女王二人
ムカつく。くそムカつく。
「……で?」
「申し訳ありません!」
硬い床に片膝をつき、頭を下げる金髪の女騎士。
がらんどうの玉座の間にカタカタ震える騎士鎧の耳障りな音がよく響く。
「だからそれはもう聞き飽きたって。ユイを取り逃がしたんでしょ?それでどうすんのって聞いてんの。それとも何?ガート家はやっぱり反乱軍の味方なの?」
「いえ!決して!決してそのようなことは!」
聞くと、怯えた表情のイベラム騎士団長は強く否定して首を激しく横に振った。
ああ、ほんとに苛つく。
アイワースでの戦いでユイの卑怯な手によって転移させられてしまったことが、じゃない。そして当然、目の前で這いつくばっている騎士が元ギルドマスターのエルフを逃したからでもない。
むしろアイワースでの戦いで負け……騙された時は、それでもユイを始末すること、そうでなくとも二度と戦えない身体にしてやることはできたと思っていた私はむしろ上機嫌だった。
ファーレンに転移させられた後、同じ手をまた使われないよう――一杯食わされた腹いせも兼ねて――ファーレン学園の残骸をそこに駐屯していた兵士達と一緒に数日かけて入念に破壊し粉々にしてやったことで何ならスッキリした気分でティファニアに戻って来た……ってのに。
来たるべき反乱軍の鎮圧に向けての地盤固めを再開しようとした矢先、元ギルドマスターの脱獄、しかもその際に聖剣に選ばれて一応勇者の力を得ていた筈のイベラム騎士団長をユイが倒したという報告が入ってくるなんて、ホント、あり得ない。
ほんと、しぶとい。なんでいい加減大人しく死んでくんないかな。
思い出しただけで苛々する。
「チッ。」
「ッ!」
舌を鳴らすと、跪く騎士鎧がビクッと震えた。
「それでさ、ユイの行き先ぐらいは分かってるんだよね?」
私がこいつに聞きたいのはこれだけ。
だから正直遠話の装置を使っても良かったんだけど、本人が直接謝罪したいって言ったのと、直接話す方が早く話を進められると思ったから、こうしてわざわざ王都へ転移して来てもらってる。
大体の逃亡経路さえ掴めれば、私が直接追いかけて今度こそ息の根を止めてやれる。
……そう思っていたのに、地面を見たままの兜は首は横に振られた。
「い、いえ、分かっているのは転移陣を用いて逃げられたことまでですわ。それがどこに繋がっていたのかまでは……。「そ。」し、しかし!おそらくティタへ向かったのではないかと、考えておりますわ。」
がっかりして玉座に深く座り直したところ、突然出てきた地名に思わず聞き返す。
「ティタ?エルフの?」
すると彼女は焦ったように立ち上がりながら1枚の紙きれをどこからか取り出し、カシャカシャと階段を走って登って両手でそれを差し出してきた。
片手で奪い取ったそれの上部には冒険者ギルドのマークと緊急依頼という文字。真ん中にはティタ森林奪還、続いて具体的な日付や報酬。最後には“イノセンツ”というおそらく依頼したパーティーの名前に被さるようにギルドのマーク押印されている。
なんの変哲もない、冒険者ギルドの依頼書。
「これは?」
「レゴラス脱獄の数日前、コテツのかつてのパーティーメンバーが手続きしたティターニア奪還のレイド依頼ですわ。確証はありませんが、勇者ユイがこの者達と行動を共にしている可能性は大いにあるかと。」
目を上げると、私が依頼書に目を通す間に階下へ降りて気を付けの姿勢で立っていた現ギルドマスターが必死さの感じられる声で答えた。
口調には微かな自信。どうも下手な冗談とかじゃないらしい。
「……あのさ、今のこの国の状況を分かって言ってる?」
肘掛けに肘を立てて呆れを隠さずに問えば、私の不機嫌を感じ取ったのか、女騎士は緊張で顔を強張らせた。
「……と、言いますと?」
探るような声。対し、私は左でずっと沈黙を保っていたティファニーへ目を向ける。
「ねぇ、ベンはどこに逃げたんだっけ?」
「東の所領のいずれか、ですね。最有力の候補はハイドン領でしょうか。」
「東の端っこ!」
ティファニーの答えの後、上がった幼い声はその膝の上から。
「ええ、そうですよ。ノーラはちゃんとお勉強してるんですね。」
「えへへ。」
そこに座る小さなエルフの頭を優しく抱きしめ、私が声をかける前と同じようにティファニーは幼い勇者を撫で回し始める。
私との圧倒的な力の差を感じずにいるためか、最近のティファニーはいつもノーラを側に置いている。どうせ私が前に一蹴した“信頼できる召使い”の代わりにとでも思ってるんだろうけど。
カイトが彼女にも精霊を与えているとは言え、ノーラと私との間には天と地程の力の差がある。それを理解していない筈はないのに、この王女……いや、女王様はただ小さな子どもに縋ることしかできないなんて……笑える。
「で、まさかこの事を知らない訳ないよね?」
階下の騎士へ視線を戻す。
「もちろん承知しておりますわ。東の領主はファーレン学園出身者が多いため、実際のところどこへ向かったかは定かではない、とも。おそらくそれが狙いだったのでしょうが……。」
「なんだ分かってんじゃん。それでもあんたはユイが西に向かったって思うわけ?元第二王子陣営として国中で指名手配されているのに、呑気にスレイン西部を旅していくって?」
いくら何でもユイがそこまで馬鹿なことをするとは思えない。
「……しかし、ティタはスレインであってスレインでないとも言われる土地です。統治しているのも管理しているのもエンシェントエルフやその下のエルフの戦士達で、都市における騎士団の役割もエルフ独自の組織が執り行っていますわ。そこであれば勇者ユイも指名手配を気にすることなく自由に行動できるのでは?」
「目的地がそうでも、そこまでの旅路は違うよね?今のこの時期にそんな危険を侵すなんて馬鹿な真似、一体どこの誰がすんのって聞いてんの。」
言い聞かせるように尋ねると、ようやく口にしたのが荒唐無稽な話だってことを自覚したのか、騎士は言葉に詰まって俯いた。
なんで私の周りってこんな馬鹿しかいないんだろ。
「アイ様のおっしゃる通りです。が、やはりこのパーティーにいるフェリルとシーラは無視できないかと。」
「はぁ……分か「分かりました」。」
まだ何かだらだらと話し始めた無能の言葉に折れ掛けた時、幼女を抱いた女王様が声を発した。
睨みつけるも、彼女は淀みなく話し続ける。
「アイ、カミラをそう責めるものではありまそん。彼女なりに犯した失態を取り返そうとしてくれているのですから。カミラも気にしないでくださいね?彼女もアイワースで惜しくもユイを取り逃がしたことを悔やんでいるのです。」
「ちょっ「もちろんです陛下!私、全く気にしてなどおりませんわ!」……。」
勝手に私が考えてることを決めないで欲しいんだけど?
ティファニーを睨むも、彼女は穏やかな笑みを返してくるだけ。
「とは言えアイの言うように完全に信頼するには少し現実味のない話です。……よって弓の勇者とその仲間をティタへ向かわせ、調査させましょう。カミラ、それで良いですね?」
「弓の……見つかったのですか?」
「ええ、後ほど貴女の元を訪ねると思いますから、色々と便宜を図ってあげてくださいね。」
「はい!ありがとうございます!」
自分の言葉が聞き入れられたのがそんなに嬉しかったのか、目元に涙まで浮かべて頭を下げる騎士。
「アイも、それで良いですか?」
「はぁ……別に良いんじゃない?」
正直もうどうでもいいし。
「アイ。」
「ッ!ふぅ……ごめんね、苛ついてたみたい。」
ぶっきらぼうな返しを諭され、そのことでまた込み上げて来た怒りは我慢。
「い、いえ!聖武具に選ばれし勇者として、私の失態は許されるものではありません!アイ様が憤りを感じられるのは当然のことですわ!」
騎士が頭を振って金髪を激しく揺らしたところで、ぱん、とティファニーが手を叩いた。
「では双剣の勇者カミラ、報告ご苦労様でした。これからも職務に励んでください。」
「はい!」
そして柔らかな口調で微笑むティファニーにはっきりと返事をした女騎士は、しかしなかなか立ち去ろうとしなかった。
「……どうかしましたか?」
「畏れながら陛下!一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
顔は床へ向けたまま、自分を鼓舞するように騎士が声を張る。
「ええ、もちろんです。何でしょう?」
「カイト様は何故、今、ラダンに攻め入っているのか。その理由をお聞かせくださいませんか?」
「は?カイトに何か文句あんの?」
「め、滅相もありません!先王の遺志を継ぐとおっしゃったカイト様のお言葉には感動こそすれ、疑問を抱くようなことなど決してありませんわ!大陸の統一は成し遂げるべき偉業ですから。……ただ、騎士団の中には、先程アイ様のおっしゃった通り現在の王国の内情はあまりに不安定ですので、その……。」
「まずは王国内の問題を解決し、それから国外へ目を向けるべきだ。と、そのような主張があると言いたいのですね?」
”黙って従え。”って私が突き放すより先にティファニーが笑顔で声をかける。
「はい!実の兄を殺してまで王位を手にしようとした卑劣な相手ですわ。そのような者に何故カイト様は野放しにし、力を蓄えさせる時間を与えているのか、騎士団の中でも疑問の声が少なからず上がっていまして……。」
こいつ、その疑問に確実に答えて貰うためにわざわざ王都まで来たのかな?
胸のつかえが取れたような顔してるし。
対するティファニーは柔らかい表情のまま、子共に言い聞かせるように話しだした。
「貴女は勘違いをしているようですね。」
「勘違い?」
「ええ、一つは私達の力を以てすればベン兄様……反逆者達を容易に退治できるという勘違い、いえ、侮りと言うべきでしょうか。」
「そんな……今の王国には、特に弓の勇者までも揃ったとなると、王国史上最も多くの勇者が集っていますわ。特に精霊や神の力をも扱うアイ様やカイト様はこの世界に比肩する者などいないと言っても過言ではありません。それでも敵わないことなど……。」
「それでも敵わないのです。皆を不安にさせぬようカイトは明らかにしていませんが「ちょっと!」ッ、アイ、疑問を抱かれたのであれば話すべきです。……王国には何も、後ろ暗いことなどないのですから。」
「……それは、そうだけど……。」
勝手に話すなと睨みつけるも、ティファニーは私以外には分からないほど一瞬言葉に詰まっただけで、冷静にその後の言葉を紡いだ。
「カミラ、反乱軍の手にはヴリトラとの戦いで用いられた神器が複数あります。」
「神器など、その程度我ら勇者の力にかかれば!」
「貴女とアイはユイに敗れたでしょう?」
「うっ……それは……一対一であれば……。」
「ええ、そうでしょうね。しかしそれはつまり大人数を以てすればいかに勇者と言えど勝利は揺らぐということです。相手に神器等の強大な力を振るう者がいれば尚更。違いますか?」
「……。」
勢いある反論は女王の一言で止められる。
「別に負けてないし。」
ついでに漏れた私の呟きは無視してティファニーが続ける。
「そして反乱軍には神器に加え、ヴリトラの魂も手中にあるのです。」
「馬鹿なっ!?恐れながら、信じられませんわ!何故?」
見開かれた目がこちらを見上げる。
カイトがヴリトラを倒してその魂を手にしたっていうのがスレイン王国に浸透している事実だから当然の反応ではある。
「世の混乱を避けるために公にして来ませんでしたが、カミラ、貴女を信頼して明かしましょう。……盗まれたのです。あの日、ベンがこの城から逃げた折りに。」
「そんな、何てこと……。」
「この意味が分かりますね?反乱軍の一人一人が魔族と同程度かそれ以上に強力な魔法を行使できるようになったという事です。」
衝撃を受ける相手へ畳み掛けるように、嘘を混じえた言葉をスラスラと並べる女王様。ほんと、流石としか言えない。
「そしてカイトはその対抗策を得るため、ラダンへと向かったのです。」
「対抗、策?」
「古龍はヴリトラだけではないでしょう?」
「では、まさか!カイト様がラダンへの侵略を進めているのは大陸統一の一歩としてではなく……。」
「はい、貴女の考えている通りです。盗まれたヴリトラの魂を、ラダンの古龍を倒し、その魂を手に入れることで補う。スレイン王国が反乱軍に対して互角以上の力を手に入れる方法はこれ以外にありません。」
謁見の間の大扉が閉まる。
「ふぅ、これで納得してくれたでしょうか?」
「ハッ、分かってるくせに。ほんと、あんたって作り話が上手だよね。」
その向こうの騎士鎧が見えなくなったところでティファニーが息を吐き、対して私は鼻で笑って返した。
「その言い方はあんまりです。アイも含め、皆で考えて決めたことではないですか。」
「ふん。」
ヴリトラの魂が盗まれたこともラダンを攻めている理由も、あの騎士の問いに対する答えには何一つ真実は含まれていない。
「なんのお話?」
「ノーラちゃんにはまだ早いお話ですよ。」
膝に乗った幼女に優しく言ってその頭を撫でる。きゃっきゃと楽しそうにするノーラはそのままティファニーに両耳を塞がれても、遊びの延長と思っているのか嫌がらず満面の笑みのまま。
……自由に話していいってことだね。
「で、他の勘違いってのは何なの?」
「と言いますと?」
すっとぼけんなニ枚舌。
小首を傾げる女王を捻り潰したい衝動は我慢。
「チッ、テミスを呼んだ方がいい?……あの騎士がしてる勘違いを説明しているとき、『一つは反逆者達を容易に始末できると思ってること。』って言ってたよね?つまり少なくとももう一つあるんでしょ?」
「ああ、そのことでしたか。」
舌打ちして追求してやれば、今思い出したかのように手を合わせるティファニー。
白々しい。
「ふふ、大したことではありません。先王の遺志を次ぐというカイトの言葉の解釈です。スレイン王家の悲願は大陸の統一ではありますが、亡き父上、ヘイロン王の遺志はまた別にありますから。」
「お爺ちゃん王?」
「ええ、そうですよ。先王には憂いがありました。他国との戦争の際、王国が常に他の世界より召喚した勇者の力を頼って戦ってきたこと、そしてそれを王国全体が良しとしていることです。勇者の力は召喚される勇者毎に違い、勇者がいてなお王国が敗北を喫したことは歴史上幾度となくありました。その不安定さは今回の召喚では殊更顕著でしょう?真なる勇者二人、そして邪悪の徒が二人。違いますか?」
「そうだね、で?」
「……勇者によらない力を求めた先王は、ヴリトラの魂に目をつけたのです。そのためにヴリトラという巨悪に対してたった一国で勝負を挑まれようとしたのです。」
「壊されたけどね。」
わざと素っ気なく返すも、ティファニーが気にした様子はない。
「ええ、そこで父上が考え、私とカイトに託したのが、今為それようとしている偉業です。……というより、ふふ、カイトから聞いていなかったのですか?」
は?
「えい!」
カン、と軽い金属音が響く。
私がティファニーへ向けた聖槍の切っ先が聖槌ので受け止められた音だ。
遅れてひらりと女王の左肩から布が捲れ、彼女の胸の膨らみの途中まで白い肌が晒される。
「あー、やっぱりアイお姉ちゃん早いね!」
どうやらティファニーは自分の護衛を遊びの一種としてノーラに教えているみたいだ。こんな小さな子まで利用するなんて、ほんと、反吐が出る。
「あんまり調子に乗んないでくれる?立場上はあんたが上だから公の場では許してるけど、あんたがカイトの2番目だってことは忘れないで。」
「……はい、肝に、命じておきます。」
肩から落ちた衣服を震えながらも右手で抑え、形だけの女王様はそうして青い顔で俯いた。




