ハイドン領へ
駆け付けた援軍に対し、勇者という切り札を失ったアイワース兵に為す術はなかった。
何とか持ち堪えていた士気はあっという間に下がり切り、次第に領境へと追いやられた彼らは最後には己の武器を投げ捨て、尻尾を巻いて森の中へと逃げ出した。
しかしヘレンとベンの差配によりアイワースへの追撃はされず、代わりに負傷者の手当てが迅速に行われた。
そしてその三日後の夜に当たる今現在、領主館周辺の広大な草原で戦勝祝いが催されている。
おかげで所狭しと停められたキャラバンの馬車のあちらこちらから陽気な笑い声からベロベロに酔った奴らによるだみ声大合唱まで、実に楽しげな音が上がっている……というのに、
「どうして俺は待機なんだよ。」
何故か俺は領主館の、初めてここに来た時に最初に案内された部屋でで待っているようベンとヘレンの両名に言われ、眼下の祭りを指をくわえて見ることしかできないでいた。
「まぁそう嘆くな、ここからの眺めも悪くはないだろう?」
「そもそもあなたと一緒に飲もうなんて人はいないと思うのだけれど。」
「はは、まぁ……そうだな。」
と、そんな俺にわざわざ付き合って同じ部屋で宴を見守ってくれているラヴァルとユイにそう言われ、俺はそれぞれの優しさと率直さについ苦笑を漏らした。
アイワース軍が退却した後、ハルバード・ヘルムント連合軍は追撃をしなかったのではない。戦意の矛先が別のもの――俺と俺の従えるアンデッド軍――へ向いてしまい、それどころではなかったのである。俺がアンデッドを全て回収し、ベン達が号令をかけてくれたおかげでなんとか事なきを得たというのが実際のところだ。
「まったく。だから言ったのよ、あんなところで使ったら駄目って。そうしたら今もあそこでいくらでも楽しめたでしょうに。」
「あの状況じゃ仕方なかっただろ?ラヴァルはお前の治療の時間稼ぎで消耗してたし、お前はお前で病み上がりだったんだから。」
でっかい焚火の周りで好き勝手に踊っている一団を指さしたユイに、肩をすくめて返す。
あのとき、もしも援軍が来ることを事前に知っていたなら、俺だって一矢報いようとなんかせずにひたすら逃げに徹していた。
「それは、そうかもしれないけれど……。」
「あとな、文句なら俺だって言いたいぞ?」
「え?」
ユイを軽く睨んで言うも、返ってきたのはキョトンとした表情。
俺が何を言いたいのか全く分かっていないらしい。
「はぁ……、あのな、お前はあと一歩で死ぬところだったんだぞ?どうしてアイ共々転移するなんてアホな真似をしようとしたんだ。」
「だ、だって……それしか思いつかなかったのよ。」
「フッ、あまり攻めてやるなコテツ。彼女はあの場でできる精一杯のことを為したまでだ。こうして勝利の宴を挙げられているのは彼女のおかげに違いあるまい?」
ため息をつかれたユイが少しバツの悪そうにしたのを、ラヴァルが軽く笑いながら庇う。
実際、彼の言葉に間違いはない。アイの動きを一瞬でも封じ込めるなんてのは至難の業だ。ユイの頑張りがなければ戦いはさらに長引いていただろうし、例えそれで勝てたとしても、被害は今より遥かに大きかっただろう。
「……分かってるよ。ただ、頼むから、二度とあんなことはしないでくれ。」
「ええ。……ふふ、あなたに命を大切にするように言われる日が来るとは思わなかったわ。」
「ああ、それもそうだな。「……アイに対しても、そう思っているのかしら?」ん?そりゃどういう……。」
呟きの真意を問おうとしたところで、バン!と部屋の扉が勢いよく開かれた。
「よう!久しぶりだなコテツ!聞いたぜ、結構ぎりぎりだったんだってなぁ?がはは、俺たちが間に合って良かったってもんだ。違うか?」
言いながらラヴァルとユイにも片手を上げて挨拶し、賑やかに部屋に入ってきたのはキャラバン“ハルバード”の副団長の片割れ、キース。そのまま部屋の中央に置かれたソファの腕に腰かけると、彼は服のどこからか取り出した酒瓶を俺へ突き出してきた。
ユイの言葉は気になるものの、せっかくのお誘いをわざわざ断る理由にはならない。
「はは、感謝ならいくらでもしてやるよ。ああそうだ忘れるところだった。ようこそ、反乱軍へ。」
受け取った酒瓶片手に仰々しくお辞儀して見せると、キースは鼻を鳴らして白い歯を見せた。
「ハッ!望むところだ。団長に兄殺しなんて濡れ衣着せた奴らには幾つか言いてぇ事があるしよ。」
「くはは、そりゃ同感だ。」
「うん、ありがとう。すごく、心強いよ。」
と、穏やかに笑いながら、セラとソフィアを後ろに引き連れたベンがキースの開け放った扉から現れた。
そう、セラとソフィアが一緒に来たのだ。俺に戦勝祝い見学が言い渡されたとき、ソフィアはセラに話があるとか言っていたけれども、もしかしてようやく仲良くなってくれたのだろうか?
『それはないの。』
ま、だよな。今だって、ニコニコ笑顔のソフィアとは対照的にセラの顔はうんと暗い。
「あー、良いのか?下の奴らと祝ってなくて。」
「あはは……、ごめんね。コテツ君達が、今回の一番の功労者なのに、ここで待機するようになんて言って。」
不穏な二人の様子からベンへと目を移しながら問いかけると、それに嫌味の気を敏感に感じたらしいベンは苦笑してそう謝った。
「別に怒ってはないさ。俺があの宴に参加したら、なんというか、微妙な空気になるのは間違いない。……だからヘレンさんも護衛と一緒でいいから、入って来てくれ。これからの話があるんだろ?」
「……悪いね。言っておくけど、私は護衛なんていらないって言ったんだよ?」
壁の後ろから感じるヘレンの気配へ声をかけると、申し訳なさそうな表情を浮かべた彼女は、完全武装した騎士二人を連れて部屋に入ってきた。
もちろん、その騎士達の警戒の目は俺を捉えて離さない。
仕方がないか、と軽く肩をすくめてみせれば、それだけで腰の剣に手を掛ける有り様だ。
ちょっと面白くなってきたので素早く手を挙げて彼らに身構えさせ、そのまま頭を掻いて見せるなんてフェイントをしてみると、
「ぐおぅ!?」
ふくらはぎを刀の鞘でど突かれた。
「まったくあなたって人は……。それでベンさん、いつ出発するんですか?」
悶える俺の姿を見て嘆息し、ベンに話の続きを促すユイ。
「明日の、朝、かな。ヘルムントでは、少し時間を掛け過ぎたから、急がないと。」
「そうだね、あんたらはどうせ行く先々で厄介事に首を突っ込むんだから、なおさら無駄にできる時間はないよ。……アハハ、なんだいその顔は?どこか間違ってたかい?あんたらにとって盗賊討伐なんてのは二の次三の次のことだろうに、あんたらは力を貸してくれた。もちろん感謝はしてるよ?でもちょいとお人好しが過ぎるよ。」
そう言ってベンの横に並びつつ、ヘレンがカラカラと笑う。
「それは、ただ、ギルドマスターの恩に、報いるために……。」
「かもね。でも理由はどうあれ、あんたのそのお人好しなところは好きだよ、ベン。」
そしてそのままベンの腕を取ったかと思うと、ヘレンはそれを引っ張って上背のあるベンを自分の方へ傾かせ、彼の唇を奪った。
瞬間、世界がピタリと硬直した。
少なくとも俺はそう錯覚した。
俺やユイはもちろん、ヘレンの護衛まで目を真ん丸に見開いていて、当事者のベンに至ってはその巨体が完全に強張っている。その一方、ラヴァルは片眉を上げただけに留まり、ソフィアは――職業によるものか――完璧に平静を装っていたけれども、それより気になったのはセラの反応だ。
何せ一応は婚約者である彼女は、その場で俯いて無言のまま。いつもみたいに怒りで噴火するどころか抗議しようという意思すら見受けられない。
「……えっ、と?」
「なんだいそのぼーっとした間抜け面は?私だって恥ずかしいんだよ?くく、最初に会ったときはぼんやりした野郎だと思ってたのにねぇ。」
と、状況をまだ咀嚼し切れず、ぎこちない口調でベンが沈黙を破ると、顔を少し赤らめたヘレンはそう言って掴んでいた腕を強めにベンへ投げ返し、パンと一度手を叩いた。
「さ、全員、今から私についてきな。一つ驚かせてやる。」
そうして呆気に取られている俺たちを残し、ヘレンはさっさと部屋を退出した。
一拍遅れて護衛の棋士達が慌てたように彼女を追っていき、彼らが閉めた扉の音を最後に静寂が辺りを包む。
「へ、へへへ、さっすが団長、隅に置けませんな。なぁコテツ?それじゃ。」
その静寂を破るだけ破ったキースはあろうことか俺に話を振り、俺が何か言える前にさっさと逃走。
「あー、その、なんだ……手が早いな?」
「ち、違うよ。僕だって、何が、何だか……。」
慌てて掛ける言葉を少し悩んだ後、取り合えずベンをそう茶化してやれば、ベンは慌てたように首を振り、己の無実をセラに目で訴えた。
「……。」
しかしその彼女はこの部屋に入ってきた時と変わらず、俯いたまま微動だにしない。
「呼んでるです、よ!」
「っ!は、はい、何か?」
それを見兼ねた隣のソフィアに肘で小突かれてやっとセラは驚いたように顔を上げ、ベンの視線が自分に向けられていることに今更気づくやピシッとその場で背筋を伸ばした。
「セラ?何か、あったの?」
「いえ、問題ありません。」
“嘘つけ。大ありだろ。”とはおそらく今この場にいる全員が思ったことだろう。
毅然、というにはかなり気迫の足りない態度で真っすぐ立つセラに勘ぐるような視線が集中するものの、当の本人にその心の内を明かすつもりは一切ないよう。ソフィアは何か知っているようではあるものの、同じくだんまりのまま。
「問題ないのであれば、我々からいうことはあるまい。せっかくヘレンが驚かせてくれるというのだ。あまり待たせる訳には行かぬだろう?」
そう言ってラヴァルが立ち上がり、部屋をあとにすると、残された俺達も微妙な空気のまま彼のあとを追った。
……にしても、あれだけのことをやらかしておいて、ヘレンはこれ以上どう驚けっていうのかね?
「あ、皆さん!お疲れ様です。」
領主館の外に出ると、ヘレンやエルムと何やら話していたクレスがいち早くこちらに気づき、手を振って俺達を迎えてくれた。
彼の背後のロータリーでは大きめの真新しい馬車が、それぞれに俺たちが乗ってきたのに負けないくらい大きい荷台を繋がれた状態で二台並んでおり、ミヤさんはその馬達のお世話中。荷台に積まれた何かは布の覆いに隠されて見えないものの、その何かがかなり大きいか量が多いということは、覆いに表れた形で見て取れる。
「これ、は?」
「ハイドン領に送り届けてもらいたい武器と食料だ。まぁ武器とは言っても、全部が魔法使い用の杖だけどね。頼めるかい?」
「……ああ、そういう、ことか。うん、分かった。任せて。」
その光景に最初は混乱した様子だったベンは、歩いてきたヘレンの言葉ですぐに状況を理解し、自身の胸を叩いて頷いた。
まぁ、この時期にこの場所で、こんな大量の魔法使い用の杖が揃う理由は一つしか思い至らない。
「はぁ……、なるほどね。魔法隊なんてのはただの方便だった、と。」
要はつまり、あのあまりにも急かつ大量のギガトレントの発注は元を辿ればハイドン領からのものであった訳だ。
「騙したみたいで悪いとは思っているよ。ただ、どこから情報が漏れるか分からなくてね。あんたにその気はなくとも、ポロっと漏らしちまうなんてことは十分にあるだろ?」
と、俺のため息交じりの呟きを聞き取ったヘレンがこちらに片眉を上げて見せたので、「それもそうだな。」と肩をすくめて返した。
すると、何やら考え込んでいたラヴァルが顔を上げた。
「ヘレン、これらはスレインとの戦において重要な物資だろう。我々に任せてしまって良いのか?万が一にもハイドン領に届かぬという事態は避けねばならぬというのに……。キャラバンが加わったとはいえ、我々が女王の勢力に真っ先に狙われる標的だということを分からぬお前ではあるまい。」
「ええ、先生のご心配は最もです。しかし、先生方がやられてしまえば王家という後ろ盾を無くすだけでなく、単純な戦力でも私たちに勝ちの目があるとは思えません。軍備と先生方、どちらも失う訳にいかない場合、これらを二つに分ける必要はないでしょう?」
「ふむ、浅慮は私の方だったか。」
そう言って引き下がろうとしたラヴァルに、ヘレンは「そもそも」と言葉を続けた。
「先生方への追手は私達ヘルムントが食い止めます。先生方は安心してハイドン領へ向かってください。……そしてベン様、いや、ベン、で良いかい?」
「う、うん。」
親しく呼ばれて顔を少し赤くしたベンをヘレンは面白がるように笑い、
「さっきの返事は、このごたごたが終わった後まで取っておくよ。だから、それまで死ぬんじゃないよ。」
そう言ってトン、とベンの胸に拳を当てた。
「いいや、それは、違うよ。」
が、対するベンは首を横に振って返答とし、
「勝つまで、だよ。」
彼が続けたその言葉は、ヘレンに目を見開かせ、彼女の笑みを少し深めさせた。
「ああ、そうだったね。……くくく、その目だよ。」
「え?」
「普段のあんたのほほんとした目からは考えられない、傭兵共を率いていたときにあんたのしてたその決意が漲る目に私は惚れたんだ。あのキャラバンの連中もきっとそうさ。だからこそ彼らはあんなにあんたを慕ってる。」
「そう、かな?」
「間違いないね。だから、失望させるんじゃないよ?」
「うん、分かった。ヘレンも、元気で、ね。」
翌朝、俺達はハイドン領へ向けて再び出発した。




