出立
木の扉をノックし、ドアノブを回す。
「入るぞ。」
「ああ、コテツ君、待ってたよ。」
ベンのゆったりした声に促され、部屋に入れば、これからしばらく行動を共にすることとなる、Aランクパーティー“イノセンツ”の面々が勢揃いしていた。
ただ、ベンとセラが二人で泊まっていたこの宿屋の一室は、当然ながら二人用のものであるため、見た感じ結構手狭だ。
2つあるベッドは左右に押し退けられ、中央奥の床にこの一団の長であるベンが薙刀片手にどかりと胡座をかいており、そのすぐ横では暗黙の了解で副団長となっているセラが腕組みして立っている。
そしてその二人以外はどけられたベッドの思い思いの場所に座って待ちくたびれたように俺を見ていた。
「俺なしで始めてて良かったんだぞ?」
正直言って、用を済ませてここに来るまで走ることすらしてなかった。
そもそも、集合が掛けられていて皆が俺を待っているとの連絡がユイからされたのが宿屋の真ん前に付いた時なのだ。
「いや、これからの予定は、全員、知っておいた方が、良いから。」
「そうか、了解。ラヴァル、ほら、頼まれてた奴だ。」
ベンに肩をすくめて頷き、持っていた義足をラヴァルへと放る。
そう、俺が済ませてきた用事とは、新しく作って貰ったラヴァルの義足の受け取りである。
回復魔法があるとは言え、大怪我したときにそれを治せる程強力な白魔法使いが側にいないなんてことは珍しくなく、義肢屋にも一定の需要があるらしい。
さてこの新しい義足は、形状そのものは変わらず一本の棒状であるものの、義肢屋の話では、とにかく外れにくく、そして装着者に痛みを感じさせないようにするため、幾つものベルトやら重ねて縫い合わせた布のクッションやらと様々な工夫が為されているそう。
「ああ、すまない。」
放られたそれを受け取るなり、ラヴァルは早速それを左足に取り付け始め、その左右に座るミヤさんとクレスがその手伝いを買って出る。
そんな彼らの向かい側のベッドにはユイとケイ――これから行動を共にする上で支障があるため、ソフィア=ケイの方程式は既にパーティー内では(驚きと共に)周知された。本人曰く、変装の種類はいくらでもあるので本業に大した影響はないそう。――が座っていて、その間にある空間腰を下ろすと、ユイが嬉しそうに笑いかけてきた。
「ふふ、似合ってるわよ。」
「そりゃどうも。」
俺が今着ているのは、この前ユイに買ってもらったシャツと深い緑のマント。ズボンだけは性能が良すぎるのでそのままだ。
もちろん、気分転換してみたかったとか、オシャレに目覚めたとかいう訳ではない。昨日のゲイルの店での一件で服装が俺を見つける目印の一つになっていたことが分かったため、試しに着替えてみたのである。
その結果は上々。義肢屋との行き帰りで騎士を寄せ集めてしまうことはなかった。……まぁ、昨日のアレのせいで街中を馬に乗った騎士達が巡回していて気が気じゃなかったけれども。
「これで、全員揃ったね?」
皆を一度見回し、ベンは座ったまま、脇に置いていた筒状の紙を目の前の床に広げた。
現れたのは、前にもセシルに見せて貰った、スレイン全土の地図。
「さて、まずは確認だけど、僕達の目的は、ここ、ハイドン領に、入ることだ。これは、良いよね?」
地図に示された南東の国境付近を、持ち直した薙刀の石突でベンが軽く叩く。
「そして、ギルドの協力の、おかげで、僕達は比較的安全に、街を渡っていけるようになった。だから、ハイドン領に真っ直ぐ向かいたいところだけど、実際は、こう、南寄りに移動しようと思う。良いかな?」
続く言葉と共に、石突はイベラムからハイドン領までを南に大きな弧を描いて繋いだ。
「ああ、構いはしない。が、理由は聞かせて貰えるか?」
「もちろん。僕達に協力的な、可能性の高い、貴族達の領地を通ろうとすると、こういう道順になるんだ。」
尋ねたラヴァルは、返ってきた答えにさらに眉間に皺を寄せた。
「協力的な可能性?」
「この通り道となる領地を納めているのは、アーノルドさんが亡くなるまでは私に協力して先生達を助けてくれると約束してくれていた貴族達なんです。」
答えたのはユイ。
それにベンも数度頷き、しかし俺は引っ掛かりを覚え、手を軽く上げて話を止めた。
「ちょっと待った。それならベン、お前とセラはわざわざハイドン領まで行かないで、そのまま味方の貴族に匿って貰っておいた方が良いんじゃないか?」
今までは、ベンたちにはハイドン家しか頼る相手がいないと思っていた。しかし、そうじゃないんならわざわざ国境付近まで俺達と旅する必要はない。
ていうかセラはそう思わなかったのか?
そう思って眼光鋭い女騎士を見れば、ちょうど彼女が口を開くところだった。
「……私も、あの男と同意見です。貴方が危険を冒してまでハイドン領に向かう必要は……「あるよ。」ベン?」
いつに無く力強い声音に、セラが戸惑い顔で自身の主を見る。
「追手から隠れて、生きていくだけなら、確かに、コテツ君やセラの言う通りにした方が、賢いかもね。……でも、僕にそんなつもりはない。」
「フッ、王位を奪い返すか。」
愉快そうに笑うラヴァルにベンが笑みを返して頷く。
「うん。やられっぱなしは、気に食わないからね。兄さんの仇も取りたい。……それに、コテツ君とユイには言ったけど、僕は兄さんの意思を継ぐつもりだからね。」
彼がそう口にしたときの、強い眼差しが脳裏に浮かぶ。
「……お前は、それで良いのか?他人の意思のために自分の命なんかを賭けて。」
我ながら意地悪な問いに、しかしベンの穏やかな微笑は一切揺るがなかった。
「ああ、良いよ。兄さんの目指した世界には、それだけの価値があると、僕は思う。それに、戦争を終わらせることは、僕自身の目標でも、あったからね。」
「あー、そういやそうだったな。」
北方でキャラバンを率いているのはそれが目的だって確かに言っていた。
「変なこと聞いて悪かった。それで、次に向かうのはどこだって?」
「まずはヘーデル、だね。王国直轄領の端だけど、ギルドの支部があるから、そこに世話になろうと思う。」
「出発は?」
「実は、あまり悠長には、していられない。そうだよね、セラ?」
「はい。イベラム騎士団が既に私達の存在に気付き、捜索を開始しています。」
『誰のせいで気付いたんじゃろうな?』
サァ?ダレダロウナー。
……冷や汗だらだらなのがバレませんように。特にセラに。
「うん、ティファニア周辺を幅広く捜索している筈の、王国騎士団にも、僕達のことは伝えられたと考えていい。コテツ君やラヴァルさんなら、問題ないかもしれないけど、僕は、彼らとの戦闘は避けたい。知り合いも、多いから。」
「私としてもそれは避けたいな。まだ片足での戦いには慣れていない。どうだコテツ、一人でやれるか?」
「人を戦闘狂みたいに言うな。戦わなくていいならそれが一番に決まってるだろうが。」
向かい側からの面白がるような目を軽く睨み返す。
「はは、それなら、良かった。」
「あの、騎士団が僕達の事を知っているのであれば、今すぐにでも出発した方が……。」
楽しそうにベンが笑うと、恐縮しながらクレスが声を上げ、ベンはそれに鷹揚に頷いて掌で彼を制した。
「うん、そうなんだけどね。イベラム騎士団が、僕達の存在に、気付いてるからこそ、街を出るのは、簡単じゃない。昼間は、街の門が開けられている分、警備がかなり、厳しくなってる。だから動くのは今夜、街が静かになってからだね。門番の数は、いつもよりは多くても、昼間程じゃない、と思う。」
『ふーむ、厄介じゃのう。一体誰のせいで……。』
うるさいぞ。
……あ、そうだ。
「転移陣は使えないのか?石ころに転移陣を描いて貰えれば、俺がそれを街の外に放り投げられるぞ?」
黒魔法を使えば転移先の大体の位置も調整可能だ。
しかし、俺の提案にベンは困ったように笑うのみ。
「それが、一番良いんだけどね。今の状況下で、転移阻止の結界を、起動させていない筈が無いんだ。」
「えーと、じゃあ、強行突破か?」
まさかと思いつつ冗談混じりに聞くと、ベンは苦笑して頷いた。
「ははは、うん、そうなるかな。だから皆、今のうちに、休んでおいてね。」
マジかよおい。
しかし想定とは全く違い、夜の帳が下りたイベラムの街に、寝静まる様子は一切無かった。
むしろ活気があった。ていうか殺気立っていた。
「ベン王子!抵抗せず出てきてください!アーノルド王子を暗殺し、王位を手中に収めんとした罪は償えるものではありません。しかし、貴方がこれまでこの国のため、冒険者として尽してくださったことも確かな事実です。それ故、ティファニー様ご本人が寛大な処置を約束してくださっています!どうか大人しく我々に従い……。」
「……完全に、囲まれてるね。」
小さく開けた宿屋の扉から外の様子を盗み見ていたベンは、苦い表情で後ろにいる俺達8人を振り返った。
彼が扉を閉じても、嘘まみれの慈悲を伝える声は未だ中に聞こえおり、しかしそれが向こうに取っての時間稼ぎでもあることは、今も続々と集まってきている騎士達の気配で分かる。
数十分前、出発の準備を整えている途中で騎士団が集まってきていると爺さんに警告され、俺は焦ってミヤさん親子や他のパーティーメンバーにそのことを伝えて準備を急がせたものの、遅きに逸したようだった。
せめてもの救いは、おそらく寝込みを襲いに来ていた騎士達数人を、寝惚けていない、しっかりと覚醒した頭で迎え、返り討ちにできたことか。
「悪いな、もう少し早く気付けていれば……。」
「いや、襲われる前に気付けただけでも、十分だよ。」
「はは、そう言ってくれると助かる、よ!」
「むーっ!」
笑いつつ、猿ぐつわを嵌められた騎士の手足をなるべく固く縛り上げる。
『うむ、わしがおらねば今頃縛られておったのはお主じゃということを忘れぬことじゃな。』
へいへい、ありがとさん。
やたら恩着せがましいのは苛つくけれども、今回の爺さんの活躍には文句なんぞあろう筈がない。
そして拘束された不幸な男を床の端――宿代やらお詫びやらを諸々含んだ金貨数枚と一緒に縛られた宿屋の主人の横――に転がしたところで、テーブルに半ば腰掛けるように寄り掛かるラヴァルが口を開いた。
「して、これからどうする?籠城戦をするつもりであれば、騎士団が戦力を整えている間にこちらもできる限りの用意をさせて貰いたい。」
「そう、だね。うん、お願いできるかな?」
「良いだろう、クレス、まずは籠城するための壁の硬質化だ。手伝いたまえ。」
「は、はい!」
その言葉にベンが頷けば、ラヴァルは早速かつての生徒を呼んで壁際へと歩いていき、ベンは――そう促されたとはいえ――自ら戦う意思を示したことで腹を括ったか、すぐに他の仲間へも指示を出し始めた。
「ミヤとユイは、通りに面した、それぞれの窓の、横に隠れて、僕が合図をするまで、待機していて。あ、その前に、ミヤとクレス君は、顔を隠しておいた方が、いいと思う。ギルドの協力を、相手に知られたらいけない。」
「はい。」
「分かりました。クレス、何か持ってる?」
言われた二人はすぐに了承の意を示し、宿屋の正面へと走っていく。
「セラは……「命に代えてもお守り致しします。」うん、ありがとう。」
セラは何か言われる前に、決意漲る言葉を発し、それに微笑んだベンは次に俺とケイへ目を向けた。
「表に出て交戦するんだろ?任せろ。」
「いや、ちょっと、違うかな。」
両肩を軽く回しながらその視線に首肯してみせるも、そうじゃない、と首を横に振られた。
「戦わなくても、構わない。君とソフィア……いや、今はケイ、だったね。とにかく二人には、騎士団の包囲を、突破して欲しいんだ。」
「「突破?」」
ケイと異口同音に聞き返す。
籠城戦をするんじゃないのか?
「うん、考えが、あるんだ。」
「ベン王子!これが最後の警告です!今すぐに出てこなければ、我々は突入を開始します!例の大罪人二人を頼りにしているのでしょうが、ファーレンでの彼らの戦果は奇襲による物が大きい。この状況下では我々に勝てませんよ!」
先程から延々と大声を上げ続けている騎士の張りのある声は、未だ衰えることなく、扉の向こうからしっかりと聞こえてくる。
正直、よく声が枯れないなと感心してしまう。やっぱり普段から声出しとかやってるんだろうか?
「……ああ言ってるけれど、実際のところどうなのかしら?」
「くはは、ありゃ事実以外の何でもない。惚れ惚れするほど正しい評価だ。」
ヴリトラの死体なんていう、早々巡り合うことのない要素があってようやく、ぎゃふんと言わせられた訳だしな。
騎士団に面した窓の側から聞いてきたユイに、努めて明るく笑って返す。
「どうして嬉しそうなんですか……わっ!?」
「これからやることを考えたら、笑わないとやってられないだろ?」
そしてすぐ後ろからジトっとした目を向けてきたケイの、色素の薄い髪を雑に混ぜてやった。
ったく、緊張してやがるな?まぁ今回の作戦において、一番重要な役割を背負うんだし、仕方ないっちゃ仕方ないか。
「作戦の要は確かにお前だ。でも気負わなくたって良いんだぞ?時間稼ぎは任せておけ。なに、失敗して俺達が捕まったら、お前がまた助けに来てくれれば良いさ。」
「……あは。簡単に言いますけど、王城への侵入は大変なんですよ?」
「なら、お互い頑張らないとな。ベン、いいぞ。」
少しは元気の出てきたか、憎まれ口を叩いたケイに肩を竦めて見せ、扉に手を掛けたベンを向いて声を掛ける。
「それじゃあ、行こうか。」
それに頷き返し、彼は宿屋の扉を押し開けた。
「ああ、ベン王子、良かった。ようやく投降してくださ……。」
俺達へ呼び掛けていた声の主はベンの姿を見るなり安堵の表情を浮かべ、しかしそれもほんの一瞬のこと。すぐに顔を引き締めた。
ベンが薙刀を片手に握っていることや、その後に付いて出てきたセラが帯剣していることは大した問題じゃない。この状況下では自衛の手段を捨てる方が難しいだろう。
ただ、その後に出てきた俺――愛用のロングコートに着替え直した黒ずくめの男はいけない。何せ経歴が経歴だ。
『経歴というより、犯罪歴が正しいのう。』
……そして何より、先程宿屋の中へ先鋒に送った騎士が、手足を縛られたままその男に引きずり出されて、ナイフをその首に突き付けられているのだ。
「こいつがどうなっても良いのか!」
ここ数日でなんだか言い慣れてきた文言を叫ぶ。
これで友好的に事が進むと思えるのは余程のアホか、これからの展開すらも交渉の一つだと考えられるようなとてつもない寛大さを兼ね備えた人間だろう。
そしてそんな人間は相手方にはいなかった。
騎士団員は揃って己の剣に手を掛け、しかし抜刀にまで至る者はいない。
「くはは、仲間想いで大変結構。そのまま道を開けろ!」
「やめろ!俺に構うな!必要な犠牲は払え!」
俺が叫んだ直後、器用にも口だけで猿ぐつわをずらした騎士が大声を上げた。
「黙ってろ。」
ナイフで騎士の首の薄皮を一枚破り、血を一筋流させる。しかし、彼はそんな脅しを鼻で笑い飛ばした。
「ハッ、騎士の覚悟を舐めるな!さぁ来い、こいつらに、中の民間人へ手を出す暇を与えるな!」
「総員かかれッ!ベネットの覚悟を無駄にするな!殺しても良い、引っ捕らえろ!」
「「「「オオオオオオ!」」」」
号令が上がり、騎士達が咆哮して突撃を開始する。
……人質の人選を間違えたなこりゃ。
「はぁ……。」
ため息をつき、宿屋のドアを足で開け、縛られた騎士――ベネットを中に放り捨てる。
もちろん、ベンの立てた作戦はこれじゃない。上手く行けば儲けものって程度の、俺の思い付きだ。
ナイフを黒龍に変形させ、左手に陰龍を作り上げる。
「今だ!」
そして数十人の騎士がご丁寧にも隊列を組んで走ってくる中、ベンが薙刀の石突で地面を強く突けば、それを合図に宿屋の一階にある二つの窓の片方が火を噴き、もう片方は冷気を纏った暴風で吹き飛んだ。
……普通に窓を開けりゃ良いのに。




