酒場
トレントの森最寄りの街――ヘーデルにある酒場の中でもかなり大きめな所の一つ。
その中から漏れ聞こえていた喧騒は、出入り口を押し開けた途端、数十倍に膨れ上がり、この酒場が如何に繁盛しているかをこれでもかと伝えてきた。
至るところから冒険者達の粗野な笑い声が上がり、それに負けじと給仕達が声を張り上げる様子は、かつての満腹亭とは大違いだ。
「おっ、いたいた。」
そんな活気ある店内に目を走らせれば、入り口に程近い壁際で、丸いテーブルを飲み物片手に囲む、ここ数日で積み重なった疲労を全く隠せないでいる面々を見つけられた。
彼らが禄に注文していないことが、通り過ぎる給仕達の迷惑そうな視線から察せられる。
そのテーブルの、こちらから見て一番奥、つまりは出入り口を向いて座っていた男が杖を支えに立ち上がった。
「来たか。遅かったなコテツ。」
「くはは、悪いな。ちょっとキャンプを楽しみ過ぎた。ほら、お前らも入れ。」
片足ながら、わざわざ迎えてくれたラヴァルにそう戯けて返し、後ろを付いてきていたユイとクレスを中へ促す。
「まさか目的の場所を1発で当ててしまうなんて……。本当に皆の行動原理を把握してるんですね。」
「おう、だからそう言っただろ?」
「クレス先輩、騙されないでください。この人は単にズルしてるだけです。」
ここに来るまでに話した出鱈目を素直に信じてくれているクレスへ得意気に眉を上げて見せると、ユイは呆れた顔で割って入りそのままクレスの背中を押して行った。
……別に爺さんの助けはズルじゃないと思うけどなぁ。
『そうでない訳ないじゃろ。』
吸血鬼を目印にしろって俺が言うまでは、種族単位でしか物を探せないからベン達がどこにいるかは分からないとか、いつものようにボケたことを抜かしてたくせにか?
『ぐ……、それでも、お主だけでは探せなかったことに変わりはないわい。』
……まぁ確かに。何はともあれ、いつも助かってるよ。
『白々しいわ!』
脳内の声に苦笑しつつ丸テーブルへと歩いていき、ふと頭数が何人か足りないことに気が付いた。
「ん?女性陣は先に宿屋で休んでるのか?」
いないのはミヤさんとセラ。
ミヤさんのことだから、てっきりクレスの帰りを今か今かと待っているだろうと思っていたため、少し意外だ。
尋ねると、一番手前に座っていたベンがこちらを振り向いて首を横に振った。
「いいや、セラは、少し席を外してる、だけだよ。ミヤなら今は、ギルドに、行ってる。」
「ああ、レゴラスへの報告か。」
なるほど、と頷きつつ、ベンの右隣の空いた席に腰を下ろす。
「あ……。」
すると、さらに右手に座っていたソフィアが小さく声を漏らした。
「ん?どうした?」
「く、くく、な、何でもないです。」
「何でもないならどうして笑ってるんだ?まさかこの椅子、誰かが酔ってゲロをぶち撒けたとかじゃないだろうな?」
なんか自分で言ってて本当にそうなんじゃないかと思えてきたな。
椅子を変えようと腰を浮かすと、素早くソフィアが俺の右腕に抱きつき、俺に再び腰を下ろさせた。
「おい?」
「隊長さんが隣が良いです。」
「ならお前の右に……は、誰か座ってるのか。」
既にその席を取ったという証か、誰かの飲み物がテーブルの上に鎮座している。
「メイド長さんです。ギルドに行く前に頼んで行ったです。」
「あーなるほど。はぁ……で、お前は何を企んでるんだ?」
「むぅ、酷いです。こんなに可愛い子を疑うです?」
「今ので疑いが倍増したぞ。」
あざとく膨らませられたほっぺたは片手で掴んで潰してやった。
……まぁいっか。命に関わることはないだろうし。それに、ここまで来ると逆に何が起こるのかが気になる。
「あ、そういやクレス、お前もギルドに行った方が良いんじゃないか?」
追求を諦めたところで、ふとそう思い至り、ラヴァルの左手に座って早速何やら注文していたクレスへと目を向けると、彼は頭を横に振って苦笑を返してきた。
「いいえ、その必要はありません。父さんが知りたいのは母さんの無事だけですから。……別れ際には、母さんの盾になれ、なんて僕に言いましたし。」
「フッ、愛妻家も過ぎると考えものだな。」
「クレス先輩、お父さんと仲が悪いんですか?」
笑ったラヴァルのさらに右からのユイの質問に、これまたクレスは首を振る。
「いや、父さんは母さん以外には平等なだけだよ。」
「くはは、それはそれでどうなんだ?」
「おい。」
笑っていると、背後から声を掛けられた。
「ん?ああ、俺は、水でもいいから、一番安い飲み物を……。」
さっさと何か注文しろと店員が催促しに来たかと思い、そう言いながら振り返った俺は、そのまま凍りついた。
「ほう?私はいつから貴様の召使いに成り下がったのだ?」
立っていたのは、木のコップを片手に持つセラ。
「ぶふっ!」
隣で噴き出しやがったソフィアの首を思いっ切り締め上げてやりたいものの、今はそれどころではない。
「えーと、今のはお前に言った訳じゃなくてだな……。あ、新しい防具を買ったのか?」
「ふん、いつまでも無防備なままではベン様をお守りできぬからな。ティファニアに残してきたものとは比べるべくもないが、何も無いよりはまだ良いだろう。」
新品の軽鎧を見て聞くも、セラは不機嫌に鼻を鳴らすだけ。もちろん俺を睨みつけるその目には一切緩む気配がない。
「……それで?いつまで私の席に座っているつもりだ?」
そういうことかよ!
跳ねるように立ち上がって椅子から退くと、セラはこちらを一瞥すらせずそこへ腰を下ろし、隣のベンの耳元に口を寄せた。
「ベン様、間違いないようです。」
「……やっぱり、そうか。」
深刻そうに頷き、黙り込むベン。
一体何の事なのか聞きたいものの、今、彼に直接聞くのは何となく憚られた。
それだけ暗い雰囲気だったのだ。
「……おい、あれ、どうしたんだ?」
「周りの声を聞けばすぐに分かるです。」
だから腰を少し屈めて、隣のソフィアに、ベン達を指差しながら尋ねると、彼女はそう言って自身の耳を指差した。
頷き、彼女の指示通り、周りの音へ耳を澄ませる。
しかし意識を集中させるまでもなく、少し離れたテーブルに座るビール腹の男が、酔いが回ってきたのか、一際デカイ声を上げ始めた。
「かーっ、めでてぇ!めでてぇなぁ!こういう日こそ酒を飲まねぇとなぁ!そうだろてめぇら!」
「「そうだそうだ!」」
吊られ、その周りにいた男達も騒ぎ出す。
「ぷはーっ!めでてぇ!アンナちゃんお代わり!」
「はいはい毎度。でもあんたら、何がめでたいのか分かってんの?」
「あ?そりゃ、あー、ほら、新年だろ!?めでてぇよなぁ!」
「「「めでてぇ!俺らもおかわり!」」」
「それもそうだけどさぁ……。今日、新しく女王様が即位されたのよ。」
「おう!やっぱりめでてぇじゃねぇか!わはははは!」
「……駄目だこいつら。」
顔も知らぬアンナちゃんには俺も全面的に同意する。
ソフィアを見ると、彼女も今のを聞いていたのか、俺を見返して苦笑した。
「分かったです?」
「ああ、新しい女王様、つまりは、あー、女王ティファニーが誕生したってことか。」
それも新年に合わせて。
にしても、なんだか“王女”のイメージが強過ぎて“女王”ってのと上手く結び付かないな。
頭の中で名前と肩書を磨り合わせている間、ソフィアは俺に大きく頷いて、ハキハキと続けた。
「はいです。それで、妹が王位を狙っていたことをまだ疑っていたらしいそこの王子様は、周りから漏れ聞こえる話を素直に信じず、わざわざ護衛騎士にそれを確認させて、今更その勘違いを思い知らされて沈んでいるです。」
「貴様、口の聞き方に気を付けろ。」
その嘲笑混じりの言葉を聞き逃す筈もなく、セラがソフィアを睨み付ける。しかし睨まれた当の本人はあろうことか、それに満面の笑みを返した。
「本当のことを言ってごめんなさいです。」
「このッ!」
「まぁまぁまぁまぁ!」
セラが立ち上がるより早くその肩を両手で抑え、冷や汗をかきながら愛想笑い。
いくら酒場が賑わっているとはいえ、騒ぎを起こせば注目される。ここにいる大勢の中にベンの顔を知ってる奴がいないとも限らないんだから、なるべく大人しくしていて欲しい。
「良いよ、セラ。僕が、ティファニーの野心を、見抜けなかったのは、本当の、ことだから。」
「……分かりました。」
ベンの言葉に渋々頷いたセラは肩から俺の手を払い除け、しかし鎮まっていない怒りを示すためか、こちらへあからさまに背を向けた。
一応、場が収まりはしたことにホッと安堵の息をつき、ついでに火種の頭にアイアンクローを掛ける。
「何か言いたいことは?」
「た、隊長、さん?私はただ、隊長さんに本当のことを……あだだだだだ!」
「なぁにが本当のことを、だ。明らかにセラを挑発してただろうが。」
こっちの肝が冷えるからやめてくれ。
「ったく。……にしてもティファニーが即位ねぇ。」
こりゃカイトが王様になるまで長くはないな。
そう思い、ユイの方を見れば、彼女もクレスと共に――ラヴァルから聞いたか、周りから盗み聞いたかして――件の話を知ったようで、何やら難しい顔で目の前のテーブルの一点を見つめていた。
……やっぱりカイトと敵対したことを後悔しているのかね?
「え?隊長さん?まさかこのまま続けるですか?」
考えていると、軽く力の入れられた俺の掌の下から、その手首を両手で掴むソフィアが涙目でこちらを見上げてながら聞いてきた。
「ん?なんだ?もっと強くした方が良いか?」
「このままが良いです!隊長さんの掌はとっても気持ち良いです!」
「おーそうか、そりゃあ良かった。ついでにセラとも仲良くしてくれるともっと良い「無理です。」……早いなおい。」
せめて最後まで言わせてくれよ。
「ふん、初めて意見が合ったな。」
と、こちらに背を向けていながらやっぱり聞き耳は立てていたらしいセラが首だけ回してソフィアに蔑むような目を向け、鼻で笑った。
「えーとじゃあ、なるべく喧嘩しないように……。」
「そいつが余計なことをしなければな。」
「頭が固過ぎて余計な騒ぎばかり起こしてきた人がよく言うですね?」
「なんだと?」
「何か違うです?」
「ほう?」
「だぁーもう、落ち着けって!」
立ち上がり掛けたセラの肩を押して再び席に腰を落とさせ、ついでにソフィアの頭を掴む力も強める。
「ほら、まずは大きく深呼吸だ。な?」
「隊長さんだってこいつの容量の悪さを知れば嫌になるです。事あるごとに騎士としてどうだとかなんとか言って無駄に面倒を増やして、もう本当に、いい加減にして欲しくなるです。」
「ハッ、暗殺者風情には理解できないか。」
「馬鹿の思想なんて理解したくもないです。」
「言わせておけば!」
「剣を抜くのは反論できなくなったからです?」
「ッ!」
俺の言葉に耳など貸さず、罵り合い、火花を散らす二人。
こいつらが互いと相性悪いのは前々から分かってはいた。それでもここまで険悪な仲にになるとは予想外だ。もう犬猿なんてもんじゃないぞ?
「おいベン、二人の間で何かあったのか?」
「何かあった、というか、事あるごとにぶつかってる、というか。……森で騎士団に追われていたとき、障壁魔法を使える僕が、殿を務めるべきかどうかで、口論したり、その後野宿するときも、僕に見張りをさせるかどうか言い争ったり、ね。僕は構わないって言ってるんだけど……。」
苦笑混じりにベンが言う。
「いけません。王位の正当後継者として貴方だけは必ず逃げ延びなければなりません。そして貴方の護衛騎士として、貴方を一切の危険から守る義務が私にはあるのです。」
対し、セラがソフィアを睨みつけたまま決意の籠もった口調で呟くと、ベンは俺に目だけで“いつもこんな感じだよ。”と伝えてきた。
「いい加減、王子様だって迷惑していることに気付くです。」
俺とベンの無言の会話を横から目聡く見て取ったか、ソフィアが呆れたように言い、途端、セラが激情を顕にテーブルを叩く。
「ベンは下の者に優し過ぎるだけだ!それを当然のことと思い、逆に利用しようとするなど……彼の騎士たるこの私が許さん!」
そうして再び睨み合いが始まると、流石に目立ち過ぎたか、なんだなんだと周りの視線が集まってきた。
……身元がバレないのを祈っておこうと。
『ん?』
やかましいわ。お前に祈る訳無いだろうが。
「何か問題がありましたか?」
「え?」
肩を叩かれ振り向くと、女性の給仕さんの一人がなかなか圧のある笑顔向けてきていた。
アンナちゃんかどうかは知らん。
「あーいえ、大したことじゃ……。」
「そうですか。とにかく、喧嘩なら外でやってくださいね?何か壊したら弁償して貰いますから。」
「ええはい、そりゃ勿論。分かったかソフィア?」
「む、なんでソフィアに言うです?悪いのはこのバ……イタタタタタ!」
なんでセラに何も言わないかだと?後が怖いからに決まってるだろうが!




