36 愉快な教師達②
「風呂を作ろうと思う。」
言いながら、俺は黒魔法で脚の太い大きな三脚を作り、作ってもらった釜をその上に乗せた。
「風呂なら街に銭湯がありますよ?ご主人様は毎日入っているじゃないですか。それに、ここは風呂を作るには狭すぎます。」
「広さなら問題ない、この釜を使うからな。」
ポンポンと鉄釜の縁を叩いてみせ、部屋の隅に置いておいたタイルと石を拾う。
「釜を、ですか?」
「そう、釜を、だ。」
ポカンとした顔のルナの問いに、少し笑いながら頷いて返す。
爺さん、かまどの作り方は分かるか?
『わしは神じゃぞ。分からないことが無いわけが無いじゃろう。』
邪龍の魂片をあと1つ見つけられないくせに。
『うるさいわい。もう協力してやらなくても良いんじゃぞ?』
ほう、じゃあ毎日あの呪いをかけてやる。今からしようか?呪呪呪呪呪呪……
『やめい!冗談じゃ冗談。実際、ここ数百年間、数年ごとに勇者を呼んでは戦争し、結果、領地を増やしたり減らしたりしてまた戦争。この繰り返しで飽いておったからのう。お主というイレギュラーは見ていて楽しいから少しは協力してやるわい。』
普通に協力するとは言えないのかね?
で、かまどの作り方がわかるんだな?説明してくれ。
『うむ。まずは……』
黒魔法で釜を熱するためのかまどの位置は部屋の窓から数歩外と決め、かまどの構造やら作り方やらを爺さんに指示されながら、丁寧に作り上げていく。
目指すは即席の露天風呂。
しかしそのせいで、体を洗い浄めた後に、足が泥で汚れてしまえば本末転倒。なので簀の子みたいな物で大きめの長方形の床を作り、窓の下からかまどの周りまでの地面をすっぽりを覆うように作った。
いやはや普通なら材料の調達、運搬、加工とかで悩むところ、黒魔法のおかげでかなり楽だ。
熱伝導性の高い物質が作れないという問題も、ファレリルにわざわざ大きな釜を作ってもらった事で解決済み。
さっさかたったか作っていく。
最後に火の出るタイルをかまどの底に置き、三脚に乗せていた釜をかまどの上にセットすれば、念願の個人用風呂の完成である。
「もしかして、フロという名の料理ですか?」
「いや、五右衛門風呂、もしくは長州風呂っていう名の風呂だよ。」
なんだか面白そうな想像をしている背後のルナに、振り返らないまま答える。
どっちが正しいのかは忘れた。……五右衛門風呂でいいや。どうせこっちの世界にはまだ無い物なんだし。
コテツ風呂と名付ける度胸はない。
水の出るタイルを釜の中に突っ込み、魔素を描かれた魔法陣に流し込めば、幾何学模様が輝いて、その中心から水が勢い良く吐き出し始める。
そして釜の4分の3まで水が溜まったところで水の精製を止め、俺は釜の底を覆う程度の大きさの、小さな穴をまばらに開けた板を黒魔法で作って、夜空を映す水面に乗せた。
「次はこっち、と。」
リモコン石を掴み、魔素を流す。
途端、ブワッと目の前で大火が上がった。
「ぬおっ!?」
慌てて流す魔素を減らしてやれば、火炎は一気にライターの火ぐらいの大きさになった。
……減らしすぎか。
少しずつ量を増やしていき、適量を探し出す。火力の調整を終えた後、袖をたくしあげ、水の底の方にに腕を入れて温度を確かめる。
「これが、風呂、ですか?」
そんな俺の一連の行動を奇妙な物を見る目で見ていたルナが、我慢しきれずといった様子で聞いてきた。
「ああ、そうだ。一人で入る風呂ってのもなかなか気持ちいいぞ?」
「火なら私が出しますよ?」
「疲れを取るための風呂に入る奴が仕事をしてどうする。」
使っていて分かる、この魔法陣は魔力の負担がほとんどない。さすがは魔法陣の担当教師であるラヴァルだと思う。
そして風呂はリラックスするためのものである。体を綺麗にするだけならシャワーで済むからな。異論は認めない。
「え!?わ、私も入るのですか?」
「何を言っているんだ、当然だろ?あ、嫌なら嫌で別にいいぞ。」
五右衛門風呂って初見だと入るのに勇気がいるからな。モロに釜を茹でているようにしか見えないし。
「だ、大丈夫です。」
ぐっ、と手を握りしめるルナ。
それは本当に大丈夫と受け取っても良いのだろうか?
おっと湯がだいぶ温かくなってきたぞ。
「そろそろ良いかな。で、どっちから入る?」
「え、一緒じゃな……コホン、一緒でも良いですよ?」
ルナさん、俺はそんな大胆なことができる人間じゃありません。
「申し出は嬉しいけどな、落ち着かないからやめておく。」
「ふふ、落ち着かない、ですか。慌てたご主人様を見てみたいものです。」
ルナが心底嬉しそうに言う。
耳もピコピコ左右に揺れ動いている。
「はぁ、とりあえずタオルを二枚と着替えを持ってきてくれ。」
「はい!石鹸も持ってきますね。」
「頼んだ。」
タタッとルナは部屋に戻っていった。
彼女を待つ間、洗面器と釜に入るための台を作り、湯が熱くなってきたところで火勢を減らし、温度があまり上がらないようにしつつ微調整。
「ご主人様、持ってきました。」
ルナが走って出てきた。別に走る必要はないのに。
「それで、ルナから入るか?」
「いえ、ご主人様からどうぞ。」
「はいよ。」
「あ、背中を流しましょうか?」
「いや、一人でできるから問題ない。」
「……ではこれを。」
何故か不満気な顔ながら、ルナは石鹸と布を渡してくれた。
「ありがとう。じゃあ、上がったら呼ぶから。」
「分かりました。」
彼女が部屋に戻ったこと、周りに誰もいないこととを確認し、魔装を解き、その他のものは脱いで窓枠にかけた。
さて、体は一通り洗い終えた。
いよいよ新たな湯船がどんな物かを確かめる時間だ。
作った丸い板を押して釜底まで沈め、釜の中にゆっくりと足を入れる。そして半ば体育座りをするように腰を下ろし、釜の淵に腕をかけて背中を預ければ、心地良さに体がブルリと震えた。
「ああーーー。」
ついでに声まで漏れてしまったものの、周りに誰もいないから何も気にする必要はない。
「はは、極楽極楽。」
軽く笑いながら星空を見上げ、何気なくファーレン城の方へと目を向けると、城の右上付近に丸い月が昇っているのに気付いた。
そこへ目の焦点を合わせ、表面の模様を眺めてみるも、はたして、餅つく兎は見当たらなかった。
……この世界の人にとって月の表面は何に見えるのだろう。ファンタジー生物か武器防具か、もしかしたらなんらかの魔法陣が見えているのかもしれない。
何らかの方法でホーンラビットの姿を見いだしている可能性も無くはないのかね?
と、誰かが歩いて来る気配。
「な、な、な、何をし、しているんだい、こ、コテツ君!」
その誰かは、魔法薬学担当の教師、カダだった。
何故か少し慌てている。
「風呂、だな。お前は何をしに来たんだ?」
「と、遠くに煙が見えたからよ、よ、様子を見にき、来ただけだ。そ、そんなことよりも、あ、あ、熱くな、ないのかい?」
「ああ、大丈夫だ。むしろ良い湯加減だよ。」
なるほど、俺が茹でられていると思って焦ったんだな。
実際、釜は直接火によって熱されているから、確かに熱そうではあるだろう。しかし実際は水温とほぼ変わらない。だからこそ、こうして鉄の壁に背中を預けたりできる。
「そ、そうか。なら、良かった。」
「なぁ、そんなことより、その鼻って本物なのか?」
天狗だから本物だとは思う。ただ本人が俺の中の高飛車で怒りっぽい天狗とは真逆に見えるからどうしても疑ってしまう。
「あ、ああ、ほ、本物だ。こ、この鼻のお陰で天狗族は数百種類のや、薬草をか、かぎ分けられるんだ。」
数百!?鼻はいいとは聞いたけれども、想像以上だなおい。
あ、そうだ!
「なあ、入浴剤って作れるか?ああ、立っているのもなんだし、そこの台に座って良いぞ。」
「わ、分かった。ありがとう。そ、それで入浴、剤かい?き、聞いたことがな、ないけれど、言葉からしてふ、風呂の中に入れるま、魔法薬ってところで良いかな?」
「そうだ。心が落ち着く香りをさせたり、湯を綺麗な色に変えたりできる物なんてないのか?粉状だと持ち運びもできてなお良いと思うぞ。」
「なるほど、にゅ、入浴剤かぁ。あ、こ、これななんかどうだい?」
カダは袖口から小さな袋を取り出し、渡してきた。
中には薄い緑色の粉末がぎっしり詰まっていた。
「これは?」
「か、回復薬の水分をと、飛ばして、こ、粉状にしたものだ。ああ、な、舐めないで。物凄く苦いから。」
「うえっ!もう少し早く言ってくれ。これはいつも持ち歩いているのか?」
一摘みを口に含み、恐ろしいまでに苦さに外へペッと吐き出す。
「こ、これでも魔法薬の担当だからね。せ、戦闘になることもな、無いわけじゃない、から。」
教師としての心構えはしっかりと持っているらしい。
「じゃあ、使ってみるか。」
袋を大きく開けて粉末を水に流し、腕を使って湯をかき回す。
混ぜ終わった後の湯は黄緑色になり、ぼやっと光っていた。
「ど、どうかな。」
「……なかなか、良いんじゃないあ?草の良い匂いがかすかにするし、ぼんやり光っているから視覚的に楽しめる。」
「か、回復薬としての効果は?」
「あー、俺は別に怪我をしているわけじゃないからな。正直分からん。」
「そ、そうか。」
「すまんな。」
「い、いやいや、い、今までにないは、発想の物だったからこ、これからのけ、け、研究ちとってお、大助かりだよ。」
「ん?研究なんかしているのか。」
「ファ、ファーレンに、には器具やざ、材料が豊富だから、ね。それにす、好きなんだ。新しいも、物をつ、作るのが。」
カダにとってここは理想的な職場らしい。
それからしばらく彼が他にどんなものを作ったのかを話していると、やかましい叫び声が聞こえてきた。
「おーいおまえらぁ!何をやってんだぁ?」
目を向ければ、バーナベルがこちらへ走ってきていた。
「なっ!見損なったぞカダァ!流石にこれは見逃せん!」
「バババババ、バーナベルさん!?ここここ、こ、これはち、ち、ち、違います!」
「何が違いますだぁ!現に目の前でコテツをこんな、残酷な方法で殺そうとしているじゃあないかぁ!今助けるぞコテツゥ!」
声がでかい。
そしてどうやらカダ同様、俺が茹でられていると勘違いしているらしい。ただし、カダの手で。
「疾駆!」
バーナベルの足が蒼白い光を帯び、さっきまでとは比べ物にならない勢いで突進してくる。
「ごごごご、誤解ですバババ、バーナベルさん!」
「問答無用ぉぉ!怪力ぃ!」
今度はその体全体が光を帯びた。
いかん、このままでは折角の風呂がぶっ壊される!
風呂釜に黒色魔素を通して強化、同時にバーナベルの進行方向に低い段差を作成。
「ぬおぉぉぉぉ!」
バーナベルはこけた。
それはもう、すごい勢いで盛大に。
顔から地面に突っ込み、疾駆と怪力の影響か、そのまま十メートルほど地面を抉りながら進んでかまどの火に頭が炙られる直前で、その体は止まって沈黙した。
やりすぎたか?
「おい、大丈夫か?」
釜から身を乗り出して彼へ声をかけた途端、ガバァッとその筋肉質な巨体が一気に起き上がった。
正直怖い。
「コテツ、生きてたか!待っていろ、今助けてやる。その後はお前だカダァ!」
「ヒィィィィ!」
お、どもらなかった。
じゃなくて、早く説明しないと。
「いや、これ、風呂だから心配ないぞ。」
「この憎っくき風呂めぇ!」
なんだよ憎っくき風呂って。
「ああ、もう、壊すな壊すな。ほら、冷静になれ!」
持っていたリモコン石にたくさんの魔素を一瞬流す。
すると巨大な炎が吹き上がり、バーナベルはたまらず数歩下がった。
「ぬわっちっ!」
「落ち着いたか?」
「待っていろコテツぅ!オラァァ!」
このやろう、人の話を聞け!
さっきよりも多くの魔素を流し、さらなる炎を起こさせる。
「ぬわぁっ!?」
「今度こそ、落ち着いたか?」
「待っていろコテツぅ!オラァァ!」
結局バーナベルの体力が尽きてしまうまでこの流れは繰り返され、湯は熱湯一歩手前にまで温度が上がった。
……熱いのは本人だけに留めてほしい。
「風呂?拷問道具や生け贄の祭壇代わりじゃないのか?」
「「(コクコクコクコクコク)」」
「そうか、早とちりだったか。ははは!何事もなくて良かった良かった。」
あったよ!あんたのせいで!
「まあまあ、悪かったって、そう睨むな。ほら、酒やるから。」
謝り、彼は懐から酒瓶を1本取り出し、投げて寄越してきた。
「学園内で酒なんか飲んでいいのか?」
釜の縁に肘をついたまま受け取りながら聞くも、バーナベルは肩を少しすくめて見せるだけ。
「バレねぇよ。しっかし、こいつは本当に風呂なのか?ただのでっかい釜にしか見えねぇぞ。」
まぁ、否定はしない。
実際にそうだしな。
「それでも風呂は風呂なんだよ。」
答え、酒瓶の栓に黒色間素を流し込み、あたかも指先の力だけでやったようにそれを抜き取る。
ドヤドヤ。
少し得意気にバーナベルとカダの二人を見るも、彼らは大して興味なさそうに俺を見返すのみ。
「そんなもの、歯で取れば良いだろうが。」
むしろそう言って、バーナベルは酒瓶の栓を噛んだ。
「……こっちの方が楽なんだよ。」
そうすると歯は痛くなるじゃないか。
「ガッ!ペッ、ふう、取れた。んぐっ!」
歯で栓を抜き、酒瓶を煽る虎人の獣人。
俺もそれにならって香りの良い液体を喉に流し込んだ。
「プハッ、そういやバーナベル、お前はなんでここに?」
「んあ?あ、ああ、たしかえーと、よ、夜の見回りだ。学生寮の門限は日が完全に沈むまでだから侵入者や外でまだ遊んでいる学生を捕まえるためにな。」
いや、たしかって……。しかもそれを本人が忘れかけてるじゃないか。
「良いのか?見回りしなくて。」
「いや、もう終わった。そろそろ帰るか。行くぞカダ!俺の部屋で飲み直しだ!」
「ええ!?」
そんな悲痛の声を無視し、バーナベルはカダを連れて帰っていった。
呆けること数分。
……さて、俺もそろそろ上がるか。
立ち上がり、伸びをする。
「くあぁぁっ!」
五右衛門風呂は湯冷めしにくいから本当にありがたい。
釜から出て窓枠に干していた布で体から水気を拭き取り、着替えて魔装2を纏う。これは常に快適な温度を保っているし着心地も良いから寝間着としても使える。
野宿に最適だ。
「ルナ、良いぞ。」
窓から中に向かって言うと、ルナは窓の下からひょっこり頭を出した。
顔が少し赤くなっている。すぐそこで真っ裸だったんだからこっちも気恥ずかしい。
「何をしてたんだ?」
「な、何でもないです。」
「……そう、か。ま、とりあえず風呂を使っていいぞ。」
「はい、ありがとうございます。」
「それで使い方は……………だ。分かったか?くれぐれも火傷はしないようにな。」
「分かりました。」
「じゃあ、終わったら教えてくれ。片付けるから。」
「いえ、それぐらいなら私が。」
「大丈夫だって。黒魔法でちょっと釜を拭いて部屋の中に入れるだけだかし。」
「私は奴隷ですから。」
「なら言うことを聞いてくれ。」
「うっ。」
反論できずに、ルナがうつむく。耳もぺたんと倒れている。
「まぁそう落ち込むなって。何か別のときに頼りにするよ。」
「本当、ですか?」
ピクリと片耳が立った。
「もちろん。ほら、入った入った。湯が水になっちまう。」
「はい!」
あっさり機嫌を直してくれたルナは着替えを持って部屋から出、入れ替わりで部屋に入った俺はさっきの意趣返しのつもりで窓枠の下に隠れる。
決して覗きとかではない。
「ふぅぅ。」
そんな声が聞こえてくる。
どうやら恐れずに釜に入れたようだ。
と、誰歩いてくる音が聞こえてきた。
「わわわわわ かが !」
これはニーナの声だな。
風呂から上がっておいて良かった。
「もしかして自分が獣人を食べる趣味があることを悟られないために別の部屋を!?は、早く獣人の学生や先生達に伝えて警戒をさせないと。」
「んな訳あるかァァ!」
俺は全力で窓から飛び出した。
ルナは羞恥で顔を真っ赤にし、釜の中に沈んでいった。
すまん、ルナ。