新たな力⑤
草薙の剣が赤く染まった地面に突き刺さる。
「アハハ!槍が無かったら私に勝てるって思ったの?ねえ!?」
「ぐ……カハッ!」
笑い、アイがそう尋ねながらユイを貫いた腕をさらに押し込むと、ユイは歯を食いしばったまま苦しそうに呻き、血の塊を吐いた。
しかしそれでもユイの手は、ほとんど曲げてもいないのに自身の腹部に触れている相手の前腕を掴んだ。
「づが……まえ、た。先、生ッ!」
その手、さらには血を踏みしめる足が蒼白い光を帯びる。
二人の足元、ユイから流れ出た血が赤い池を作っている筈のそこでは、池の代わりに円形の幾何学模様が既に出来上がっている。
そして二人から少し離れた位置で、ラヴァルは片膝をつき、血で構成された魔法陣に両手で触れていた。
アイを、致命傷を負ったユイごと転移させようとしているのだ。
「なっ、転移陣!?クソッ!ざっけんな!」
遅れてそれに気付いたアイが慌ててユイから腕を抜こうとするも、オーバーパワーを発動しているユイに掴まれているせいでそれは叶わない。
「離せ、この!あぁもうっ……面倒臭い!」
ならば術者を殺そうとアイはラヴァルへ右手の平を突き出し、一撃で相手を屠るためか、そこに膨大な量の黄色の魔素を集め始める。
一方でラヴァルは魔法陣を起動すればユイを殺すことになると理解できていない訳がなく、転移陣の起動にまだ逡巡してしまっていた。
「先、生!早……く!」
催促するユイ。
「……ユイ、すまな「待て、ラヴァル!」」
そうしてラヴァルが決断を下してしまう直前、アイの背中へ全力疾走していた俺はそう叫び、アイの手に集まりかけた大量の魔素に無色弾を撃ち込んだ。
魔素が散り散りになり、明滅して消える。
「その手は見飽きてんの!」
しかし次の瞬間、黄色の粒子は再び凝集し、かと思うと雷を帯びた掌がこちらを向いた。
精霊によるものか、勇者由来の強大な魔力によるものか、アイは魔素を散らされた端から集め直したのだ。
盾は間に合わない。魔装1を使っているとはいえ、短過ぎる時間はアイを間合いに入れるには僅かに足りない。
稲妻が駆け、俺を貫く。
「ガァァッ!」
息が止まり、身体が一瞬強張る。ただ、鎧だけは魔力で無理矢理動かせる。
だから呼吸が戻らないのはそのまま、俺は左足を大きく踏み込み、
「嘘っ!?」
「悪いな!」
振り子のように振り上げた陰龍でアイの左肘から先を切り飛ばした。
「ああああァァァァァ!?テメェッ!」
しかし上がったのは激痛への悲鳴ではなく、俺への怒号。
こいつの痛覚は一体どうなってるのか、こうなると非常に気になってくる。
軽く戦慄しつつもすぐにワイヤーで自身とユイを背後へ引っ張って、俺はラヴァルへ声を張り上げた。
「やれ!」
「ああ、感謝する!」
血液で構成された魔法陣が強く輝く。
「待て……!」
下から赤い光に照らされる中、左腕の断面をこちらへ向け、そこから既に前腕を再生させ始めて文字通り“手を伸ばす”アイ。
しかしその手は結局何も掴まないまま、その主と共に消え去った。
よし、これで……
「そんな、勇者様が!」
「狼狽えるな!勇者様は倒されてなどいない。転移させられただけだ!」
「見ろ!勇者様のご尽力により敵は弱り切っているぞ!今こそ攻めどきだ!進めぇッ!」
「「「オオオオオオ!」」」
……ホッと一安心といきたいところ、そうも言っていられないらしい。
ここは戦場の真っ只中であることに変わりはなく、アイの背後にいた、聖槍の攻撃に見舞われなかった敵軍は大将を失っていながらどうも元気いっぱいなよう。
「ゴホッゴホッ!はぁ、はぁ……。」
さらには今現在、心強い味方の一人が生死の境にいる。
泣きっ面に蜂……とは少し違うか。
「くそっ、ユイ!大丈夫か!?」
「これが、げほっ、大丈夫に……見えるのかしら?」
未だ痺れる身体を叱咤して立ち上がり、横倒しになったユイの隣に片膝つけてその頭を支えてやると、アイの腕を引き抜こうとする気力もなく、ただ血混じりの咳を繰り返す彼女はそれでもうっすらと笑みを浮かべた。
その間もどくどくと流れ出る血の量は、彼女が生死の瀬戸際にいることをこれ以上なくはっきりと表していた。
「くはは、そんな皮肉が言えるんなら大丈夫そうだな。さっさとラヴァルに治して……「待っ、て。」ん?」
それでも内心の焦りは抑えて無理矢理笑って見せつつ、ラヴァルを呼ぼうとするも、ユイは俺の胸元を掴んで首を横に振った。
「敵が、来てるわ。」
「そんなことは見りゃ分かる。さっさと治すもん治して下がるぞ。」
わざわざ言われなくとも、地面が揺れる程大勢の敵がこちらに近付いてきていることは嫌でも目に入る。
「すぐに終わる筈、無いでしょう。私を治している時間なんて……。」
「ユイの言葉通りだ。加えてこの傷は深いどころの話ではない。この場で治療は行えん。そもそも完治させ得るかどうか……。」
と、話が聞こえたらしく、俺の横に屈み込んだラヴァルはユイの容態をざっと観察するなりそう言って難しい表情を浮かべた。
「おい、まさか見捨てるとか言うんじゃないだろうな?」
「無論、努力はする。が、厳しいな。加えて下手に動かせば余計彼女の身体をさらに傷付けることになる。」
「なら、私を置いて……!」
「少し黙ってろユイ。なぁラヴァル、一旦転移でお前ら二人を逃がしてやるってのはどうだ。」
「いいや、施術はお前が施さねばならん。魔法陣は私が用意しよう。」
俺の提案を首を横に振って却下し、ラヴァルが手元に血液を集め、複雑な円形模様を形作っていく。
「は?どうして……。」
「簡単だ。この魔法陣の起動には必要な魔素が桁外れに多い。私では起動に時間がかかり過ぎる。」
「そうか、分かっ……ん?」
俺が、魔法陣で、治す?
「……そう、か。」
良い方法を思い付いた。
ていうか今までどうしてこれを思い付かなかったのだろうか。……やっぱり俺は人を傷付けることにしか能が無いのかもしれん。
「案ずるな、敵軍は私が引き受ける。さぁ受け取れ。「いや、必要ない。」なに?」
黙ったままの俺が気になったたか、そう言って俺赤い魔法陣を差し出してきたラヴァルに対し、俺は首を横に振り、代わりに身に纏った鎧を消し、中に着ていたシャツの左肩部分を引き裂いた。
顕になる左肩の魔法陣。
「アリシアが付いてる。」
「フッ、それは心強いな。」
それだけで全てを理解してくれたラヴァルは魔法陣を剣の形に変えて立ち上がり、右足が義足だとは思わせないしっかりとした歩みで向かってくる敵兵を迎えに行った。
「さて、と。」
右手を肩に刻まれた魔法陣に当て、それに沿って黒い幾何学模様を作り上げていく。
爺さんからの口頭の指示だけで散々魔法陣を作ってきたおかげもあってこういう魔素の操作は既に手慣れたもの。加えてこの魔法陣には何度も魔素を通して来た上、手元に手本まで存在している。
全力で使えばヴリトラのブスの破壊力を上回る程の回復力を発揮するアリシアの魔法陣はほぼ一瞬でで完成させられた。
「ユイ、かなり痛いぞ。」
「ええ、分かってるわ。……その、また縄をお願いできるかしら?」
改めてユイに目を戻して忠告し、彼女が激痛で暴れないよう、その頭を左手で俺の胸に押し付けさせると、彼女は小さく頷いて俺の両方の二の腕を強く握った。
「はは、そんなこともあったな。……行くぞ!」
初めてリヴァイアサンに遭遇したときよろしく黒魔法で太い縄を作り上げてユイに噛ませ、魔法陣を指に引っ掛けた右手でアイの腕を掴み、それをユイの腹から下へ一気に引き抜く。
「―――――――――ッ!」
胸元から声にならない悲鳴が上がる。同時に俺の腕がユイに凄まじい力で絞られる。アイの手を右手は生暖かいものに塗れ、しかしそんなことに動揺している暇はない。
すぐに魔法陣を下からユイに押し付け、ありったけの魔力を用いてそれを起動。
効果は劇的だった。
魔法陣を起動した瞬間、無数の小さな魔法陣がユイの体表面を覆い、それらが一斉に輝いたかと思うと、ユイの背中からも見えていた大穴はみるみる塞がっていき、これまでの戦闘でつけられたのであろうその他大小の傷なども瞬時に癒えてしまったのだ。
……ありがとう、アリシア。
「もう、お、終わった?」
魔法陣に魔素を流すのを止めると、尚も俺の腕を握り潰そうとしているユイが俺に頭突きした姿勢のまま不安そうに聞いてきた。
どうも覚悟を決め過ぎてずっと目を瞑っていたらしい。
「ああ、終わったよ。」
頷き、彼女の頭をゆっくりと俺から離してやる。
「どうだ?何か異常はないか?」
「えっと……大、丈夫そう、ね。」
ユイの顔を覗き込むようにして尋ねると、彼女は恐る恐る自分の腹に触れ、ホッと安堵の息を洩らした。
一応俺からも見てみるに、傷跡等は全くない。
変な凹凸もなく、滑らかで綺麗なもんだ。再生した円形部分の周囲が血塗れなのは少し異様だけれども、まぁ問題は無いだろう。
「あ、あまりジロジロ見ないでくれるかしら。」
ヘソ出しの恰好が恥ずかしいのか、両手で腹部を隠すユイ。本人も体調に違和感などは感じていないよう。
「はは……良かった。」
そこまで確認して、込めているとは気付かなかった身体の力が一気に抜け、俺は思わず笑みを漏らした。
「ちょっと、どうしてあなたまでそんなに嬉しそうなのよ。」
「嬉しいからだよ。」
今度は助けられたんだから。
「そ、そう。……その、いつも気になっていたのだけれど、元の世界で私、ううん、アイとカイトも含めて、あなたと知り合いだったかしら?」
少し、心臓が跳ねた。
「いや別に?なんだ、新手のナンパか?」
「違っ!って、話を変に逸らさないで。でも今ので分かったわ。あなた、やっぱり何か隠して……」
「コテツ!まだ掛かるか!?」
と、ユイの追及を遮ってくれたのは、敵軍の前に立ちはだかって空中に無数の魔法陣を展開し、それらから雷撃に火炎、さらには冷凍光線なんてものまでばら撒いているラヴァル。
これまで一人も漏らすことなく食い止めてくれていた彼の働きは流石としか言いようがないものの、やはり多勢に無勢で徐々に押されており、今は既に数人と剣で直接斬り結んでいた。
あれで片足何だからただただ驚嘆する他ない。
「ユイは無事だ!助かった!」
ユイを支えながら立ち上がって叫び、ついでに草薙の剣を回収。今さっきユイからされた質問は無かったことにした。
「そうか!」
俺の声を聞くや後ろに大きく跳んで敵兵から距離を取るラヴァル。これ幸いと敵兵が彼を追おうとするも、彼の元いた地面から噴き出した太い火の柱がそれを阻んだ。
そうして敵が二の足を踏んでいる間に身を翻してこちらへ走ってきたラヴァルは、ユイを見るなりその眼差しを優しいものとし、微かな笑みを浮かべた。
「フッ、では逃げるとしよう。」
「了解、落ちるなよユイ!」
「え?ちょっ!?」
彼の言葉に頷き、ユイを右肩に抱えてベンの方へと駆け出す。
しかし、見ればベンの周囲は混戦状態。アイの無差別攻撃から逃れるために障壁の下に隠れるまでは大人しくしていた敵兵は、攻撃が止むなり恩を仇で返してきたらしい。
一応ベンの周囲のみを見れば数的有利はヘルムント側にある。が、生憎敵が奮闘してくれているおかげでその鎮圧には時間が掛かっており、もしもそこに俺達を追ってきている敵兵が加われば、数的有利はあっさりひっくり返る。
だからと言って逃げるのをやめて立ち止まる訳にはいかない。いくら実力があるとしても、三人が三人疲弊した状態で元気溌剌な敵増援を相手することなんざ無理な話にも程がある。そもそも勝ち目がないからこそ、こうして逃げているのだ。
兎にも角にも、問題は数、か。
「……ごめんな、ユイ。」
「え?」
小さく謝り、右手の指輪を口元に近付ける。
「サイ、兵を今すぐどれだけ出せる?」
[それは……先の戦でアンデッドの殆どが倒され、戦場でまたは単なる死体を装ったまま回収されておらず……「それで数は?」……50にも届かぬかと。]
……厳しいな。
パッと見ただけでも向かってくる敵兵の数ほ100は優に超えている。増員を見込めるとしても、それで勝てるかもしれないってのは流石に希望的観測が過ぎる。
指輪を擦りながら頭を回すも、良い案は出てきそうにない。
「背に腹は替えられないか!サイ、その数で良い!寄越せ!」
腹を決めて立ち止まり、そう命令しながら右拳を迫るアイワース兵へと向ける。
「コテツ?」
俺の隣で足を止め、訝しげな表情を浮かべたラヴァルは、俺の指輪から溢れ出した死体の群れにその目を見張った。
説明する時間も惜しく、代わりにユイを彼へ投げ渡す。
「先に行け!俺が食い止める!」
「く、まさか一人で戦うつもりか!?」
いきなり人一人を受け止めさせられてよろめきながらもラヴァルがした質問に、俺は軽く笑みを浮かべ、肩をすくめて見せた。
「さっきまでお前がやってくれてことだろ?それに戦況だって、スレイン軍を相手にした時よりかは幾分マシだ。」
まぁ、どこからどう見ても劣勢なことも、味方の数が敵と比べて遥かに少ないことも、あの時とほとんど変わらないけどな。
「待って!こんなところで、指輪を使ったら……!」
「ああ、味方が混乱するかもしれないな。ただ、そいつはベン達が体勢を整えて、俺に合流したらの話だろ?それまで戦線を保たせたら、こいつらには死体らしく地面に寝そべってもらうさ。」
息を切らせながらのユイの制止に対し、振り向かないまま双剣を両手に握り直す。
「ほら、さっさと行け!」
そして屍兵を率いていざアイワース兵と一戦交えようとしたとき、背後から身を揺さぶるような低音が戦場に響き渡った。
振り向けば、小高い丘の上に、騎乗したヘレンの姿が見えた。
その横で馬に乗った鎧の男が手にした角笛を腰に戻したかと思うと、それに勝るとも劣らない音量の声を張り上げた。
「我らはヘルムント騎士団である!アイワースの兵よ、今すぐヘルムントから退け!さもなくばこれを侵略と見なし、相応の措置を取らせてもらう!…………退かないな?よーし!総員、突撃だァッ!」
明らかに形だけの勧告を発した後、ヘレンと鎧の男が丘を駆け下りると、男と揃いの鎧を着た、丘を埋め尽くす程の騎兵が彼らに続いてベン達の助けに入った。
……あの様子ならベン達は大丈夫そうだな。
「ブリザード!」
あとは俺が頑張るだけかと思った瞬間、凛とした声が右から聞こえ、直後、俺の鼻先を凍てつくような風が吹き、目の前まで迫っていた敵兵を全て氷漬けにしていた。
声の主を間違えよう筈がない。
「ミヤさん!?」
「遅れて申し訳ありません!」
「先生!援軍を連れてきました――」
援軍?
見れば、ミヤさんはクレスと共に武装した何人もの集団を率いて馬を駆けさせており、クレスは大きく手を振りながら後続の正体を明かしてくれた。
「――キャラバン、ハルバードの皆さんです!」
……助、かった。




