出発の前に
数百人規模の団体客が――それも2組も――やって来てテントを張っても、まだ土地の余る程広い庭園、というより草原の中心に建つハイドン邸。
その応接間はしかし、低いテーブルを挟んだ暖色のソファ2つのみと、かなり簡素なものだった。……まぁ、四方の壁に飾られた幾つもの絵画の価値を俺がほんの少しでも理解できていたら、これまた違った感想を抱いていたかもしれない。
「それは許可できません。」
「は?」
ただ、今はそんなことより、目の前の元生徒会長が口にした予想だにしていなかった言葉の方が重要だ。
間抜けに口を開けて固まった俺を至って真面目な表情で迎え撃つエリックに、ふざけてる様子は一切ない。
「悪い、もう一度言ってくれるか?」
「ですから、今の情勢で先生にどこかへ行ってしまわれては困ります。」
聞き間違えたかと思って聞き直すも、エリックは最初にした返答により詳しい理由を付けたのみ。
そう、何も言わずに出発するのは流石にどうかと思い、エリックを訪ねて感謝の言葉とエルフの森へ向かう旨を彼に伝えたところ、俺の意向は一考する間もなく却下されたのだ。
「……許可がいるのか?」
もしかして俺は知らぬ間に軟禁されてたのだろうか?
「っ!いえ、そのようなことは決して。しかしスレインがいつ攻めて来るか分からない現状、先生にはここに残っていただかなければ……。」
「しばらくは大丈夫じゃないか?スレイン軍はラダンの北方をこの間攻め始めたぐらいだろ?」
「勇者アイの脅威は消えていません。」
「アイならしばらくは襲ってこないさ。そのつもりならヘルムントの後も何度でも襲撃して来てたよ。ファーレンに飛ばしたとはいえ、スレインにはとっくの昔に戻ってる筈だしな。」
空を飛べるアイにとって海による隔たりなんざ意味をなさない。そもそも王都に飛ぶための転移陣を持っている可能性だって大いにある。それなのに追って来なかったのは、俺達よりも優先すべき事があるからだろう。
それが王都の防衛かアイワース領でしていたような貴族の囲い込みか、それとも両方なのかは知らないけれども。
「それに、だ。勇者の相手を俺に頼るしかないんならこの戦いには勝てないぞ?俺はアイに一対一でしっかり負けたからな?そんでカイトはさらに強いと来た。」
自分で言ってて笑えてくる。
「しかし先生はその戦いにおいて神器は使われていないと聞いております。」
「神器?」
急になんだ?と一瞬思ったものの、すぐにエリックの真意が読み取れた。
「……ああ、なるほど。聖武具には神器で対抗しようって腹だったのか。」
「ええ、恥ずかしながらその通りです。この話は旅の疲れを取られてからにしようと思っていましたが……。もちろん、先生が私の考えの及ばぬ程に尽力して集めた品々だとは承知しています。本来はベン様を担ぐ私が対抗策を考えるべきではありますが、恥を忍んで協力をお願いしたいと思っています。」
真摯な態度で話すエリックはつまり、勇者に対する力として俺が必要なんじゃなく、俺の持つ神器が目当てだったって訳だ。
勇者の脅威は聖武具だけに留まりはしないものの、こちらに神器が7つもあればそう簡単にやられはしない。
そりゃあ俺にいなくなられたら困るわな。……ていうか変な勘違いをしたせいで恥ずかしくなってきた。
『残念じゃったの、お主の力を必要としておるのではのうて。』
くそっ、また一つ爺さんに黒歴史を握られた!
「はぁ……。」
「先生、気分を害されたなら……。」
「いやいや、むしろ安心したよ。ちゃんと勇者との戦い方を考えてはいたんだな。」
「はい。もちろん勇者の力の根幹が聖武具のみであるとは思っていません。が、先生のご助力があれば必ず打ち勝てるかと。」
「そ、そうか、心強いよ。」
俺の勝手な思い込みにエリックが全く気付いていないことが余計心に突き刺さる。
「ともかく話は分かった。神器をいくつか貸すってことで手を打たないか?」
「それは!?よ、よろしいのですか?貴重な神器を貸していただくなど……。」
「くはは、まぁ良くはないけどな、本当は。」
又貸しになるし。
しっかし、提案するや否や身を乗り出して聞き返してくる程に食付くとは。
「感謝のしようもありません。」
「良いよ良いよ。そうと決まれば、何をお前に預けていくかここで決めてしまおうか。」
「よろしくお願いします!」
大袈裟なくらい気合の入った返事に苦笑しつつ、俺はサイに神器をこちらへ寄越すよう命令した。
どうやら俺の出発は許されそうだ。
「先生!準備できました!」
「お、ありがとうなクレス。ミヤさんもお疲れ様でした。」
ハイドン邸の門前に止まった巨大な荷馬車。その積み荷の確認をしていた親子に感謝を伝えると、ミヤさんは「いいえ。」と頭を振った。
「私は大したことはしていません。全部クレスが考えたことですから。ギルドの皆様も進んで協力してくださいましたし。」
「いえいえ、協力も何も私達はただ私達の仕事をしているだけです。輸送する荷物を信頼の置ける方々――それも領主様が自ら推薦された方々に護送して貰うことに誰が文句を言うでしょう。」
ミヤさんの言葉にそう応じたのは冒険者ギルドの制服を着た男。聞けばギルドのハイドン領支部の支部長らしい。
そして彼の言う通り、俺はまたもやギルドの荷物を護送するという体で旅をすることになったのである。
いくらハイドン領が危険視されているとは言え、まだ反逆の確かな証拠が出てきた訳でもないので交易を止められてはいない。通る領地によってはある程度の審査を受ける可能性はあるものの、積み荷を元々ハイドン領から各領地へ出荷されている野菜やら工芸品やらに絞って戦の色を無くしてしまえば何も怪しまれることなく、街から街をスムーズに移動することができる筈、とは発案者たるクレスの弁だ。
「ありがとうございます。このことは夫に会った時、必ず伝えておきますね。」
「はい。ギルドマスターのいち早い復帰を私どもハイドン支部の皆が待ち望んでいるともお伝えください。では私共はこれで。幸運をお祈り申し上げます。」
ミヤさんへ最後に一礼し、ギルド支部長は何やら楽しげに話しているクレスとエリックの元へ歩いていった。
「……無事、だと良いのですが。」
ポツリと溢れた言葉はミヤさんのもの。
その主語が夫のレゴラスであることには容易に考え至る。
「きっと無事ですよ。本人も言っていたじゃないですか、妻子を人質に取られて仕方なく協力したことにするって。」
テミスの審判を使われて嘘を封じられたくらいで、ギルドマスターにまでなった男が上手く言い逃れられない訳がない。
「そう、ですね。」
俺の言葉に頷きはするも、ミヤさんの顔はいっこうに晴れる様子がない。
まぁ当然と言えば当然か。
「えっと、クレスの様子を見て来ますね。」
取り敢えずミヤさんのことはそっとして置こう。今は一人にしてあげた方がいいだろう。
『気の利いた言葉が思い付かんかっただけじゃろ。』
仕方ないだろ!?
「先生!やはり朝の取引に何か変更すべき点がありましたか?」
と、俺が歩いてきたことに気付いたエリックは、少しホッとしたような表情でそんな質問を投げかけてきた。
朝の取引とはもちろん、神器の貸し出しについてだ。
「そのことについてはあれで良いって何度も言ってるだろ?」
対して心配無用と笑ってみせるも、エリックは神器を貸して貰うと分かったときと同じように顔を強張らせるのみ。
「し、しかし、2つも預からせていただくのは……。」
「相手の勇者は二人だ。釣り合いは取れてるだろ?むしろこっちが有利になるよう、3つ目を選んで渡しておきたいぐらいだよ。」
ちなみに残していくことになった神器はカラドボルグとミョルニル。その両方が聖武具に対抗できるぐらいの大量破壊兵器であり、同時に落雷や炎等々、森の中では少しばかり扱いにくい力を有していることが簡単な選考理由だ。
「それに、万一預けた物が必要になったらこいつで送ってくれるんだろ?何の問題もないさ。」
言いながら、ロングコートの胸元をトントンと叩いて見せる。
中にしまってあるのはこの屋敷に通じる転移の魔法陣。使いを寄越せばすぐさま俺の手元に神器を取り戻せる訳だ。もちろん、ハイドン領に危機が迫った時は俺の方からさらに神器を――何ならセットで俺自身もつけて――送ってやることもできる。
「ですが……。」
「だからこの話はこれで終わりだ。クレス、もう出発はできそうか?」
「え?あ、はい、いつでも行けます!」
「よっしゃ。」
一つ手を叩き、馬とはなるべく関わりたくないので、俺の定位置たる荷台の上へと飛び乗る。そのまま座りやすい場所を探して馬車の前の方へ移動すれば、下の方から呆れに満ち満ちた声がかけられた。
「あなた、相変わらず積み荷の上に座るのね……。」
ユイだ。
「そういうお前は相変わらず御者台なのな。」
「当たり前でしょう。なるべくたくさんのお馬さんと触れ合いたいもの。……譲らないわよ?」
そう言って、彼女は握った手綱を大事そうに胸に抱える。するとフェリルとシーラが笑いながらその隣に馬を並べた。
「アハハ、頼まれてもリーダーにだけは手綱を渡しちゃ駄目だよユイちゃん。」
「そうよ。彼、そのまま馬鹿力で皆を窒息させかねないんだから。」
「はい、分かっています。」
おいこら、"分かっています"じゃねぇよ。……あいつら後でしばいてやる。
「え?コテツってそんなことしたの?」
「あれ?ネルちゃんは知らないのかい?リーダーは馬に乗るのが本っ当に下手くそでね、乗馬する度に全力で馬にしがみつくんだ。それで馬にはとことん嫌われるから、いつもあんな場所に座ってるんだよ。」
「うわぁ……。」
「不可抗力だ!」
「「「そんな訳ない!」」」
フェリルの言い草やネルの苦笑いに我慢ならず、ついつい大声でした反論は、馬好き共にあっさり一蹴された。
何はともあれ、エルフの故郷――ティタ樹林へ向かうことになったのはこの計7名。ミヤさん親子にフェリルとシーラ、そしてユイ、ネル、俺の人間三人だ。他にも付いて来たいという者はいたにはいたものの、戦力的、そして故郷への思い的な観点、そしてあまり目立つような大人数は避けたいという観点からこのメンバーに落ち着いた。
あと一人、ニーナの参加を期待してはいたけれども、姿を見せるどころか“少し待っていて”という連絡一つ寄越さないことからして、親の仇と旅なぞしたくないという思いが親の最後の願いを叶えたいという思いに勝ったよう。
「もう、待つだけ無駄、か。……よし!余計なこと言ってないで出発するぞ!ミヤさんも良いですか?」
「はい、向かいましょう!」
「よーし!「待て!」……え?」
ミヤさんも物思いから復活したようなので、いざ出発進行と言おうとしたとき、静止の声が入った。一瞬ニーナのものかと思ったものの、俺の乗る馬車の前に走って来たのは、
「セラ?」
何故か兜まで被って完全武装したベンの護衛騎士だった。
「頼む、待ってくれ。」
「セラさん?どうかしましたか?」
「私の勝手であることは承知した上で、頼みたい。ここを去る前に一度、コテツ、お前との手合わせを願いたい。」
困惑するユイを無視し、セラが剣の切っ先を俺に向ける。その立ち姿、そして鋭い視線はここ最近の静かな彼女からまるで元の厳し過ぎる副団長に戻ったかのようだった。
どうやら俺の預かり知らない、のっぴきならない事情がありそうだ。
急ぐ旅でもなし。クレスとかも出発前に荷物の再点検をしたいだろう。そしてそれより何より、ニーナがやって来ることをやはり心のどこかで期待する俺がいる。
「良いぞ。その様子だと、魔法陣とかの用意はもうしてあるんだろ?」
ひょいと荷台から飛び降りる。
「感謝する。こっちだ。」
「それで?なんで手合わせなんてしたいんだ?」
青い芝生以外何もない空間へと進んでいくセラのあとを追いながら聞くと、ずっと無言だった彼女の拳に力が入ったのが分かった。
「私はベンの護衛騎士だ。命を賭してベンを守ることが、私の役割だ。……そしてそれは、前にも言ったと思うが、ベンが私に与えてくださった崇高な使命でもある。」
篭手が軋む。
「私の家――ガート家は、貴族の地位にはあるとは言え、所謂中級貴族だ。そのような家系の者が一国の王子の護衛騎士となるなど――何らかの卓越した才を身に付けているならばいざ知らず――本来まずあり得ない。」
「えっと……、自慢か?」
「違う!」
自分は才能に溢れてたってことなのかと思いきや、セラは吐き捨てるようにそれを強く否定した。
「……私には他より抜きん出た才など何一つなかった。剣の腕も魔法の扱いも、そして女としての魅力でさえも、騎士学校に通っていた他の者には数段劣っていた。勇者のスキルを受け継ぐ者も騎士学校に幾らかいたが、ガート家はそもそもそれを受け継ぐ程の家柄ではない。」
「お前の力量でも劣ってたのか?」
「嫌味か貴様。」
「いやいや本心だって。」
振り向いてこちらを睨んできたセラにふるふると首を降って見せる。
正直言って彼女は十分強いと思う。あと、かなりの美人だとも。……性格がちょっとばかりキツイだけで。
そう話している内に、芝生の文字通り上――要は微かに浮かぶように――描かれた赤色の魔法陣が見えてきた。
大きさはファーレンのコロシアムと同じぐらい。
見れば、ラヴァルとケイが魔法陣のすぐ外に立っている。
「……確かに、騎士学校時代よりかは多少の力は付いただろう。だがそれは才のない私が護衛騎士という肩書きに、いや、ベンに見合う存在となるべく研鑽してきた成果だ。私が騎士としての誇りを守る理由も、ひとえに私を選んだベンに恥ずかしい思いをさせぬためだ。」
「……惚気かよ。」
「だと言うのに、私の家は愚かにも受けた恩を忘れ、女王の側についた。そのような家の者が騎士の誇りを語ったところで虚しいだけだ。」
思わず溢した呟きは幸い、魔法陣の領域内に足を踏み入れたセラには聞き取られなかったらしい。
「せめて私自身の力がベンの役に立てればとも思ったが……、お前と勇者アイの立ち合いを見て思い知らされた。今の私の力では勇者になど到底敵わない。あの時お前達の戦いに手を出せば、私は瞬く間に命を失っていた。だから……」
「だから?」
目の前の騎士に続いて赤い幾何学模様に縁取られた闘技場に踏み入りながら先を促す。
「……お前の全力を以って私を捻じ伏せろ!」
対し、セラはそう答えるなり左腕を勢い良く後ろ――俺へと振った。
ほぼ反射的に左足を引き、振られた左腕の延長線上から身を逸らす。すると、目の前を細い金属質の物が風切り音と共に通過したのが分かった。
針!?




