安穏
「身分証を……。」
「これが全員分です。」
イベラ厶外門を守る衛兵ににこやかにそう言って、ソフィアが巾着袋を彼に差し出す。
銀貨が十数枚入ったそれを右手に握らされた衛兵は、その袋を軽く揺すって重さを確認すると、目の前の少女を鋭い目で睨み付けた。
「……何のつもりだ?」
ただ、その間に彼の右手は巾着袋を手放すことなく懐へそっと入れられたため、あんまり緊迫感はない。
「身分証ですよ?」
「俺を買収しようってのか?」
「なんの事です?……あ、忘れてたです。これも身分証です。」
どっちがすっとぼけてるのか分からないやり取りの後、先程より一回り大きい袋が衛兵の左手に握らされる。
「ようこそ、イベラムヘ。」
途端、彼はにへらと笑って門の脇に退き、ソフィアは空いた道をたったか走って通り抜ける。
「すまないな。」
「いえいえ。」
ご機嫌なまま、衛兵は片足のラヴァルに親切にも手を貸して門を通させ、
「えっと、本当によろしいのですか?」
「ええ、身分証は確認させていただきましたから。」
「はあ……。」
困惑気味のミヤさんには丁寧に建前を説明し、
「貴様!それで衛兵が務まると!「はいはい、どうどうどう。」「セラさん、ここは抑えてください。」……くっ、だが!「セラ、今は、ね?」……はい。」
「ようこそ、イベラムヘ。」
3人がかりで抑えられたセラを温かい目で見送った。
やはり世の中金らしい。
「それではギルドに向かうです。」
そうして全員が無事イベラム入りを果たしたところで、ソフィアは元気な声でそう指示し、
「待て!」
「ほぇ?」
しかしそのまま歩いて行こうとしたところでぶつけられた怒鳴り声に足を止め、キョトンとした顔で声の主――セラを振り返った
「『ほぇ?』ではない!」
お、今のモノマネ意外と似てたな。
「ベン、の騎士たる私の前で堂々と衛兵を買収し、ただで済むと……「追われる身の人が何言ってるです?」……っ。」
「まったく、自分の立場を自覚して、あまり目立つ真似をして欲しくないです。そもそもソフィアは隊長さんに協力しているだけです。隊長さんのためだったら他の全員は見捨てても構わないです。むしろその騎士は足手纏いなので置いていくべきです。」
「なんだと貴様ァ!」
「セラ、落ち着いて。相手は、まだ、子供、だよ?」
「う……。」
「そうそう。お、おいソフィア、お前も、そこまで言う必要はないだろ。」
今にもソフィアへ突撃しそうなセラをベンと共に押し留め、言う。
頼むからこれ以上セラの機嫌を損ねないでくれ。今にも抜剣しそうな奴を抑える身にもなって欲しい。
「単なる事実です。他意はないです。」
俺の言葉にソフィアはそう素っ気なく返し、しかしその言葉とは裏腹にその目はセラへの敵意でいっぱいだった。
「ふん、いくら着飾ろうと、下劣な者は下劣なままか。まともに相手した私が間違っていた。……離せ。今の私に怒りはない。あるのは卑しい者への憐憫のみだ。」
対するセラはソフィアを睨み返し、抑えていた俺とユイを振り払うと背筋を真っ直ぐに伸ばした。
あともちろん、彼女の顔は怒りに染まっていた。憐憫なんて物は欠片もない。
……まぁこの二人が合わないってこと自体は何ら不思議じゃない。何せ王子付きの騎士兼婚約者と熟練の暗殺者だ。立ち位置はほぼ対極に近いだろう。
ただ、これからしばらくは一緒に行動するんだぞ?大丈夫なのか?……大丈夫じゃないんだろうなぁ。
「はぁ……。」
さっさとギルドに向かおう。
「はぁ……、相っ変わらずだなぁ、お前。」
「ん?……っ!?」
声を掛けられ、こちらを見上げた眠気眼が一気に見開かれた。
「ったく、あれだろ?どうせまた素寒貧になるまで賭けたんだろ?」
「あ、あ……。」
「あのな、いい加減お前は賭け事に向いてないことに気付いてくれないか?ったく、こっちはお前のことが心配で心配で仕方ない。」
「……レーザーッ!」
「うおっ!?」
冒険者ギルドのカウンターに突っ伏して淀んだ空気を発していたセシルに、一応友人として説教を始めると、彼女は見返りに白い熱線を放ってきた。
「おいこらいきなり何しやがる。」
「……どうしてここにいる。」
それを右手袋で防ぎながらセシルを睨むも、彼女は逆にこちらを睨み返すのみ。ん
「ギルドマスターに会いに来た。」
「は?」
しかしその真剣な顔も、俺の答えによって豆鉄砲を喰らった鳩のようなものに置き換わった。
「奥さんを連れてきたんだ。探してたんだろ?」
言いつつ、セシルの前に赤い依頼書を2枚置く。
それぞれ依頼内容は、攫われたミヤさんの奪還と、攫ったコテツの身柄の受け渡し。ちなみに後者はいわゆるデッドオアアライブって奴だ
そして後ろを振り向き、ミヤさんを手招きすると、ミヤさんは俺の隣に来て穏やかな笑みをセシルに向けた。
「お久しぶりです、セシルさん。」
「本、物?」
「おう、もちろん。それで、ギルドマスターに会わせてくれないか?」
「……付いてくる。」
ボソリとそう言うや、セシルはギルドの建物の中心を貫く柱に触れて転移していき、俺は他の5人に待っているよう言ってミヤさんと二人で彼女の後を追った。
視界が戻ると、初めてギルドマスターと会った時と同じ部屋にいた。
左右の壁際に置かれた本が所狭しと並ぶ棚に、目の前の重厚な木の机。背もたれのある革張りの椅子もかつての記憶のままだ。
「ギルドマスター、奥様がいらっ……。」
そして俺とミヤさんが転移してきたのを確認したセシルが誰もいない椅子に向かって呼び掛けるや否や、その背もたれに魔法陣が浮かび上がり、次の瞬間、長い金髪を乱雑に垂らした線の細い男が現れた……というか魔法陣から飛び出してきた。
「ミヤ!」
椅子を後ろへ蹴飛ばし、目の前の机を軽々と飛び越え、レゴラスが俺の隣に立っていたミヤさんに――半ばタックルする勢いで――抱き着く。
「もう、そんなに慌てなくてもどこにもいかないわよ。……ただいま。」
そんな夫の愛の突進を真正面から受け止め、ミヤさんは彼を抱き締め返して子供をあやすようにその背を擦り始めた。
「ミヤが攫われたって連絡があってから、慌てて捜索依頼を出して、街の騎士団にも頼んで、ツテを信用できるSランクの冒険者を数百人動員して、他にも……と、とにかく、心配してたんだ。ああ、良かった。……帰ってきてくれて、本当に……良かった!」
「ふふ、ありがとう。それと、心配かけてごめんなさい。……クレスはどう?」
「クレスならティファニアで捜索隊を率いてくれているよ。君を家に連れて帰ったらすぐに呼び戻すさ。」
「そう……。」
「どうしたんだ、ミヤ?」
「実は、あなたとクレスに話さないといけないことがあって……。」
「そうか、分かった。なら今すぐ帰ろう。……セシル君、依頼の報酬は明日渡すと伝えておきなさい。」
一方的に言って、レゴラスはミヤさんの手を引いて転移陣の描かれた椅子へと向かい、ミヤさんは“また来ます。”と俺に小声で呟いた後、夫と共に消えていった。
そうして、窓のない部屋に人間二人が取り残された。
ていうかギルドマスターの最後の伝言、あれってつまり俺の存在を一切感知していなかったってことだよな?……ま、それだけミヤさんのことが心配だったってことだろう。
「で、どうする?ここで待つか?……セシル?」
隣に尋ねるも返事がなく、どうしたのかと思ってそちらに目を向けると、セシルは目をぱちくりさせたまま固まっていた。
「おーい、大丈夫か?」
呼び掛け、取り敢えずすぐ目の前で手を振ってみれば、彼女はようやく我に返って俺の方を向いてくれ、
「ん。大丈夫。報酬は明日。」
予想の斜め下の返事を返してきた。
……こいつまで俺の存在に気付いてなかったのか?
「それは聞いてたよ。ったく、で、どうしたんだ?」
「……驚いただけ。ギルドマスターがあんなに取り乱した所は初めて見た。」
「くはは、そうか、なるほどな。ついさっき受付で俺を見たときのお前の顔もなかなか面白かったぞ?」
「……その服が似合ってないから変に思っただけ。」
「そうかぁ?結構気に入ってるんだけどな。」
ミヤさんにも褒められたし。
ずっと着続けている執事服を見下ろしながら言う。
「そんなことよりネルは?」
「話題の転換早いなおい。」
「ネルは!?」
この野郎、本っ当に相変わらずだな!?
「はぁ……、たぶんハイドン家の領地にいると思うぞ。ここでの用事が終わったら俺達もそっちに向かうつも「ハイドン領!?」……りだ、ぞ?」
半ば呆れ、ため息をついて言うと、セシルは本日3度目となる驚愕の表情を浮かべた。
「どうした?」
「イヤリングを貸す!」
その理由を問うも、セシルは答えないまま俺の右耳――具体的にはそこにぶら下がったイヤリング――へ手を伸ばし、俺は元の世界での牛の鼻につけられる輪の如く激痛によって引きずり回される未来を幻視し、咄嗟に耳を抑えて後退。
ついでに迫ってくるセシルの頭部に真正面からアイアンクローをかけた。
「早く!」
「いや、でもこれ、ネルには繋がらないぞ?」
こいつのことだ、どうせネルと話したいだけだろう。
そしてその考えを証明するかのように、目の前のネル大好き星人は目を見開いて固まり、明らかな焦りを顕にした。
「う、嘘つかない!」
「いやいや、嘘も何も、実際ヴリトラとの戦いで壊れたんだよ。おかげでこいつは今はユイとしか繋がらないんだ。くはは、すまんな。」
「そん、な……。」
頭の後ろを掻いて笑いながらセシルの頭を離してやると、彼女はこの世の終わりでも見たかのような表情をし、その場に膝から崩れ落ちた。
ネルと話せないぐらいでそこまで絶望することないだろ……。ったく、大袈裟にも程がある。
思わずため息が漏れた。
「はぁ……、そんなに話したいんだったら、念話用のイヤリングを一組作ったらどうだ?お前が片方持っておいて、もう片方は俺がネルに届けてやるから。」
「違う。」
完全に脱力したセシルの姿を見ていられず、少し考えて提案してやるも、彼女はそう言って首を振った。
「違う?何が?」
「……噂がある。ハイドン領には、ファーレンから逃げ延びた人達が匿われていて……「それ、噂っていうか事実だぞ?」黙って聞く!」
「はいはい分かった分かった。」
ギロリと睨まれ、素直に両手を上げてコクコク頷く。
「まったく……。で、そのファーレンの人達を捕まえるために、ハイドン領に国の軍隊が送られる、かもしれない。」
かもしれない、ね。 送られてはいない訳だ。
「でも、単なる噂なんだろ?」
「本当の可能性もある。だからネルに早くハイドン領から出るよう言わないといけないのに……役立たず。」
「悪かったな。」
再び睨めつけられ、俺は今度は肩をすくめた。
そんなこと言われたってイヤリングが壊れてるんだからどうしようもない。
セシルも睨むだけ無駄だと悟ったか、嘆息して俺から視線を外し、ゆっくりと立ち上がって背後の、魔法陣の描かれた壁へ歩いていった。
「え?おい、ここで待たないのか?」
慌てて声をかける。
「……ギルドマスターが帰ってくるのは明日。でも待ちたいなら待てば良い。」
するとセシルはそう言い残してさっさと転移していき、もちろんそんな待ちぼうけは喰らいたくないので俺も遅れて転移陣に触れた。
……一日ぐらい、あそこで待っていれば良かった。
「ありがとうございました!」
笑顔の店員の言葉におそらく魂の抜け落ちているであろう顔で会釈し、背中を向けてその店を後にする。
「さて、次はあの店ね。」
すると一足先に外へ出ていたユイがまた別の店を指差し、そちらへ意気揚々と歩き出した。
「いや、もう良いだろ。これからしばらくはずっと移動するんだぞ?無駄に荷物を増やしてどうする。」
「無駄じゃないわよ。それに私のアイテムポーチがあるから、荷物の量なんて関係ないでしょう?」
「ぐ……。」
その後を追いながら言うも、彼女は振り返らないまま簡潔に答えて俺を黙らせ、歩みを一切緩めず進んでいく。
「ていうか、どうして俺はお前の買い物に付き合わされてるんだ……。」
「ふふ、何言ってるのよ、あなたの服を買いに来たんじゃない。」
「あー、そうだったな。はぁ。」
耳聡く俺の独り言を聞き取ったユイが楽しそうな笑顔をこちらに向け、対してつい数時間前を思い起こした俺は陰鬱にため息を吐いた。
ギルドに戻るなり、ミヤさんが戻ってくるまでイベラムに滞在することになったと俺が皆に報告するや、ユイは即座に俺の腕を鷲掴みして「ならあなたの服を買う時間はたっぷりあるわね。じゃあ皆さん、昼に満腹亭で。」と捲し立て、俺の反論を許さないままイベラムの商店街へ引っ張ってきたのである。
そんな訳で俺の服は上下共に既に買った(買わされた)。
しかしその後もユイの靴三足(全て違う店のもの)や彼女とセラ用の普段着そして寝間着を数着ずつ、そして“ラヴァル(もしくはベン)に似合うかも!”ということで衝動的にシャツ数枚を買っており、それなのにユイはさらに店を回ろうしているのだ。
そして忘れてはいけないのは、入り、何も買わずに出ていった店だけで数十店もあること。
加えて言うなら、俺が執事の格好でユイに付いて回っているせいか店の方がユイを上客と判断し、色々気を利かせて様々なおすすめ商品を紹介してくるため、一店舗一店舗にかける時間が余計長くなっている。
正直そろそろ勘弁して欲しい。
「……でも、ちょっとお腹が空いてきたかしら?」
そんな俺の願いが通じたか、ふとそんな呟きをユイが漏らした。
これを逃す手はない。
「なんだ腹が減ったのか!?じゃあもう満腹亭に行こう!皆も待ってるだろうしな!」
「そうね……」
よーし!
背中でガッツポーズ。
「……最後にあのお店を見てから満腹亭に向かいましょう。」
そして続くユイの言葉にずっこけた。
「へいへい、お嬢様の仰せのままに。」
「ふふ、良いわね、それ。」
この我儘娘が、という皮肉は彼女をさらに上機嫌にさせただけ。
それから店をさらに4つ程回り、俺の腹まで本格的に空いてきたところで満腹亭に向かうことになった。




