意義
「他種族と、仲良く?」
唐突過ぎる問いに面食らい、オウム返しに聞き返す。
「ああ、そうだ。」
「つまり……違う種族で仲良くなりたい奴がいるのか?」
「違う。異種族全般の話だ。」
「なる、ほど……?」
訳分からん。
そんな心の内が顔に出ていたか、セラは俺から目を外して手元のジョッキに戻し、空のそれに一度小さく息を吹きかけて改めて話し出した。
「私はな、騎士学校で他種族は皆敵だと教わった。彼らを討ち滅ぼすことでのみ人間の繁栄は約束され、そうでなければ逆に滅ぼされて終わると。ファーレンの掲げる、いや、掲げていた、共存の道などはただのまやかしであり、いざその道を歩めば、獣人程の筋力もなく、大抵の魔族程の魔力もない人間は真っ先にその地位を落とすとも教えられた。」
「人の尺度はそれだけじゃないと思うけどな。」
別に戦闘民族とかじゃないんだから。
「いいや、明白な尺度があるからこそ差別は起こる。もちろん、評価を改めさせるだけの力を持つ、お前のような者も稀にいるだろうが、一々力を示さねばならないことに変わりはないだろう?」
「まぁ確かに。」
ルナの実家で、人間だからというだけの理由で売り飛ばされかけたことが思い出される。
逐一挽回することが強いられるというのはそれはそれで辛い物がある。
「しかしベンはその道を進もうとしている。……私は、一生彼に添い続ける者として、その考えを理解したい。そして理想の実現に協力したい。しかし……。」
「あり得ないって思ってる訳だ。」
言葉を継ぐと、セラは小さく頷いた。
“きっと分かってくれる。”
ふと、カイトに問われたときベンがした返答が脳裏に浮かんだ。
あの場にいたセラもセラなりにそれに応えようとしていたらしい。
「私はこれまで、護衛騎士としてベンに忠を尽くせさえすればそれで良いと思ってきた。……急に冒険者をやると言い出したときは、驚きはしたが、それでも付いて行くことに躊躇いはなかった。だが、今回は……っ。」
そこまで言って一度歯を食いしばり、セラは再び息を吐いて体から力を抜いた。
「これはベンにも言っていないが、私の父は、魔族に殺されたのだ。……それでも遺恨を忘れて奴らに媚びるべきだと、お前は思うか?」
苦しそうに言葉を紡ぐ彼女に応えるべく真面目に聞いていたのに、最後最後で椅子からズッコけかけた。
「まずは媚びるのと仲良くするのとは意味合いが全く違うことを認識しようか。」
話はそれからだろうに。
ったく、居丈高になるか下手にでるかしかできないのかこいつは。行動の選択肢がお父さんスイッチより少ないぞ。
「あ、ああ、そう、か。そうだな、分かった。」
そこを突っ込まれると思ってなかったのか、ぎこちなく頷くセラ。
果たして本当に分かってるのかね?
「で、だ。」
ともあれ、本題に入ろう。
「お前の境遇は何となく理解できるけどな、魔族全体を恨むのは違うんじゃないか?例えばラヴァルだって一応魔族だぞ。あいつも憎いのか?」
「……初めは、憎いと、思ってはいた。」
マジか。
「が、今は違う。ラヴァルは100年以上もの間、ずっとファーレンにいたのだ。戦争に参加したことはない。よって父親の仇でもない。」
そりゃそうだ。
「へカルトの魔族の大半、ていうか実際に父親を殺した一人を除いた全員も仇なんかじゃないだろ?だから取り敢えずまずは魔族全体を憎むのをやめたらどうだ。」
「そんなことは分かっている。だがそもそも誰に殺されたのか定かではないのだ。一騎打ちで倒されたのならばともかく、戦争の中で名もない兵士に討たれたのではな。」
「だから魔族を根絶やしにするって?」
「そうすれば否応なく仇を取ったことになるだろう?」
論理が乱暴にも程がある。それとも憎悪の明確な矛先がないと自然とこうなるのだろうか?
そういやルナも似たような理由で人間を殺して回ろうとしてたな……。
「しかし私はベンに忠を誓った騎士だ。ベンを裏切るようなことなどできない。したくもない。だから、違う種族の者と分け隔てなく接するお前に、どうやって彼らと接して行けば良いのか教えて欲しい。」
……どうも俺にぶん投げられていたのは思っていた以上の難題だったらしい。
「あのな、俺はそもそも異種族に対する復讐心なんて持ってないからな?ハナから立ち位置が違うんだぞ?」
「ぐ……、それは、そうだな。だがベンと同じで共存の道は存在すると考えているのだろう?私はそれが知りたいのだ。」
「ベンの考えを知りたいんなら本人に聞けば……はぁ、無理か。」
セラの沈痛な面持ちが目に入り、言葉を切ってため息を吐く。
彼女自身、ベンに尋ねようと幾度となく思ったのだろう。ただ、騎士の誓いとやらがそうさせるのか、意見を戦わせることができずにいるよう。
それはそれでどうかと思うけれども、俺にはどうすることもできない。
「……とは言っても、共存の道を信じているのはファーレンに行ったことがあるからだとしか俺は答えられないな。」
「ファーレンは人間には暮らしにくい場所だと聞いたが?」
「まぁ、そうだな。そういう面は多少あったかもしれん。」
ハイラさんにスレインで暮らして貰いたくて、バーナベルはスレインに寝返った訳だし。
「ならばやはり「でも共存なんてできない、滅ぼしてやるってのは流石に極論過ぎるだろ。」……黙って虐げられれば良いと?」
「そうは言わない。ていうかそれも極論だぞ?少なくとも2〜3年目の学生の中じゃ人間を下に見る奴なんていなかった。ハイドン家のエリックとテオなんて生徒会長に選ばれてファーレン全体を率いてたんだからな?」
「……しかしそれはやはりファーレンだから起こり得ることだ。ラダンやへカルトの者皆が同じ考えを抱いているとは考えにくい。」
セラのことばには肩をすくめて頷くしかない。
「そうだな。そしてファーレンが無くなった今、これから先もファーレンの価値観を持った奴は増えていかない。むしろ減る一方だろうよ。」
ファーレンに価値観を変えられることを心の堕落だ何だと言っていた前スレイン王ヘイロン辺りは、あの世でほくそ笑んでいるかもしれん。
「だというのに、共存の道を諦めないのか?その道を進んだところで多くの人々が苦しむだけだろう。」
「この道を進みきれば、三大国が延々と繰り返してきた戦争に終止符が打てる。国境を越えて、戦争で人が苦しむことがなくなるんだよ。ベンの願いは結局のところそこにあると思うぞ。」
「来るかも分からないいつかのために人々を苦しませるつもりだと?」
「来て欲しいいつかのために勇気ある1歩が必要なだけだ。それに、本当にこれで人間全体が苦しむことになるかどうかなんて分からないだろ?憶測に怯えて現状に甘んじるよりは、さっさと行動してしまう方がいい。」
案ずるより産むが易しとも言う。
「失敗したらどうなる。」
「失敗したら、ねぇ。まぁ流石に一方的に虐げられるなんてことはないと思うぞ?そりゃ種族対立によるいがみ合いやら何やらが各所で勃発して、スレインの治安が著しく悪くなる可能性も……いや、それならそれでさっさと帰ればいい話か。」
戦争を辞めてすぐにこの大陸全土がファーレンのような種族のごった煮になる訳もなし。国による種族の偏りは元のまま残るだろう。
つまり他国に行って嫌気が差したら故郷に戻りさえすれば良いのだ。殺し合うよりは随分マシな解決策だろう。
……にしても元の世界が平和だったせいか、戦争をやめない理由がこれと言って考えつかないな。
「そうだな……強いて言うなら、武器屋や奴隷商とか、戦争で利益を得ていた、もしくは商品を仕入れていた商人達が稼ぎどころを無くすぐらいかね?他に何かあるか?」
右肘をテーブルに乗せ、頬杖をつきながら左に聞くと、答えはすぐに返ってきた。
「仇を討てなくなる。」
「なぁるほど。」
そういうのもアリか。
「それに、言っただろう?獣人や魔族に対し、人間の地位が「落ちるって教えられてきたんだったな。」ああ、そうだ。」
「でも本当にそうなるかは分からないだろ?くはは、むしろ人間の方が姑息に立ち回って上手くやるんじゃないか?」
思い出すだけでも腹立たしいものの、ヴリトラと戦って疲弊したファーレンからその手柄も名声も奪い取ろうとしたスレインの手口だってある意味華麗なものだったと評せるかもしれない。
何せ俺とラヴァルが邪魔していなければ、スレインは殆ど何の苦労もすることも、他の二国から干渉されることすらなく、ヴリトラの魂という強力無比な武器を得て、ついでに価値の高い捕虜を100人単位で取れていたのだ。
少なくとも強い魔力がウリな魔族の優位性はヴリトラの魂で潰されていただろう。
「そんなものは根拠のない、単なる想像だろう。」
「ハッ、他種族に虐げられるってのも同じようなもんじゃないか?」
「それは……。」
反論しようとして言葉に詰まったセラに、肩をすくめて苦笑して見せる。
「ま、未来予想図なんて何万通りもあるんだ。その中に何かしらの根拠の上に成り立つものがあるとしても、何らかの原因でそれと180度逆の結果が訪れることもある。くはは、勝利確実だったスレインがファーレンで無駄に兵を失って何も得られずに終わったことなんてその典型だろ?」
別にセラの考えを間違っていると、頭から否定するつもりはない。ただ、他の可能性だって存在することを認識して欲しい。
戦うべきかどうかはともかく、戦うしかないというのは視野を狭くし過ぎだ。
「あれは、スレインがお前やラヴァルの力を考慮できていれば……。」
「できるわけ無いだろ。ラヴァルは俺が言い出さなきゃ降伏するか逃げるかしていたし、俺は俺でヴリトラの魂が惜しくて戦った訳じゃない。……アレのためにアリシアが命を落としてなけりゃ、勝ち目のない戦いなんかしようとも思わなかっただろうな。」
「ん?アリシアとは、ヴリトラとの戦いで亡くなった者か?」
「ああ、自分の命を犠牲にしてヴリトラを倒した子だよ。」
「ヴリトラを討った?お前ではなく?」
「そうだ。ドラゴンスレイヤーの肩書きが本当に相応しいのは俺じゃなく、あの子だ。」
そんな仰々しい肩書きを付けられたら本人は恥ずかしがるかね?いや、何だかんだで顔を輝かせて無邪気に喜びそうだな……。
話が逸れすぎた。
気付けば膝の上で固く拳を握っていた左手を開く。
「ともかく、未来がどうなるかなんて知ることはできないんだから、望む未来を目指すしかないんだよ。で、俺とベンは言ってしまえば、他種族と手を取り合って共存できる世界を目指している訳だ。逆に聞くけどな、スレインは何を目指して戦ってるんだ?」
「この大陸全土の支配だ。おそらくラダンやへカルトもそうだろう。」
「……壮大だな。」
どこの世界においても天下統一は魅力的らしい。
「ふん、他種族との共存こそ、現実味のない浮世離れした考えだと私は思うがな。」
「大陸の統一には現実味があるってか?」
「すぐには無理だろう。だが遠い将来には必ず成し得る。そうすることでも戦争は無くなるのではないか?」
「それまでに何人死ぬんだか。」
「ぐ……、だが、人間に取って最も幸福な形はそこにあるだろう?望むべき未来とはそこではないのか?」
口の片端を上げて皮肉気に言うと、セラは一瞬口ごもりながらもはっきりとそう返してきた。
「なぁるほど、そりゃ人間が他種族を支配する社会になれば、人間“は”幸福だろうな。……しっかしそうかぁ、そこが違うのか。」
考えてみれば当たり前だ。他種族の幸福なんて、普通にスレインで生きてきた、ファーレンと全く縁のなかった人間が考えられる筈がない。
「何の話だ?」
「例えば、お前はラヴァルと会って、今まで何度か話したことがあるだろ?確かあいつはお前のことを尊敬までしていた筈だ。そんなあいつを見てもまだ、他種族全てを虐げるべきだと思うか?」
「それは……いや、ああそうか、だからお前やベンは……。」
と、ここに来て、セラがようやく憑き物の取れたような表情になった。
「お?少しは分かってくれたか?」
「ああ、つまり何も難しいことは無いのだな。他種族にも友人がいるから戦いたくない。そしてだからこそ、彼らと手を取り合える筈だと考えているのか。」
「おう、その通り。」
いざ言葉にされると単純明快なことこの上ない。
……この程度のことを伝えるために随分遠回りした気がする。
種族全体を憎むのは間違っているとか、共存すればどんな利益があるかとか、そして目指す未来がどうだとか、小難しい話題をこねくり回したところで理解なんて得られなかった。
結局、他種族は全て敵という訳ではなく、姿形が違っても普通に付き合うこともできるという視点がセラには抜けていただけで、彼女はただそれに気付くだけで俺やベンの考えを理解できたのだ。
そしておそらくスレインに住む奴らの大多数が彼女と同じように他種族の恐ろしさのみを教えられて来ており、彼らが同じ人だなんて考えたこともないのかもしれない。
「あ、だから教育か。」
ヴリトラを倒した勇者やラヴァルがどうしてファーレンに種族の垣根を無くした街を作るだけで終わらず、そこで学園なんかを開いたのか、ようやく分かった気がする。
「何か言ったか?」
「いや、単なる独り言だよ。今更気付いてことがあってな。」
「今更?」
眉を寄せたセラに何でもない、と手をヒラヒラさせて見せる。
……本当、我ながら気付くのが今更過ぎる。
種族間に力の差は確かにあれど、差別そのものは教養の無さや知識の偏りで起こる物であり、人はそれまで培った知識をもとに自らの行動を決めていくものだ。
だから、若い内に価値観を変えてしまおうというのがファーレン学園の本来の存在意義だったに違いない。
実際、ファーレンに入学した学生達も、一年生の内は異種族を警戒していても、学年が上がる頃には互いを同じ人だと思うようになっていた。
……だってのに、馬鹿に高い学費を課すことで街の維持費にするためだろうと勝手に決め付けていた自分を殴りたい。ラヴァルは勇者が種族間の争いを予見したとか言っていたけれども、正直、たまたまだと思っていた。
「はぁ……。」
「その、もう一つ、良いか……?」
自分の浅はかさが嫌になって深いため息を漏らしていると、セラが何やら言いにくそうにこちらを見た。
「ん?どうした?まだ何か分からないことがあったか?」
「いや、種族が違えど同じ人だという考えは、取り敢えず、理解はできた。ただ……」
「ただ?」
「……人と仲良くするには、どうすれば良いだろうか?」
「……。」
そういやこいつ、人と仲良くすることと媚びることとの区別が付いてないんだったな……。
取り敢えず頑張れと言ったら睨まれた。




