やり残し
冒険者や商人を中心に回る交易都市の中、一際異彩を放っている白い大理石で建てられた荘厳な建物――冒険者ギルド本部の倉庫兼オークションハウス。その半分美術館となっている正面玄関へと続く、それまでもが美術品かのような石造りの階段を横目に巨大な建物の裏へと回れば、巨大な荷台を引いた馬車の群れやその間を汗水垂らして走り回るギルド職員など、ここもやはりイベラムの一部だと確信できる光景が広がっている。
しかし同じ冒険者ギルドの倉庫とは言え、ヘーデル支部のそれとは仕組みから大きく違うようだった。
まず、馬車は建物の中に入ることは――倉庫がオークションハウスを兼任しているからか――できないようで、それぞれオークションハウスの後ろに広がる整地された敷地に停められている。そしてその一つ一つの馬車に対して冒険者ギルドの制服に身を包んだ人達2~3人がクリップボード片手に対応しているという点では、動くのがギルド側か商人側かでヘーデルのそれとは真反対だ。
ただ、馬車の周りで護衛の冒険者達が暇そうにたむろしている中、馬車の主である商人と冒険者ギルドの職員が値段交渉で熾烈な戦いを繰り広げている点は、やはり共通なようだった。
そしてそれは俺達の――本来カモフラージュ用の――馬車も例外ではなかった。
「クレス君、流石にそれは横暴じゃ……。」
「これからハイドン領産の品はしばらく流通しなくなることは分かりますよね?」
「うーむ、しかしねぇ、いくら何でも……。」
「無茶は言ってない筈ですよ?この値でもギルドは十分な利益を出せますよね?僕もここで働いていたんですから、騙し合いは無しにしませんか?」
「そうだねぇ、ここで働いていたのなら君の言い値じゃ最低限の利益しか得られないのは知っている筈だけどねぇ。」
「何か問題でも?……というより、ギルドを介さずに直接店を回っても良かったのをわざわざこっちに持ってきたんですから、少しは融通してくれませんか?」
「ぐっ、弱ったな……。」
「どうかお願いします。ね、先輩。」
「はぁ……、分かったよ。その値で買ってやるよ。」
「本当ですか!ありがとうございます!」
「はいはいどういたしまして。じゃあ商品を……「実は他にも道中で狩った、こういう魔物の素材もあってですね……」分かった!言い値で買うから!良いから全部持っていってくれ!お前なら詳しい場所を教えなくてもどこにどれを運べば良いかぐらい分かるだろ!?」
「はい、分かりました。ありがとうございます。」
終始優勢で事を終え、にこやかにお礼を口にするクレスをまるで不吉なものであるかのようにシッシッと手で払い、どうやらクレスのギルド職員時代の先輩だったらしい男は別の馬車へと歩き去っていった。
その一部始終を傍から眺め、「へぇ。」と面白そうに声を漏らしたのはシーラ。
「知らなかったわ。クレス君って冒険者というよりは商人なのね?」
「い、いえ、僕はただここで働いていたことがあったから内情を多少知っていたというだけで……。これぐらい、ギルド職員を経験していたなら誰でもできますよ。」
「ボクはできないですけどね?」
「いや、それはやっていた仕事の種類の問題だよ。」
馬の世話をしながら、ネルが謙遜し過ぎだと暗に言うと、クレスは困ったように首を振り、その照れた反応が面白いのか、それでも凄い凄いとシーラとネルがさらに彼を褒め称える。
「クレス君、褒め言葉は素直に受け取りなよ。特にネルちゃんとシーラから褒められることなんて滅多にないんだからさ。」
「くはは、確かにな。」
「ふん、貴方達がいつも色々やらかすからでしょう。ねぇネルちゃん?」
「そうですね。少しはクレスを見習って真面目にして欲しいです。」
[そもそも褒められるようなことをした事など数えるほどもないじゃろうて。]
クレスの背中へ声をかけたフェリルに同調して笑うと、女性二人から速攻で反論が飛んできた。……あと爺さんからも余計に。
「……俺はいつも大真面目だろ。」
[「「「ハッ!どこが!?」」」]
せめてもの抵抗も一瞬で潰された。……ていうかフェリル、どうしてお前まで敵側にいる。
「あの、それで、どうかしましたか?お二人は先に宿を取って連絡をしてくれる筈では……?」
「ああ、ネルにどうしても会いたいって“奴”がいてな。」
「ボクに?」
クレスの問いに、俺の背後を指差して答えると、ネルは少し驚いたように自信を指差し、コテンと首を傾げた。
「心当たりはあるだろ?」
むしろないと可愛そうだ。
「ネル!」
突如、俺の真横を一尋の風が吹き抜けた。正体はもちろん件の“奴”だ。
「セシル!?仕事は?」
「今日は休み。」
「そ、そうなの?」
嘘つけ!
「でも良かった、無事だったんだね!ヴリトラがファーレンを襲われたって聞いて、凄く心配してたの!……そうしたらネルがハイドン領に逃げていて、でもそこにスレインの軍隊が送られるって噂を聞いてて、私、凄く凄く心配で、心配でぇ……ズズッ。なのに、ネルの居場所を教えてくれたあいつは全然頼りにならなくて役に立たないし!もっと心配しろ!あの馬鹿!ウスノロ!木偶の坊!」
戸惑うネルに体当たりして抱きついたまま、本当は仕事を後輩に丸投げしてきたセシルが半ば泣きじゃくりながらまくし立てる。
ちなみにズタボロ言われているのは俺だ。セシルがしっかり指差してきているから間違いない。
しっかし、もっと心配しろ、ねぇ。
「なぁ、あの時はどうしようもなかっただろ?そもそも軍の派遣なんて噂でしかなかったし、連絡手段もなかったし。」
……いや、一応騎士団が派遣されはしたか。その目的はあくまで俺やベン達だったけれども。
「うるさい!」
「……。」
ともあれもちろん、セシルは俺の言葉など歯牙にもかけない。
「あははは……そっか、えっと、心配かけてごめんね?」
「うん。ズズッ……駄目だよネル、あんな薄情な奴と一緒にいたら。」
「言っておくけどな、俺も多少は心配はしてたぞ?」
そこは誤解しないで貰いたい。ただあの時は為す術が無さ過ぎて、一旦問題を保留するしかなかっただけだ。
頭を掻くと、セシルの背中を優しく擦るネルが何やら意味深な目線を俺へ向けた。
「多少?」
おっと多少じゃ不満だったか。
「ま、まぁ、何があってもたぶん大丈夫だろうとも思ってたのもあるな。ネルの力量は俺も分かってる。侮ってなんかいない。」
[そう無理矢理思い込んでおった、が正しいのう。]
はいはいそうだよ。あの時は取り乱してる場合じゃなかったしな。文句あるか?
「ふーん?ボクをあんな酷い方法で騙して戦いから追い出した人の台詞とは思えないね?」
「あ、あれはほら、信頼してるしてないとかじゃなくて……。なあ?」
「なに?そんな目されても、言ってくれないと分かんないよ?」
暗黙の了解を期待してみるも、ネルに通じた様子はない。ていうかあのこと、心から許してくれていた訳じゃなかったのな。……そりゃそうか。
「俺は死ぬ覚悟だったんだ。……言える訳無いだろ、俺と道連れになってくれだなんて。」
「ボクは言って欲しかった。」
意を決し、向けられる真剣な目線を見つめ返す。
「お前が好きなんだよ、ネル。「っ!」だから、無茶言わないでくれ。」
まさかこんな場所で俺がこんなことを言うと思っていなかったのか、大きく目を見開いて口を抑えるネル。その顔がみるみる赤くなる。十中八九俺も同じだろう。
「えっと、ボ、ボク、意地悪、だったね。ごめん、ボクも……。」
「まぁ!」
「「ミヤさん!しっ!」」
と、ネルが何やら言いかけたところで、馬車の荷台でこそこそしていた3人から焦りに焦った声が上がった。
見れば、ウキウキとした表情のミヤさんの口をユイとニーナが必死の形相で塞いでいるところ。
その場にいた全員の視線を受けた3人の中、まず口を開いたのは――前職の仕事柄、多数の視線に慣れはしているのか――ニーナ。
「えっと、クレス君。「は、はい!?」言われてた荷物は運び終わったけど、残りの魔物の素材のとかも運べば良いのかな?」
「そ、そうです!えっと、ワイバーンの毒針は……」
急に呼ばれて慌てたのも一瞬、仕事の話だと分かるやクレスはテキパキと指示を出し始め、ミヤさんは氷のゴーレムで、ユイはオーバーパワーを使って、ニーナは二人のサポートに回って、残りの荷をオークションハウスへと運んでいった。
「……。」
さぁこの空気をどうしよう。
適当な宿屋を探し、借りた部屋は男女用に二つずつ。部屋に入るなり着替え入りの荷物を投げ捨て、川の字に並んだベッドの1画目にどっかと腰を落とすと、いつの間にやら溜まっていたらしい疲労に思わず情けない声が出た。
「くぁぁ、疲れたぁ……。」
「そりゃ疲れただろうねぇ?」
3画目のベッドの方から今にも吹き出しそうな声。
「おいフェリル、同室だってこと分かってるよな?明日の朝を迎えたくないなら止めないぞ?」
「はいはい静かにしておくよ。」
その主を睨み付けると、彼は両手を上げて降参のポーズをして見せ、一応疲れはしていたのか、そのままベッドに倒れ込んだ。
「コテツ先生、それで、父は本当にここ、イベラムに?」
「ん?ああ、それは間違いない。」
と、そんな俺達とは打って変わって丁寧に二画目のベッドに座り、恐る恐るといった風に聞いてきたのはクレス。彼に俺は大きく頷いて返した。
そう、イベラムに来た理由はもう一つ、クレスの父にしてミヤさんの夫、ギルドマスター――レゴラスを助け出すためだ。
『そうじゃな、ミヤを安心させるために何ができるかお主が考えに考え抜いたた結果じゃの。』
黙らっしゃい!味方は多い方が良いだろ!?
『ん?なんじゃ?仲間のためを思う良き行いじゃと褒めただけじゃろうに。』
……クソジジイめ。
「あの、ど、どうやって分かったんですか?囚人は本来なら北のスクイン監獄へ送られる筈ですよね?」
「そうなのか?」
「え?」
「あ、いや、そ、それはな……。」
北に監獄なんてものがあったのかよ。
「良かった!まだいたわね!」
神の声が聞こえるなんて頭のおかしい、そうでなくても説明が面倒な真実を隠したまま、さてどうやってこの場を誤魔化そうかと考えていると、突然部屋の扉が勢い良く開き、ユイが部屋に入ってきた。
「それで?計画は立てているのよね?」
なんだなんだと目を白黒させる俺の目の前に来るなり、早速そう切り出す侵入者。
「計画?」
「とぼけないで。レゴラスさんを助ける計画よ。どこに囚われているのか、具体的な場所ももう分かっているんでしょう?」
「まぁ、そうなのですか!?」
そんな驚きの声が上がったのはユイの背後、どうやら彼女のあとに続いて入ってきていたらしいミヤさんから。
もちろん二人への答えはイエスだ。ていうかそもそも分かっているからここに来た訳だし。
「一応、ある程度推測はできて「御託は良いからさっさと教えて。」……はぁ、レゴラスなら地下にいるよ。」
せっかちめ。
「地下?」
「ああ、城壁の下に地下牢があるんだ。」
爺さんによれば。
『うむ、今回は複雑な迷路もない単純な道のりじゃぞ。』
そりゃ良かった。
「そうでしたか、夫はまだ騎士団の下に残されているのですね。」
「ええ、でもスクインに送られていないのはつまり、尋問を受けている可能性が高いということです。それに、いつ送られてもおかしくない。どの道、助けるなら急がないと。」
一瞬ホッとした様子を見せたミヤさんはしかし、ユイの言葉に不安げに目を伏せた。
「そう、ですね。申し訳ありません、私達家族のために皆さんを危険に晒すことになってしまい……。」
「いえいえそんな、ギルドマスターの力はきっとこの先必要になってくると俺が勝手に思っただけですから。」
だから気にしないでくださいと笑ってみせると、ミヤさんは何かおかしかったのか微かな笑みを浮かべた。
「……ふふ、そうですか?てっきり夫を心配する私やクレスを見ていられなかったからではと思っていましたが。」
うひゃあバレてら。
「……まぁ、二人を安心させていつもの調子に戻すことだって、ギルドマスターの力の一つですから。」
「ふふ、ありがとうございます。ほら、クレス。」
「あ、ありがとう、ございます。」
母親に言われるがままに感謝の言葉を口にするクレス。
「いやいや、まだ礼を言うには早いですよ。」
「それで?いつ、どうやるのよ?」
「と、取り敢えず今夜一当てしてみようかなーっと……。」
照れ臭さに頭を掻いた格好のまま、聞いてきたユイから目を逸らす。
「ふざけてるの?」
「目標の場所も敵の配置も、俺にはもう分かってるんだ。なに、ギルドマスターをハイドン領かヘール洞窟かに送ってしまえば明日の朝には何事もなくここを出られるさ。」
「騎士団に一当てした時点で何事もないままになる訳無いでしょ。もう、まったく。」
3人のさらに後ろ、扉の側からネルの呆れ声。
そちらを見るも、彼女は壁に寄りかかったまま首を振るだけで視線を上げようとしない。
理由は、まぁ、うん、分かる。
「それじゃあどうする?」
「ボクに考えがあるんだ。聞いてくれる?」




