プランC
コテツに作ってもらった二枚のカードによる合図は割った枚数によってその意味が変わる。
一枚だけ割ったなら、それは全てが計画通りに進んでいるという意味。この場合元々二層構造になっていたボクの手袋の何の変哲もない外側が消え、クレス先輩が転移の魔法陣を刻んでくれた内側が残るようにコテツが遠隔で操作することになっていた。そうして露わになった転移陣でレゴラスを逃がすことが元々の計画だった。
そして今回のように二枚目も割ったなら、それは問題が起こった、つまり次善の策を使うという意味。この場合コテツには手袋の細工の操作に加え、ユイへボクの元に転移するよう指示を出して貰うことになっていた。
というのも、手袋に仕込んだ転移陣はユイの潜伏先と繋げてあるのだ。本来、レゴラスはそこを経由してイベラムの外へ転移する予定だった。少し面倒だけど、この次善の策を用意するために一手間挟んでおいた訳だ。
つまり今回、ユイはボクの手袋に描かれた魔法陣から現れ、彼女が持ってきた転移陣によってレゴラスは直接イベラムの外へと転移したということ。
勿論、転移してきた時のユイの役割も最初から決まっていた。それはボクとセシルに同行している騎士、或いは敵をどうにかして遠ざけ、
「ウォール!」
間に分厚い石壁を作り上げて時間を稼ぐこと。
あとは稼いだ時間でボクを含めた3人が転移すれば良いだけ。この場に魔法陣が残っちゃうけど、転移先の魔法陣をすぐに処分してしまえば問題ない。
「ネルさん、セシルさん、手を!」
「うん!」
魔法陣の描かれた紙を片手で地面に広げ、ユイがボクへ手を伸ばす。
例え相手が騎士団長で、さらに聖剣なんて物を持っていたとしても、最低限転移するぐらいの時間なら稼げる筈。
そう思っていた。こっちを向いたユイの頭のすぐ横まで迫った白い刃が見えるまで。
「危ない!」
「え!?」
伸ばされた手を掴むなり強く引っ張る。
「応じよ、太阿。」
直後、松明の灯りを反射しながら回転する聖剣の真横にマントをたなびかせる騎士が現れた。
「ハァッ!」
地に足を付けないまま右手で宙の剣を握り直し、それをユイへと振り下ろすカミラ。しかしそれより一瞬早く地面を蹴ったユイは、手を繋いだボクごと相手の間合いの外へと逃げた。
カミラがどうやってこんなに早くやって来れたのか。それはユイの頭を狙った聖剣の投擲が廊の中からされたことから聞かずとも理解できる。
ユイに蹴り飛ばされる直前か直後、カミラは龍泉をレゴラスのいた牢の中へ投げ入れていたのだ。
「それで避け切ったとでも!?」
「くっ!ロックショットッ!」
すぐさま距離を詰めてきたカミラの突きを両手で振るった刀で払い除け、ユイが右足を前へ強く踏み込む。するとその足のすぐ先の石床から石の弾丸が勢い良く射ち出され、カミラは素早く後退してそれを躱した。
「切り払え!」
すかさず放たれる不可視の斬撃。
同時にユイが片手を刀から放し、腰のポーチから素早く何かを取り出してボクの方へと放り投げる。
「ネルさんこれを!」
「っ!分かった任せて!」
その何か――赤く光り輝く短剣を右手で握り、すかさず石の床に突き立てる。
飛ばされた斬撃を見切ったカミラは斬撃を屈んで躱しながら既にこちらへ踏み出していたものの、
「揺らせ!ムマガカマル!」
轟音と共に襲い掛かった衝撃波と無数の石礫により再度大きく後退した。
あとに残ったのは輝きを失った赤みがかった短剣を起点に細く扇状に抉れた石の床。
「これは……赤く輝く短剣……ファーレンで使われたという神の武器ですわね?やはり貴女方は魔人コテツの仲間でしたか。」
ガラリと変わった周りの風景に一瞬目を丸くするも、すぐに冷静さを取り戻した騎士団長は隙のない構えで聞いてくる。
転移し、転移先の魔法陣を処理する時間はもう作れそうにない。それまでに追って来られてしまう。
次善の策は潰えた。残された手段は強行突破だけ。……コテツのことをあんまり強く言えなくなりそうだなぁ。
「さて、どうだろうね。さぁこれで2対1だよ。」
覚悟を決め、ボクは短剣を順手に持ち替えて四肢に黄色の魔素を集めてみせた。
左の腕輪は嵌められたまま。だけど魔法を制限する魔法陣はムマガカマルで稼いだ数秒の間にユイの茶色の魔法で歪められ、その機能を失っている。
「ううん、3対1。」
ボクの右後ろから、同じように魔法の制限を解かれたセシルが赤の魔素を集めながら言い、一仕事終えたユイは無言でその2歩くらい前――ボクの右隣に立った。
本人は何でもない風だけど、鉄を魔法で操作するなんて至難の業だ。特にこういう拘束具は魔法で操作しにくい筈なのに……流石は勇者様ってことかな。
「ええ、そのようですわね。」
しかし数的劣勢を前にしても、カミラに焦る様子はない。
「それだけのことで私を倒せると思わせてしまったのは私の未熟です。勇者としての初めての実戦に、少し力が入ってしまっていましたわ。」
そう言って彼女が僅かに息を吐いたかと思うと、その左右の手にある聖剣に蒼白い輝きが灯った。
「イベラム騎士団団長、双剣の勇者カミラ・フォン・ガート、参る!」
……ここからが本番ってことね。
「勇者?ッ、ネルさん!」
と、ユイがポツリと怪訝な表情で呟いた次の瞬間、カミラはボクを間合いに入れていた。
「セァッ!」
蒼白い軌跡を描く太阿が胸の中心に迫る。
咄嗟にムマガカマルを振るってそれを真下へ叩き落とすも、カミラはボクの迎撃に先んじて聖剣を手放していた。
「くっ!?」
半分肩透かしを食らった形のボクへ相手の掌が向けられる。
魔法?それなら!
「ウィンドストー……ッ!」
「雷刃!」
集まる魔素を手袋で散らしながら相手の左手を抑え、雷を纏った刃を突き出すように切り払う。
石牢に響く、耳をつんざくような破裂音。
雷光が自分で放った雷に身体を乗せる技であるように、雷刃は雷に武器を乗せる技だ。
コテツから聞いた、雷龍カンナカムイのような――連続して雷光を使う戦い方はボクの魔力と体力じゃ難しい。実際ヴリトラとの戦いでは長くは戦い続けられなかった。
けれどこれなら雷撃を放つ距離が短く済むし雷光のように高速移動の衝撃を一々身体で受け止める必要もない。何ならその分、雷光を使うよりもさらに速い攻撃を連続で繰り出せる。
実戦で使うのは初めてだったから正直少し心配だったけど、上手くできて本当に良かった。
「速い、ですわね。」
ボクから距離を取り、左手で胸を覆いながらカミラが睨んでくる。見ればその騎士鎧の胸元には手だけじゃ覆い隠せない程に長い、赤熱した斬撃の跡。
しかしムマガカマルの切っ先は僅かに血で濡れているだけ。本人に大したダメージは与えられていない。
ボクが使える最速の攻撃を完全な不意打ちで入れたのに……正直今ので決めてしまいたかった。
けど、畳み掛けるなら今、相手が太阿を手放しているこの時しかない!
「疾駆!」
同じことを考えたのだろう、刀を右肩に担いだユイは未だ短剣を振り切ったままのボクより先に地面を蹴り、
「ネルを虐めるな!」
同時にセシルが放った白い熱線が先ゆくユイを追い越してカミラへ迫る。
「ふふ、狙いが透けて見えますわ。呼べ、龍泉。」
翻って相手の対応は冷静そのもの。カミラは大きく飛び退くことで時間を作り、その間に太阿を左手に戻すや否や細い熱線を正確に切り払った。
「スラッシュッ!」
そこへ間髪置かずに繰り出される草薙ノ剣による渾身の袈裟斬り。対して龍泉が真っ向から迎え撃った。
蒼白い光が衝突。
そのまま火花を散らしながら鈍い音が連続して石の廊下に響き、最後は互いの武器を軋ませる鍔迫り合いにもつれ込んだ。
でも、どちらが優勢なのかは誰の目のにも明らかだった。
「真の勇者では無いにしても、この程度ですか?ユイ様、いえ、勇者ユイ。」
両手で握りしめた刀を、スキルの光を纏う全身で押し込むユイに対し、カミラは右手だけで龍泉を支えていて、太阿を握る左手は完全に自由になっている。
相手がボクとセシルの魔法を警戒していなければユイは既に一撃貰っていたに違いない。
「この、力……!」
「聖武具に選ばれた勇者の白魔法が常人とは一線を画すことは貴女も知るところでしょう?……しかし、これでは拍子抜けも良いところですわ。ふっ!」
短く息を吐き、カミラが一歩踏み込んで龍泉を押し上げると、ユイはまるで巨大な壁に押し退けられたかのようによろけて一歩後退。すかさず切り返された龍泉が彼女へ迫る。
「雷光!」
その斬撃がユイへ届く直前、ボクは2人の間に割って入りムマガカマルでそれを受け止めた。神様が作ったという短剣に赤い光が灯る。
一拍遅れ、カミラの目が見開かれた。
「動、かない!?」
……ボクの武器が神剣だってことは分かっていても、どういう能力かは知らないのかな?
だとしたら驚くのも無理はない。
徐々に増す短剣の輝きからして彼女は剣をボクに防がれてからも右手へ力を込め続けているというのに、ボクは太いとは決して言えない腕で楽々とその力に拮抗しているんだから。……単にムマガカマルが受けた力を全て吸収してくれているというだけだけど。
ちなみにムマガカマルが吸収できる力は厳密には刃に受けた力からムマガカマル自身に使い手が込めた力の差分だけ。つまり、もしボクがこの押し合いに勝とうとするなら、力の吸収を一時的に止めた上で、ボク自身が純粋な力でカミラを上回らなければならない。
結論、ボクが押し勝つことはまずもってあり得ない――
「揺らせ。」
――神剣に吸収させた力を解放させない限り。
「なっ!?」
呟いた途端、甲高い音と共に龍泉がそれまで描いてきた軌道を戻るように弾かれ、その勢いでそれを握るカミラをも後ろへ引っ張って体勢を崩させる……かに思えた。
「ハァッ!」
「なっ!?」
しかし実際のところ龍泉は騎士団長の肩辺りまでしか戻らず、そこで動きを不自然に止めた純白の刃はボクが何かできる前に再びムマガカマルへ振り下ろされた。
神剣から離れようとする龍泉の勢いは力でねじ伏せられたのだ。
「なるほど、理解致しましたわ。その神剣の能力は“刃で受けた力を蓄積し、相手へ返す。”ですわね?」
「ストーンランス!」
余裕を取り戻した様子のカミラへ地面から勢い良く伸ばした石の柱を叩き付ける。でも目の前の相手にぶつかったところで柱はピタリと止まってしまい、逆に粉々に砕け散った。
スキルか魔法か純粋な身体能力か、何にしても信じられないほどの頑丈さだ。
「……段々と強くなる赤い光は、ああ、蓄積した力の目安でしょうか?」
「セァァッ!」
「となれば……」
ボクの魔法をまるで意に介さずに話し続けるカミラへ草薙ノ剣が切り込まれる。
「フレアショット!」
それによってカミラの両手が塞がれると見たセシルが炎の弾丸を複数放つも、相手に余裕を失う様子はない。
「……貴女方はもう驚異ではありませんわね。」
悠々と話しつつ、双剣の勇者は太阿を振り抜いてユイの攻撃を払い除け、かと思うと返す刀で襲い来る炎を全て迎撃してしまい、
「終わりです。」
さらにそのまま太阿をボクの頭目掛けて振り下ろした。
龍泉を受け止めたまま、二振り目の聖剣をも防ぐことは流石にできない。
「揺らせ!」
だからボクは即座にムマガカマルの力で龍泉を弾き、
「ふん!」
「ッ、雷光!」
即座に全速で後ろへ飛び退いた。
「はぁっ、はぁっ!」
そうして何とか距離を取り切って、短剣は相手へ向けたまま、つい止めてしまっていた息を吐き出す。
「ネル!大丈夫!?」
「うん、あり、がと。」
すぐ後ろのセシルに息を整えながら頷き返し、カミラを睨みつける。
……動きを完全に読まれてた。ボクが龍泉を弾いた瞬間、カミラは逃げるボクを追いかけるように右足を大きく踏み込みながら龍泉を再度振り下ろしてきたのだ。
一歩間違えればカミラの足元に落ちたのはボクの髪の毛の先だけじゃ済まなかっただろう。
少なくとも次また同じことをしても、無事には逃がしてくれそうにない。
「あら、完全に取ったと思ったのですが……その凄まじい速度、賞賛に値しますわ。」
龍泉を持ったままの右手で乱れた髪をかきあげ、余裕を顕にカミラが言う。
実際ボクもセシルも、敵のすぐ側で刀を構えるユイすらも、一見隙だらけに見える騎士団長を目の前にしながら全く動けないでいる。
何をしても勇者の圧倒的な身体能力に跳ね除けられる未来しか想像出来ないのだ。
「光栄、だね。」
「ええ、パーティーの全滅を契機に冒険者を辞め、それでも未練がましく受付嬢となって燻っていた者とは思えませんわ。」
「……へぇ、調べてたんだ。」
神剣を握る手に力が入る。
「罪人と会おうとする者の素性を調べるなど当然のことでしょう?現ギルドマスターの権限を以ってすれば、貴女の過去を洗うことなど造作もありませんでしたわ。……万が一魔人コテツと行動を共にしている可能性を考えてこの付き添い役を代わったのですが、ふふ、まさか裏切りの勇者ユイまで出てくるとは思いませんでしたわ。」
この状況、ボクのせいだったんだ……。コテツとのパーティーは――コテツがユイとパーティーを組み直した――一年以上前に解消された筈だから、大丈夫だと思ったんだけど、甘かったみたいだ。
と、カミラがふとユイへ視線を向け、相手が身体を緊張させたのを見て小さく笑みを浮かべた。
「そう言えば聞いておきたかったことがありましたわ。聖武具に認められなかったとき、どういう気持ちでしたの?」
「……べらべらとさっきからうるさいわね。時間稼ぎのつもりかしら?」
「あらバレましたか?ふふ、その通りですわ。既に応援は呼んであります。貴女方三人全員を誰一人逃さないためにも人手は必要ですからね。」
「ッ、ストーンウォール!」
相手の言葉に素早く反応し、セシルが背後を岩の壁で隙間なく埋める。しかしそれを見たカミラはむしろ勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「あらよろしいのですか?転移阻止の結界へ何やら細工されたようですから、そちらの確認にも人員を向かわせましたわよ?もう貴女方に逃げ場など……。」
「それはないわ。」
嘲笑うような言葉を遮りユイが即答。カミラの表情が少し引きつる。
……まぁコテツ達がそこらの騎士に簡単にやられるとはボクも思えない。
「ふん、そうですか。しかし時間が私の味方であることは変わりません。それなのに仕掛けて来ないところを見ると、どうも手詰まりのようですわね?真の勇者の力に為すすべもありませんか?」
「真の勇者の力、ね。要は白魔法を大出力で扱えるというだけでしょう?でもあなたの雑な白魔法じゃ宝の持ち腐れも良いところよ。」
「疾風ッ!」
ユイの言葉が我慢ならなかったか、カミラがユイとの距離を一息で詰め、龍泉を真上から振り下ろす。
対するユイは素早く草薙ノ剣を斜めに持ち上げ龍泉の一撃を肩越しに後ろへ受け流しながら相手の懐へ踏み入り、得物の刃を返して相手の胴体へ切り込んだ。
しかし刀が相手を切り裂くより先に太阿が斬撃を受け止めた。
「この!」
「うっ!?」
防御を間に合わせたカミラがそのまま太阿でユイの身体を殴るように突き飛ばし、さらに踏み込んで龍泉を突き出す。
「これでッ!「雷光!」来ましたわね!」
姿勢を崩されて背中から倒れていくユイを貫かんとしたその攻撃は、ムマガカマルの刃が受け止めた。
すかさず左の指先をカミラの目の前へ突き出す。
「フラッシュ!」
「っ!?」
至近距離で弾けた火花に堪らず顔を背けるカミラ。その隙に神剣を素早く操り龍泉を握る手へと振るうも、相手は右手を咄嗟に引き、
「ハァッ!」
姿勢を落としながら太阿を大きく振り回した。
「嘘!?」
慌てて一歩下がった直後、ボクが立っていた石床が轟音と共に叩き付けられる。
舞う石片や土埃。床に放射状に入った深い無数のヒビがその一撃の威力を物語る。
なんて力技……少し掠っただけでもおそらく致命傷は免れない。
「どうやらこの場で一番警戒すべき相手は貴女のようですわね、ネル。」
「ボクはもう驚異じゃないんじゃなかったの?」
「ええ、しかしそこの勇者もどきよりかはマシですわ。斬る意思すら感じられない微温い刃など恐るるに足りません。」
膝の汚れを払って立ち上がりながら、カミラはムマガカマルを構えたボクの肩越しに尻もちをついたユイへそう吐き捨てた。
「ッ……。」
「ユイ、気にしないで。あの馬鹿げた身体能力さえ無かったら君の刀は届いてたよ。」
得物の扱い自体は絶対にユイが上なことは断言できる。ただ聖武具の力が凄まじいというだけだ。
「違い、ます……彼女の言う通り、私はっ!」
「あら自覚はありましたのね?そう、貴女に戦う覚悟などありませんわ。あるのは単なる我が身可愛さだけ。大層な武器を振り回し戦うフリをしながら、心の内で他の誰かに戦いを押し付けたいとしか考えていませんでしょう?」
「そんな、こと……。」
「聖武具が貴女を選ばなかった理由も、きっとその卑怯な性根を見抜いてのこと。貴女に勇者を名乗る資格などありませんわ。」
「……。」
「ユイ、大丈夫。事情は聞いてるから。」
カミラの口撃を受けて唇を噛むことしかできないでいるユイへ、安心させるように話しかける。
彼女がなるべく人を傷付けることのないようコテツが――何ならちょっと羨ましいぐらいに――気に掛けていたことは知っている。
「誰だって苦手なことの一つや二つはあるよ。それを補うのが仲間でしょ?」
その方針が間違っているとは思わない。
「ネルさん……。」
「ふふ、お優しいですわね。ですがそこの勇者もどきを慰めてあげる時間はもう無さそうですわよ?」
「え?」
嘲笑うような表情でカミラがそう言った瞬間わドン、と背後でくぐもった爆発音が響き、今いる廊下が僅かに揺れた。
「ネル!反対側から壁が崩され始めてる!抵抗はしてるけど、長くは保たないよ!」
「っ!」
聞こえたセシルの焦った声に押され、地面を蹴って前へ攻め入る。
「ソニックスタブ!」
まずは単純な胸元への突き。やすやすと太阿で受けられたけど、ムマガカマルを使うボクが力負けすることはない。
しかしそれは相手も既に理解していたらしい。彼女は神剣を弾こうとはせず、龍泉で伸びたボクの右腕を落とさんと素早い斬撃を繰り出してきた。
「っと、ロックショット!」
即座に引いてそれを避けつつ、人の顔ぐらいの大きさの岩の弾丸を撃ち込む。
もちろんボクの魔法を受けてもカミラにまともなダメージはない。けど、受け止める質量自体が多少の足止めになってくれる。
「怪力!」
右腕の一振りで岩が砕かれ、まるで砂粒を払うかのように真横へ弾かれる。そうして開かれたカミラの懐へボクは再び切り込んだ。
カミラの強さの源はやっぱりその圧倒的な腕力だ。……なら、それを振るえなくすれば良い。
「雷刃!」
空気を引き裂き、神剣が斜めの弧を描く。
少し遅れ、カミラの肘の内にある鎧の継ぎ目が血を噴いた。
「小賢しい!」
しかし斬撃は浅かったらしい。腕が使えなくなる様子はなし。どころか、彼女は怯む素振りすら見せず太阿をすぐさまボクの首筋目掛けて振り下ろした。
「くっ!」
すぐにムマガカマルの刃を返して右へ振るい、聖剣を受け止める。直後、ボクの左腕、続いて左脇を凄まじい衝撃が襲った。
視界がズレる。
「あぐっ!?」
「ネルさん!」
右の回し蹴りを入れられたとすぐさま理解はできた。それでも圧倒的な膂力に抵抗できず、右の肩と頭が石壁に強かに叩き付けられる。
ふらつく足。それでも自分の意思で壁を押し退け背後へ倒れこめば、ボクがぶつかった余波で頭上から落ちてきていた松明がちょうどボクの顔があったところで真っ二つに切断された。
後転の勢いで立ち上がり、ムマガカマルの切っ先をカミラヘ向け直す。
「ふふ、アイ様やカイト様程には及びませんが、私も真の勇者の一人。その力をあまり甘く見てはいけませんわ。」
「そんなつもりは、無かったんだけどね。」
足はまだしっかりと地面を掴めていないものの、膝をつくのは何とか堪えた。
……たった一撃。それも聖武具でも何でもない、ただの鎧に覆われただけの足による打撃を入れられただけ。入った場所だって急所なんかじゃない。その筈なのに、ボクの身体は既にボロボロ。特に左腕は動かそうとするだけで激痛が走って使い物になりそうにない。
「今、楽にして差し上げますわ。」
定まらない視界の中、カミラが龍泉を外へ軽く振って松明の粉を払い落とした。
どうやらボクが斬りつけた肘はとっくに治ってしまったよう。鎧越しに胸へ刻みつけたはずの傷だって既に完治してるに違いない。
これが勇者。人間の心強い切り札にしてボク達の恐るべき敵。
勝てる訳ない。
コテツは今までこんな相手と、いや、これ以上に強い相手と、どうやって渡り合ってきたんだろう?
こういう時コテツなら……
「……うん、やっぱり笑うのかな。」
でも目標は絶対に諦めない。頑固だから。そして、無理を通すためにズルをする。
ちょっと口角が上がった。
そうだ、ズルいんだ。真正面からじゃどうにもできない障害がある時、それを避けて勝ち筋を探すのがコテツのやり方だ。
考えろ、ボク。どうすればボクの勝ちになる?
曲がってしまっていた背筋を伸ばし、こちらへ踏み出すカミラから目を離さないまま背後へ呼びかける。
少なくともそうしようとした。
「ユイ……「キュアー!」ユイ!?」
……白魔法をお願い、と言うより先に、後ろにいた筈の彼女がボクを治療しながら横に並んだのだ。
「遅れてすみません、でももう大丈夫です。」
「大丈夫って……。」
そうは思えないと言いかけたボクを、今まで見たことのない程強いユイの眼差しが押し留めた。
「私が隙を作ります。」
「……分かった。それなら狙いは――。」
「――はい。得意です。」
根負けしたボクは一歩引き、ユイが刀を体の前に構えて進む。
すれ違いざま、小声で伝えた助言にはしっかりとした首肯が返ってきた。
「ふん、今更なにを……っ!」
それを見てカミラが目に浮かべた余裕の色は、彼女があることに気付いた途端すぐさま消え去った。
ボクも驚いた。
何せ今まではオーバーパワーを発動したユイの身体だけが纏っていたスキルの光が草薙ノ剣までも包んでいるのだ。
剣術のスキルなんて珍しいものを、まさかユイまで会得していたなんて。
「あなたには感謝しておくわ。私は今まで、周りの優しさに甘えてしまっていた。戦いにおける覚悟も全く足りていなかった。」
重心を落とし、相手に向けた刀の先をピタリと止めたまま、双剣を体の前で構えた相手へとユイが右足を前に出した姿勢のまま少しずつ前進する。
「人を斬る覚悟がこの短時間で固まったと?」
「いいえ。守りたいもののために自分を危険に晒す覚悟……私自身が傷付く覚悟よ。」
そして左の剣より少し前に出された龍泉へ草薙ノ剣の切っ先が届く直前、急に龍泉が立てられ、同時にカミラの右人差し指と中指がユイを指指差した。
「エアバレッ……「フッ!」っ!」
同時にユイが加速。
右足の強い踏み込みと同時に振るわれる草薙ノ剣。それが太阿の切り払いで弾かれたかと思うと、刀は目にも止まらない速さで跳ね上がって再びの右足の踏み込みと同時に今度はカミラの肩へ神剣が振り下ろされた。
それを龍泉が受け止めるや否や空いたユイの脇腹へ返す刀で太阿が襲い掛かるも、ユイは左足を素早く左後ろへ、引くように踏むことで素早く左へと逃げおおせた。
一瞬の出来事に呆気に取られていたボクはそのままユイが勢い余って鉄格子に背をぶつけたところでようやく我に返り、彼女への追撃を防ぐため駆け出そうとして……カラン、と石の廊下に響いた硬質な音でそれを思い止まった。
「くっ……ユイ!」
怒りを顕にした声。
見れば、苦悶の表情を浮かべたカミラがどくどくと血の吹き出る自身の左手を龍泉を握ったままの右拳で抑えながらユイを睨みつけていた。
全ての攻撃を防がれたかのように見えたようで、ユイは確かに一撃入れていたらしい。それもかなりの深手を、事前にボクが話した通り龍泉を持つ相手の右手へ。
そしてカミラの足元では、柄の赤く濡れた白い直刀が石床に落ちた衝撃で跳ね、小さく宙を舞っていた。
素早く互いと視線を交わし、ボク達は誰一人指示を飛ばすことなく同じ目的のために動き出した。
「ライトニング!」
カミラの右肩へ向けてセシルが稲妻を放つ。
「雷光!」
それを追い掛け、ボクは雷の魔素を手元にも集中させる。
「くっ!」
重症を負いながらも即座に龍泉を振るって稲妻の魔法をかき消し、そのままボクが振り下ろした短剣を受け止めたのは流石騎士団長と言ったところ。
「雷刃!」
「こんな、筈は!?」
でも2、3、4撃とボクが今出せる最高速――継戦能力度外視で振るった短剣は片手で防ぐので精一杯のよう。
……力で弾くことができないから選択肢がほとんどそれしかないんだけど。
ともかくおかげで彼女は自身の胸の中心目掛けて放たれた突きを龍泉の腹で防ぎ、
「揺ら……」
「っ!」
ムマガカマルの能力により身体を強く押し飛ばされることを覚悟して身体に力を入れて動きを止め、ボクの左手袋に腕を触れられた。
「……さないでいいよ。」
「なにを……!?」
騎士団長の姿が掻き消える。
そしてすぐに手袋の魔法陣へ長い線をムマガカマルで刻み込んで、ボクはホッと詰めていた息を吐いた。
コテツがアイにやったことを思い出してやってみたけど、こんなの正気の沙汰じゃない。自分より遥かに身体能力の勝る相手にわざわざ肉薄しに行くなんてどう考えても自殺行為だ。
「ネルぅ!」
「え?わっ!?」
掛けられた声に振り返れば、セシルの満面の笑顔がボクに突っ込んで来ていた。
それを胸で受け止めて倒れながらも一緒になって笑いつつユイの方を見れば、彼女もボクと同じように地べたに座り込み、すっかり安心した表情を浮かべていた。
ふと周りを見渡すも、聖剣太阿の姿はなし。
奪われることだけは避けるため、カミラが呼び寄せたと見て間違いない。
残念ではあるけど、勇者相手の勝利以上に欲張ろうとは思わない。
数秒後、爆発音が地下牢に轟いた。
発生源はユイのさらに後ろ。セシルが作り上げた壁の向こうから。
振動で砂塵が舞い、一拍置いてその壁に大きな亀裂が走る。
「あ、忘れてた。」
ボソリとセシル。
まぁちょっと早く安心し過ぎたのはボクも同じだから、責めようとは思えない。
「あはは……、じゃあ逃げよっか。ユイ、お願い。」
「はい!」




