しつこい追手
ある特定の模様を為すように魔素を流し、摩訶不思議な現象を引き起こす。
魔術をなるべく簡潔に説明すると、この一文に落ち着くらしい。
「……つまり、魔法陣とは魔素を正確に操作するためのただの道標であり、決して必要な物ではないんです。魔素を決められた方向に流し続けることさえできれば魔術は成立させられる。これがいわゆる魔術線の発想というものです。それを用い、魔素を決まった方向へ流すというだけの効果をもつ魔法陣を複数用いて巨大な一つの魔法陣を描いているのがこの魔法陣なんです。」
イベラムの外壁から両手を離し、クレスはそう言って説明を締めくくった。
「これを利用すれば大きな結界を張る際にわざわざ労力のかかる、描く際に角度がズレてしまいやすい巨大な魔法陣を描かずともよくなります。加えて、一つの魔法陣を起動すれば自動的に他全ての魔法陣にも魔素が流れ込むので、発動の手間は変わらないんです。それに……」
いや、この野郎、まだ全然締めくくってなんかなかった!
だがしかし、こいつをこちらへ転移させてからの一時間弱でこのアホみたいに勤勉なエルフの御し方は一つしかないことは分かっている。
それすなわち、羅列されていく言葉に無理矢理割り込むのだ。
「おいクレス!説明はもう良い!それより魔法陣は解除できたのか!?」
「いいえ。」
そして大声で俺がした問いに、あろうことかクレスは首を横に降りやがった。
じゃあなんでそんな余裕そうなんだよ!?
「解除するには僕では時間がかかり過ぎるので、魔法陣の機能を一時的に停止しました。」
この際どっちでも良いだろうが!
クレスの言葉に怒鳴り返したいのを堪え、胸元目掛けて突かれた槍の柄を左手で掴んで左方へ引っ張りつつ、相手の兜に右拳を叩き込む。
「っ!く、そ……たった一人に、やられて溜まるか!」
しかし顔をまともに殴り飛ばされた騎士は槍を手放してしまいはしたものの、たたらを踏んで倒れることだけは避け、そして俺の追撃を恐れたか、大きく距離を開けて腰に帯びた剣を抜いた。
そう、只今戦闘の真っ最中である。
にしても殺さないよう手加減したとはいえ、存外しぶとい。ただ、今は距離を離させただけでも十分だ。
右耳を抑える。
「ユイ!良いぞ!」
[良かった、なんとか間に合ったわね……。皆……!]
「舐めやがって!ペネトレイトォッ!」
ホッとした様子のユイの声が聞こえた直後、相対していた騎士が蒼白い光を纏わせた剣で突きを繰り出し、
「おっと。」
「ぐぶぉっ!?」
それを躱した俺の左肘を顔面のド真ん中で受け止めた。
男はそのまま仰向けに倒れて沈黙。そいつを周囲に倒れているその仲間達と一緒にワイヤーで縛り上げ、ユイとの念話を再開する。
「ユイ、無事に転移できたか?」
[ええ、おかげさまで。あなたはどう?怪我は?]
「してない。」
[嘘だったら承知しないわよ?]
「あのな、少しは信用してくれても良いんだぞ?それに今の俺なら自分の傷は自分で治せる。」
魔法陣のおかげで。
[……そう、だったわね。えっと、クレスさんは?]
「ん?ああ、あいつなら……壁に頬擦りしてる。」
[……え?]
「あーうん、ちょっと今の状況は説明し辛いな。」
本当、何やってんだあいつ。
[そ、そう?とにかく、あなた達も早くこっちに来て。]
「了ー解。」
間延びした返事をしながら、完全な変質者と化しているクレスの元へ歩いていく。
俺の今いる、家屋と石壁の間にできた大きめのT字路には縛られたイベラム騎士団が至る所に転がっており、しかし大した騒ぎにはなっていない。
というのも、ここは――昼間の今ですら日照権を奪われているため――人通りが極端に少ないのである。道そのものが薄汚れているし、物の腐ったような悪臭も微かに漂っているから必要がなければ俺も進んで寄ろうとは思わない。
だからか、ケイによればここにいるのは単純に貧しい、もしくは複雑な事情でお天道様の元に出て行けない者ばかりだそう。
実際、気配察知で何十人もの気配を感じるものの、視界には誰一人入ってこない。しかしチラと周囲を見渡せば、目の端で慌てたようにボロ布が動いたり窓が閉じられたりするので、こちらを伺ってはいるらしい。
何にせよ、誰も騎士団に通報しないでくれたおかげで何十人もの騎士が一気に襲ってくるなんてことはなく、俺は断続的にやって来る5〜6の集まりに対処するだけで済んだ。
「……ケイの言うとおりだったな。」
魔法陣を持って先に街を出るとあいつが言い出したときは耳を疑ったけれども、今なら妥当な判断だったと分かる。
さて、今現在俺の目の前で石壁に顔を押し付けているクレスも思慮深い判断の上でそんな行為に至っているのだろうか。
もしそうだったらビックリだ。
「おいクレス、何やってるんだ?俺達もさっさと街を出るぞ。」
「はい。でも、あと少しだけ待ってくれませんか?この魔法陣をもう少し堪能させてください。」
……堪、能?
「えーと、そんなに凄い魔法陣なのか?」
聞いた途端、クレスがキラッキラした目をこちらに向けてきた。
……しまった。後悔先に立たずとはこのことか。
「はい!この魔法陣は凄い、いえ、素晴らしいものです!もちろん、これはイベラムの守護の要の一つですから、とても丁寧に作られた代物です。が、しかし何よりもこれは“魔法陣が少しでも傷ついたら機能しなくなる”という魔術における最大の弱点をある程度補い、その上修復機能まで兼ね備えているんです!まさかこんなことが可能だったとは……。だというのにここには突飛な技術は一切使われていない。いえ、むしろ考えてみれば実現できて当然、というよりも何故今までこれを思いつかなかったのか僕自身を叱咤したくなります。他にも流れた少量の魔素を呼び水に大量の魔素を集めるという機構、さらにはその魔素の全くと言っていいほど無駄のない利用……もう、ただただ見事としか形容しようがありません。」
「そ、そうか。」
なんか凄いんだな。それだけは分かった。
「それでも急がなきゃならないのはお前も分かってるだろ。またいつ騎士団がやって来てもおかしくないんだぞ?」
ったく、この魔術オタク、いや魔術馬鹿め。
転移阻止の魔法陣の位置を特定するためこちらへ呼び寄せたは良いものの、聞いてもないのに、そしてこっちが戦闘中なのも無視して、延々と魔法陣の解説を垂れ流しやがって。敵さんも戸惑ってたぞ?
ケイが離脱した理由の何割かは、だらだらと続く講釈が嫌になったからだと断言できる。
「そう、ですね。すみません……行きましょう。」
それでもまぁ、物分かりは良いのがせめてもの救いかね?
跳ねる身体を力で御し、間違っても地面に落ちないよう、目の前の手がかりに必死にしがみつく。
「ちょっと、あんまり力を入れないでくれるかしら?あなた、馬鹿力なんだから。」
「不可抗力だ!」
その手がかり――ユイからの不平に叫び返すと、深ぁいため息が返ってきた。
「はぁぁ、まったく、数万のスレイン軍と戦うよりは楽でしょう?」
「そりゃあ、まぁ……少しは。」
「少しなのね……。それで、追手の方はどう?」
爺さん、どうだ?
『変わらず、距離は徐々にに詰められておるの。お主ならもうそろそろあれらが見えてくるのではないかのう。』
「駄目だ。やっぱり向こうの方が早い。」
イベラムから追手が掛かったと爺さんから警告されたのは既に数時間前。ところどころに雪の積もった平原で馬で駆け続けているものの、どうも追手は振り切れそうにない模様。
一応時間稼ぎのため、これまでに地面から約20cmの高さにあたかも巨大な琴の弦のようにワイヤーを張ったり、トラバサミなんか作ったりと罠を色々張りはした。ただ、今の所その効果は全く現れていないようだ。
『うむ、全て魔法一発で破壊されたの。』
本当、魔法って厄介過ぎる。
「あなたを馬に乗せてまで速度を上げたのに……。やっぱりちゃんとした馬具の有る無しが関わってくるのかしら?」
「……なぁ、そんなに俺を馬に乗せたくないのか?」
乗せて“まで”ってどういうことだよ。
「当たり前でしょう?まったく、未だに信じられないわ。あなたを乗せる馬がこんな馬鹿力で首を締められていたなんて。」
俺の問いに淀み無く返し、ユイが自身の脇下から回された俺の腕を数度突っ付く。
そう、俺は今馬に乗っているのである……ユイを背中から抱き締める形で。ちなみに馬の毛なみは黒で、ユイ曰く頭に入った白い筋と茶色のたてがみがチャームポイントだそう。
“ポイント”というには随分広いと思うものの、言ったら怒りそうだから黙っておいた。
何故こんなことになっているのか。
その理由は簡単、連戦続きの上、さらに馬と並走するのは流石に難しかったのだ。加えて、俺が並走すると馬の方が驚いてしまうからというのもある。
「ふん、情けないなドラゴンスレイヤー。」
右を並走してするセラが鼻で笑い、しかし俺には反論なんぞできない。
むしろ大いに同意する。
「悪、かったな。」
あとドラゴンスレイヤー言うな。
「もっと身体から力を抜け。乗り手の恐れは馬にも伝わる。」
わざと不貞腐れてやると、セラはぶっきらぼうに助言をくれた。
「ふぅ……、こうか?」
「ひゃっ!ちょ、ちょっと、急に変なことしないでくれるかしら!?」
そして助言に従い、息を吐いて身体を脱力させると、ユイがビクっと肩を跳ねさせて抗議してきた。
うなじにかかった息がくすぐったかったよう。
「……セラが悪い。」
「なんだと!?」
「ウホン、そんなことより!セラ、俺達より追手の方が足が早い。このままじゃいつか追い付かれるぞ。もっとスピードを上げろって先頭のベンに言ってくれないか?」
「……やけに焦っているが、本当に追手など来ているのか?」
無理矢理話題を変えると、セラはもう見えなくなったイベラムの方を振り返り、そう疑問を呈した。
まぁ、俺もまだ視認できていないから、当然の反応ではある。
「ああ、信用してくれ。」
「セラさん、私が保証するわ。」
「そうか、勇者ユイまでそう言うのであれば、真実なのだろうな。」
俺への信頼はどうやったら築き上げられるんだろうか。
「はぁ……、分かったらもっと急ぐように……。」
「いいえ、たぶんこれが私達の出せる速度の限界よ。」
「そうなのか?」
聞き返すと、ユイとセラは同時に頷いた。
「ベンは、忌々しいことに、貴様を信じているからな。」
「なんで忌々しいんだよ。嫉妬とかなら心配すんな。俺にそっちの趣味はない。」
「誰が貴様に嫉妬などするか!……まったく、我々の速度が向こうに劣るのは当然のことだ。エルフの術で呼ぶ野生馬よりは、スレインの軍馬の方が血が良い上に鍛錬も積んでいる。」
「何よ、この子達の血が悪いとでも言いたいのかしら?」
「そうだ。野生で種の改良など、狙ってはしないだろう?」
「うっ……。」
「ただ、何よりも馬具の存在が大きいな。あれがあるだけで我々が馬に出させられる速度は飛躍的に上がる。我々が馬に乗っていられる時間もな。」
なるほど、確かに馬具がないせいで今の俺達はずっと馬の背を足で挟んでいないといけないし、あまりに馬が速いと振り落とされてしまう。
ただ座りやすくなるってだけでも色んな効果を期待できる訳だ。
「それなら俺が作ろうか?要は馬の胴体に椅子を縛り付けて、口には紐付きの猿ぐるわを噛ませれば良いんだろ?簡単だ。」
「「却下!」」
馬具の有用性に目覚めた俺が早速した提案はしかし、即座に切って捨てられた。
しかも何故かユイとセラは俺の提案に激怒していらっしゃった。
「あなたの作った馬具なんて絶対この子達に着させないって今決めたわ。」
「同感だ。貴様は一生そうやって自身より5つ以上も年若い娘にすがり付いていろ。私はベン様に追手について報告してくる。……イヤァッ!」
馬の腹を蹴り、セラが先頭――ベンの元へと駆けていく。
ちなみに、俺とユイはこの一団の最後尾を走っており、数メートル先でケイとミヤさんが、さらに先ではクレスとラヴァルが並行して走っている。
……にしてもユイと言いセラと言い、提案しただけであそこまで怒る必要はないだろうに。
脳内で愚痴っていると、鬼の副団長がとんぼ返りしてきた。
「ベンからの指示だ。我々はこの先にあるトレントの森に入り、そこで敵を撒く。」
「できるのか?」
「ベンの発案だ。当然、できるに決まっている。数の多さは全体の動きを多少なりとも鈍らせる。そしてそれは森という入り組んだ場所では顕著に現れる。」
「それに、視界も悪くなるから、追手の弓矢や魔法の危険も減るわ。」
口を挟んだユイにセラが大きく頷く。
「その通りだ。……っ、あれか!」
そして俺達にそう注意したかと思うと、セラは勢い良く後方を振り向き、悔しそうに舌打ちした。
吊られて後ろを見れば、大量の土埃を巻き上げて迫ってくる、揃いの白銀鎧を着た一団が遠目に見えた。
……白銀の鎧?
「なぁセラ、あれ、イベラム騎士団じゃないよな?」
確かイベラムの騎士達は皆赤く縁取られた鎧を着ていたはずだ。
そしてそんな俺の問いに、セラは深刻な表情で頷いた。
「ああ、あれは王国騎士団だ。……周辺の街を捜索していた隊をたった数日で招集できるとは、流石だ。」
彼女の言葉に、もう一度迫る追手を見れば、なるほど、確かに敵は50人は下らない。たった8人のこちらに対し、過剰戦力も甚だしい。
『たった二人で数千人を虐殺したお主が言うか。』
あれはアンデッドの軍隊っていう要素があって初めてできたんだよ。今だとユイが指輪を使わせてくれないし、それにそもそも、あの戦いで消耗した兵力をまだ補充できてない。
ていうか補充できる見通しすら立ってない。……そのうちファーレンに寄らないとだな。未だにユイの命令を守って死んだふり(実際死んでる。)を続けてるだろうし。
「さて、どうしようか。」
前を見れば件の森がもうすぐそこまで近付いてきている。少なくとも敵に追い付かれる前にはそこへ入ることはできるだろう。
そして幸い常緑樹で構成されているらしいあの森は敵方の視界を悪くさせる上、その入り組んだ地形も合わさって追手を撒くのに売ってつけだ。
とは言え、元々の距離が近過ぎればそれもままならない。
「待って。まさかとは思うけれど、一人で迎え撃とうだなんて思っていないでしょうね?」
時間稼ぎの手段をあれやこれやと考えて始めていると、急にユイからあらぬ疑いを掛けてきた。
思わず笑ってしまう。
「くはは、せっかく助かった命だ。そう簡単に捨ててたまるか。」
こいつは俺を自己犠牲好きの聖人だとでも思っているんだろうか?
『自殺願望のあるアホじゃと思っておるんじゃよ。』
……どちらにせよ大間違いだ。
「取り敢えず、大抵の罠は魔法で解決されてしまうし、こいつで対応するしかないかね?」
呟き、俺が作り上げたのは、かつてラダンで思い付きで作り、結局お蔵入りとなった武器――小型のクロスボウ。
それを右前腕に取り付け、射出口を背後へ向ければ迎撃準備は完了だ。
片手で用いる飛び道具ならばナイフ投げの方が魔力的に効率的であるものの、足場の安定しない今回ばかりはこちらの方が狙いやすい。
「ユイ、少しキツいぞ。」
「え?……っ。」
一言断り、ユイを左腕でしっかり抱きしめ自らのバランスを保つ。
「コテツ先生、迎撃するつもりですか?」
「ふふ、それなら私達も協力させて頂きますね。」
するとここでクレスとミヤさんが馬の速度を落として俺達の隣に並んだ。
「セラ様はベン様の元へ戻られてください。後方は我々4人で抑え撃ちます。」
「む、そうか。」
そしてミヤさんの言葉に頷いたセラは再び先頭へと馬を進めていき、その間にクレスが「コテツ先生。」と呼び掛けてきた。
「どうした?」
「ベン王子からの指示です。敵が近過ぎるので各個撃破は無し、だそうです。」
「まぁそうなるわな。それよりクレス、お前は迎撃なんてできるのか?魔法陣を描く暇なんてないぞ?」
聞くと、クレスは腰の小さなポーチから掌より一回り大きいぐらいの本を取り出してみせた。
「これでもエルフですから。単純な魔法でも戦えます。補助の魔導書もこうして持ってきました。」
……そうだった。こいつら、大抵の人間より魔力が強いんだったな。
「ええ、私が小さい頃から鍛え上げましたから。本当はこの子は魔法使いにするつもりだったんですよ?それが魔術にハマってしまって……。クレス、魔術ばかりにかまけてないで、ちゃんと魔法の練習もしてたでしょうね?」
「ちゃんとやってたから、一々そういうこと言わないでよ母さん。」
こちらに馬を寄せながらのミヤさんの言葉に対し、クレスは恥ずかしそうに返しながら器用に片手で魔導書を開いた。
頼むから俺を挟んでの親子喧嘩だけはしないでくれよ?……しっかしこうなるとクロスボウは作り損だったな。やっぱりこれは単なる浪漫武器で終わるのかね?
「っと。」
そんなことを考えている間に俺の頭目掛けて矢が迫り、俺はそれを咄嗟に右手で掴み取った。
……敵に追い付かれる心配より先に敵の攻撃を捌き方を考えるべきか。
ポイとその矢を脇に投げ捨てるのと、騎士団から黒いもやが空に勢い良く上ったのは同時だった。
言うまでもなく、もやの正体は敵より放たれた無数の矢。
「「エアシルト!」」
直後、親子が風の盾を同時に作り上げると、遅れて飛来してきた矢はそれに触った端からあらぬ方向へ逸れ、
「ブロウ!」
そしてミヤさんがさらに突風を巻き起こせば、宙にある矢の尽くが逆に王国騎士団へ襲い掛かった。
……クロスボウどころか、そもそも俺の出番がないな。




