満腹亭
イベラムの広い通りに沿って殆ど隙間なく建ち並ぶ様々な店を眺めながら――そしてユイがまたそのどれかに寄り道しないよう祈りながら――歩いていると、商店群の中途にポッカリと空いた空間を見つけた。
元あった建物の名残はほとんどなく、強いて言うなら茶色く踏み固められた通りに対して黒い地肌が露出しているのみ。
しかしこの光景になってからある程度の時間は経っているらしく、わざわざそちらに目を向けて不思議そうな顔をする奴は俺とユイ以外に一人もいない。
「……ここ、よね?」
「その筈、だぞ?」
ユイと目を見合わせ、もう一度目の前の空間、懇意にしていた宿屋――満腹亭があった場所へ目を向ける。
俺が場所を覚え間違ってたのかね?どうだ爺さん?
『いいや、そこで合っておるわい。』
移転したとか?
『かもしれんの。わしならば潰れたと見るが。』
だよなぁ……。
左右の建物の壁に目を走らせれば、広範囲の焦げ跡や切り傷、そして修繕の痕跡があり、満腹亭がただ単純に取り壊されただけじゃないことが分かる。
……監視役のヴリトラ教徒が暴れでもしたのかね?
「満腹亭は一週間程前になくなったそうです。」
そのままボーッと突っ立っていると、そんな声と共に右手を掴まれた。
見れば、見慣れた金髪の女の子が不機嫌そうに眉を寄せてこちらを見上げていた。
「ソフィアか。他の奴らはどうした?」
「先に別の宿屋で休んでるです。ソフィアは隊長さん達をその宿屋に案内するために昼からずっと待ってたです。……とっても待ちくたびれたです。お腹もすっごく空いたです。」
「あー、うん、すまん。こいつが買い物に夢中になってしまってな。」
「え?私?」
感情のこもりにこもった文句に、ユイを親指で示して言い訳すると、当人は自身を指差して心外だとでもいう風に目を見開いた。
なんで驚いてるんだこいつは。
「お前しかいないだろうが。ったく、“これで最後”を4回続けて言う奴は初めて見たぞ?」
「しょ、しょうがないじゃない。……気になったんだもの。」
「しかも結局、その4つとも見て回っただけで何も買わなかったよな?」
「それは……でも、楽しかったわよ?」
「はぁ……。」
突っ込むべきところは他にもまだまだ色々ある。しかしユイの恥ずかしそうな笑顔に毒気を抜かれてしまい、俺はため息をついてソフィアに目を戻した。
「何にせよ、まずは遅れたお詫びだな。ソフィア、何が食べたい?」
「隊長さんが選んだもので良いです。ソフィアは何でも食べるです。」
「そうかい、そりゃ助かる。」
さぁいよいよネルに仕込まれたゲテモノ食いを披露するときが……いや、そもそもイベラムにある店をあんまり知らないな。イベラムではほとんど満腹亭で食事を済ませてたような気がする。
「ユイ、お前は何か食べたいものはあるか?」
「何でもいいわ。」
それが一番困るんだよ。
「了ー解。なら適当な店に入るか。……なんで無くなってしまったかなぁ。」
最後に満腹亭の跡地をもう一度見て、名残惜しさを感じながら歩き出す。
「すみませんです。」
「ん?どうして謝ってるんだ?」
「満腹亭が無くなった理由は分からなかったです。聞く人皆、その話になると口篭ってしまったです……。」
急に殊勝な態度になったソフィアに驚くと、彼女はさらに申し訳なさそうに縮こまった。
「そ、それで、ゲイルさんとローズさんは無事なのかしら?」
それを見兼ねたか、ユイがソフィアにそう尋ねると、ソフィアは大きく頷き、
「無事だったそうです。「ホッ、良かった。二人は今は……。」ただ、今どこにいるかは分からないです。」
またもや沈んだ表情を浮かべた。
「……でも、無事なのよね?」
「少なくともどこかで野垂れ死んだという話はなかったです。」
「そ、そう。」
可愛らしい少女の口から飛び出たなかなか極端な物言いに、ユイの口の端が引き攣る。
「くはは、じゃあ俺は明日、二人の捜索に当たるとするか。ソフィアも協力してくれか?」
そのやり取りを見て笑いつつ聞くと、ソフィアは即座に頷いてくれた。
「もちろんです。何か用があるです?」
「まぁな。ちょっとした届け物だ。」
返ってきた問いに肩を竦める。
師匠にも伝えたように、俺のイベラムでの目的はアルバートの形見をローズに返すこと。ただ、あいつの死をローズ達に伝えるかどうかはまだ決めてない。
……本当にどうしよう。
そのまま長考に入りかけたところで、肩を軽くつつかれた。
ユイだ。
「どうした?」
「私も一緒に探すわ。」
「ん?良いのか?また今日みたいに店を冷やかして回るんじゃ……。」
「冷やかして回ってなんかないわよ!良さげな物があればちゃんと買っていたわ。」
「良さげな物、ねぇ。」
「な、何よ。」
若干呆れを含ませた目をユイの腰のポーチに向けると、彼女は居心地悪そうに身動ぎしてそれを手で隠した。
本人も思う所はあるらしい。
「えっと、何を買ったです?」
それを目聡く察したか、ソフィアが俺の方を向いて尋ねる。
「それは……「皆の分の服よ!」……それよりあそこ!ね?美味しそうじゃない?きっと美味しいわ!行きましょう!」……はいはい。」
それに答えようとするとユイが強い口調で答えながら俺とソフィアの間に割って入り、かと思うと一番近くにあった料理店を指差して声を上げ、有無を言わさず俺とソフィアをそこへ押し込んだ。
……まだ、まだ見ぬぬいぐるみ(黒魔法製)のためにペット用の服を買ったなんて暴露されたくないわな。
ただ、それだけ大切にしてくれるつもりなのなら、こちらとしても数日遅れのクリスマスプレゼント――試作品627号の作成に気合いが入るってもんだ。
「隊長さん隊長さん、起きてください。」
「んあ?ああ、ケイ……か。」
ミヤさんと別れた次の日の朝、ケイに肩を揺すられて起こされた。
だがしかし、昨夜、ユイ監修の下でのぬいぐるみ作成が深夜まで及んだせいでまだまだ眠い。……いやはや、まさか試作品番号が4桁を超えるとはな。
ちなみにユイが合格点をくれたのはテディベアだった。
「悪い、また後で、な。」
「はぁ……、仕方ないですね。」
「助……かる……っ!?」
殺気に反応して上体を跳ね上げ、同時に敵のいる位置とは反対方向へ転がり、身体をベッドから無理矢理落とす。
そして黒龍を構え、気配察知に意識を半分傾けたところで、殺気の発生源がケイであることがようやく分かった。
「おはようございます隊長さん。素晴らしい反応でした。鈍っていないようで何よりです。」
にこにこと無邪気な笑みを浮かべる、俺の隠密技術の先生。
「……覚えてろよ。」
「そんなことより、お探しの二人を見つけましたよ。」
恨めしく睨んでやるも、彼はそれをどこ吹く風と笑顔で流し、真後ろへ軽く跳んで自身のベッドに腰を落とした。
「……お探しの二人?」
「む、まだ寝惚けてるんですか?満腹亭の二人です。届け物があるって言ったのは隊長さんですよ?」
そうだっけ?
ケイ二人で泊まっている部屋の天井を見上げ、おぼろげな記憶を探る。
「あー、なんかそんなことを言ったような……言わなかったような「言いました!」……そ、そうか。まぁなんにせよありがとな。はは……。」
「ふん!」
「ぶふぉっ!?」
頭を掻いて笑うと、枕が顔に着弾した。
「まったく、誰のために探したと思ってるんですか。」
「あーうん、そうだな。悪かった。でもわざわざ早起きしなくたって、普通の時間に起きてから探せば良かったんじゃないか?レゴラスに会うのはたぶん夕方かそれ以降になるだろうし。」
久方ぶりの家族の再会が短くなるとは思えない。
それに、例え半日掛かりで見つけられなければ、爺さんにイベラム中の人の顔を一人一人確認させるっていう荒業もある。
『神使いの荒い……。』
いい加減慣れろ。
「ケイ?」
ふと返事がないことに気付いて同居人の方に意識を戻すと、彼のベッドの上に大きな茶色の繭を見つけた。
要はケイが毛布にくるまっていた。
繭の小さな覗き窓からはジトっとした目がこちらへ向けられているものの、全体的にどこかしら愛嬌があって微笑ましい。
と、その柔らかそうな物体がドサリとベッドに倒れ、どこからともなくくぐもった声を発した。
「隊長さんが喜ぶと思ってやったのに……。まったくそんなことはありませんでしたね。」
「悪かったって。」
「枕を返してください。徹夜明けで眠いので今日は寝ておきます。」
徹夜?
「お前、寝てないのかよ。」
「返してください。」
「はいはい。」
驚く俺をそのままにケイが毛布の間から左手を出して振って催促し、何かのマスコットキャラクターのようなその姿に俺は思わず苦笑。
色々動きにくそうなのでその頭付近に枕を置いてやると、ケイはでぶった芋虫のような動きで枕に頭を乗せた。
「それで、ゲイル達の居場所は?」
「……イベラムです。」
「はぁ……。」
不貞腐れてるなぁ。
それからケイの機嫌をなんとか直し、正確な場所を教えてもらえるようになるまでしばらくかかった。
ケイの見つけてくれたゲイル達の居場所とは、かつてローズが案内してくれた、暗い路地にあるゲイルの鍛冶屋だった。
朝食を終え、早速そこを訪れた俺がその入り口を軽くノックすると、建付けが悪いのか、ガタガタと音を立てながら引き戸が開かれ、見覚えのある顔が現れた。
「何だ?まだ店を開けてねぇんだから出直……っ!?」
「ようゲイル、久しぶ「お前……くそっ、帰れ!」……待て待て待て待て。」
俺の姿を見るや否や彼が閉め始めた扉を慌てて掴む。そのまま数秒間力比べをした後、不機嫌な顔が再び現れて俺を睨みつけた。
「何なんだ。もうたくさんなんだよ!お前のせいで俺とローズがどれだけ苦労したか分かってんのか!?」
「えーとすまん、何の話だ?」
聞き返すと、ゲイルは何かを耐えるように歯を食いしばり、かと思うと急に脱力して奥に引っ込んだ。
「……取り敢えず入れ。」
「お、おう、お邪魔しまーす。」
ボソリと背中越しに言われた言葉に従って彼の後を追う。
天井に吊るされた小さなランプの淡い光に照らされた室内は、磨き上げられた様々な武具で埋め尽くされていた。
細身の剣から樽にバケツを乗っけたような鎧兜までと種類は豊富にあるものの、そのいくつかにはかつて満腹亭の倉庫で見た覚えがあり、ゲイルが自身の思い出の品を店頭に出しているのだと分かる。
「おい何してる。お前にやるもんはないぜ。早く来い。」
「ああ、悪い。」
少年心をくすぐられ過ぎて、つい立ち止まってしまっていた。
奥にある2階への細い階段に片足を掛けていたゲイルに軽く頭を下げて謝り、足早に彼を追う。
……ていうか俺は一体何をしてこんなに嫌われたんだろうか?
階段を上がった先は、外の大通りに面した窓からのみ光を入れた、宿屋の一室を少し広くしたような簡素な部屋だった。
「ゲイルさん?どうし……。」
と、窓の外を見ていた女性がこちらに気付いて振り返り、俺と目を合わせて絶句した。
「お、ローズ。久しぶ「えっと、私はお店の準備をしてくるね?」……。」
片手を上げて笑いかけるも、元満腹亭の看板娘はそれに応じず、タタタと俺の真横をすり抜けて1階へ走って降りてしまった。
「はぁ……、なぁ、何があったんだ?」
ため息をついてゲイルの方に視線を戻すと、テーブルに腰掛けていた彼は力なく笑って肩を竦めた。
「簡単なことだぜ?お前に殺された何百人って兵士の親類縁者の怒りが、お前を持て囃してた俺達にも向いたんだ。本当、色々やられたぜ。宿屋に石を投げ込まれたり、“人殺しの名前が刻まれた宿”なんてでっかい落書きをされたりな。」
左手で顔を覆いながら彼は続ける。
「……買い出しに出掛けたローズが泥まみれになって、泣いて帰ってきたことだってある。」
そして、テーブルの縁を掴む右拳が白く染まった。
「警察……いや、ええと、騎士団に相談するってのは……。」
「分からねぇのか?その騎士団にお前への怒りでいっぱいの奴が多いから、こうなっちまってんだよ!」
提案すると、ゲイルは自身の足元へ向けて怒鳴り、俺はその剣幕に思わずたじろぐ。
「そう、なのか。」
「そうだ。ったく……それで、一週間前の夜だ。俺達が何も仕返しできないことに味をしめたのか――酒も入ってたんだろうな――あいつらは徒党を組んで満腹亭に押し入って、好き放題暴れやがった。俺とローズは何とかここに逃げてきたが、次の日の朝俺が満腹亭に戻ると……いや、違うか。その時にはもう戻れなくなってたぜ。」
「そんなに、酷かったのか。」
満腹亭の跡地の左右の建物にあった焦げ跡を思い出しながら呟くと、ゲイルは冷笑を浮かべたまま頷いた。
「ああそうだ。……知ってるか?あの日からローズは外に出てないぜ。ただあの窓から外の景色を眺めるだけだ。……まぁ幸い、あいつらも流石にやり過ぎたと思ってるのか、ここのところは平和だよ。おかげで鍛冶屋としての仕事で何とか食いつなげてはいる。……ハッ。」
ついさっきローズがいた場所を指差して乾いた笑いを溢し、腕を下ろしたゲイルはゆっくりとこちらを見上げた。
「……勘違いしないでくれ。悪いのはお前じゃないことは分かってるし、それに俺は、そしてローズも、お前が殺人鬼だとは思ってないぜ?スレイン軍相手に戦って何百人もの人を殺戮したのにはそれなりの理由があると思ってる。……でもな、頼むから今回を最後にして、もうここへは来ないでくれ。」
しかしそれだけの被害を被ったというよに、俺に向けられたのは憎悪の色の全くない、ただただ申し訳無いという目。
「……分かった。」
頷くしかなかった。
……ゲイルたちのためにも、用をさっさと済ませて退散しよう。
「ホッ、そうか、なら……コテツ?」
ゲイルには応じず、右手の指輪を口元に近付ける。
「サイ、白い大剣をこっちに送れ。」
[承知。]
そして現れた神剣ヴルムに、ゲイルの訝しげな表情が驚きのそれに変わった。
「それは……?」
「神剣ヴルム。……アルバートの形見だ。」
「形、見……?ってことは、義父さんは……。」
俺が差し出した大剣を両手で受け取りながらゲイルがこちらに、信じられない、という目を向け、俺はそれに深く頷いて返した。
「ローズに伝えるかどうかは任せる。……じゃあな。」
固まったゲイルに背中を向け、階段を足早に降りる。
1階では、以前より落ち着いた空気を纏った、というよりは元気を失ってしまったローズが、並べられた武具を黙々と布で磨いていた。
こちらをチラと見た彼女はすぐに磨き上げられた武具へと視線を戻し、俺もわざわざ声をかけることはせず、出口へと向かう。
そして引き戸を開けようとしたところで、「あ!」と少し大きめの声が背中に掛けられた。
振り向けば、ローズは擦り切れた布巾を両手で掴み、思ってた以上に大きな声が出たのだろう、少し目を見開いていた。
その表情が照れたような笑みに変わる。
「あ、あのね、ゲイルさんが何を言ったのかは何となく分かるけど、気にしなくて良いからね?私は、大丈夫だから。お客さんは少ないし、コテツさんならいつでも大歓迎だよ?」
「……そうか、ありがとう。なら、機会があったらまた来るよ。」
「う、うん!」
せめて最後が苦い記憶にならないようにしようという彼女の気遣いに応え、俺も笑みを返し、そして再度引き戸に力を込め……ようとして空振った。
勢いよく引き戸を開き、入ってきたのは赤く縁取りされた鉄鎧を身に着けた3人の男。
「全員動くな!我々はイベラム警備騎士団である!この店にクロダコテツと思しき男が入ったとの報があった!調べさせてもらぶべ!?」
直後、彼らの先頭――大声を店内に響かせた騎士の顔に黒い拳がめり込み、後ろ向きに頭から吹っ飛んだ彼は向かいの壁に激突して沈黙した。




