年越し
冷たい暗闇の中、赤く光る枝が弾けて細かな火の粉を周囲に散らす。
「……そんな訳で三人とも何とか無事だよ。」
黒い切り株型の椅子に座り、穏やかに燃える焚き火を棒で突付きながら気楽な声で話を締めると、抑えた右耳のイヤリングから安堵の息が2組聞こえてきた。
[ならば良かった。ミヤもこれで少しは気が楽になるだろう。]
[先生、まるで私がクレスのことが心配で心配で仕方がなかったかのように言わないでください。]
[フッ、そうか。]
念話相手はラヴァルとミヤさん。ラヴァルが念話の魔法陣を任意で描けるため、向こうは二人いっぺんにこちらと話ができるようになっているそう。
で、ラヴァルの口振りからして、どうもミヤさんはクレスが心配で心配で仕方がなかったからしい。
「クレスならすぐ後ろで寝ていますから、話したければいつでも起こしますよ?」
[あ、それなら……いいえ、結構です。コテツさんまでからかわないでください。]
背後にある真っ黒なテントを振り返りながら言うと、少しムッとした声音で怒られた。
別にからかってなんかないんだけどな。
「くはは、そうですか。ていうか、そっちもまだ森を抜けていなかったんですね。」
[すみません……。]
ん?どうしてミヤさんが謝るんだ?
「あー、もしかしてトレントに襲われましたか?」
それでトレントの擬態を見破れなかったことを申し訳なく思っているとかかね?
[いや、彼女の案内のおかげでトレントとは殆ど遭遇することはなかった。が、やはりトレントがいない道のりは王国騎士団も進みやすかったようでな。]
「お前らも騎士団に追い付かれたのか!?」
[なぁに、一戦交えただけだ。心配せずとも既に撒いた。皆無事だ。が、代わりに馬を2頭、失ってしまった。]
[私の考えが及ばなかったばかりに……。]
なるほど、それでミヤさんが元気なかったのか。
「こっちも一頭やられたよ。」
そしてもう一頭――ユイの乗っていた黒毛の馬は、焚き火を挟んだ俺の向かい側でユイの枕になっている。
一応言っておくと、彼女の分のテントは作りはした。
しかし馬がテントに入るのを嫌がった結果――ユイ曰くどうも馬の方が俺を信用していないらしい――何故か彼ら一人と一頭は夜空の元で一緒に寝ることにしたのだ。
そもそもどうしてユイはテントの中で馬と一緒に寝ようと思ったのかね?謎だ。
「んー……ふふ。」
まぁ本人は幸せそうだからいいか。
[そちらもか。しかし、お前達を追っていた騎士は、一旦引いたとはいえ、まだ捜索を続けているのではないか?安全なのか?]
「それは大丈夫だ。あの副団長の命令通り、ちゃんと引き返していったみたいだよ。」
爺さんが確認した。
『うむ、間違いないわい。』
[……そうか、であれば問題ない、か。]
[では明日、合流できますか?]
「そうですね。こっちから向かうので、ミヤさん達はそのまま森を出てヘーデルへ向かってください。」
[え?それでは私達の位置が分からないでしょう?]
「そこの所は大丈夫です。心配せずとも、ちゃんとクレスは送り届けますよ。」
[……そういう意味で言っていません。]
「でも心配なんでしょう?」
聞くと、ミヤさんは分かりやすく言葉に詰まった。
[それは……母親、ですから。そもそもクレスを連れてくることは反対だったんです。それなのに、夫が無理矢理……。]
[君のことが心配だったのだろう。フッ、夫婦仲睦まじいことに越したことはあるまい。]
[だとしてもあれは心配し過ぎです。正直、もう少し好きにさせて欲しいと常々思っています。それに、あれこれ命令されるのは気分の良いものではありません。]
「[……。]」
ラヴァルと揃って黙る。
“クレスも今ミヤさんが言ったのと全く同じことを思ってるんだろう。”という思考はおそらく一致していると思う。
[あ、あの、どうかされましたか?]
下りた急な沈黙に、ミヤさんが戸惑ったような声を上げる。
「え?あーいや、すみません、少しうとうとしてしまって。」
何にせよ、親子間の問題に安易に突っこんで良い事がある筈がない。そもそもクレス本人の口から言わせないと意味がないし。
[フッ、見張りがその様で良いのか?]
ラヴァルもそう思ったか、こちらの話題に乗ってくれた。
[もう遅いですからね。私達もそろそろ見張りを交代する時間です。次は確か……]
[第二王子とその従者、いや婚約者だな。では私が二人を起こしてこよう。]
ミヤさんの言葉を引き継いでラヴァルが言うと、イヤリングから足音がし始め、すぐにそのまま消えていく。
「そういえば、ラヴァルはもう自由に歩けるようになったんですか?」
[ええ。でも無理して強がっている部分は多少なりともあるでしょうね。今、わざわざ自分で歩いて行ったのにも、きっとそういう面があります。]
「そう、ですか。」
[コテツさん、あれはあなたのせいではありませんよ?]
言われ、誰もいないというのに、俺は思わずイヤリングの方へ顔を向けた。
ラヴァルが足を失った顛末を誰かに話した覚えはない。
「……ラヴァルに聞いたんですか?」
[ええ、あなたが彼の命を助けたことも、ヴリトラと戦い散っていった方々のために、勝ち目のない戦いに臨んだことも。]
あの野郎、随分脚色して教えやがったな。
「あんなのはただの我儘ですよ。それより、ラヴァルがどうしてそんなものに付き合ってくれたのかが気になりますね。ファーレンの元城主だから、なんて理由は命を賭けるに値しないでしょう?」
牢屋にいる間、何度か同じことを聞いたものの、全部はぐらかされてしまってその分余計に気になっていたのだ。
『厄介な性分じゃの。』
ほっとけ。
[あら、ラヴァル先生はあなたにそうおっしゃったのですか?]
「つまり……ミヤさんは本当の理由を知ってるんですね?」
[いいえ、知りません。]
即答し、彼女はさらに[知りたければ本人に聞いてください。]と一言続けた。
「知ってるんじゃないですか。」
[ふふ、ですから知りません。それより、コテツさんは色々と責任を感じ過ぎだと思いますよ?ひょっとして私が王城を出たことにも罪悪感を感じていたりしませんか?]
「それは……まぁ、俺がいなければこうして逃避行をする必要が無かったでしょうし。」
別に間違っちゃいないと思う。
すると微かな吐息がイヤリングを震わせた。
[はぁ、やっぱりそうでしたか。でも私がその必要はないと言っても、あなたはきっと勝手に責任を感じて――この場合だと、私を守り抜こうとするのでしょうね?]
「すみません。」
[謝らないでください。それに、あなたが守ってくれること自体は私はとても心強いと思っていますよ?むしろこちらから感謝しないといけません。……ありがとうございます。]
「そんな、わざわざ良いですよ。でもまぁ、それならこっちも精一杯頑張らせていただきます。」
[私はいつでも、どんな相談にも乗りますからね?」
「はは、そりゃ心強いですね。いざとなったら頼りにさせてもらいます。」
「……厄介な人ですね。]
「え?」
厄介?
[いいえ、何でもありません。あ、先生が戻ってきました。……おやすみなさ……あ、いえ、その前に、明けましておめでとうございます。]
「え?ああ、そうでしたね。明けましておめでとうございます。」
そうか、もう正月かぁ。
「ええ、私も今まですっかり忘れていました。ではおやすみなさい。コテツさんもちゃんと寝ないと駄目ですよ?」
「はい、分かりました。おやすみなさい。」
虚空に頭を下げ、一抹の名残惜しさと共に右手をイヤリングから離す。
……にしても、責任を感じ過ぎ、か。
ネルにも同じようなことを言われたな。どんな相談にも乗る、という進言も含めて。
そしてさらには俺の側にずっといる、なんて言ってくれ、告白までしてくれた。
対して俺はと言えば、あいつを騙してファーレンから転移させるって形で返事したんだよな。
改めて考えてみると酷いったらない。
「はぁ……、なんだかハイドン領に行きたくなくなってきたなぁ。」
どの面下げてネルと再び会えと言うんだろうか。
『フォッフォッ、ルナベインもおるかもしれぬの。』
……ベン達を送り届けたらさっさと身を隠して逃げようかな。
「急にどうしたのよ?」
そんなことを考えていると、正面から声が掛けられた。
「ん?」
下ろしていた視線を前に向ける。そこでは馬の腹から頭を持ち上げたユイが、燻る焚き火越しにこちらを眺めていた。
「おう、明けましておめでとう。でも朝まで時間はあるんだから、まだ寝てて良いんだぞ?」
数時間、ほとんど休みなく馬を走らせて逃げ続けてたんだ。体力的にも精神的にも相当疲れてるだろうに。
「ええ、明けましておめでとう。まったく、あなたがずっと話していてうるさいから禄に眠れなかったわ。初夢をどうしてくれるのよ。」
嘘つけ。ついさっきまでどこからどう見てもぐっすりだったぞ。
証拠だってある。
「……ヨダレ。」
呟き、自身の口の端を軽く叩いて見せる。
まぁ、ほんのちょっぴりだけだけどな。
「え!?」
笑いながら言ってやると、ユイはバッと顔を隠して俺から顔を背け、魔法の水で顔を洗い始めた。
そこまで慌てなくたって良いのに。
そして顔を洗い終えると、ユイは小さな咳払いを一つして俺に改めて目を向けた。
「……こほん、それで、何を言われたのよ。」
「というと?」
「どうして急に、ハイドン領に行きたくないだなんて言い出したのよ。」
……あーなるほど、俺が何か言われたせいで心変わりしたと思ってるのか。
「いや、もちろん行きはするさ。ただ、ちょっと会うと気まずい相手が向こうにいるのを思い出してな。」
「ルナさんのこと?」
「うんまぁ、間違っちゃいない。」
ていうか半分正解だ。
「はぁ、心配して損したわ。そもそもあなたとルナさんって友達の関係ぐらいまで仲直りしていなかったかしら?」
「いや、実はルナの奴、俺のことをまだ好きでいたみたいでな?」
自分で言うのが照れ臭く、頭を掻きつつ笑って言う。しかし返ってきた反応は実に淡々としたものだった。
「ええ、そうでしょうね。」
「え?知ってたのか!?」
「当然でしょう?というより、気付いていなかったのはあなたくらいよ。この鈍感。」
「そんな、馬鹿な。」
今までのあれやこれやで鈍感なのは――渋々ながら――認めはしよう。それでも俺しか気付いていなかったというのは流石に信じられない。
「馬鹿なのはあなたよ。まったく。」
固まった俺を睨みつけ、彼女はおもむろに立ち上がってこちらへ歩き、俺の隣に石の台座を作り上げそれに腰掛けた。
「……クロが寝づらそうだったから。」
どうした?と俺が尋ねる前にユイは小声でそう呟き、
「クロ?」
「あの子のことよ。」
聞き慣れない名前を聞き返すと、今さっきまでクッションにしていた馬を指差して見せた。
名前、付けてたのか。
「黒、ねぇ……。もうちょっと捻ったらどうだ?」
絶対に黒毛だからって付けた名前だろ。
「うるさいわね。シンプルイズベストよ。」
「そうかい。なら黒毛の馬がもう一匹やって来たらなんて名付ける?」
「……クロ助?」
「ほう?雌だったら?」
「……クロちゃん?」
駄目だこりゃ。
小さく噴き出すと、ユイは「そんなことより!」と少し強めの語気で強引に話題を変えに掛かった。
「あなたはどうしたら一緒に来てくれるのよ?」
「いや、一緒に行かないとは言ってないだろ?」
見上げてくる彼女に苦笑して返す。
「そうだったわね。じゃあ、ルナさんと何が……待って、あなたがルナさんの好意を知ってるってことは……ルナさん、二度目の告白をしたのね?」
「やっぱりテミスの力なんて必要ないだろお前。」
あとどうして俺がルナの好意を知ったって情報だけでそんな正確に推理ができるんだ!
『鈍感じゃからの。』
……そこまで酷いのか?
「それはつまり、正解ってことね?」
「花丸が欲しいならはっきりそう言え。その得意気な顔にでっかく書いてやるから。」
近場に油性マジックが無いのが口惜しい。
「ふふ、そしてあなたが気まずいって思ってるのは……。」
俺の憎まれ口を鼻で笑い飛ばし、さらに推理を続けようとしたユイは急にその言葉を止めた。
信じられない、と言いたげな目がこちらを見上げる。
「……フッたの?」
「……まぁ。」
その大きな目がさらに見開かれた。
「そんな……。どうしてか、聞いても良いかしら?」
「他に好きな奴ができた。それだけだよ。ルナには悪いと今も思ってる。」
「そう……ルナさん、頑張ったのに。」
まるで自分のことかのように悲しそうに呟き、目の前の弱まった火へと視線を移すユイ。
そんな彼女に何も言えず、ただ一緒になって燻る炎を眺めていると、ユイが小さく口を開いた。
「その、好きな相手って、誰?あなたにルナさんをフラせるような人なんて、早々……「ネルだよ。」……そう。」
単刀直入な問いに、苦笑しながら端的に答える。
「まぁ、そのネルともあまり顔を会わせたくないんだけどな。」
「え?どうしてよ?」
「あー実はな……」
怪訝な目を向けてきたユイに、俺はネルを騙して逃がした時のことを、俺自身の情けない話とかは抜いて、掻い摘んで話してやった。
「……最低。」
返ってきたユイの一言目はなかなかに辛辣だった。
ただまぁその評価には俺も概ね同意する。
「だろ?だからハイドン領には行きたくないんだ。」
「は?何言ってるのよ。あなたは絶対にハイドン領に行って、ネルさんにもう一度会わないといけないに決まってるでしょう?」
「……決まってるの、か?」
ひしひし感じる怒気に怯えつつ、恐る恐る聞き返した途端、ユイは一気に声を荒げた。
「当たり前よ!そしてそのままネルさんに一発、いいえ、十発ぐらい思いっ切りぶん殴られなさい!良いわね!?そして私の目からは逃げられないことも忘れないように!」
しまった。共感を得ようと思ったのに、反感を爆買いしただけだった。
今のユイの目からは侮蔑以外の感情を見いだせない。求めた同情なんて欠片もない。
「返事は!」
「……うい。」
果たしてネルは十発程度で済ませてくれるのかね?




