女王
「お待たせしました。すみません長引いてしまって……。まったく、まだ3日も経っていないのに、心配し過ぎです。」
「フッ、愛する妻が王国騎士団に追われていたのだ。多少気に掛けるのは当然だろう。」
小走りで酒場にやって来たミヤさんがクレスとソフィアの間――ギルドに行く前に頼んでいたらしい自分の飲み物の前――に腰を下ろしながら愚痴を溢すと、それにラヴァルが穏やかに笑って返した。
しかし、それでもミヤさんは不服そうな顔のまま口を尖らせた。
「だとしても、仮にもギルドマスターなのですから、私たちが節逃げ切ったという情報ぐらい既に把握している筈です。……あ、クレス、怪我はしなかった?」
「……まぁ。」
「あはは、ようやく、みんな揃ったね。」
心配し過ぎと言った舌の根も乾かない内に息子を心配しだした母親にクレスがうんざりした表情を浮かべたところで、ベンが朗らかに笑って全員の注目を集めた。
「まずは、お疲れ様。全員、無事で良かった。特に、道案内をしてくれた、ミヤと、クレス君には、感謝しても、し足りない。」
「あ、いえ、僕は何も……殆どは、先生が。」
その感謝の言葉に対し、後半の道案内を殆ど俺に任せていたからか、クレスは少し焦ったように首を横に振り、申し訳なさそうに俺を見た。
そんなもん気にしなきゃ良いのにな。……真面目ちゃんめ。
「逃げ切れたのがお前のおかげなのは間違いないだろ?何なら俺からもありがとうって言っておこうか?」
「……ありがとうございます。」
「くはは、だからそれは俺の台詞だって。」
どうしてお前が言うんだよ。
「あ……はい。」
笑って言うと、クレスは一瞬目を見開き、少し照れたように頷いた。そんな息子を隣で微笑ましく眺めるミヤさんもそれに合わせて会釈する。
「うん、コテツ君も含めて、これからも、頼りにさせて貰うよ。」
「お飲み物をお持ちしました!」
と、背中に給仕さんの明るい声がかかった。
「ああ、ありがとう。」
振り向いて、彼女が器用にも両手だけで持っていた3つの木のジョッキを一つずつ受け取り、うち2つをユイとクレスへと回す。
残る一つはもちろん俺のだ。
「何頼んだです?……水?」
俺のジョッキの中の無色透明な、時折小さな泡が水面へと昇る液体を覗き込み、ソフィアが首を傾げた。
「えーと、名前は何だっけな……?まぁ少なくとも単なる水じゃない。」
頼んだのはなんだかお洒落な名前のついた、爺さん曰く、ただの炭酸水。物珍しくて頼んだけれども、工業的に作れないらしく意外と割高だった。
どこかの山から湧くらしいものの、この世界の地理に詳しくない俺にとっては、とにかく久々に喉の刺激を楽しめるという事実が重要だ。
「それじゃあ、改めて。皆、お疲れ様。そして、新年おめでとう。」
皆に飲み物が行き渡ったのを確認し、ベンが自身のジョッキを一度持ち上げ、呷り、俺達も笑顔でそれに倣う。
「ああ、そうだ。それと、ははは、女王様万歳!」
「「「「「!?」」」」」
そして無邪気に付け足された言葉に、皆揃ってむせ返った。
冗談キツイにも程があるわ!
朝に戴冠式が行われて、その後のパーティーは夜まで続いた。
そのパーティーも終わって、着飾った貴族達の最後の二人が互いと歓談しながら大広間を退出したところで、玉座に座った新しい女王様は背もたれに体全体を預けた。
「ふぅ、疲れました。」
「あはは、ご苦労様。」
今の今までずっと貫き通していた凛とした表情と態度を、受け継いだ金の王冠と一緒に脱ぎ捨てたその姿に、騎士長としてずっと横に立って彼女を見ていた分、大き過ぎる落差につい笑ってしまう。
「……カイトはとても楽しそうでしたね?」
「え?まぁ、そうだね。好きな子の晴れ舞台だったんだし。」
「本当にそれだけですか?」
「もちろんこういうパーティーその物も楽しくて好きだよ?」
「……それだけですか?」
「えっと、どういう意味?」
なんか、怒ってる?
「私の隣でたくさんお話ししていましたよね?とても綺麗な方々と……私の隣で。」
あれ?今、同じことを2回言わなかった?
「シルヴィアやエルザ達のこと?それなら実は、前に身代金目的で誘拐しようとしていた盗賊から守ったり、街中で乱暴されてたところを助けてあげたりしたことがあってね。彼女達、そのお礼をわざわざ言いに来てくれたんだ。」
「お茶へのお誘いなどありませんでしたか?」
「あ、そこまで聞こえてたんだ。」
長い列を為して新たな女乙様に挨拶しに来た人達との会話に忙しくて、オレの方に気を配る余裕なんて無いと思ってた。
「聞いてなくても分かります。……私は大変だったのに。」
表情を沈ませ、ティファが呟く。
「えーと、言い寄って来た人達が何人もこと?」
挨拶に来た人たちの内、若い男の人の大半は挨拶という名目で遠回しの口説き文句やダンスへの誘いを口にしていて、中には急に自慢話なんか始める人もいたからびっくりした。
そんな彼らを思い出しながら聞き返すと、ティファは小さく頷いた。
「でも、ティファは上手く躱せてたと思うよ?」
貴族達の方も、ティファに顔を覚えて貰えればそれで良いと考えていたみたいで、しつこい人はいなかったし。
「……。」
「えっと、今度からああいうのは、止めた方が良いのかな?」
「カイトが止めたいと思ったなら止めてください。」
ティファが急に押し黙っちゃったから慌てて尋ねると、何だかよく分からない返事が返ってきた。
「オレが、思ったら?」
繰り返せば、ティファはそうだとはっきり頷く。
「それともカイトは、私があの中の誰かの誘いに乗ってしまっても、もう何も感じませんか?気にも止めてくださいませんか?」
「いや、そうなったらもちろん複雑な気持ちにはなるけど……。」
「本当にっ!?」
「でもティファはそういうのはちゃんと断ってくれるでしょ?」
断って命の危険に晒される訳でもないんだから特別動かなくても良いと思うんだけど。
「……今度は断りません。」
玉座に体をさらに沈めて、ティファがボソリと呟く。
「え?」
「次に誰かにダンスに誘われたら、私はそのお誘いをお受けします。それを嫌だと思ってくださるのなら、カイトはそれを止めてください。」
そこまで言われてようやく、どうしてティファがこんなことを言い出したのか理解できた。
スレインのためにアーノルドさんを殺し、ベンさんを追い出して、1番近い家族を全て失ってしまってから、彼女がこうして急に不安に襲われ落ち込んでしまうことはこれまでにも何度かあった。
信頼していた、これまで自分を支えてくれていた人達が、例えティファ本人の意思だとしても、たった数日で皆いなくなったんだから、無理もないとは思う。
そんな彼女が心から頼りにしているのはオレだけで、でもだからこそ、何かがあると彼女はオレの気持ちを確認しようとしてくる。……オレの気持ちが変わることなんてある筈がないのに。
でもそのことを何度伝えても、ティファの不安は完全には消えないみたいだった。
それでも、オレにはそうする他にできることがない。
だから玉座の前に立ち、オレは今にも泣き出しそうなティファの手を取った。
「カイ、ト?」
「……ティファ、オレは君が女王になりたいと思ったことを責めたりしないよ。」
「それ、は……。」
彼女を優しく見つめ、これまでも何回か伝えてきたことを穏やかに繰り返す。
彼女が、女王になるという目的のためにオレを利用したことで、オレに負い目を感じていることは、つい最近やっと分かった。
もっと早く気付いてあげられていれば、ここまで不安がることは無かったかもしれない。
「そりゃ、ティファが自分の考えを全部話してくれなかったことには、今もちょっと納得がいかないけど……。でも、あれがスレインのためだってことに嘘はないんだよね?」
「はい、アーノルド兄様はスレインを、いえ、私達人間全てを裏切っていました。」
「ベンさんも、ね。」
「はい……そう、でしたね。」
「うん、だったらオレはティファの味方だ。」
言いながら肘掛けに置かれた白い手を握り、軽く引っ張って、ティファを玉座から立ち上がらせる。
「カイト?」
「オレはティファのことを、絶対に嫌いになったりしないよ。」
そう言って彼女を抱きしめ、その口元に顔を寄せると、彼女もキスに応じてくれた。
「ん。ありがとう、ございます。」
「それと、オレにお礼に来てくれた皆は確かに綺麗だったけど、ティファが一番だよ。」
一応、はっきりさせて置こうと言った途端、ティファは顔を真っ赤にした。
「はわっ!す、すみません。私、へ、変な想像を、してしまって……。そうですよね、カイトがお茶への誘いに受ける筈がありませんよね。」
「え?」
「え?……カ、カイト?まさか。」
「受けちゃ、駄目だった?」
「受けちゃ駄目です!あんな方々と、お茶なんて!」
「あんな、だなんて……。皆良い子達だよ?それに、オレに取っても都合が良いんだ。」
「都合が、良い?」
「うん、誘ってくれた何人かはアーノルドさんに協力的だった貴族の子なんだ。」
「ああ、なるほど。牽制のために。」
「牽制とまでは言わないけど、うん。彼らの家が間違ってもハイドン家に加担しないように、いつか訪問しないといけないって思ってたんだ。……もちろんティファが駄目って言うなら、「私も連れて行ってください。」え?」
「ふふ、これでも私は女王ですよ?私の訪問そのものが牽制になります。……ええ、色々な事への牽制に。」
「そう?護衛のことが心配ならジーンに……ティファ?」
言い終える前に、ティファはオレの胸をそっと押して距離を取り、表情を毅然とした物に変えたかと思うと尊大な口調で言葉を発した。
「騎士長カイト、私を貴方の誘われたというお茶会に連れて行きなさい。これは命令です。」
「ハッ!畏まりました。」
対して素早くその場に膝を付き、臣下の礼を取って返答する。
「「……ぷっ!」」
そして、オレ達二人は同時に噴き出した。
「女王としての最初の命令がそれで良いの?」
立ち上がり、聞き返しながら再びティファへ手を差し伸べる。
「命令させる方が悪いんです。」
それを取った彼女は、そう言ってオレの胸に甘えるように額を押し付けた。
「あはは、ごめん。でも、公の場では笑わないようにお互い練習しないとね。せっかくティファはスレインの女王様になれたんだから。」
言うと、ビクリとティファの身体が震えた気がした。
「…………あの、カイト。」
「なに?」
腕の中から意を決したような表情でこっちを見上げたティファに目を合わせる。
「……実は、私は、始めから女王になろうなどと思っては「あ、カイト!ここにいたんだ!」ヒッ!?」
突然、背後から上がった声に、何やら言いかけていたティファは大袈裟に驚いてオレの胸にしがみついた。
「あはは、大丈夫だよティファ。これはアイの声だよ。」
「大正解!流石カイト!」
落ち着くようにティファの背を擦りながら後ろを振り返れば、アイは既に玉座のある段差の麓まで走ってやってきていた。
その勢いのままこっちへジャンプし、慌てて振り向いたオレに抱きつくアイ。
かなりの力によろけそうになったけど、何とか耐えて後ろのティファを突き飛ばしてしまうことは避けた。
そしてそのままオレと唇を重ね、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「ん、ただいま!」
「あはは、おかえり。でも危ないよ、いきなりそうやって飛び掛って来たら。」
「ごめんね。カイトをやっと見つけたから、つい。あ、ティファニー、アンタもいたんだ?」
「お、おかえりなさい、アイ。」
「あ、そうだ。……カイト、落ち着いて聞いてね。」
「え?うん、どうしたの?」
いつも通り元気が良いなぁと思っていたら、アイは急に真剣な表情になって声を落とし、オレは少し驚きながら頷いて返した。
「王国騎士団がユイ達に返り討ちにあったんだって。」
「え?アイがいたのに?」
「ううん、私がイベラムに付いたときには騎士団はトレントの森から逃げ帰って来てた。」
王城から逃げた一団の人数は、取られた捕虜を含めてたったの5人。
それでも相手が相手だから、王国騎士団だけじゃ難しいと思って、イベラムでの発見の報告があったと同時にアイを向かわせたんだけど……遅かったみたいだ。
「そのまま私一人で追い掛けようとも思ったけど、具体的にどこに向かったか分からなくて……野宿する可能性もあったし、それに、カイトに早く会いたかったし……ごめんね?あ、でもでも、あいつら、たぶんハイドン領に向かってると思うよ。」
「そっか。じゃあ追うのはまた情報が入ってからだね。ハイドン領ごと攻めるのもアリかな……。いや、ともかく、アイは2日も移動しっぱなしで疲れたでしょ?これから軍の準備で忙しくなるし、今日はもう休んでいいよ。」
「じゃあここで休む〜!」
ここ?まさか大広間の床で寝るつもりじゃないよね……?
「えーとつまり、オレの側にいるってこと?」
「うん!」
「駄目だよ。オレはまだティファの護衛をしないといけないんだから。」
言って、同意を求めるようにティファを振り向いた瞬間、ティファは顔を真っ青にしてぎこちない笑みを浮かべた。
「そ、それなら、二人で私の護衛をしてはどうでしょう?その方が私にとって、あ、安全でも、ありますし。」
いや、オレ、というよりはアイを見てる?
そう思って、オレのネックレスと化しているアイに再び目を向けると、視線に気付いたアイはきょとんとした顔で小首を傾げてきた。
なんだろ?
疑問を晴らせないままもう一度、やっぱり顔色の悪いティファに目を戻す。
「えっと、良いの?」
「え、ええ、アイとお話するのも楽しいですから。」
「そっか、分かった。なんだか我儘を聞いて貰ったみたいで、ごめんね。ほら、アイもありがとうって。」
「んー眠いぃ。」
「あはは……。」
相変わらずのマイペースさに苦笑して、もう一度ごめん、とティファに目で謝る。
「いえ、気になさらないでください……本当に。」




