一本目
辿り着いたのは凹凸どころか継ぎ目もない滑らかな壁と天井に囲まれ、地下へ続く階段の段差が規則正しく並べられた、明らかに人の手の加えられた洞窟だった。
積もった雪や周りの木々に隠れるようにある、残丘の急斜面にポッカリと口を開けたその入り口には余裕で人一人立って入れるぐらいの大きさがあり、その付近に周囲と比べて雪があまり積もっていないことから、ここに最近出入りがあったことが伺える。
早速奥へ突入したいものの、ちょっとその前にやることがあるので、先遣隊としてケイを奥へ行かせた俺は今、入り口付近の壁で息を潜めている。
『3時!』
よし来た!
穴から飛び出し、右へ大雑把に目を向ければ、腰を屈めてこちらへ近寄いて来ている男の姿が目に入った。
「くっ、しまっ!?」
彼がこちらの視線に気付いたときにはもう遅い。
既に放たれていた矢は、一瞬後、その男の頭を貫いた。
『左!』
分かってる!ていうか九時だろうが統一しろ!
された警告に文句を返し、次なる敵へと弓を振り回しながらそれに矢をつがえ、放つ。するとそれは剣を片手にこちらへ走ってきていた別の男の腹を破って貫いた。
「ぐぁっ!?く、そ……。」
倒れ、激痛に藻掻いて白い地面を赤く染めていく男。
しかしトドメにナイフを投げるだけの時間は与えられなかった。
周囲の木々の影、さらには枝の上からまで降り注ぐ無数の矢と多種多様な魔法。しかし俺にはそれらの射手や術者の姿を見ることどころか、気配で位置を特定することすらできない。
つまり、流石はセフト盗賊団ということなのか、敵さんが全員ご丁寧にも隠密スキルを身につけていらっしゃるのである。
一応、何となく敵がいることは分かる。ただ、それだけじゃ反撃のしようがない。
だから厚めの障壁を作り上げて時間を稼ぎ、洞窟の中へ飛び込むと、その直後、障壁を破った敵の攻撃がその閃光や爆風を洞窟の内部にまで届かせた。
そう、只今俺は敵に完全に包囲されてしまっている。……洞窟にいる事を鑑みれば半包囲が正しいかもしれないけれども、迂闊に動けないことに変わりはない。
爺さんが彼らの存在に気付いたときには既に包囲は殆ど完成しており、そのため俺とケイは敵にいつ襲われても良いように警戒しながら雪の中を進んできた。だというのに、結局彼らが襲い掛かってきたのは、俺達が彼らの隠れ家を見つけてからだった。
そこまで機会を待っていたのは、おそらくユイ達との距離を十分に離させるのが狙いだったのだろう。もしかしたら隠れ家がこうも簡単に見つかる筈ないと向こうさんも淡い期待をしていたのかもしれん。
ともかく、対する俺とケイの取った行動は――俺のいる位置からも分かるように――洞窟に攻め入ること。
おかげで今は籠城戦の真似事のようなことを何とかできている。
ちなみにもちろん、ここの入り口を守っていた奴はいた。しかし今では俺のすぐ隣で熟睡中だ。
「相変わらず凄い効き目だな。」
爆発で洞窟全体が揺れてるってのに、寝息まで立てていて幸せなもんだ。
「隊長さんに言われると皮肉にしか聞こえませんね。」
「うぉッ!」
そうしてケイ謹製の睡眠薬の効果に改めて感心していると、突然真横から飛んで来た返事に肩がビクリと跳ねた。
「……戻ってたのかよ。」
「隊長さんがちょうど飛び出していった時に戻って来ました。」
ノックぐらいしろ。
『そこで叩けるものはお主の頭ぐらいしかないじゃろ。』
肩で良いんじゃないか?
『そこは詰まっておるからあまり良い音が鳴らんわい。』
おいこら誰の頭が空っぽだって?人一倍とは行かなくとも、爺さんよりは詰まってる自信があるぞ?
『なんじゃと!?』
「あは、そんなに驚いたんですか?」
ボーッとしている俺をどう解釈したのか、ケイは悪戯に成功した子供のようにニコニコ笑ってそう聞いてきた。……ていうか子供か、まだ。
「くはは、まぁな。で、どうだった?」
「良い報告と悪い報告、どっちから聞きたいですか?」
「今のこの状況より悪いことなんてあるのか?……まさか、奥から盗賊が来てるんじゃないだろうな?」
「いえ、奥にいた敵はそんなに多くなかったので私が対処しました。その心配はありません。ここに潜んでいた殆どの盗賊は私達の迎撃に出ていって、今はああして外にいるようです。」
「つまり俺達の動きは結構前からバレてた訳だ。それはそれで悪い知らせだな。」
「王子様達も攻撃されているんでしょうか?」
「いいや、向こうは無事らしい。今はこっちに向かってきてるとさ。」
ケイの問いにイヤリングを軽く叩いて答える。
彼らの道案内を務めているのは、魔視のスキルによって俺をどんな場所からでもストーキングできるユイだ。
なんて陰湿な力だろう。
『お主だって似たようなものじゃろ。』
……実行犯はお前だからな?
『わしは見ておるだけじゃし……。』
実行犯に変わりないだろうが!
「はぁ……で、良い知らせは?」
「どうしていきなり落ち込んでるんですか……。えっと、良い知らせですね。取り敢えず、ギガトレントの幹はありました。……王城の宝物庫もそうでしたけど、こういう物探しで隊長さんの右に出る者はいませんね。素直に感心してしまいます。」
『フォッフォッ、わしのおかげじゃな?』
さっきからうるさいのは努めて無視。
そんなことより……
「“取り敢えず”?」
「実はその、悪い知らせがもう一つだけあって……ここにはたった1本しかありませんでした。」
「なぁるほど。」
リスク分散って奴か?ったく、無駄に頭を回しやがって。
「しっかしそうなると不味いな。他の隠れ家がどこにあるかなんて全く分からんぞ。」
「え?そうなんですか!わう!?」
「くはは、悪いな、万能じゃなくて。」
素っ頓狂な声を上げたケイのフードの中に手を突っ込み、その頭を強めにかき混ぜて笑う。
まさかそこまで驚くとは。
「……むしろ、万能じゃないことにホッとしたかもしれません。隊長さんって人間なんだってイダダダダダダ!」
ケイの頭に乗せていた右手で続けてアイアンクローをかけてやると、彼は両手で俺の手首を掴み、涙目になりながらも俺の手を引き剥がそうと奮闘し始めた。
とは言えもちろん、歴然とした力の差があるので俺の手は微動だにしない。
「ったく、お前は俺を何だと思ってるんだ。」
「……今は人の頭を握り潰そうとする怖い人だと思ってます。あ、でも、手を離してくれたらそれも変わるかもしれません。」
「はぁ……。」
裏の見え透いた言葉にため息をつき、その図々しい懇願どおりに手の力を緩めてやる。そしてついでに左手に弓を再び掴むと、ケイはきょとんと不思議そうに首を傾げた。
「隊長さん?」
「気配を探れ。ようやく状況が動きそうだ。」
「……ユイ達ですね。」
目を閉じ、すぐに開いた彼の呟いた答えに大きく首肯して見せ立ち上がる。
近付いてくる、馴染みのある複数の気配との距離は大体100m程。外がまた騒がしくなるのも時間の問題だろう。
「その通り。それじゃ、俺の合図で飛び出せ。援護してやる。お前なら森に潜んでる奴らを簡単に見つけられるだろ?」
「はい。森での本当の“隠れ方”を見せてあげます。」
「おいおい見せちゃ駄目だろ。」
「あは、そうでした。」
さっきから散発的に閃光の走っている洞窟の入り口に立って眉を上げると、ケイは楽しそうに笑いながら俺の隣りで腰を低くした。
矢をつがえ、耳を澄ませる。
待つのはユイ達の声だ。
「――――ッ!」
「行け!」
「はい!」
遠くから微かに聞こえた声に反応し、即座に濃い煙幕を張る。
その中を弾丸のようにケイが駆け抜けた後、一拍遅れて俺も外へ、ただし煙幕の範囲外へと踏み出せば、自然、周りに潜む敵の攻撃は俺に一点集中した。
いるかいないかも分からない煙の中の刺客より、堂々と姿を現しているアホの始末を優先してくれる筈だという、俺のちょっとした期待に彼らは見事に答えてくれた訳だ。
……まぁ、これまで何度かしていた牽制で彼らの仲間を、片手に収まらない程度の数殺して来たから、その憎悪が手伝ったのやもしれん。
ともあれ幸い、洞窟を背にしているおかげで背後からの攻撃は気にしないで済む。
だから飛んでくる魔法を作り上げた矢や無色魔法で消し飛ばしたり、飛んでくる矢を最小限の動きで躱してそれと全く同じ軌道を逆行させるように矢を撃ち返したりするなんて芸当も余裕を持って実行できる。
しかし射った先に敵がいるのは間違いないものの、矢が命中したかどうかは残念ながら姿が見えないので分からない。強いて言うなら樹上の辺りに矢を射った後、時たま落ちてくる死体でようやく確認が取れるぐらいだ。
まぁ、そもそも俺の役割は牽制であって、敵を仕留める役回りはケイに丸投げしてるからそんなことは大した問題じゃない。
ちなみにそのケイの働きは素晴らしいもので、これまでのたった数分の間に俺へ放たれる攻撃の厚みはほぼ半減している。
おかげでこっちも動きやすいったらない。
『調子に乗っておるところ悪いが、後ろに回られておるぞ。』
へいへい、言われなくても分かってるよ。
微弱な気配しか感じ取れないとしても、敵意の方向程度なら、漠然とではあっても把握できる。あとは聞こえてくる音に気を付けていさえすれば奇襲にも十分対処可能だ。
「……来たな。」
聞こえた僅かな足音に反応し、素早く振り向いて洞窟の上へ向け弓を構える。
しかし、俺の迎撃は一歩遅かったようだった。
上から飛び掛かって来ようとしていた男を俺が射抜く直前、その顔面に拳大の石が勢い良く命中したのである。
「ぐぇっ!……ガッ!?」
「くはは、助かった!」
堪らず仰け反った盗賊の喉を射抜いてトドメとし、つい笑ってしまいながら再び森の方へ呼びかける。
「一人でも何とかなっていたくせによく言うわね。」
すると、先程俺に先んじて石礫を放ったユイがこちらへ走って来ながら不服そうにボヤいた。
「感謝してるのは本当だぞ?ついでに適当に威嚇射撃なんてかもしてくれるともっとありがたい。」
「ふーん?そ。」
素っ気ないにも程がある返答をしながらも、ユイは俺の要請通り周囲へ石の弾丸をばら撒き始める。
一体何が不満なんだか。感極まって滂沱の涙でも流せば良かったのかね?
そんなことを思って苦笑いしていると、前方の木々が大きく揺れ、突風がこちらへ吹き付けた。
「うぉぉぉ!?」
「「な、なんだぁっ!?」」
同時に隠れていた盗賊達がそれに煽られて宙へ放り出され、驚愕の声を上げる。
俺だって驚いた。
大の大人達が空から降ってくる光景に一瞬呆けた後、慌てて彼ら一人一人に矢を射掛けていく。
「コテツ君!大丈夫!?ハァァッ!」
そうしていると、遅れてベンと彼の率いる他の皆が走ってくるのが見えてきた。
こちらへ声を掛けたベンが薙刀を力強く一振りすれば、またもや暴風が辺りを吹き荒れ、近くに潜む盗賊達が隠れ場所から無理矢理押し出されると、すかさず後ろに続くミヤさん達が色鮮やかな魔法や魔術で敵を戦闘不能に追い込んでいく。
チマチマやってた俺とは大違いだ。
「ああ、もちろん大丈夫だ!このまま盗賊共を蹴散らすぞ!」
「うん、分かった!」
その後の展開は一方的だった。
洞窟の奥へ進んだ先にあった広々とした空間には、ちょっとしたキャンプ場が広がっていた。
おそらく盗賊達の寝床だったのだろう、ツギハギだらけの小さなテントがそこに所狭しと並べられていて、そのところどころにできた焚き火の黒ずんだ跡を中心とする円形の広場では昼夜好き勝手に騒いでいたのだろうと伺える。
そして俺達の目的たる巨大な木の幹は、盗賊団の盗んできた他の品々と一緒に壁際に置かれていた。
「しかし、変だね……。ここにこんな洞窟があった覚えはないよ。」
淡い光を側に浮かべ、スベスベとした質感の壁に囲まれた巨大な空洞を見回しながら、ヘレンがポツリと漏らす。
「つまり、前にもこの森を調べたことが、あったの?」
「っ!は、はい、実は、セフト盗賊団の隠れ家を探すため、隣のアイワースの領主と共同でここを含めた領堺の森を調査したことがありまして……。」
その誰に向けてもいなかった呟きを隣にやってきたベンに拾われると、ヘレンは慌てて背筋を伸ばし、頷いた。
「そのときは、この洞窟は見つから無かったんだ?」
「はい。……それにここはまだヘルムント側ですから、当時は私と私の兵が調査に当たっていた筈です。だというのに、このような見落としをしていたとは……。」
「……本当に、見落としかな?」
「え?」
「この洞窟は少し、おかしいよ。」
問い返したヘレンに答えることなく、険しい目を近くの壁へ向けるベン。
「セラは、どう思う?」
「はい。この整い過ぎた壁や階段の形からして、明らかに自然の産物ではありません。おそらく魔法で作り上げられた物でしょう。……それも、かなりの腕を持つ魔法使いによるものです。」
「うん、やっぱり、そうだよね……。」
セラのきびきびとした返答に同意するように頷くと、彼は押し黙って長考に入った。
おかげでその横で彼らの会話に聞いていた俺には何のことやらサッパリだ。
「……ねぇ、この洞窟が人工だと何かまずいのかしら?あ、それとあと追加で10着ぐらいちょうだい。」
俺と全く同じことを考えていたヤツがすぐ隣にもいた。
「へいへい了解。あと俺に聞くな。」
言いつつ、要請通りに黒いローブを作り上げてユイに渡すと、彼女は「ありがとう。」と小さく感謝の言葉呟いて、それらを目の前で寒さに震えていた女子供に手渡していく。
彼らはセフト盗賊団に攫われ、この隠れ家に囚われていた人達だ。
身に纏う破れた衣服――というよりボロ布――や手足どころか顔にまでついた青痣から、明らかに禄な扱いを受けて来なかった彼ら16人が手枷と鎖で一繋ぎにされ、壁際に固まっていたのを見たときのヘレンの怒りようは筆舌に尽くし難い。
怒髪天を衝くとはおそらくあのことを言うのだと思う。ベンが宥めてくれなければ、彼女はケイによって眠らされている盗賊を、そいつらから何の情報も得ないまま殺していたに違いない。
ともかく、今は白魔法の扱えるミヤさんとユイが彼らの怪我を治して回っていて、一時的な衣服として俺の黒魔法が大活躍している。
もちろん、回復魔術を扱えるラヴァルとクレスもミヤさん達を手伝おうとした。しかしどうも“男”は怖いらしく、ラヴァル達が近寄ると怯えてしまうので、二人は今は手持ち無沙汰にこちらをただ眺めている。
囚われていた人達が何をされて来たのかは想像に難くない。
そんな訳でもちろん俺も怖がられているため、黒魔法が大活躍しているといっても、俺は衣服の製造に専念していており、その配給は今さっきのようにユイが担当してくれている。
……ちなみに手枷を解錠して回っているケイは何故か全く怖がられていない。まぁ十中八九、というかほぼ確実に女だと思われてるのだろう。
「よし、これで全員かしら?ミヤさん、まだローブを受け取っていない人はいますか?」
「いいえ、いませんよ。ベン様、こちらはいつでも発てます。」
「ああ、分かった。早く皆を、家に返して、あげないとね。コテツ君、ギガトレントを持つの、手伝うよ。」
うん、申し出はありがたいけどな、隣でセラがとんでもない目をしてるからな?
「い、いや、一人で十分だ。盗賊共も俺に任せてくれ。」
「分かった、ヘレンも、それでいい?」
「はい、一刻も早く戻りましょう。」
「うん。」
ベンが頷いたのを合図に、皆が動き出す。
俺も、今尚突き刺さる眼光を努めて無視し、その場によっこいせと勢いをつけて立ち上がった。
「「「ッ!」」」
途端、囚われていた人達の内、俺の一番近くにいた――とは言っても3mは距離がある――女性数人が座ったまま肩をはねさせた。
ユイから非難めいた視線が向けられたけれども、だったらどうすれば良かったのか教えて欲しい。俺はどっかの下ネタ幼稚園生みたいに尻だけで移動なんてできないのだ。
取り合えず彼女らを安心させるように一度笑顔を浮かべて見せてから縛られた盗賊共の側へ行き、トン、と指輪で触れて未だ寝たままのそいつらをヘール洞窟へと送る。
“何も怖がることなかったろ?”と再び囚われていた女性達へ笑みを向けるも、彼らはいっそう青い顔をしていた。
何故だ。
『次は自分達が消されるとでも思ったんじゃろ。』
「はぁ……。」
がっくり肩を落とし、ギガトレントの幹をサイの元へ飛ばすため、俺は壁際へトボトボ歩いていった。




