58 本性
燃えてなくなった繭の中からは――まぁ、当然のことながら――ユイが出てきた。
凄まじい猛火に身を包み、自分が一度は閉じ込められていた繭が癪に触ったか、彼女はその残骸すらも燃やし尽くす。
さて、殴った勢いで魔法陣の外に吹き飛ばしたらいけないし、剣で傷付けたら更に凶暴化する可能性がある。……ていうかあまり傷付けたくはない。
つまり、魔法で何とかするしかない訳だ。
繭を消し炭すら残さず消失させ、すっくと立ち上がったユイは周りを見渡し、俺と目を合わせた。
「二回戦と行こうか。」
笑い、挑発。
「フン。」
しかし、対する彼女は鼻を鳴らし、即座に魔法陣の外へと駆け出した。右手には炎の刀、左手には見覚えのある真っ赤な、先端から炎を吹き出している槍を携えて。
どうも炎はルーンが発生させたものらしい。
すぐにそのあとを追いつつ、ユイの目の前に真っ黒な分厚い壁を作り上げる。
「邪魔ぁ!」
炎の刀が雑に叩き付けられるも、壁はびくともしない。
「このっ!」
と、今度はルーンが振りかぶられる。
あいつ、あれを槍と認識してないな。ただ先端から灼熱の炎を噴き出す火炎放射機みたいな扱いだ。
「そいつは没収だ。」
背後からワイヤーを槍に巻き付け、引っ張って取り上げる。もちろん穂先には覆いをつけて。
「現界、魔槍ルーン。」
しかし、ユイのその一言で俺の行動は無に帰した。
俺の持っていた槍は赤い粒子となり、彼女の手許で再び再構築される。
それが完全な槍として形になる前にようやっとユイに追い付いた俺は、背後からその両腕を掴み取った。
途端、彼女が子供のように喚き出す。
「邪魔しないで!痛いのよ!これなら今までの苦しみの方がマシ!」
「大人しくしろ!」
その体つきからは想像もできないような腕力に堪えながら、地面からワイヤーを伸ばして彼女をがんじがらめにしていき、その動きを止める。
「痛い痛い痛い痛い痛い!」
すると、槍の穂先から噴き出る炎がムチのように暴れ出し、俺は堪らず彼女から距離を取った。
ワイヤーが何本か焼き切られるものの、随時新しく巻き付けていっているので大した問題はない。
「あぁぁぁ!オーバーパワー!」
しかし、勇者スキルの発動と同時にそのワイヤーが力で引き千切られ始めた。
勇者スキルってやっぱり有能すぎるだろ!?ったく、何度でも言ってやる、俺もそんなの欲しかったよチクショウめ!
「ブラックミスト!」
完全に自由を手に入れられる前にユイを闇で包み込む。
「これで大人しくしてくれよ、コフィン!」
続けてユイの回りの黒い霧をまるごと包むように障壁を作成。
「やめて!胸が、苦しいの!」
防音機能なんぞない箱の中からはユイの懇願がよく聞こえる。
……勇者達、頼むから耳を貸すんじゃないぞ?特にカイト。
内心で願っていると、ドンッと障壁の1つが攻撃され、そこに大きなヒビが入ったのを感じ取った。
すぐにその壁の前に先回りして、魔素を通常以上に込めた、頑丈なワイヤーを準備。
同じ壁を再び衝撃が襲う。
そしてそれが粉々に崩れ、中から黒い煙が噴き出すと同時に、中にいるはずのユイへ向けて無数のワイヤーを巻き付かせに行かせる。
しかし、その全てが空振った。
どこに!?
『上じゃ!』
バッと見上げれば、跳躍したユイがちょうど俺の上を通り過ぎていくところ。
読まれてたか?
「あーくそッ!魔力視か!」
スタッと着地し、ユイは慣性に後押しされてそのまま走り出す。
しまった。このままだと外に逃げられる!
……奥の手を出すしかないか。
ポケットから邪龍の魂片を取り出す。
「おい待て!お前が欲しいのはこいつだろう?」
「それはっ!?渡しなさい!」
華麗に方向転換し、俺に一直線に向かってくるユイ。なぁにが痛いだ苦しいだ、元気溌剌じゃねぇかこの野郎。
まぁ良いさ、逃走阻止は成功した。それで十分。
「草結び!」
猛スピードで駆けるユイの足元に、昔なつかし草結びの罠を掛ける。
「キャッ!」
可愛らしい悲鳴を上げて彼女が顔から石床に突っ込むも、俺には心配してやれるほどの余裕がない。
「まだだ!プレス!」
3重の障壁を作成し、ユイを上からに抑え付ける。
「うが、あぁっ、逃がし、てよ。私はこんなこと、望んで、な、い。こんなに痛い、なんて!」
ユイが涙を流し、こちらの感情に訴えてくる。
痛いというのが狂言だと分かっていても、前までの俺だったら罪悪感でここで力を弱めてしまっていただろう。
「残念だったな、この世界に来てから美人とは毎日顔を合わせてんだよ。断る!」
ネルとかルナとかなぁ!
……アリシアは別方向で可愛い。
「がぁぁぁぁ!」
ユイが雄叫びを上げる。
と、その肌が段々と赤くなっていき、体から湯気のような物が立ち上り始めた。
……アルベルトの見せた身体強化魔法か。
跳ね上げた力を用い、彼女はじわじわと障壁を背中で押し上げていく。
抑える力をさらに強めたものの、ユイの力がそれを完全に上回ってしまっている。
ビシッと一枚目の障壁に亀裂が入った。すかさず修復、魔力を振り絞ってユイを抑え込み続ける。
「本当に、痛いのよ!」
「痛いなら別の所をつねれば良いって親に習わなかったか?案外効くぞ?ちなみにおすすめは二の腕だ!」
邪龍の魂片をポケットに戻し、そこを叩いて挑発しながらさらに力を加えていく。
「渡せぇぇぇ!」
一瞬姿勢を下げ、そして一気に勢いをつけて起き上がることで、ユイは障壁をぶち破った。パリィンッと驚くほど軽い音が響き、自由になった彼女が飛び掛って来る。
即座に次の魔法へ移行。
「マジックハンド!グリップ!」
片手を振り上げ、拳を握りながら叫ぶ。
すると地面から巨大で真っ黒な手が生え、俺に向かってきたユイを炎を発している魔槍ルーンごと掴んだ。
狙いが分かっている分、動きを予想しやすくて助かった。
相手を掴んだ手の指部分が互いと溶け合い、継ぎ目を無くし、ユイの胴は粘性の黒色の塊に飲み込まれていく。
「この、離し、て!」
呼吸のため、彼女の頭部のみは外に出したまま。
「ていっ。」
目隠し魔法で与える必要のない視界は奪う。
直立の姿勢で拘束されれば、体に思うような力は込められない。
……さぁこのまま大人しくしてくれ。
「オーバーパワーァァッ!」
しかし流石勇者というべきか、彼女は気合いで何とか右手だけを黒色魔素から抜け出させた。
まぁそれでももう一度飲み込めば良い話。
「現界、魔槍ルーン!」
と、黒い手に抑え込まれていた槍が空気に一度溶け、その粒子がユイの右手に再び集まり始める。
「させるか!」
少し焦り、黒魔法で巨大な手からさらにユイの右腕へとワイヤーを何十本も伸ばし、まとわりつかせてその主導権を握る。
そして、火を噴く槍を無理矢理上に向けさせた。
この状態を維持したまま、無色魔素を操ってユイのいる空間を包み込み、その中を満たし、魔法の使用が不可能な状態に追いやれば、自由(笑)の女神の完成である。
さて爺さん、あとどのくらいだ?
『もうじきじゃ。』
「……何よ、何なのよこれ!」
と、急にユイが叫びだした。
お、正気に戻ったか?……にしてはまだ魔法陣の金色の輝きは失せていないな。終わりに近づいてきたってことかね?
「ユイ、落ち着け、あと少しで終わる。」
「放して!」
「だからあと少しだけだって。」
「放してって言ってるでしょう!」
「もう少しの辛抱だ。」
「せめて視界を戻して!」
「駄目だ。」
もしもこれが演技じゃないのなら、ユイがあまりにもあんまりな状況で焦るのはよく分かる。
それでも保険のためだ。我慢してくれ。
「おじさん、ユイが嫌がってるじゃないか!さっさと放してやってよ!」
と、ここでついにカイトが反応してしまった。
「安心しろ、あと少ししたら放すさ。」
振り向かず言う。
「カイト、助けて!……お願い、私は死にたくない!」
「分かった!」
しかし、再びユイに懇願されたカイトは、元気の良い返事をして立ち上がりやがった。
俺も今の言葉には少し動揺した。
おい爺さん……。
『アホかお主は!戯れ言じゃ!死ぬわけ無かろう!そのための魔法陣じゃろうが!』
そうだった。
「アイ、カイトを引き留めろ!」
安い芝居にも程がある。それに引っ掛かるカイトはかなりのアホなんじゃないだろうか?
『なるほど、アホが二人おる訳じゃの。』
……。
「アイ、お願い。あんなに苦しそうなユイをオレはそのままになんかしておけないよ。協力してくれない?」
「大丈夫、私はカイトの言う通りにするよ。カイトの言うことならどんなことにだって従うから、安心して良いよ。」
「ああ、ありがとう!」
バカヤロー!
と、魔法陣の赤色の光がだんだん弱くなっていく。
どうなってる!?
『簡単なことじゃろう?魔法陣の魔素の供給が足りんのじゃ。』
勇者二人が立ち上がったからな。そりゃ足りなくなるわ。
流石にルナとネルだけじゃ扱える魔素量が足りなかったらしい。
いつもはこれを全部一人でやってたんだよな……。自分の魔力の強さを少し実感した。
『自覚するのが遅いわい。』
へいへい。
片膝をついて魔法陣に手を当て、魔素の供給を再開。
収まりかけた不吉な赤色がその輝きを増す。
『不吉ではない!』
「行くよアイ。」
「うん。いつでも良いよ。」
ん?……あれ?俺、魔法陣への魔素供給とユイの拘束につきっきりになってて今は身動きとれないぞ?
加えて何かの拍子にどちらか一方でもおろそかになったら今までの努力が水の泡、と……。
冷や汗。
いや、魔力はまだ限界まで使っている訳じゃない。なんとか現時点で使える魔力を工面して頑張ろう、うんそうしよう。
ダッ、と勇者二人がユイに向かって走り出す。
魔法を外すことはできない。確実に止めないとな、最悪の場合、息の根も。
『三人を生かすために魂片を取り出すのじゃろう?本末転倒じゃな。』
息の根は冗談に決まってるだろうが。
まぁ下手な冗談を挟むぐらい追い詰められているって訳だけどな……はぁ。
俺が自由自在に魔法を扱えるのは半径約五メートル。幸い、彼らの進行方向だと必ずそこを通る。
あと5、4、3、……今!
「サークル!」
二人の足首、太もも、肘、の三ヶ所を狙って輪っかを瞬時に作り上げる。
「ハイジャンプ!」
しかしアイは超が付くほどの加速で3つの輪っかをギリギリで潜り抜けた。
「く……この、限界突破ァ!」
そしてカイトは一度は動きを止められたものの、爆発的に強化された腕力で輪っかを引きちぎり、脱出。
だぁーくそっ!便利だなおい!
と、今はそんなことを言ってる場合じゃない。
「草結び!」
第一の魔法を突破した彼らの踏み込んだ次の一歩に合わせ、その足の甲を狙って小さな輪っかを地面から生やす。
「わぷ!」
「あだっ!」
すると二人は盛大にすっ転んだ。
あ、これには引っ掛かるのね。
「このっ、カイトの邪魔をしないで!」
足を輪っかから抜きながらアイは俺を睨み付け、彼女が聖槍を振りかぶると槍が光を放ち出した。
おい、冗談じゃないぞ!?
「聖光……ぐっ。」
しかし彼女は急に苦しそうに呻き、その場に跪いた。
助かったのか?
「アイ大丈夫!?何かされた!?」
カイトが驚いてアイに駆け寄り、彼女はそれに小さく首を振る。
「大丈、夫、負荷が思っていたよりもキツかった……だけ。ぜぇぜぇ。」
なぁるほど。
よく噛み締めろよアイ。それがユイの背負ってた物の半分だ。
「カイト、アイ、何してるのよ!早く助けて!仲間でしょう!?」
で、ユイの中の魂片も随分と焦り出していると。
そろそろ終わりそうなのか?できればそうであって欲しい。
勇者二人はまだ五メートル圏内。あとどれくらい足止めを続けられるかは分からないが、今は精一杯頑張るしかない。
「アイ、行ける?」
「大丈夫。もう覚悟はできたから、今度はちゃんとできるよ。ごめんね。」
「うん、とにかく、今はおじさんを倒そう。」
「分かってる。聖、光……」
アイの聖槍が再び光を放ち始める。
標的を俺に変えるのは成功したものの、今の俺にあの槍を防ぐ力は無い。魔法陣から一瞬だけ手を引けば……無理だな。
一瞬であの槍を無効化するのは不可能に近い。
「コテツ!?ルナ、行くよ!」
「ええ、ご主人様、今加勢に行きます!」
「二人ともやめろ!俺はいいから魔素を流し続けろ!」
魔法陣は最優先事項だ。これが切れたらそれこそ失敗になる。
ユイを逃がせば受け止められるか?……駄目だな、肝心のユイを逃がしてどうする。
いや、違う。逃がさなければ良いんじゃないか?
「いっ、せ……「駄目だアイ!」カイト!?」
聖槍が放たれる直前、カイトが間に割って入った。
あー、良かった。
「カイト、退いて!」
「駄目だ!」
「何で!?」
「ユイが……。」
カイトが俺の方を指差す。正確には俺の目の前に立つユイを。
体は一回り大きくし、目隠しをされた顔以外は全て真っ黒な彼女は、腕を大きく開いて体で大の字を表し、俺をかばうように立っていた。
もちろん俺の魔法だ。
使ったのはマジックマリオット。
体が一回り大きくなってしまったのはそれだけの魔素が無いとこいつの体全体の主導権を握れなかったからである。
何度も言う。勇者スキルって本当に恐ろしい。
「おじさん、ユイを放してください!」
「断る。」
「カイト、助け、て……。」
なおも演技を続けるヴリトラの魂片。最後の辺りで声をかすらせるところまで、本当に手が込んでいる。
カイトが聖剣を握り直し、対する俺はユイの体を動かして、赤い毒槍の穂先を彼女自身の首に向けさせる。
「近付くな!近づかなければ危害は加えない!」
「くっ、卑怯ですよ!」
いやごもっともで。
「カイト……。」
と、アイが穏やかな声でカイトの背中に声を掛けた。
「アイ、どうしよう?」
振り向かずに彼女へ聞き返すカイト。
「ごめんね。」
彼に何故かまた謝りながら、アイは聖槍を両手で上に掲げ……
「……ちょっと痛いよ。」
……その石突をカイトのうなじへと降り下ろした。
「ガッ!?」
ゴスっと良い音がして、何が起こったのか分かっていなかったであろうカイトは、膝からリングへと崩れ落ちた。
……えーと、仲間割れ?
「ごめんね、ごめんねカイト。でもこうするしかないの。カイトは優しいからね。だから私が汚れ仕事を全部してあげる。カイトを悲しませたりなんてしない。私が守ってあげるの。何が相手でも、カイトの道は私が邪魔させない。うふふ。」
豹変したアイが気絶したカイトに何度も謝罪しながら薄気味悪い笑みを浮かべる。
あの、怖いです。
「えーと、アイさん?一体何を……?」
取り合えずユイの両腕を上下に小刻みに振って見せる。
この子の存在、忘れた訳じゃないよね?
「ふん、その女、煩わしいのよ。いつもいつも私のカイトに色目を使って誘惑するし、何回も私の邪魔をして!信じられる!?今まではカイトを甘やかすだけだったけど、最近は揺さぶりまでかけたりしているのよ!?」
もしかしたらそれは俺のせいかも知れない。
いつもカイトに見捨てられないために必死で、ユイには余裕が無かったんだろうな。
それが揺さぶりみたいなこともできるようになってきたのなら大したもんだ。うん。
……そのせいで俺が今ピンチな訳だ。
ゆらりと立ち上がり、アイは残忍な表情で俺、いやユイを睨み付ける。
「元の世界で何度……何度殺してやりたいと思ったことか!だからこの世界に来たとき、その女も一緒にいてイライラしたけど、チャンスだとも思った。この世界では人殺しが簡単に許される。死人に口無しって言葉がこの世界では本当に通用するの!素晴らしいでしょ?それにその女は聖武具を持たない欠陥品。つまり天が私こそがカイトにふさわしいって言ってくれたって事よね!?」
え、そうなのか?
『知るか!下界の色恋沙汰なぞわしの管轄外じゃわい!』
ま、恋愛の神様が小うるさい爺さんじゃないだけましか。
『だまらっしゃい!』
「ね、カイト、起きたらもう邪魔はいないよ。楽しみだね。」
倒れたカイトに話し掛け、アイが聖槍を投げる体勢に入る。
何か恍惚のした表情を浮かべてるけれども、あれって人を殺そうとするときの顔じゃないよな?
「真実の愛のための行動は何にも悪くない。あ、……ふふ、職業だって今〈愛の勇者〉になった、これは正しいに決まってる!」
……何それ。
『勇者の上位互換じゃな。たしか愛の勇者は自身の誰かへの愛情が故の行動の効果が最大10倍になるはずじゃ。』
何でここでそんな厄介な職業になるかなぁ!?
あの子、日々歩くのさえカイトのためとか言いそうだぞ!?
そんな子が聖槍で攻撃なんかしたら……
『まぁ、そういうことじゃな。』
はぁ……そういうことか。