51 了承
「だから何なのよ!そのヴリトラって言うのは!?」
「アイ、落ち着きなって。」
俺が完全に回復し、ヴリトラの魂片を取り出す施術を無事再開することになった日、ユイはアイとカイトを連れてコロシアムにやってきた。
どうやら簡易魔法陣のことを二人に聞かれ、白状したらしい。
「落ち着いていられるわけがないでしょ!?この人は良く分からないヴリトラって奴が危ないからって、私達の力を封じ込めようとしているの!カイトはどうも思わないの!?」
「思うけど……。でも頭ごなしに否定してたらキリがないよ。」
そして結果、このようにアイが激昂してそれをカイトが抑えるという構図になってしまったわけだ。
「ああ、うん、まぁ、まずは落ち着け。」
「そもそもあんたが!「アイ、落ち着いてって、ね?」……うん、ごめん。」
胡座をかいたまま言うとアイは怒りを顕にし、そしてカイトに諌められて赤くなる。
「チッ。」
見ていてかなり楽しいものの、隣に立ってるユイが怖いから少し控えてくれないかね?
「それで、どこまで分かってるんだ?」
上体を後ろに軽く倒して立てた腕により掛かり、カイトを見上げながら尋ねる。
「オレ達はヴリトラって龍の魂の欠片をユイが取り込んでるって聞かされただけです。そしてそれを取り出したら聖武具の力を簡単に引き出せなくなるってことも。」
「ま、大事なのは概ねそんなところだな。なに、勇者としての身体能力はずば抜けてるだろ?それに奥の手が一切使えない訳でもない。ただその負担をお前ら自身が受け持つことになるだけだ。」
事も無げに言い、肩をすくめると、アイが再び喚き出した。
「龍なんて私達が倒しちゃえば良いじゃない!そうすれば聖武具も自由に使えるから戦争にも勝てるよ!ここに来るときにあのでっかいのも倒したし。」
「確かに。それじゃあ駄目なんですか?コテツさん?」
その彼女の訴えに頷きつつ、カイトがそう聞いてくる。
でっかいのってリヴァイアサンのことか?……まぁ良いか。
ともかくこの様子だと、リーダー格のカイトさえ納得させられれば俺の勝ちだな。
「あのな、敵はヴリトラだけじゃない。その傘下にも狙われやすくなるんだぞ?向こうはその宝玉を集めようとしているんだからな?」
「返り討ちにする!」
戦う気満々かよアイ……。
「万が一ってことがあるだろ?闇討ちなんてされてもおかしくないんだから。……良いか?お前らの目的は戦争に勝つことじゃない。無事に元の世界へ帰ることだ。」
ユイに言ったのと同じことを言って諭す。
「それは違う!」
すると突然、カイトが叫んだ。
まさかここで反論されるとは露ほども思わず、加えてカイトが声を荒げたことが珍しくて、俺は思わず目を見開く。
視線をずらせばアイとユイも目を丸くして彼を見ていた。
やはり珍しいことなのだろう。
「お、おいおい、何言ってるんだカイト。お前らは元の世界に帰るんだろ?ここで野垂れ死んでどうする。」
「そういう話じゃない!」
「カイト?」
アイがカイトの手を優しく取り、しかしカイトは首を振ってゆっくりとそれを離させた。
「アイ、ここだけは引けないよ。王国の人達は皆一生懸命に勝とうと頑張っているんだ。それなのに、オレ達が負けても良いなんて言っちゃいけない!」
言い、カイトはユイへ視線を移す。
「オレ達は何がなんでも勝つ、勝たないといけないんだよ、ユイ。」
いやはやまさかカイトがここまで戦争での勝ちに拘っていたとは。
素直に驚く俺がいる。
「……だとしても、お前らはここに来て十分強くなっただろう?聖武具なんて最後の切り札の扱いで良いじゃないか。」
「ヴリトラはいつ来るんです?コテツさん。」
それはこっちも知りたい。
「さぁな、分からん。」
前に俺も気になってニーナに聞いてみた。しかしあの無色魔法の魂片が強く振動したことでヴリトラの復活は分かっても、その後の行動はほとんど分からないらしい。
ヴリトラがいつ襲ってくるかの把握は、爺さんが頼りという何とも頼りない状態である。
『なにか言うたか?』
いや何も?
「じゃあ、来る直前までこのままで良いんじゃないですか?」
「だから、ヴリトラ自身が来なくても刺客はくるかもしれないって言っただろ?」
ていうか来てるし。
「あんたはさっきから何なのよ!私達に生きろって言いながら私達の力を弱めようとするなんて、どう考えたっておかしいでしょ!私達勇者はは聖武具をじゃんじゃん使って敵をバッタバッタ倒せば最終的には生き残れるのよ!出来損ないのユイだって役に……」
「ふざけるな!」
アイが主張する中、だんだん俯いていくユイの姿を見て声を荒らげる。
「お前ら二人が何の負担もなく聖武具を使っているとき、ユイがどうなっているのか分かってて言ってるのか!?こいつはな!「駄目、それを話すのは私の役目よ。」……そ、そう、か。悪い。」
捲し立て、立ち上がろうとしたところで、ユイが俺の肩を制して前に進み出た。
「ユイ?」
「……アオバ君、黙っていてごめんなさい。実は、あなた達が聖武具を使う度に激痛が走るの。……いっそ死んだ方がマシだと思うくらい、酷い痛みよ。」
言いながら、それを思い出したのかユイが自身の胸を掴む。
「原因は元々備わっていなかった宝玉の機能を使っているから。……勝手だとは分かっているけれど、ごめんなさい、私は、もうこれ以上は、耐えられない。」
そして彼女は、辛そうにしながらも何とか最後まで声が絞り出した。
「オレにはそんなこと一言も……。」
「言えるわけないじゃない!アオバ君は優しいから、知ってしまったらきっと聖武具を使わなくなっていたわ。そのせいで怪我なんてさせたら……。」
「今更何言ってるのよ!聖武具が使えないから代わりに私達を強化する役割なのに、それすらできないなんて!」
「アイ!」
「だって!」
カイトが制すも、アイはそれでも自分の意見を覆そうとはしない
「いいえ、良いのよ。実際、そうなのだし。」
「そんなことは……。」
……こりょ埒が明かないな。
「もう、今日は二人とも帰ってくれ。まだ猶予はある。じっくりと話し合ってまた来れば良い。」
「……そう、ですね。そうします。行こう、アイ。」
「分かった。」
カイトを先頭に、勇者二人がコロシアムから出ていくのを見送り、俺はホッと息をついて、いつも通り魔法陣の作成に移る。
「ごめんなさい。」
そんな俺にユイが頭を下げてきた。
「なに、お前が言い渋らずにさっさと話していればすぐに話はついたとは言い切れないだろ?むしろ本当に最後の最後、ギリギリで打ち明けるって事態にならなくて良かったと思うぞ?」
「その事じゃないわ。私はやっぱり宝玉を取り込んだままにしておくわ。ごめんなさい。」
「アイの言った事か?」
聞くとユイは小さく頷いた。
役立たずになってしまうことには恐怖に近い感情を抱いているみたいだ。
「あのな、別に役立たずなんて事にはならないと思うぞ?何せ元Aランク冒険者のネルに、練習とはいえ、勝ったんだから。」
「あれは、私が勇者のスキルを使ったから……。」
「勝ちは勝ちだ。この世は平等じゃない。はっきり言って生まれつきの才能の差って奴はあるもんだろ?それに、だ。お前が勇者だからと言ってそれに胡座をかいて何もしていなかったら、あのときネルに勝てたか?」
勝てるわけがない。今のネルはルナとも良い勝負ができるくらいになっているのだ。
「そうだけれど、アオバ君の足を引っ張ることになるのは嫌よ。」
「共に戦ってくれ、治療もしてくれる剣士と肝心なときに苦しみだして戦線離脱をする剣士とではどっちがより味方の足を引っ張るんだろうな?」
「で、でもその分、アオバ君は自分自身を強化できるわ。」
尚も反論するユイ。
「じゃあ、さっき言った戦線離脱する剣士の後に、余計な面倒を引き連れてくるって付け加えるか?ヴリトラなんていう特大危険な面倒を。」
「っ。」
「ユイ。」
言い聞かせるように話しかける。
「分かっているわ。魔法陣に入れば良いんでしょう?」
「いや違う。ルーンを取り出せ。」
「ルーンを?……現界、魔槍ルーン。」
訝しげな顔のユイの手の中に彼女自身を殺しかけた魔槍が現れた。
宝玉による苦しみに耐えられなくなったとき、それを取り出す手段という嘘と共に渡された槍ながら、その実、かなり強力な代物であることに変わりはない。
「お前には聖武具は無いが代わりにそれがあるじゃないか。」
「私の武器は刀よ。」
言い、彼女は腰に差した刀の鞘を握りしめる。
「俺の主な武器は中華刀だ。でもな、弓だって使うぞ。槍投げでも練習してみたらどうだ?」
対して俺は目の前に黒龍と陰龍、そして黒弓を作り出し並べ、宙に浮かべてみせた。
「それよ!」
しかしそこで急に、彼女は俺を指差し、叫んだ。
「え?」
「アドバイスは感謝するわ。でも私はあなたがそうやって武器を作り上げられる理由も知りたかったのよ。」
あ……。
「こ、これは俺が見つけた魔剣の効果の一つで……。」
「テミス!」
「嘘です。裁きますか?」
ユイが裁きの女神の名を呼び、頭上で光が輝いたかと思うと俺の首筋に鋼の感触がした。
嘘だろ。なんでテミスがここにいるんだ!?
「何で……。」
「テミスは私達勇者三人と契約してくれたの。いつでも呼べるようにするためにね。今まではあなたを油断させるために騙していただけ。」
「裁きの神の契約者が嘘ついて人を騙すのはどうなんだ?」
「真実を暴くためならば致し方ありません。ユイ、裁きますか?」
俺の言葉に後ろから無機質な返答がなされ、同時に首筋への鋭い圧迫感が増した。
心なしか、裁きますか、と言うときのテミスの口調がウキウキしているような気がする。
「テミス、次に嘘をついたときは殺っていいわ。」
物騒だなおい!?
「分かりました。」
「それであなた、その武器はどうやって作っているの?」
「魔法だよ。」
「それだけな訳が無いでしょう、テミス!」
「真実です。」
テミスがいて良かった。
……いや、そもそもこいつがいなけりゃこんなことにはならなかったな。今のは撤回。
「……で、どんな魔法なのよ。」
「今までお前の為の魔法陣を作っていたのと同じ魔法だよ。」
「どういう……。」
「黒魔法だ!はぁ、気がすんだか?」
どうしても焦ってしまう。
「黒魔法は事実上不可能なはずでしょう?あなたはどうしてそれが使えるのよ。」
「超魔力ってスキルを持ってる。」
ユイがテミスを見る。そしてたぶん首肯を返されたのだろう、はぁ、と息を吐いた。
「そう、分かったわ。ありがとう、テミス。帰っていいわよ。」
「では。」
鉄の感触が消え、俺は他の部分よりも若干冷えたそこを手でさする。
「ったく、おっかないな。何だよ。神様ってのはどいつもこいつも暇なのか?」
『んなことないわい!』
嘘こけ!
「少なくともテミスはそうらしいわね。人が皆真実を暴くために自分に祈らずに弁論術を鍛え上げるからだそうよ。」
まぁ、わざわざ他の神の領域にテミスコードなんて物を作るぐらいだしな。かなり暇なのだろう。
『全く、迷惑なことじゃ。』
俺としてはそのお陰で助かったからあまり責められないな。
「そしてもう一つだけ、これは嫌なら話さなくてもいいわ。」
「なんだ?」
俺の秘密なんてそんなもんだぞ。
「あなたはさっき、私達には帰れ帰れとは言う割に自分も帰るって、一緒に帰ろうって一言も言っていなかったわ。あなた、帰らないつもり?」
あーそれか。
「帰らないじゃない。……帰れないんだよ。勇者以外は元の世界に帰れない。」
「何よ、それ。」
信じられない、とでも言いたげな目だ。
それでも俺が本当のことを話していることは分かったのだろう。テミスを呼ぶなんてことはしなかった。
「気を付けろよ、もし元の世界に戻りたいのなら勇者を辞めたいなんて思いもするな。絶対にだ。これはカイトにも言っておいた方がいい。何があろうと、どんな困難が待ち受けていようとも、勇者であることはやめたらいけない。」
「……ええ、分かったわ。でも、あなたはそれで良いの?」
「良い悪いの問題じゃない。帰れないから仕方がない。要は諦めたんだよ。それだけのことだ。そりゃあ、帰れるものなら帰りたいさ、こんな死と隣り合わせの世界なんて出れるものならさっさと出ていきたいよ。」
溜めていた毒を吐き捨てる。
「そう?それなら逆に帰れるとして、アリシアさんにネルさん、それにルナさんはここに残して行って良いの?」
「どうしてここであいつらが出てくる?残して行くったって、あいつらは元々この世界の住人だろうが。そりゃ別れると寂しくなるけどな、帰れるんだったら帰るよ。」
「そんなに簡単に?」
形の良い眉が潜められた。
「急に殺されて、他の世界に連れてこられて、あなたは帰れません。でもまぁ頑張ってくださいって言われてよし、頑張るぞ。なんて思う奴はほぼいないと思うぞ。……うん、まぁここまでにしようか。仮定の話だし、終わった事はどうにもならん。」
これ以上話しても俺がホームシックになるだけだ。
「……そうね。そろそろ魔法陣は完成したかしら?」
あ……。
見ると魔法陣はきちんとした円すら為していなかった。
『言い出しにくかったのじゃが、集中を乱しすぎじゃな。やり直し。』
俺でも見ればわかる。酷いもんだ。
「やり直しだ。すまん。」
「私の方こそ、その、変な話をしてしまったわ。ごめんなさい。」
いいよいいよ、と手をひらひらと振り、俺は魔法陣作成に勤しんだ。
ちょうど何かに集中したいと思っていたところだったのでやり直しは正直、少しだけありがたかった。
「でも、これだけは言わせて。あのとき、アイが私のことを役立たずって言おうとしたときに怒ってくれて、嬉しかったわ。ありがとう。」
「感謝するほどのことじゃない。お前の症状を知っていたのがあの場では俺だけだったってだけだ。カイトならアイに掴みかかっただろうよ。あいつはお前をそれだけ大事に思っている。今度会いに行ってみろ。お前のことをもう一回真剣に聞いてくれるさ。」
「そ、そうかしら。」
お、はにかみ始めた。
「ああ、間違いない。どうせ魂片、あー、宝玉を取り出すのは俺がしばらく使い物にならなかったせいで正月休み明けにずれ込む。それまでじっくり話すと良い。ていうか話せ、できれば説得しておいてくれ。」
俺が一週間も寝たまんまになっていたせいでかなり時期がずれ込んでしまったな。
休み期間用の簡易魔法陣は既に渡してある。
「そうね。分かったわ。説得まではできないかもしれないけど、アオバ君なら分かってくれるわよね。」
「ああ、分かってくれるさ。」
俺は顔に朱の入ったユイの顔を確認し、口角が上がるのを苦労して抑えながら、なんとか集中して魔法陣を作成していった。