トレントの森
「クレス!さっきから魔素の扱いが雑よ!魔法の規模が大きい分、隅々まで意識を傾けなさい!」
「母さんと一緒にするなよ!僕は魔術師なんだ!」
「なんですって!?」
……親子喧嘩は他所でやってくれませんかね?
頭越しにされる口論にそっとため息を吐き、目の前のユイがピクリと震えてこちらを睨んてきたのには「すまん。」と小声で謝る。
「まったく。……それにしてもクレス先輩達、凄いわね。」
「ああ、そうだな。」
感心した風のユイの言葉は俺の心も代弁していた。
何せこの親子、さっきからずっと言い争っているってのに、飛んでくる矢と魔法の全てに完璧に対処し続けているのだ。
一応俺も役に立とうと作ったクロスボウで魔法の迎撃をやっているものの、それすら彼ら二人が対処している数に遠く及ばない。
と、そんなことを思っていたら1本の矢がクレスの風の盾の縁を素通りした。
その向かう先は幸か不幸か俺自身。
『いったいどこが“幸”なのかの?』
自分で対処しやすいってところに決まってるだろ。
爺さんに返答しつつ、迫る矢を腕で軽く払い除ける。途端、ミヤさんが怒りを爆発させた。
「大丈夫ですか!?……クレス!だから雑になってると言ったでしょう!?謝りなさい!」
……そこまで怒らなくても良いのに。
「……すみません。」
「あーいや、良いよ良いよ。ほら、こうして無事だったし。ミヤさんも、あんまり怒らないでやってください。」
流石に反論できなかったか、クレスはこちらへ殊勝に頭を下げ、対する俺は笑って返し、ついでに親子の仲裁を図った。
「いいえ、こういうことは二度とあってはいけません!まったく……あの子は本当はちゃんとやればできる子なんですよ?」
「あ、はい。」
そしてあっさり失敗した。
……クレス、頑張れ。
「頭を下げて!森に入るわよ!」
と、待ちに待った言葉をユイが口にした直後、視界が一気に暗くなり、飛んでくる攻撃の密度が激減する。
理由は簡単、鬱蒼とした森の木々が相手の矢や魔法の大部分を防いでくれたのである。
もちろん、森の妨害を掻い潜ってこちらへ届くものはある。しかしその数は俺一人で十分に対応できる程でしかない。
おかげでクレスとミヤさんは馬を走らせることに集中でき、こちらの全体的な逃げ足も速くなる。
ベンの方針は正しかった訳だ。
「逃がすな!あと少しだ!追え!追え!追え!」
「何があっても見失うな!」
だがしかし、敵の移動速度が予想やり早く、森に辿りつくまでに彼らの声がはっきり聞こえるほど接近されてしまったのは痛い。
それでもここで何とかして相手を撒いてしまわないといけない。……そしてそれは少なくともこのままじゃ無理だ。
「ミヤさん、ここからは別々に別れませんか?その方がきっと動きやすいし、その分逃げやすくもなる。」
だから木々を一列挟んだ向こうを走るミヤさんにそう提案すると、彼女はチラと背後に視線を送り、再び前に目を向け、目を閉じてかぶりを振った。
「いいえ、むしろあなた方二人は私と一緒にいた方が良いでしょう。」
「え?そりゃどういう……「屈んで!」っ!?」
突如、ユイに回した左腕が強く引っ張られ、俺は彼女をに覆い被さるように身を屈めさせられた。
ゴウ、と風が鳴り、俺の頭すれすれを太い枝が通り過ぎる。そこから生えた細枝や緑の葉には頭を思いっきり叩かれたものの、太い芯にぶつかってユイ共々落馬するよりは遥かにマシだ。
「ふぅ、危なか……っ!?」
ホッとしながら後ろを振り向き、馬の真後ろの土が大きく舞い上がったのに目を見開く。
今さっきギリギリで回避した枝が地面を叩きつけていたのである。
そして地面を抉ったその枝を生やした木の幹は、まるで曲がった腰を伸ばすように姿勢を正して何の変哲もない樹木となる。
「……トレント、だったか?」
そういやセラがここをトレントの森だとか言ってたな。
確かBランク昇格依頼で来たっけか……懐かしい。
「でしょうね!また来るわ!」
思い出浸る間もなく再びぐいと引っ張られる。前を見れば、頑丈そうな黒い枝がしなって俺の顔面に迫っていた。
さっきのトレントの垂直な振り下ろしに対し、今度のヤツが放ったのは水平なフック。その低めな高度からして避けられそうにはない。
間に合うか!?
魔力を総動員し、黒馬の目の前に迫る一撃に対して斜めに壁を作り上げる。
しかし、トレントは俺の予想していた以上に力が強かった。
“対象に対して斜めに作り上げる”という、衝撃をいなすための小細工も虚しく、急造の黒い壁はあっさりと砕かれる。
「くそっ!」
「まだよ、ピラー!」
悪態をつき、ユイを抱えて馬から飛び降りようとしたところで、そのユイが右手の平を前に伸ばした。
すると地面から石の槍が勢い良く生え、枝――というよりかトレントの腕――を突き刺したかと思うと、そのままそれを押し上げて俺が頭を打たないギリギリの高さの歪なアーチを為した。
それを潜り抜け、思わず安堵の息が漏れる。
「ふぅ、危なかった。助かったよ、ユイ。」
「ふふ、これぐらいなんてことないわよ。」
「お、そりゃ頼もしいな。」
褒めるついでにユイの頭を右手で撫でてやる。
「やっぱり、トレントと普通の木との見分けられていませんね?」
すると、さっきと全く同じ位置関係を保っていたミヤさんが深刻そうに聞いてきた。
「いえ、気配察知である程度は分かります。」
「いくら先生でも、気配と視界の照合は馬を走らせながらだと難しいですよね?」
「まぁ、うん、そうだな。」
母親の後ろに付いて走るクレスの言葉には反論できず、苦笑い。
代わりにユイが口を開いた。
「その口ぶりだと、あなた達二人はその見分けが付くみたいですね?」
「ええ、詳しく知りたければ後で話しますね。とにかく今はクレスの後に付いてきてください。私は前の3人を先導しに行きます。」
そう言い残し、馬を加速させて前を走っていたベン達と並走したミヤさんは、すぐに彼らの先頭を走り始める。
「それじゃあ、行くよ?」
「先輩、よろしくお願いします。」
「ああ、任せてくれ。こっちだ。」
クレスも同じように俺達の前へと出、頼もしい言葉と共に早速ミヤさんの通った道を外れた。
「え?ミヤさんと同じ道を行くんじゃ……。」
「こっちの方が早いんだ。外に出たら僕達の方が母さん達を待つことになるよ。」
困惑するユイをクレスが優しく諭し、その間にミヤさん達一行の姿はあっという間に見えなくなる。
爺さん、本当にこっちの方が早いのか?
『まぁ、そうじゃの。お主らが取っておるのは森の真ん中を突っ切る道筋じゃ。ただ……』
なんだよ?危険がいっぱいか?
『……まぁ、トレントの密集地帯を抜けることにはなるの。』
「クレス!その先はトレントが多いぞ!?」
「それぐらい分かってます!」
焦って声を上げるも、クレスは聞く耳持たずに突っ走る。
頼もしいのか無謀なだけなのか……前者でありますように。
「うっ……。」
突然、ユイが身体を少し強ばらせ、うめき声を漏らした。
「ユイ?どうした?」
「あ、あれ……。」
「あれ?……あー、なるほど。」
彼女が指差した先――前方の木の根本には、人の足が生えていた。その足裏は天を向いており、膝から上は見当たらない。……まぁ十中八九地面の下に埋まっているのだろう。
地上に突き出たそれに張り巡らされた細い木の根は、栄養を今現在も吸い取っているに違いない。
ただ、俺の正直な感想は、なにを今更、だ。
「なんだ、怖いのか?」
「別に。……でも気味が悪いわ。」
「くはは、そいつは良かった。どうもそこら中で魔物も人も食われてるみたいだからな。ここでパニックになって俺ごと落馬されたら確実に騎士団に捕まってしまう。」
「え?そこら、中?」
やっぱり気付いてなかったか。
「おう。ほら、あれはゴブリンの足だし、隣にあるのは明らかに蹄だ。あそこには人の手もあるな。で、ちょっと上に目を向ければ枝に挟まってミイラになった鳥もそこかしこにいるぞ。」
呆然とした様子のユイに、見渡す限りにある様々なトレントの被害者達を指差して見せる。
2年程前、これを初めて見たときは衝撃的だったなぁ。
「ていうかお前、昇格依頼でジャイアントトレントを討伐しなかったのか?」
「したわよ。ただ、その、“これ”を見るのは初めてだっただけ。……私達、大丈夫よね?」
「まぁ、少なくとも数万の軍勢を相手するよりはマシだな。」
「……全然安心できないのだけれど。」
「くはは、そりゃすまん。ほら、前を向け。トレント共が動き出してるぞ。」
前――クレスの周りの樹木全てが大した風もないのに大きく揺れている。それはつまり、あれら全てがトレントであるということ。
ちなみにBランク昇格の際の討伐目標であるジャイアントトレントとは、トレントの中でも特に大きいものの呼び名で、その力も普通のトレントの数倍はある。
そして見る限りでは、ここら一帯のほぼ全てのトレントはそれに該当するようだった。
そんな中を前を走るクレスの頭へ、杭のように尖った巨大な枝が唸り声を上げて振り下ろされる。
「クレス!上だ!」
「はい、分かっています。」
大声でした警告にクレスがこちらを向いて頷いたかと思うと、彼の馬は急に加速し、致命の一撃を華麗に回避。真後ろで地響きがしたのに構わずそのまま森の奥へと突き進んでいく。
加速陣か。
前もって用意していたのか、馬に揺られながらも用意できるほど器用なのか、どちらにせよ、クレスは先のことをちゃんと考えてはいたらしい。……自分自身に関しては。
「あ、先輩!?待って!」
翻ってこちらは加速陣なんて便利な物は持っていない。よって景気良く駆けていくクレスに追いすがるには馬に無理をさせるしかない。
『元々、禄に馬にも乗れぬ重しがおるというのにのう。』
まったくだ。
『少しは否定せんか。』
そりゃ否定したいさ。
しかし流石というべきか、あらゆる方向から巨大な棍棒が振るわれる中、ユイは巧みな馬の操作で駆け抜け、先を行くクレスになんとか喰らいつき続けた。
それでも馬にだって限界はある。
というかそもそも加速陣の有無という差か少しばかり大き過ぎた。
クレスの姿が次第に小さくなり始め、こちらの乗っている黒馬の呼吸が荒くなってきたと思った直後、フワリと身体が浮いた。
「えっ!?」
「うぉぁっ!?」
馬が転けたのだ。
前のめりに宙へ投げ出されながらもユイを左腕で抱えたまま姿勢を調整。黒銀を発動させた右肩から地面に着地する。
そして感じた予想以上の衝撃に思わず呻き声が漏れた。
「アイタタ……ユイ、無事か?」
「え、ええ、ありがとう。」
抱きかかえたユイの返事に胸を撫で下ろし、そっと彼女を開放してやる。
「コテツ先生!ユイ!?」
するとそこでクレスが俺達の状況に気付いて馬を止め、こちらへ馬を向かわせた。
なんだ、あいつも一応こちらを気にしてはいたのか……っ!?
「馬鹿!左だ!」
「危ない!」
「え、左?どっちの……ぐぁっ!?」
そんな彼を――俺とユイの警告虚しく――木製鈍器が真横から馬ごとぶん殴り、勢い良く吹っ飛ばした。
ちなみにその攻撃の方向は“俺から見て”左だ。
「クレス!」
「先輩!」
ユイ共々慌てて起き上がり、飛んでいった彼を追う。
「奴ら馬から落ちたぞ!」
「決して逃がすな!ここで捕らえろ!」
遠くから聞こえてきた笑い声や強い命令口調は王国騎士団のもの。森に入ってからここまで矢やら魔法やらの攻撃をしてこなかった分、俺達と違い、トレントの攻撃をちゃんと躱してきたよう。
「いた!」
前方を指差し、ユイが声を上げる。
見れば、そこでは腹部の破裂した馬が倒れており、そして血塗れのエルフが片足をその下敷きにされていた。
馬の方は血をぶちまけて内蔵も飛び出てと悲惨な状態にあるものの、その乗り手の方は見た目に反してまだまだ元気があるようで、足の上から馬を退かそうと躍起になっている。
「ユイ!」
「任せて!」
俺が呼び掛ける前にユイは既に動き出しており、クレスの前で跪くなり彼の額へ指先を当て、白魔法を行使した。
「良かった、大した怪我はないわ。……オーバーパワー!」
輝いた白い光が和らぐと、今度は蒼白い光を身に纏い、ユイが見るも無残な状態の馬をクレスの上から引き摺って下ろす。
「……ありがとう。」
「どういたしまして。立てますか?」
「ああ、問題ないよ。」
そして彼女が差し出された手をクレスは首を振りながら押し戻し、よろけつつも自分の力で立ち上がった。
少なくとも誰かが彼をおぶっていく必要はなさそうだ。
「この辺りに逃げた筈だ!探せ!」
「怪しい影があればすぐに報告しろ!敵はクロダコテツだ、油断するな!」
「トレントにも気をつけろ!」
敵の声、そして何頭もの馬の駆ける音がすぐそこまで迫っているものの、どうやらこちらの姿はまだ捉えられていないよう。
まぁただでさえ視界の悪い森の中で、トレントに警戒しながらの人探しだ。ある程度杜撰なのは仕方がないのかもしれない。
とは言え、このまま何もせずにいれば捕まるのは時間の問題だろう。
「……私が引き止めるわ。これでも勇者だもの。アオバ君も私にはそんなに酷い事はしない筈よ。」
キン、と微かな金属音をさせてユイが草薙ノ剣の鯉口を切る。しかし俺はすかさず左手でそれを制した。
怪訝な顔をする彼女に対し、右人差し指を口の前で立てて見せ、そのまま中指の指輪に話し掛ける。
ユイの目が険しくなったけれども、今は背に腹を変えられない。
「サイ、兵士を3体、適当な布を着させて寄越せ。」
[承知。]
返事が返ってきた数秒後、要請通りボロ布を纏った骸骨3体が俺の前に跪く。
「こ、これは……。」
それを見て息を呑んだクレスは今は無視。アンデッド達に体を向けたまま、こちらに一番近い騎士達のいる方を指差す。
「あいつらに見つかるように、全力で走れ。」
そしてそう命令を下すと、骸骨達は無言のまま俺の示した方向へ走り出した。
王国騎士団なんていうエリート部隊に所属する騎士がすぐ脇を駆け抜ける人影に気付かない訳もなく、俺達の目と鼻の先まで来ていた一団は踵を返してアンデッドを追っていった。
上手く行ったか……。
『すぐにバレるとは思うがの。』
それでもまぁ、時間は稼げた。爺さん、案内を頼むぞ。
『良いじゃろう。』
「よし、逃げるぞ二人共。こっちに……。」
「「……。」」
呼び掛けながら振り向くと、元ファーレン生二人はなんだか微妙な表情をしていた。
誰も捕まらずに済んだんだからこれ以上ない結果だろうに。……あんまり嫌ってやるとアンデッドだって悲しむぞ?
『それはないの。』
そうかい。
「はぁ……ほら、行くぞ。」
……クレスの馬を蘇らせるって案は言うだけ無駄だなこりゃ。




