血
騎士達が十分に離れたことを爺さんに確認させた後、辺りに充満していた煙を一息に晴らしてしまうと、隠されていた周囲の惨状が顕となった。
一太刀の下に斬り伏せられ、転がる死屍累々からは大量の血液が流れ出し、周りの地面をも暗い赤に染めている。
その屍の幾つかに巻き付いた木の根は、間違いなくトレントの物だろう。
そんな中を、足の踏み場に気を遣いながらユイ達の元へと歩きつつ、片手を上げて呼び掛ける。
「二人ともお疲れさん!敵はもう退いていったぞ。無事だったか?」
すると、馬を背にしてそれぞれの得物――ユイは刀、クレスは魔導書――を構えていた二人は、まるで糸が切れたようにその場に座り込んだ。
「おいどうした!?」
慌てて駆け寄る。
騎士達は二人の元には辿り着いていないはずだ。爺さんにも見守らせていたから間違いない。
魔法の流れ弾でも当たったか?
思った矢先、ユイがこちらに掌を見せて首を振り、小さな笑みを向けてきた。
「大丈夫よ。気を張り続けていたせいで少し疲れただけだから。というより、煙幕を使うなら使うで先に言いなさいよ。」
「あー……、そりゃすまん。」
頭の後ろを掻いて謝る。
ただ、あのときは一刻を争っていたんだから許してほしい。何せ騎士団と俺達の間でくの字の位置関係ができている内でないとあの作戦は成り立たなかったのだ。
もしも完全に並走でもされていたら、煙幕が十分に広がる前に攻撃がこちらに飛んできていた筈だ。騎士達がほんの少しでも俺達の後ろにいてくれたからこそ、彼らは煙幕を一度走り抜け、結果、短くも決定的な時間がこちらに与えられたのである。
でもまぁ、そのせいでユイとクレスはいきなり視界を奪われる形となり、いつどこから襲われるのか分からないという、俺と交戦した騎士達が感じていたであろう恐怖とほとんど同質ものを味わわされていた訳だ。
精神的に疲れるのは理解できる。
だがしかし、今は一つ所に留まってはいられない。さっさと森を抜けて、ラヴァル達に合流しないといけないのだ。
「ほら立て。休むなら馬の上で、な?」
「ええ、そうね。」
ユイもそれは分かっていたのだろう、俺の言葉に二つ返事で頷いた彼女は、差し出された右手を掴んですぐに立ち上がった。
「クレス、立てるか?」
そのまま馬に乗る勇者様を左手で支えつつ、未だ尻餅をついたままのクレスへも右手を差し出す。
「っ!」
すると彼はビクリと体を震わせ、血の気の引いた顔で俺の手から身を引いた。
「ん?どうした?」
「え?あ、いえ、すみません、つい、思わず……。でも、先生達は、本当にたった二人で数千人を殺したんですね。」
自分自身で立ち上がり、真っ青なまま周りを見渡してクレスが言う。ただ、感心している風を装っているものの、その顔は明らかに強張っていた。
……なるほど、分かった。
「血は嫌いか。」
「……はい。」
予想は的中。クレスは俺から目を逸らして小さく頷き、無言で馬の上――ユイのすぐ後ろに飛び乗った。
しまったな、本人が結構気にしていたことだったらしい。
「あー、まぁ何にせよ、さっさと進もう。」
早く場所を変えないと、血みどろの景色にあてられてそのうちクレスが吐くかもしれん。
爺さん、案内は頼むぞ。
『うむ、良いじゃろう。とはいえしばらくはそのまま真っ直ぐじゃ。』
了解。
「ユイ、こっちだ。」
「ええ。」
一度振り向いて言い、ユイが頷いたのを確認して、夕焼け色の光が差し込み始めた森の中を進んでいく。
……十中八九野宿だな、こりゃ。
にしても、これで色々とクレスのことで合点がいった。俺の右手は改めて見ればトレントやら騎士達やらの返り血に塗れてるし、騎士団から逃げる途中でクレスがトレントを攻撃しなかったことも頷ける。
考えて見れば、森に入る前、親子揃って風を操り、襲い来る矢の雨を払っていたときも、ミヤさんが矢をそのまま相手に打ち返していたのに対し、こいつは防御に努めていた覚えがある。
「えーと、なんだか、意外でした。クレス先輩はファーレンでは魔術コースのナンバー2でしたし、風紀委員長もされていましたから。」
と、背後からの空気に耐え兼ねてか、ユイが明るい調子でクレスへ声を掛けた。
「情けない先輩で、すまない。」
「そんな、謝る必要なんてありませんよ。私だって人を殺せませんし。」
「え?勇者なのにか?」
「うっ、はい……。」
クレスの素直な驚きは、ユイの心にグサリと突き刺さったようだった。
「でもそれにしては、死体にあまり動じないね?」
そういやそうだ。
クレスの言葉に気付かされ、つい後ろを振り向くと、ユイが馬上から俺へ目を向けていた。
「それはたぶん……慣れたから、ですね。」
慣れた?
「慣れた?」
俺の心をクレスが代弁してくれた。
「私は一年間あの人と旅をしたんですけれど、その間、ヴリトラ教徒に何度か襲われることがあって……。」
「ああそうか、先生がその全てを……。」
「はい。」
そういうことか。
「悪いな、配慮が足りてなかったみたいで。」
「配慮なんてしなくて良いわよ。それに、死体を見たぐらいで気分を悪くしているようだったら、白魔法使いとしての道も歩めなくなるじゃない。」
「あ、おい馬鹿。」
死体を見たぐらいでって、お前の後ろにいる奴はただの血すら駄目なんだぞ?
「……すまない。」
「ち、違います!クレス先輩を貶した訳じゃなくて……。ほ、ほら、あなたも何か言いなさいよ。」
言葉の流れ弾が直撃したクレスに慌ててユイが弁解しようとし、しかしできず、彼女は何故か俺へと話を振った。
俺はカウンセラーじゃないぞ?
「えーと、まぁほら、お前は本来は冒険者ギルドの職員なんだし、血を見たら気分が悪くなることなんて気にしなくていいんじゃないか?」
「僕は、元々冒険者になりたかったんです。ただ、ゴブリンをどうしても殺すことができず……断念しました。」
「そ、そうか。」
前にネルの言っていた、最初の壁って奴に思いっきりぶち当たった訳か。
「それでよくレゴラスはお前をミヤさんの護衛に選んだな?」
「両親は、知りませんから。おそらく僕が初めからギルドで働こうと思っていた、と考えているかと思います。……それに、ラヴァル先生の食事を届けた時は何とか平気でいられたので、僕自身、その、“これ”を克服したと思っていた節がありました。でも今回は、少し……。」
よせばいいのに周りを見渡し、またもや顔を青くするクレス。
そりゃ何らかの容器に入れられた赤いだけの液体と、ぶった斬られた生き物のこぼす生々しい赤色とじゃあ比較にならないだろう。
しかもこいつの場合、前者でも“何とか”平気でいられたとか言ってるからなぁ……。
「そう、か。ま、まぁ、そういうこともあるさ、うん。それに、大抵の奴は冒険者なんかよりギルド職員になりたいと思ってるだろ?結果として良かったじゃないか。」
冒険者なんてギリギリ無職じゃないって立ち位置なんだし。何より冒険者には命の危険が伴うんだから。
「そう、ですね。母さんは喜んでいました。」
ミヤさんか。うん、喜びようがすぐ思い浮かぶ。
「僕も、冒険者ギルドでの仕事は好きです。ギルドの職員程様々な魔物の素材に触れることができる職業はそうはありませんし、冒険者と街に並ぶ店とを結ぶ役割には何にも代えがたいやりがいがあります。……冒険者となった魔術師達と魔術の研究に加わることもできますし。」
最後は明らかに仕事とは関係ない趣味の話だからか、クレスは付け加えた後、恥ずかしそうに笑い、しかしすぐに表情を暗くした。
「ただ、やっぱり父さんに養われているような気がしてしまって、複雑な思いです。」
「冒険者になっても父親の影響があることに大差ないと思うぞ?」
冒険者をギルドの末端だと捉えても間違いはないだろうし。
「あ……、言われてみればそうですね。ははは。」
空虚な笑いを漏らすクレス。冒険者になりたいとかいうのはただの建前で、抱えているものはまた別にあるのだろう。
それが何なのかは、幸い、彼自身が今教えてくれた。
「それで?父親に養われているのが嫌だって言ってたな?つまり、ギルド職員に無条件でなれたのか?」
羨ましいと思いながら尋ねるも、クレスは首を横に振った。
「いえ、僕は正当に採用試験や面接を受けて職員になりました。ただ、そのどこかで父の介入があったことは否定できません。」
「じゃあ、そういう類のことをしたって、父親から仄めかされたり、聞かされたりしたのか?」
聞くと、またもや彼の頭は横に振られる。
「いいえ。ただ、父が何もしていなかったとしても、やっぱりギルドマスターの息子だからと特別視されはしただろうと思います。」
なんじゃそりゃ。
「じゃあなんだ。お前はなんの確証もないのに、自分がギルド職員になれたのは全部父親のおかげだった言いたいのか?」
「……全部、とは思いたくありませんが。」
心のどこかでは思ってる、と。
「はぁ……。」
ため息をついて額を抑える。
「もしかしなくても、お前、普段の仕事でも自分は優遇されてるとか考えてるだろ。」
「ええ、まぁ、少しは。」
絶対、少しどころの騒ぎじゃないな。
贅沢な悩みだ。
「……確かに、大なり小なり、お前の父親の影響はどこかしらにあるだろうな。いやわむしろ無いって考える方が不自然だ。何せギルドマスターなんだから。」
「はい、ですから……」
「ただ、それはつまり、それだけ期待されてるってことなんだぞ?お前にはきっと父親と同じだけの能力がある筈だ。皆がそう踏んでいるからこそ、お前への評価は甘くなってるんだ。……もしも本当にひいきなんてあっていたらの話だけどな?」
クレスの話を聞いていると、彼は普通に評価されただけでも、父親の影響が働いているだけだって捉えているように思う。
被害妄想ならぬ優待妄想とでも言うべきか。
「ですから、僕は平等に評価された上で、一人前だと認め「無茶言うな。お前の父親はギルドマスターだぞ?ぶっちゃけ、その影響を振り切るには他国に行くぐらいしかない。」……うっ……そう、ですね。」
クレスの言葉を遮り、軽く笑いながら言ってやれば、彼は言葉に詰まって小さく頷いた。
「ったく、そもそもの話、他人より何かを上手く為したことで、お前が他人に対して罪悪感を感じるのは大間違いだろうに。」
「え?」
断じると、クレスは虚を突かれたような顔でこちらを見返す。
「ひいきされているにしろ、されていないにしろ、成功できて他人に申し訳ないとか、そんなアホみたいなこと考えてる暇があったらもっと上を目指すべきなんだよ、お前は。自分の地位や評価が人より高いのはひいきのおかげだとか言うんだったら、そのされたひいき分が誤差程度にしか思えないくらい地位や評価を高めるよう努力すれば良い話だろうが。」
何を悩む必要がある。
「でもそれは他の皆に対して不公平じゃないですか。」
「だからどうした。その不公平はお前の父親がギルドマスターとして頑張って来たから得られたものだろ?そんな父親の息子は当然……。」
「周りからも期待されている、ですか?」
「その通り。お前は自分が他人より優位にいると思っているみたいだけどな。その実、プレッシャーが人一倍キツくのしかかってる。それを忘れて今の立場に胡座をかいてみろ。ひいきどころか周りから馬鹿にされるようになるぞ。」
人並みに成功するのは当然で、失敗すれば親の七光と揶揄される。常に人並み以上の成果を求められるなんてのは決して楽なことじゃない。
むしろそんな苦境を乗り切るためにひいきやら何やらは熱心に利用すべきだ。クレスはただただ真面目過ぎてそれに引け目を感じているだけだろう。
「それでも、やっぱり妬まれませんか?」
ほらやっぱり。
「そんなもん、気にしてたらキリがない。一応言っておくけどな、俺はお前を羨ましいと思ってるぞ?」
「え?先生がですか?」
向けられた意外そうな表情に肩をすくめて笑ってやる。
「くはは、当たり前だ。後ろ盾はでかくて盤石で、お前自身にはちゃんとした教養と、さらには優秀な魔術師としての能力もある。……あと、母親も綺麗だしな。」
その遺伝子を継いだクレス本人ももちろん美形だ。
「ありがとうございます。……母さんは厳しいですけどね。」
言い、クレスは困ったような笑みを浮かべた。
実際、彼が日頃からミヤさんに色々と小言を言われているのは、たった数日の間とはいえ、これまで二人を近くで見てきて何となく予想がつく。
「それだけお前のことを気に掛けてるんだよ。」
「それは、分かっています。でも、正直言って鬱陶しいことに代わりありません。」
「その言葉、後で代わりに伝えておこうか?」
もちろん多少はオブラートに包んで。
するとクレスは若干の必死さを込めて首を振った。
「お願いですからやめてください。」
「くはは、そうかい。まぁいずれ感謝するようになるさ。何にせよそんな訳だから、お前は周りに気兼ねなんかせず、自分の力を思う存分発揮していきゃ良いんだよ。……あれ?元々こんな話だっけか?」
何がどうなってクレスの仕事の話になったんだ?
ふと気付いて尋ねると、ずっと黙っていたユイがここぞとばかりに声を上げた。
「クレス先輩が血を嫌ってることについてよ。急にギルドの話になんてなるから聞いてた私が驚いたわ。」
「ああ、そう、だったね。……情けない先輩ですまない。」
「え?あ……ご、ごめんなさい。」
クレスも元の話を思い出したか、再び意気消沈してしまい、言ったのが余計な言葉たったことに今更気付いたユイは、慌てて彼を励まし始めた。
血が苦手なのは……まぁ人それぞれだし、仕方ないわな。




