52 正月休み①
前にも述べたように、ファーレン学園は元旦からしばらく休みとなる。
学生は家に一度帰る者もいれば、学園に残ってぐうたらしたり、遊び呆けたり、はたまた真剣に勉強を続ける者もいる。
だがしかし、それが許されるのは学生のみである。もちろん元旦当日はそれぞれの教師に休みが設けられているものの、学生はそこから二週間休みがあるのに対し、教師は二日しか休みはない。
何故か?
もちろん仕事があるせいである。
学園が再開したあとの授業の用意もさることながら、学生達に〝泣く泣く〟味わわせなければならない地獄――休み明けのテストの内容を考えるもしくは作らなければいけないのだ。
過去の問題をそのまま使って手抜きをしようとする教師もいるにはいる。しかしそれでも教えていない範囲が入っていないかどうかのチェックをしなければならず、最終的には新たに作った方が速いということもある。
まぁ、それは歴史や地理の担当教師が行うこと。彼らのやるテストは元の世界の物とさして変わらない。
むしろ大変なのは魔法、魔術、戦技を代表とした、実技を行う主要科目だ。
課題や何を評価するのかはそれぞれの担当教師が決めるというのに、ラヴァル以外の彼らは決してその試験監督をしようとしない。
その理由は二つある。
一つは自分達が作った評価方法が結構難しいものだったり、試験自体が面倒くさいものだったりするから。
そしてもうひとつの理由は、今年度入ってきた、異常に押しに弱い教師に頼むという手段が確立されたからである。
「俺はその日家族が……。」
「やってくれるわよね?」
「用事が入ってしまっていて……。」
「きゅ、きゅ、急用がは、入ってしまって」
「お願いします!」
と、言うわけで俺は職員室で群がられている。これが人気者の気分か……。
全く嬉しくない。
だがしかし、俺にはもう既に無理矢理手伝いをやらされることとなった教科がある。
逃げ道は確保してあるのだ。
「俺はツェネリの回復魔法の手伝いがあるからお前らの要望には答えられん。他を当たってくれ!」
そう言い放ち、俺はさっさと職員室からコロシアムへ転移(避難)した。
「あ、おかえり!」
コロシアムリングではネルが待っていた。何故か戦闘用の軽装備で。
「お、ネルか。なぁ、お前は実家に帰ったりしなくて良いのか?金がないならアリシアから貰えば良いだろ?」
「……コテツはボクがいない方が良いの?」
「いや、そうは言ってないだろ。」
「じゃあ、良いじゃん。」
「え、あ、うん。分かった。」
いかん、サボり志望の教師達のせいで精神的に疲れてしまっている。
しかし、俺が押しに弱いせいでこんなことになっているのだからあいつらよりも俺自身に腹が立つ。
「で、どうしてここにいるんだ?友達はたくさんいただろうに。」
「たまにはコテツに仕事させないといけないかなと思ってね。」
「余計なお世話だ。」
もう十分仕事(主に雑用)はしていると思う。
「それにボク自身がどれだけ強くなったのかを確認したいし……。」
言いながら、ネルは細い腰に引っ掛けたベルトから短剣を二本取り出し、俺は呼応するように黒龍を右手に作り上げた。
「よし分かった、良いだろう。じゃあまずは一本だけからな。」
「……後悔しても知らないよ。疾駆!」
言った途端、彼女は半年前とは比べ物にならない速度で接近してきた。
スキルも練習すれば成長するらしい。
繰り出される左右の連撃を少し焦りながらも素早く弾き、荒くなった横切りを一歩下がって躱す。
そうして空振り、バランスを崩したネルはしかし、慌てることなく身を捻り、
「空歩!」
左足で空気を蹴った。
そんなスキルがあるのか!?
俺の下がった分だけ踏み込んで、ネルは体の捻りの反動を利用した平行な斬撃を放ってきた。
「くっ、聞いてないぞ!」
それを何とか黒龍一本で受け止め、グチる。
「ね?強くなったでしょ。」
「まぁ、多少はな。でもまだまだだ。……ふん!」
鼻息荒く、腕力で黒龍を無理矢理振り上げ短剣を弾き返し、蹴りを放ってネルを後退させる。
「ち、力押しなんてズルい!技術の勝負じゃないの!?」
大きく飛びずさったネルは、そう言って文句を垂れてきた。
「技術ってのは力押しの相手に勝つための物だ。技術を向上させて力押しに負けてたのならまだまだだってことだろうが。」
「ぐっ。」
「ま、力押しなんてすることになるとは俺も思ってなかったよ。強くなったな、ネル。」
「え、そ、そう?へへ。」
照れ、はにかむネル。
「まぁ、まだ一本で楽勝だけどな?」
そこで、俺は敢えてバカにしたような笑みを浮かべてみせた。
「こんの!疾駆、三倍速!」
急な加速に一瞬ネルの姿を見失う。
そして気付いたときには既に間合いに入られていた。
しまった!
「隙ありぃ!双牙!」
短剣が左右から同時に、スキルで挟み込むようにして切りかかってくる。どうやら何がなんでも俺に二本目を使わせたいらしい。
下がったとしても、ネルは俺よりも速く動いているので追い付かれるから意味はない。
こうなったら……
「隙なんてない!」
そう叫んで、俺は両方の斬撃を同時に防いだ。
「あれぇ?一本でも楽勝なんじゃなかったっけ?」
からかうように聞いてくるネル。
「ああ、勿論だ。よく見てみろ。剣は一本だろ?」
俺は陰龍なんて使っていない。左腕に黒銀をかなり強めに発動させたのだ。
短剣は少し切り込んでいるものの、まだかすり傷程度である。
「え?あ、ズルッ!」
「実際の戦闘にズルいも何もない、ぞ!」
言いながら、ネルの足を蹴って払う。
こうなったら意地でも陰龍を使わん。
追撃しようと踏み込むも、ネル猫のようにしなやかな動きで既に体勢を建て直し、距離を取っていた。
「絶対に二本使わせてみせるからね!」
「なら全力を出せ。持ってる手札を全部試せ。例え未完成の技でも、効果があるかもしれないだろ?」
師匠の受け売り。
「アハハ、そうだね、分かった……。ふぅ、これがボクの本気だよ。」
黄色の魔素がネルに集まる。
「雷光!」
バン!と破砕音がしたかと思うと、ネルの短剣は俺の目の前に迫っていた。
何とか間に黒龍を割り込ませる。
「くっ!」
ネルは短剣を押し込まなかった。そのせいで短剣は驚くほど簡単に弾くことができた。
視界の端で背後に回るネルを捉えた。
低い姿勢を保ち、前方へ跳ぶ。
しかし、跳んだ先には、後ろに回り込んだはずの彼女が……。
「アハハハ!幽歩成功!」
嬉しそうに笑うネル。
教えた俺がこんなにあっさり引っ掛かるか!
「スラッシュ!」
左右の短剣を振り下ろされる。ご丁寧にも両方ともスキルを使って。
油断大敵とは俺が訓練で何度も言っていたことだ。
身に付いているようで何より。
「こなくそ!」
陰龍を作り上げ、黒龍と共にそれぞれの斬撃を弾き、横に転がって逃げる。
意地を貫いて自分の教えた技でやられてしまうのだけは嫌だった。
しかもあれ、くだらない小手先の技だから尚更だ。
「あれれぇ?コテツ、ボクには剣が二本見えるよぉ?」
「……。」
このやろう。
黒龍と陰龍を持ってネルへ踏み出す。
「雷光!」
破砕音が再び響いた。
一合、二合、同じ直線上を往復して放たれる鋭い斬撃を弾く。
どうやら本当に未完成の技らしく、制動はまだできていない。来ると分かっていれば大して苦労せずに防げる。
「さっきので決められなかったのは痛かったな。」
「っ、ハァァッ!」
目はもう慣れた。……それでもネルが速いことに変わりはない。
急接近してきた左右の刃にそれぞれ黒龍と陰龍を合わせ、外へと押し流す。
「くっ、この!」
流されたと気付くやネルはすぐさま両の短剣を手放し、雷光を解いて後ろへ跳ぼうとする。
しかし、そうして重心が後ろに掛かったところで俺は彼女の踵を足先で素早く刈った。
「え?わっ!?」
地面の代わりに虚空を蹴り、ネルの体が背から落ちていく。
あ、危ない。
双剣を消し、地面を蹴る。
そしてネルの後頭部を右手で支えることで彼女が頭を強打してしまうのを防ぎながら、俺は彼女に覆い被さるように石床に倒れた。
「俺の勝ちかな?」
左前腕で体を支え、ニヤリと笑いつつ、反論はできないように目の前のネルの後頭部にあてた手をもぞもぞと動かす。
「ひゃわっ、う、うん、そう、だね。」
するとネルは少し言葉を引っかからせながら、視線を下へ逸らした。
どうしたんだ?
「おい大丈夫か?どこかで変な風に体を捻ったか?たしかツェネリは学園にいるはずだ。すぐに呼んで来れるぞ。」
「いや、しょ、しょんなことはにゃいけど。その、ちょっとだけ、ち、ちか……。」
「ネルさーん、ルナさんがお昼ご飯を作ってくれましたよー。コテツさんが来てないのなら先に食べちゃいま……。え?え!?」
ネルが何かを言いかけたところでアリシアが彼女を呼びに来た。
「お、アリシア、お前もいたのか。」
コロシアムリングに四つん這いになったまま、アリシアの方に顔を向ける。
「は、はい。えっと、コテツさん、お仕事ご苦労様でした。それで、これは?」
すると、アリシアは困惑した表情でそう聞いてきた。
「ああ、ネルに練習に付き合って欲しいって頼まれたんだ。そんな顔しないで良いぞ。ちゃんと勝ったさ。」
そう言うも、彼女の顔は晴れない。むしろ赤くなったような気がする。
「えーと、じゃ、じゃあ、ルナさんにコテツさんも帰ってきたと言っておきますね。」
「おう、頼んだ。」
何やらあたふたした後、アリシアはおそらく俺の居住部屋へと戻っていった。
ちょいちょいと胸の辺りが引っ張られる。
下、ネルの方を見ると、彼女は顔を真っ赤に染めていた。
「どうした?」
「……ち、近いよ。」
聞くと、返って来たのは消え入るような声。
実際、俺とネルの間は5センチも空いていない。
そりゃ恥ずかしいわな。それにこう覆い被されると暑いのだろう。
「ああ、すまんすまん。」
「ん。」
身を離し、立ち上がると、ネルは寝たまま両手を俺に伸ばしてきた。
「立てないのか?」
「疲れた。」
「はいはい、お疲れさん。」
その手を片手で両方とも一気に引き上げる。
が、なかなか手を離してくれない。
「ねぇ、どうだった?」
「ん?ああ、手触りは良かったぞ。それにやっぱり見た目も綺麗だな。やっぱり髪の毛は手入れしたりしているのか?」
まぁ、手触りは手袋越しのものだけれども。
「え、あ、ありがとう…………って違う!」
「ずいぶんと間があったな。」
「そりゃ……ちょっと嬉しかったし。」
茶化すとネルはそう呟いて俯く。
それには茶化した俺まで反応に困り、取り合えずその肩を軽く叩いた。
「ま、まぁなんだ、強くなったな。正直、二本使わせられるとは思わなかった。……まだ負ける気はしないけどな。」
「一言余計!」
ネルの長い足が動く。
慌てて手を股下に出し、俺は蹴り上げられたそれを受け止めた。
かなりの衝撃。しかし決して引いたりはしない。死活問題だ。
「アホかお前は!股間を狙うな!」
冷や汗かきながら叫ぶも、ネルは返答せず、さっさとリングから下りていった。
……まぁ、向上心は良いことだよな。
俺は今、ファーレン城壁の外、ドーナツ状の街を歩いている。
ただぶらぶらとしているだけではない。ちゃんと、在庫が切れそうなインクを買う、という目的がある。
……要は雑用である。
用務員さんに頼めと本気で思う。これは絶対に俺の仕事じゃない。
内心でぐだぐだ愚痴る内に、目的の文房具屋に着いた。
文房具屋と言っても看板には貴族御用達などと仰々しい謳い文句があり、全体的にきらびやかな内装、外装をしている。
文房具屋が高級な店扱いなのはかなり違和感があるものの、この世界では間違いではない。
インクというのはタンクに入れて売られていて、結構高いのだ。普通は計量カップで計って買う物らしい。
しかし今回は学園全体で使うものだからタンクごと買う。
扉まで着飾っているのでちょっと入るのに気が引ける。しかし入らないと始まらない。
「すみませーん、学園からの使いです。インクを買いに来ましたぁ。」
扉を開けながら大声を上げれば、
「はいはいはいはい、学園の方ね。タンクを三つで良かったかしら?」
恰幅の良い女性が出てきて応対してくれた。
「ええ、問題ありません。これ、代金の9ゴールドです。」
もちろん、金は学園の物だ。こんなことで自腹を切ったりはしない。
「はい、確かに。あら力持ちなのですね。」
持ってきた袋(黒魔法製)にタンクを入れ、それを担いで帰ろうとすると誉められた。
内心化け物だなんて思っていないと良いな。
「では。」
「ああ、お待ちになって。」
なんだ?正直さっさと帰りたい。
「これ、新製品なのよ。お一つどうかしら?」
提示されたのは、どうみてもただのペンキャップ。
「それは?」
「これはペンの先につけておくだけでどれだけ無造作にペンを置いてもインクが染み出ることを防いでくれるものよ。」
この世界で一般的に使われているペンは金属製のペン先とそれに繋がっているインクを注入する筒、そこからインクが漏れないようにするための栓とそれら全てを覆い、持ちやすい形に加工してある木製のカバーという、かなりシンプルな構造だ。
そのシンプルな構造故に使わないときは必ずペン先は上に向けて置かないとインクがじわじわと染みだしてしまう。
これに一番慣れるのが難しかった。師匠や先生に何度怒られたことか。
どうやらこのペンキャップはペン先を抑えるか何かしてインクを無駄に染み出させないようにする便利製品らしい。
「いくらですか?」
「五百シルバーよ。」
約50万円か、高いな。
かなり欲しいけれども、気を付けていれば必要になることはないだろう。
「やめておきます。ま、他の教師にそのことを話してみますよ。」
「はい、お願いしますね。ありがとうございました。」
また引き止められないよう、少し足早に歩き、ごてごてとした扉から外に出る。
……でも早く帰ってもどうせまた雑用を押し付けられるだけだしなぁ。そこらを歩いて帰ろうか。
そうして学園に向かって大回りで歩いていると、何やら人だかりが見えてきた。
あそこは、お菓子屋さんだったかな?
この世界で甘味は高級品だ。ネルの話では元旦に一年の景気づけとして菓子を食べることがあるらしい。
他にも自らの好意を相手に伝えるために作る、または買うこともあるそうな。まるでバレンタインみたいだけれども、相手は恋人に限らず、親子や夫婦間でも渡し合うそう。
ただ、高いものなので友達に配る義理チョコのような風習はないらしい。
俺は元旦には甘いものより もむしろ雑煮が食べたいな。
人だかりへと歩いていき、見覚えのある金髪娘がその中心で、菓子で溢れかえった籠を片手に右往左往しているところを発見した。
……インクの入った袋を持ち直し、耳に手を当てる。
[アリシア、籠に入れたものを全部元の場所に戻しなさい。]
「ひっ!」
突然のことに驚き、アリシアが奇声を上げ、キョロキョロと周りを焦って見渡す。
そして変な声を上げた彼女を奇異な眼で見ている群集の中から俺を見つけると、彼女は菓子いっぱいの籠をそろ〜りそろ〜りと背中に隠した。
はぁ……何やってるんだか。
「すまん、俺の連れだ。見世物じゃないぞ、解散してくれ。」
そう呼び掛けると人だかりの群衆は「良かった、連れがいたのか。」とか、「あの子に貢いでたら破産するぞ。気を付けろ。」とか言いながら解散していった。
とても優しい人ばかりだった。
「さて、アリシア。全部戻しなさい。」
「え、でも。アイタッ!」
尚も反論するアリシアの頭にチョップをかます。
「戻しなさい。」
「全部ですか?」
泣きそうな目で見てくるアリシア。
「…………はぁ、一つだけなら良いぞ。」
どうも人には強く出れない。相手がアリシアとなれば尚更に。
だからこそ雑用も押し付けられるのだと言われても直せそうにはないな。もう、諦めよう。
「一つ?」
「要らないんだな。」
だがしかし流石にそこまで甘くはない。
「あ、一つで大丈夫です。ありがとうございますコテツさん。」
アリシアは本当に金銭感覚が狂ってしまっているようだ。それともただの甘党だろうか。
……前者なんだろうなぁ。
「それで、説明してくれるか?」
「私の故郷では元旦にお菓子を食べていたんです。だから、ちょっと……。」
「ちょっとねぇ。」
結局、アリシアはホールケーキを選んだ。悩みに悩んだ末、何故かそこに落ち着いたらしい。
「これは、その、……そう!皆さんで分けようと思ったんです。」
目は右往左往、言葉はしどろもどろ。
どうやらアリシアは嘘をつくのが苦手らしい。
「……太るぞ。」
「今日だけです!明日からはいつも通りに戻します!」
「はたして本当に戻せるのかねぇ……。」
ホールケーキを一日で食べ終わるというのもなかなかだとは思うが。
「あの、コテツさんは、その、ちょっとだけぽっちゃりした女性ってどう思いますか?」
駄目だこりゃ。