63 落胆
「そういうわけでクレス、よろしく頼んだ。」
そう言って、俺は昨日の5人の無断夜間徘徊のことについて書かれた報告書を風紀委員長クレスに手渡した。
ものすごーく、とてつもなーい、心苦しさを我慢しながら書いたこの報告書の内容と、定められた罰則が照らし会わされ、あの5人は罰を受けることになっている。
罰とは言っても反省文だ。三倍は勘弁してやった。
「はい、確かに受けとりました。この内容だと先生はあまり寝られなかったようですからどうぞ体にお気をつけて。」
うわ、優しいなぁ。
……何だってんだよ。ギルドマスターのレゴラスと言い、クレスと言い、エルフの男性ってのは全員見た目も性格も抜群なのか?
劣等感がすごい。俺もこんなになりたいとは思うものの、無理なんだろうなぁと思わせられる辺りが特に恨めしい。
「どうかしましたか?」
「……なぁ、お前はギルドマスターのレゴラスって知ってるか?」
あれ?そういやレゴラスってこの世界じゃかなり有名なんだよな、俺、今相当アホな質問をした気がするぞ?
「ああ、父のことですね。お知り合いでしたか?」
「父……!?あ、ああ、冒険者だったからな。何度か顔を会わせたことがあるんだ。しかしまぁ、親子だったかぁ。似ているわけだ。」
「ありがとうございます。僕はむしろよく母親に似ていると言われますけどね。」
「へぇ。夫はギルドマスターで息子はファーレンに行ってしまってるなんて母親は辛いだろうな。」
「ええ、ですから来年からは精一杯母に孝行しますよ。とは言っても母はティファニアの王宮で給仕として働いていますから、むしろ僕が寂しくなるかもしれませんね、ははは。」
爽やかな笑顔。
しかしそれより……王宮の、給、仕?
王宮にいたエルフのメイドなんてそう多くはないぞ?
「その、母親の名前はミヤだったりする?」
「え?ええ、そうですけど、先生は母上ともお知り合いで?」
「あ、ああ、一回世話になったことがあるんだよ。そうかぁ、奇遇だなぁ。うん、そうか……じゃあな。」
無理矢理話を切り上げ、俺はその場を離れた。
今日、体調不良で休もうかなぁ。
『全く、お主はまだ引きずっておったのか。しかも未だに未練たらたらとは。馬鹿じゃのう。アホじゃのう。救いようがないのう。』
……俺ももう切り替えたと思ってたよ。
「はぁぁ。」
「もらったぁ!」
ため息をつきながら、突き出された槍をひらりと避けてしまい、その持ち主、テオの腹にボディブロー。
「ゴボォ!」
テオはたまらず槍を手放し、腹を抑えて踞った。
彼は昼飯後にできる時間を使って、俺を倒せるようになるまで毎日ここに通うつもりらしい。
俺がオリヴィアの護衛騎士になるのを阻止する、もしくは俺よりも強いことをオリヴィアに示して自分を騎士に、とでも思っているらしい。
オリヴィアが俺を騎士にしようとした理由を言えばこいつが落ち着くのは確実だ。しかしそれじゃあ面白くない。
「昨日も言ったぞ。お前の攻撃は愚直過ぎる。真っ直ぐ生きるのは大変結構、大いに応援してやるけどな、戦いはそもそも人を傷付けるって曲がったことなんだ。もっと考えて戦え。」
最近はこうやって教える楽しさって言うのも感じられてきたしな。
「魔法陣が使えたら……。」
ブツブツと文句を垂れるテオ。
というのも、俺と訓練するにあたり、魔法陣を使って確実に俺を倒せるようになるまではこいつには魔法陣の使用を禁止しているのだ。
「お前が魔法陣を使わずに強くなれば魔法陣を使ったときにはそれ以上の力になるだろ?」
炎や雷を纏わせたり拳を凍らせたりするのはテオが持っているスキル「念写」を応用して魔法陣を逐一念写していたらしい。
ハイドン家はかつて勇者が結婚して作った子供の一族であるため、勇者が持っていた念写スキルが代々受け継がれているそうな。
他の貴族にも同じようなところがいくつかあるそう。ただ、オリヴィアの家、カイダル家はそれに該当しない。
ちなみに、そんな理由で必然的に、勇者は各貴族にアプローチされるのである。つまり、王国にとっては勇者どうしがくっつく事は言語道断って訳だ。
……うん、アイが暴れるのも時間の問題だな。カイトって女難の相でもあるのかね?
「加速陣!」
と、テオが約束を破って体の各部で魔法陣が輝く。
しかし繰り出されるのはやはり単調な突き。
タイミングを合わせてその槍を横から掴み、それ以上の進行を押し止める。
真剣白羽取りの槍バージョンみたいな感じだ。
「くっ!炎熱陣!」
動きを止められたことを理解するやいなや、テオは槍を手放して炎の拳で殴りかかってきた。
「はぁ……。」
ため息をつき、回し蹴りで彼を蹴飛ばす。
「がぁっ!?」
ミヤさんのことだけでも気が落ち込んでいるのに、これ以上ため息を吐かせるなよ。不幸になってしまうだろうが。
『お主が今まで幸運だったことなぞ幾つあったじゃろうか。』
そんなもん……あれ?あ、アリシア達に出会ったこととかは?
『その出会った理由は散々じゃろ?』
えっと、アリシアのときは盗賊に遭遇して、ネルが仲間になったのは不幸にもゴブリンキングと遭遇したから。ルナと会うきっかけとなったフラッシュリザードの捕獲依頼ではアリシアとネルが毒竜に襲われた、と……わーお、ホントだ。
そう言えば爺さんに顔を刺されたのも……
『実際その必要はなかったのじゃから不幸の一つじゃのう。』
そう言えば殺される前もため息を吐いてた気がするなぁ……。
「ぐぅっ。」
と、テオがリングに背中からリングの縁に着地し、呻き声を漏らした。
「はぁ……お前は猪か何かか?あ、またため息が…………とにかく、お前は魔法陣を使って戦って負けた。だから、罰ゲームな。」
言いながらテオの元へ歩いていく。
「なん、だよ?」
体がまだ痛むのか、テオは寝たまま、しかしそれでも思春期の青年らしく睨み付けてくる。
「今回の罰ゲームは着衣スイミング!」
言って、俺はテオを水の中に蹴り落とした。
「うおぁぁっ!?」
水の音。
「ぷはっ!こ、この、ふざけるな!くそっ、着替えないといけなくなるじゃねぇか!」
「あ、そう言えば授業がもうすぐ始まるな。さっさと上がって授業に行ってこい。着替えなんてしてたら遅刻して反省文の量が増えるぞ?」
足を忙しなく動かし、顔を水面から出して抗議するテオにさらに悪い状況を伝え、俺はリングから出た。
恋する坊主も大変である。
「ど、どどどうだい?」
「ああ、気持ちいい。香りが雑草からかなり落ち着く物に変わってるな。」
釜に入った明るい緑色の湯に浸かりながら目の前に座るカダに答える。
俺が釜風呂に浸かっていると、ときたまこうしてカダが自作の入浴剤を試しにくるのだ。その成果は今のところまだ出ていないけれども、やはりそこが研究の醍醐味らしく、カダは飽きずに何度も挑戦している。
「や、やっぱり五感にし、し、刺激を与えた方がい、いいのか。」
「五感って、聴覚や味覚は刺激しないでいいだろ。それに聴覚の場合、どうやって刺激を与えるんだよ。」
「ふ、沸騰させればご、ごぼごぼとな、な、なるだろう?」
「しないからな!?沸騰なんか絶対にさせないからな!?」
俺を本気で茹でる気かよ。
「それに実際、風呂は静かな方が良いだろう?ゆっくりと辺りの自然の音がかすかに聞こえるかなってぐらいが俺の理想だ。」
「そ、そうか。」
語ってやるも、カダはふーん、と他人事のように反応するのみ。ここら辺の共感は得られなかったらしい。
「えーと、それにこれは元を正せば回復薬だろう?そんなものを溶かした湯が美味しかったら入浴剤なんかじゃなくて、新しい回復薬として発表した方がいい。」
「いや、そ、そ、それじゃあ、だ、駄目だ。」
カダはしっかりと首を振る。
「か、回復薬を美味しくする方法はも、も、もうそ、存在している。」
「へぇ、どんな方法なんだ?」
日常の豆知識ってのは結構好きだ。
「あ、あまり知られていない方法だが、お、大樽一杯の回復薬にど、ど毒竜の毒液を1滴た、た、垂らせば至高の酒が出来あがる。」
「危なくないのか?」
分量を間違えたら死にそうな気がする。
「た、例え毒がす、少し多かったとしても体のな、中にし、出血がないならばか、体の機能でもも、問題ないぐらいにど、毒は中和される。」
たしか元の世界でも蛇の毒は飲んでも平気とか言ってたな。
毒竜って言っても要は巨大な蛇だったから、似たようなことなのかもしれない。
「毒竜の毒って飲んでも平気なのか……。」
「いや、だ、だからって、た、高い濃度のも、ものを飲むと、か、体にし、し、浸透して、死ぬこともある。」
「じゃあ俺は至高の酒は味わえなくていいや。命の方が大事だ。もし俺が寿命で死ぬのならその死ぬ間際に飲んでみようかな。」
そうすれば天に昇る気分を二重に体験できるだろう。
「そ、それがいい。あまりにも美味しくてや、やめられなくなって、貴族の中にはそれをの、飲むためだけに回復魔法使いや魔術師を雇う者までい、いる。な、中にはそ、その酒を買うためにか、金をつ、つ、使いすぎて破産、ぼ、没落した貴族もいる。ぜ、絶体に手は出さないように。」
段々とカダの口調が熱を帯びてきた。顔も紅潮しだし、並々ならぬ思いが込められているのが伝わってくる。
「分かった分かった。飲まないよう肝に命じておく。しかしお前、やけに詳しいな。」
「あ、ああ、、ご、ご、ごめん、その没落貴族はわ、私だから、つい。」
はい?
「お前貴族だったのか!?」
嘘だろ。こんな、威厳の欠片さえありもしないような男がか?
「ら、らしくないのはわ、分かっている。私がき、貴族になれたのは薬草のち、知識が買われ、ち、重用、された、からだ。」
納得した。
「こ、このどもりだって、そ、そのころはな、な、無かった。他の貴族にう、疎まれていたのはわ、わ、分かっていたのに、好意の印として送られてきたあ、あのりゅ、りゅ、竜仙酒に手をつけないでおけば……。」
ギリッ、と悔しそうに歯ぎしりし、段々と顔を赤くしていくカダ。
本当に天狗なんだなとこういうときに思う。
「今も金もないのに無理してその竜仙酒を飲んでるのか?」
「いや、ずっとが、我慢している。だけど次、竜仙酒をの、飲んだとき、も、もう我慢は出来なくなってし、しまうだろう。幸い、今はそのき、危険性から製造がと、止まっているからそ、そうお目にかかることはな、ない。」
聞けば聞くほど麻薬や覚せい剤が思い浮かぶな。知りあいが間違っても飲まないようにしないと。
あれ?そう言えば……。
「なぁ、毒竜の毒袋ってどこにあるんだ?」
「は、は、話をき、聞いてたか!?ぜ、絶体にお、お、教えない。」
「あー、いや、竜仙酒を作ろうだなんて思っちゃいない。ただ、前に毒竜を倒したことがあってな。ギルド経由でオークションに出したんだが、毒竜の剥製しか出品されなかったんだ。話を聞いてると毒袋の方が高く売れそうな気がしてな。」
まさかとは思うがギルド職員の誰かが横領でもしたのかね?
「ど、毒竜をた、た、倒した!?」
「ん?ニーナに聞いてないのか?」
ニーナが俺のことを誘う前から知っていたはずだ。情報の共有は全然してないのかね?それともあいつのことだから、詳しい調査を怠ったか?
「り、理事長はあ、ああ見えてか、かなりの情報を隠している。まぁ、と、当然と言えば当然だがこ、ここ最近はそれがき、極まっている。」
まぁ、裏切り者がいることが分かっているからな、そりゃ警戒するわ。でも、ニーナは昔から秘密主義だったのか。日頃がアレでねぇ……。
正直、以外だ。
「人は見た目によらないってことなのかね?それで、さっきの質問に戻って……」
「ど、どこに毒袋があ、あるのか、だね?あ、あれはど、毒竜の頭部とし、尻尾の先の2つには、入っている筈だ。そしてか、か、確実に、は、剥製なんて物よりもか、価値はある。」
チクショウ!やっぱり誰かが横領してたか。
「はぁ、でもギルドに全部丸投げした俺にも非はある、か。」
それに毒袋も流石に二万ゴールドはしないだろうからあれはあれで十分稼げたといっても良いだろう。
「ちなみにお前を罠にはめたのって誰なんだ?」
「げ、現ヘカルト王、か、か、カイジン。あ、あいつが私からぜ、全部を奪った。」
マジか。
「それ、確証はあるのか?」
「無い。だがあ、あいつは私とずっとこ、国王の座を得るためには、張り合っていて、そ、そして私が没落したちょ、直後に国王とな、なった。う、う、疑いようが、ない。」
どもりながらも言葉を重ねるごとに鼻息が荒くなり、天狗だからなのか顔が充血して真っ赤に染まる。思い出すだけでもここまで怒りがこみ上げるとは。当然と言えば当然だが。
しかし、カダって国王候補だったのか。全然そうは見えないな。
「お前、凄かったんだな。」
「ま、まぁ昔のは、話だ。わ、若気のい、い、至りとも、い、言える。ああ、ただのぐ、愚痴になってしまったな。」
途中でカダが冷静になる。その際に顔の赤みがサッと消え失せたのにはかなり驚いた。
「まだカイジンが憎いか?」
「前まではそ、そうだった。けど、い、今考えるとあれはき、貴族としてのわ、私の失態だとお、思っている。」
俺は絶体に貴族なんかには成らない。そう、固く決心した瞬間だった。
「ふぅ、す、スッキリした。ぐ、愚痴につ、つ、付き合わせてご、ごめん。も、もう、遅いね。わ、私はこ、これで。」
カダはそう、申し訳なさそうにそう言って、そそくさと足早に帰っていく。
ったく、あの野郎。お前の方はスッキリしたんだろうがけどな、おかげでこっちは頭を悩ませることが増えたよ。
……クラレス誘拐の首謀者はお前なのか?