、爺さん。信徒を騙すんじゃない。
『いや、加護はしっかりつけとるし。』
何が防御力が高いだ!
『きっと幸運のお陰で当たりどころがことごとく良かったんじゃろ。』
「はぁ……後で防具を買いにいこうか。」
思わず額を抑えながら言うも、神官ちゃんは首を横に振った。
「いえ、大丈夫です。これがあれば十分ですから。というより、これ以上お金で迷惑をかけられません。」
「いや、でも「大丈夫です。」いや、「大丈夫です。」で「大丈夫です。」はぁ……分かったよ。」
意外な意思の強さに根負けし、ため息。
俺がしっかり守れば良いか。
と、アリシアより二つぐらい年下の女の子が料理を持ってきてくれた。
おっさんの娘かな?目元が似ている。
「おじさん、どうぞ。はい、お姉さんも。」
10年以上の年の差があるとおじさんって言われるのも無理はないか。まぁ少しイラッとはするけれども。
ネルとはまだ6年位しか差がないから許さないけどな。
出てきた料理はシチューにパンというシンプルなもの。もしかしたら俺が二人分負担するのが分かって気を効かせてくれたのかもしれない。おっさんを見ると、こちらにグッと親指をたててきた。
ありがたい。おっさんが困ったときは助けてあげよう。
パンをシチューに浸け、堅かったパンがふやけてきたところで口に運ぶ。
あ、うまい。
「あの、コテツさん。」
野菜の味がシチューに溶け込んでいて、それとパンがとてもよく合う。
そのまま夢中になってパンと野菜を食べ終えてしまい、最後に残していた肉を口に入れる。
すると残しておいた甲斐あって、しっかりとシチューを吸ったそれが口の中で溶けた。
「コテツさん。」
最後は入っていた具材から出たエキスをたっぷり含んだシチューを器ごともち、飲む。
うん、得意料理と言うだけはある。それにこうして落ち着いて物を食べるのも久しぶりな気がする。
今までは食いながら修行とかもざらだったしなぁ。
そう、幸せを感じながら前を見ると、アリシアがジトッとした目でこちらを見ていた。
「ん?どうした?」
「とても美味しそうですね。」
「ああ、ここの亭主が得意料理として出すだけあって美味しいよ。ああ、お代わりか?」
「違います!」
「じゃあ飲み物?」
「食べ物から離れてください。コテツさんの防具はいいんですか?私にはシャツとズボンにそのコートを着ているだけのように見えますよ?」
「ああ、防具のことは部屋の中で教えるよ。これからパーティーを組むんだからお互いの手札を知っとかないといけないしな。」
「手札、ですか?」
「見てのお楽しみって奴だ。」
「はあ……?」
納得し切れず首を捻ったものの、アリシアは取り敢えず防具の話題を置いて、自分のシチューに取り掛かった。
途端、その頬が綻ぶ。
あんまり美味しそうでこっちまで笑顔になりそうだ。
にしてもこれで代金は合計五シルバーか、その価値はあったと思う。
今さらながら、この世界にはカッパー、シルバー、そしてゴールドの三種類があり、千カッパー=一シルバーというように、一千ずつで繰り上がる。そして1カッパーを1円と考えても大して問題はないよう。
だから俺が王から事実上貰った金は実質的に50シルバーで五万円ということになり、迷惑料としてはものすごく少なかったのだ。あの王は絶対許さん。
ちなみにアリシアの所持金は千円ぐらいだったということになる。本当に何があったんだ?
割り当てられたのは、ベッドと小テーブルと椅子が1つずつ置いてあるだけの部屋だった。
全体の広さはベッドが四つ入るくらい。
アリシアをベッドに座らせ、俺は椅子に腰掛ける
「じゃあ、俺が防具を買わない理由からだな。」
「はい。あ、でも言いにくいことでしたら別にいいですよ。」
「大丈夫大丈夫。……まあ見ていてくれ。」
百聞は一見に如かず。俺の中二装備は黒色魔素に戻り、煙のように無くなった。つまり元のシャツとズボン姿に戻ったのだ。何故かさっきより暑く感じる。防熱性能もあったのだろうか。
改めてアリシアを見ると、彼女はその大きな目を見開いていた。
「これは、魔法?でも何色の?まさか未知の魔素ですか?」
「違う違う。黒魔法だよ。」
笑い、顔の前で手を振りながら否定する。未知の魔素とまで言うか。
「わぁ、黒魔法ですか!確かに魔力を多く持っていて、全身を覆う魔法を使う人がいるのは聞いたことがありますけど、黒色でそれができるなんて始めて見ました!」
「まぁな、俺の種明かしはこんなもんだ。ちなみに使える魔色は黒と無だ。さっきのコートは無色を少し混ぜることで柔軟性を出しているんだ。」
「凄いですね。普通、黒と無の魔色の人は完全に魔法を諦めるのに。」
「まあ、そこは魔力が強かったから。」
「強すぎです。それで、私の魔色は、ふふ、白と赤と緑です。驚きましたか?なんとトリプルなんですよ。ちなみに白と緑が得意です。」
「へぇ、得意不得意何てあるのか。」
「はい、私はもともと緑との相性がずば抜けていて、白魔法は神殿でコツコツと熟練度をあげてきました。魔力も結構多くて、村では神童って言われてましたよ。」
えへん、と胸を張るアリシア。
にしてもアリシア、勇者並みに高スペックだな。
「ん?じゃあ緑の命中率は良いのか?」
「はい!でもこっちは威力が調節できなくて、援護しようにも前衛ごと吹っ飛ばしちゃうんです。」
「へえ、今度からは俺も神童ちゃんって呼ぼうかな。」
「絶対にやめてください、その魔力で、しかも複数の魔素を混ぜる技術、そんな人に神童って呼ばれるなんて皮肉以外でもなんでもありません。」
技術て、そんな高尚な物か?
『魔素を混ぜるというのは一定以上の魔法使いにとっては一般的な技術じゃよ。』
ひよっこ魔法使いのアリシアから見てって事か。
「でもアリシア凄いのは確かだろ?そんな才能があるのに誰も教えてくれなかったのか?」
「はい、村では一番の魔法使いは神官様だったんです。でも神官様は近い距離からしか魔法を使わなかったので。だから私、冒険者として稼いで、学園都市ファーレンに学びにいくのが目標なんです!」
「学園都市ファーレン?」
「はい!どうせなら一番良いところにと思って。」
そんな所があるのか……俺も行ってみたいな。黒魔法でガ◯ダムとか作って乗ってみたい。
「そうか、じゃあそのためにも今日はもう寝ようか。俺は床で良いから。」
「え、でも。」
「おやすみ。明日は朝が早いぞ。」
アリシアの抗議は無視。
ていうか年下の、それも女の子を床に寝させてベッドに寝る神経は俺に備わってない。
次の目標はファーレンか。