50 解毒
血だらけのまま、ユイのための魔法陣を作成。
麻痺毒が俺の魔力に影響を与えてなくて本当に良かった。
「ちょっと、どうしたのよ!?」
俺の姿に唖然としていたユイはハッと気がついたように心配して近寄ってくるも、無視。
どうせ今の俺はろくに喋ることもできないし。
「血だらけじゃない!もう、何でこういうときにルナさんがいないの!?」
くそっ、視界が霞がかってきた。
「私、ツェネリ先生を呼んでくるわ。」
「あぁぁ!」
コロシアムの出口へと向かうユイを声を出して制す。
魔法陣が完成したらすぐに使ってもらわないと。俺の意識が持つかどうか分からない。
「あなた、声が!?……いいわ、そのくらいなら私でも治せる。ここにいれば問題は無いのでしょう?」
頷き、再び魔法陣作成に意識を向ける。
簡易版というだけあっていつものとは比べ物にならないぐらい順調だ。大きさもコロシアムリングの半分以上を埋めていた完全な物に対し、半径1メートル程とかなり小さい。
おかげでもう半分は作成し終わった。
『気を抜くでない!確かに今のところは順調じゃが、魔法陣を作成するときは半分終わったではいかん。まだ半分あると考えるのじゃ。今のお主はやり直すことができないんじゃからの。』
了解。
「キュアー。……っ。」
と、ユイが俺の首もとに回復魔法をかけてくれた。
「どう?治ったかしら?」
試しに声を出す。
そうだな、アリシア、ネル、ルナでいいか。
「あいぃあ、えう、うあ。」
駄目だ。
首を振る。
「そんな。ふぅなら……エスナ。」
俺の首もとが発光した。
『こら!集中せんか!今のところ、乱れておるぞ!やり直しじゃ!』
いくら簡易版と言ってもやはり魔法陣は難しい。
『わしはできるがの。ああ、そこは楕円じゃ、円ではない。』
ああ、分かった。
指示に従い、修正を加える。
「どう、声は出せるかしら?」
「アリシア、ネル、ルナ。お、出た出た。……あ、ついでに頭にもしてくれるか?さっきから意識が切れそうでな。」
実際、俺の視界はぶれ始めている。
さっきから魔法陣の作成のスピードも落ちてしまっているのが自分でも分かる。……集中!
「一体何をしたらそんな事になるのよ……。でもごめんなさい、頭は構造が難しくて危なっかしいの。そのうちできるようになると思うけれど、今はできないわ。。にしても、今の三人はあなたにとって大切なのね?」
ユイは何故かニヤリと笑みを浮かべた。
「さっき言った三人のことか?当然だ。ここで教師じゃない頃から俺を知っている数少ない仲間だからな。」
「それだけ?」
「だけってなんだよ。」
大切な事だろ。
「……もういいわ。」
そうこうしているうちにどうにかこうにか魔法陣が完成した。
もう魔法陣とユイ以外ははっきり見えない。その他は全て真っ白に染まっている。
「よし、そこに立ってくれ。」
出来上がった魔法陣の中心に立つよう指示し、魔素を流し込もうとして思い留まり、俺は代わりにその魔法陣を固定化。
「……ユイ、悪いけどな、今日は自分で魔法陣を起動してくれないか?大丈夫、いつもと違って現状維持をするためだけの物だからそんなに疲れはしない筈だ。」
「え?もちろん良いけれど、どうしたのよ。」
「これ以上は、もう、無……り……。」
ああ、今日は疲れたなぁ。
「ちょっと!?」
俺はコロシアムリングに背中から倒れ、意識を手放した。
目には何も映っていない。
真っ白な空間に微動だにできないように拘束され、捨て置かれたような感じだ。
これが気絶って奴か。
そういえば、気絶するなんて始めての体験だな。
まぁ、気絶しそうになったこと自体はあの一年間の修行で何度もあるけれども。……師匠はそこを見極めて鍛えてたんだろうな。
「コテツ先生は大丈夫ですわよね?」
と、話し声が聞こえてきた。
この声は、オリヴィアかな?
「うむ、毒は完全に取り除いた。残っていたとしても今はもう消え去っている。今はただ眠っているようなもの。心配はないのである。」
この声はツェネリか。
「そうですの。……毒を使うなんて、卑劣な。」
って何で外の声が聞こえてるんだよ。
これってただの寝起きじゃねぇか!
「ふんんん!」
体のあちこちを寝たまま伸ばし、ゆっくりと上半身を起こす。
ったく、何が微動だにできないように拘束されて捨て置かれた、だ。頑張れば起きられるじゃないか。
ギシッと寝ていたベッドから音がし、俺の上半身にかかっていた布がずり落ちる感覚。
どうやらベッドに寝かせられていたらしい。ツェネリの声もあるから保健室みたいなところで合っているのかな?
「コテツ先生!もう起きて大丈夫ですの?」
「あ、ああ。問題ない。ツェネリが言ってたろ?毒は抜けたみたいだ。……ただ、足が思い通りに動かないな。」
外の光が眩しくて、目を閉じたまま答える。
「ふふ、それなら問題ありませんわ。」
するとオリヴィアは急に笑いだした。
「どうして……?」
「ふふふ、見れば分かりますわ。」
そうか、と返して、ゆっくりと目を開ける。
やっぱり眩しい。
少しずつ光に慣れていき、視界が回復すると、アリシアが俺の足に突っ伏しているのが見えた。
なるほど。
「はは、ありがたいな。オリヴィアも見舞いに来てくれたのか?」
「え、ええ。」
「ありがとう。ツェネリも、迷惑かけたな。」
「何も問題はない。我輩の仕事でもあるのでな。」
「そりゃ助かる。さて、おいアリシア、起きろ。」
膝元の頭をポンポンと軽く叩く。
「ふぁぁ?あ、おはようございますコテツさん。……!」
俺を見ると、アリシアが固まった。
そんなに寝起きに弱いのか?
「コテツ、さん?お、起きたん、ですか?」
「ああ、おはよう。」
笑いかけると、あわあわと口を動かしたかと思うと、ぽふと再び突っ伏した。
「お、おい、どうした?」
「見ないでください!」
アリシアが突っ伏したまま強く言う。
「いや、見ないでって言われてもな。」
「と、とにかく見ないでください!」
長い金髪がフルフル震えている。
なんなんだ?
「おほほほ、先生、少し失礼しますわね。」
「え、何を?ふがっ!」
そしてオリヴィアが急に高笑いをし、俺は訳の分からない内に枕で顔を塞がれた。
「良いですわよ、アリシア。」
「ひぐっ、オリヴィアざん、ありがどうございばず!」
アリシアの声がしたかと思うと、胸に柔らかい感触がのしかかり、良い匂いが鼻をくすぐる。
俺の顔から枕が取り払われる。
感触で分かってはいたものの、アリシアが俺に抱きついて震えていた。
「本当に、本当に良かったです!ひぐっ、ずず。」
言いながら、彼女はさらに強く抱き締めてくる。
別に泣き顔ぐらい見せたって構わないのに。でも心配してくれるだけありがたいな。
判断に迷った後、最終的にその背中を軽く叩いてやった。
「ったく、大げさだな。」
「コテツ、アリシアはお前が倒れてから今日までの一週間、ここでお前の世話をしてくれていたのである。」
そしてツェネリのその言葉に、俺は目を見開いた。
一週間!?
「そうなのか?」
聞くと、アリシアはコクコクと頷き、その流れるような金髪もつられて揺れる。
「はは、そりゃまた相当迷惑かけたな。すまん。」
謝ると、さらに抱きつく力が強くなった。
思っていたよりも心配させてしまったか。
俺はそのまま、彼女が落ち着くまで彼女の背中をさすり続けた。
「おう、コテツ。派手にやられたらしいじゃねぇか。もう大丈夫なのか?」
体の動きに支障がないかどうかの確認を兼ね、学園の草原を散歩していると、バーナベルに呼び止められた。
「ああ、大丈夫だ。この調子ならあと少しで完全に復活できると思うぞ。」
「そいつは良かった。飲むか?」
答えると、彼は酒瓶をどこからか取り出してそう聞いてきた。
こいつは酒をいつも持ち歩いているのか?
「おまえ、仕事中だろ?」
それに病み上がりに酒をやるってどういうことだよ。
「そうは言ってもお前が倒れてから一年生は一気にやる気を出してな、今じゃ俺の役割はお前と同じ、打ち合いだけだ。」
「打ち合いをするんなら飲むなよ……。」
「へっ、酔っ払ったって一年どもには遅れを取らねぇよ。」
「そうかい、なら勝手にしとけ。ああ、こいつはありがたくもらっとく。」
酒瓶を片手に取る。
「じゃ。」
そのまま歩いていこうとするとバーナベルにまぁ待て、と再び呼び止められた。
「一年生のやる気が上がったと言ったがな、実は特に燃えているのが二人いるんだ。他はそいつらに釣られてやる気を出してるって感じだな。見ていけよ。全員あっちで練習してる。誰がその二人なのかは一目で分かる。」
「?……分かった。」
何でそんなことを俺に言うのかは分からないけれども、時間がない訳じゃない。行ってみるか。
「ああ、安心させてやってくれ。」
俺がバーナベルの指差す方向へ歩いていこうとすると最後に後ろからそう言われた。
何故バーナベルがあんなことを言ったのかは、学生達の練習場に来てすぐに分かった。
学生達が練習用のかかしに向かって様々なスキルを併用して攻撃する、という反復練習を行っている。
そんな集団から少し離れたところに、たった二人、お互いと激しく打ち合っている学生がいた。
……ユイとネルだった。
二人はスタミナを持続させるためか、自身の体の動きに合わせてスキルをタイミングよく発動させているらしく、体の各部を蒼白い光が明滅しながら駆け巡っている。
「セイッ!」
「くっ、まだまだ!ハァッ!」
二人の戦い方はほぼ真逆で、ユイが防御に徹し、隙を伺ってカウンターを狙っているのに対し、ネルは様々な方向から積極的に攻撃し、隙を産み出そうとしている。
その激しい戦闘に巻き込まれないようにか、二人いる周辺はぽっかりと穴が空いたように学生達が避けている。
その穴の縁付近には折られたり回りを削がれて棒状になってしまっているかかしが散乱していた。
どうもかかしが足りなくなってお互いと打ち合うということになったらしい。
ていうかこれ、練習用の木製武器で簡単にできる芸当じゃないよな?
「そこだ、怪力!」
「ぐっ、……オーバーパワー!」
体勢が一瞬崩れたのを見逃さず、ネルが刺突を放つも、ユイはそれをギリギリのところで受け止め、勇者スキルを発動させた。
腕の部分だけ強化する怪力に対し、オーバーパワーは体全体を全て一度に強化する。加えてその性能も段違いだ。
当然、ネルの攻撃は軽々と弾かれ、彼女は尻餅をついてしまった。
「うぅ、もう一回!」
即座に立ち上がり、ネルが叫ぶ。
ここらで声をかけるべきかな?何て声をかけるべきか……。
「えっと、随分励んでるじゃないか。」
さんざん悩んだ末、俺はただの感想を口にしながらカカシの残骸を跨いだ。
バッと二人が勢いよくこちらを見る。カラン、と二人の手に持った武器が落ちた。
俺が誉めるのはそんなに意外か!?
まず口を開いたのはユイ。
「あ、あなた、回復したのならそう言いなさいよ。」
「無理言うな。……それでユイ、ちゃんとアレを毎日使ったろうな?」
今思うと本当に固定化していて良かった。簡易版魔法陣が馬鹿でかくなかったことも幸いした。
「ええ、もちろん。ふぅ、それにしても元気そうで良かったわ。心配して損したわね。」
「心配してくれてたのか。ありがとな。」
「当たり前でしょう。あんなにボロボロなっていれば、誰だって……。」
「そりゃどうも、それにしても二人とも、練習に精が出てるな。この一週間で何があったんだ?」
「うっ、そ、それは……。えっと、あ!ネルがなにか言いたいことがあるみたいよ。」
言い残し、ユイは慌てた様子で逃げていった。
なんなんだ?
そう思いながらも視線をネルへ移せば、彼女は俺を軽く睨んだまま、無言で歩いてきていた。
「ねぼすけ。」
「はは、心配かけたな。」
「ホントだよ。」
そして発された少し怒ったような声に笑い、頭を掻いて謝ると、ネルは俺の手を取り、それを両手でぎゅっと握って俯いた。
「……怖かったんだよ?これからずっと、起きないんじゃないかってさ……。」
そこまで心配してくれていたとは。
「悪い。」
「あんまり危ないことしないでよ。」
「……気を付ける。」
別に好き好んでああなった訳じゃないけどな。
心の内が伝わったのか、ネルは小さく笑った。
「もう……ふぅ、よし!あのさ、一つだけ、ボクの言うことを聞いてくれない?」
目元をぬぐい、ネルは見惚れるような微笑を浮かべると、いつもの調子に戻ってそつ言った。
それでもまだ無理をしていることが分かる。
「おう、なんでも良いぞ。」
病み上がりだけれどもこの際だ、どんな無茶でも限界までやってやるさ。
「じゃあ、まずは屈んで目を閉じて。」
「はいはい。」
素直に従う。
「そのままボクがいいって言うまで絶対に目を開けないこと。」
了解と一つ頷く。
すると、俺の右手から手袋が取り外された。
「ネル、手袋が欲しいんならもう片方作ったって良いんだぞ?」
「あ、いや、ボクはこのままでいいよ。……まだ目を開けないでね。」
一体何をしようとしているんだろう?
ぎゅぅっとその手首が握られ、そのまま何かを乗せられる。……柔らかい上に、温かい。
次いで手の甲を細く温かい何かが覆った。
「……良かった、生きてて。」
だいぶ近いところから聞こえるネルの囁き声に合わせ、手の平辺りのふっくらした部分が動く。
小指と薬指の第一関節に小さな引っ掛かりがあり、人差し指に繊維質の感触がある。手の平の触っている部分はプニプニしていて柔らかい。人差し指と中指の間には手の平にある物程ではないものの、これまた柔らかく、不思議な形をした突起があることが感じられた。
やることもなく、取り合えずその突起の輪郭を人差し指でなぞる。
「ひゃっ!もう、くすぐったいよ。」
「あ、ああ、すまん。」
さっと指の動きを止める。
「別に……やめなくてもいいんだよ?」
何なんだいったい?
しばらくの間、ネルのゆっくりとした息づかいのみが耳に入ってくる。
やけに近い。
「ネル?」
「ひぅっ!?」
呼びかけると、彼女が跳ねたのが分かった。
「おいどうし……」
「き、気にしないで!何でもないから!コテツ、お願い、絶対に目を……。」
何故か慌てたように捲し立てるネル。
「開けなきゃ良いんだろ?」
「うん……ありがと。」
その言葉を先取りすると、彼女が小さく笑ったのが分かった。
「ったく、そりゃ俺の台詞だよ。ありがとな、心配してくれて。」
「……馬鹿。」
そして、何故か急に罵られた。
「なんで?」
「うるさい。」
「おう。」
理不尽だ。
「……いつか絶対、コテツからさせるから。」
「なんだ?言ってくれればやるぞ?」
足を踏まれた。
コロシアムへ戻り、いつもの部屋に入るとそこではルナが丸まっていた。
狐の獣人のはずなのに猫みたいだ。
……いや、狐も丸まるか。
「ルナ、起きてるか?」
声をかけると片方の耳がピクッと動いてこちらを向いたものの、しばらくしたらまたペタンと伏せられる。
起きてはいるようだ。
「ルナ。」
もう一度、さっきよりも少し大きい声をかける。
すると、両方の耳がこちらを向いた。
同時に片目がこちらに向けられる。鮮やかな赤い瞳は、俺をとらえると大きく見開かれた。
「ご主人、様?」
「はは、他に誰がいる。」
答えると彼女はパッと立ち上がり、こちらに駆け寄ってくると深々と頭を下げてきた。
「ほ、本当に申し訳ありません!わ、私がネルに頼まれて、ひくっ、アリシアの買い物につ、付き添っていた、ばっかりに。ご主人様が死んでしまって……うぐっ、ぐすっ。申し訳、ありま……ご主人様ぁ、本当にごめんなさいぃ。」
待てこら。完全に俺が恨みで出てきた幽霊かなにかだと思っているな。
ったく、勝手に殺すんじゃない。
「ルナ、俺は生きてるぞ。」
苦笑いを浮かべながら言ってやる。
すると彼女は今度は俺っと見つめてきた。魔眼が怪しく煌めく。
隠密スキルを解除してやれば、ルナは眩しそうに深紅の目を細めた。
「本、物?」
「おいおい、当たり前だろ?」
ここまでやってまだ信じられないのか?
しかしどうも信じられないらしく、彼女は次は頭を俺の胸に擦り付けてきた。
銀色の髪がワッサワッサと動き、耳が俺の体にペタッと貼り付く。
「きゅぅん、……生きてる。」
心音でも聞いているのだろうか?
まぁ、やっと俺が幽霊じゃないと分かったみたいだ。
「はは、ただいま、ルナ。」
そっとその滑らかな銀色の髪に指を走らせる。
「はい、お帰りなさいませご主人様。」
ルナは俺の胸に頭を押しつけながら、一言一言、噛み締めるように返してくれた。