寄り道
日が傾き、そろそろ腹が減ってきたという頃、俺達は師匠の家のある村にたどり着いた。
手配書がもう出回ってるんじゃないか、という俺の不安は杞憂に終わり、誰に見咎められることなく――馬達の先頭を爆走する俺の姿に村の入り口付近にいた人達が目を剝きいはしたものの――村に入って中を進むと、向かう先から気合いの入った掛け声が幾つも聞こえてきた。
戦ってる?いや、にしては聞こえる声が揃って高いような……。
考えつつ、さらに歩を進めて行けば、百聞は一見に如かずということか、疑問はあっさり解決した。
小さな丘の上にある師匠の家の前、広くなだらかな斜面のあちこちで、何十人もの子供達が一対一で殴り合っていたのである。
もちろんそれだけだったら仲裁に入るか、喧嘩両成敗してやるところ、その一つ一つの取っ組み合いの間を厳しい表情で練り歩く先生の姿が、これが単なる喧嘩ではないことを伝えていた。
「先生!」
子供達の声に負けないよう、声を張り上げる。
すると先生はゆっくりとこちらへ視線を移し、そのまま固まった。
どうしたんだろうかと思いながら近くへ駆け寄り、まずは軽く頭を下げる。
「お久しぶりです。」
「そう……だね。」
返ってきたのはぎこちない笑み。
「えーと、これ、何やってるんですか?」
ならばと、場を温めるために質問すると、先生はようやく緊張を少し解いてくれた。
「あ、ああ、この子たちはね、君の弟弟子だよ。」
「弟弟子?」
「そう。コテツ君で教える楽しみを知ったからね、弟子を取ってみることにしたんだ。まぁ君みたいな住み込みじゃあないけど。」
「へぇ、じゃあいつかクロウもこの中に混ざるんですか?」
聞くと、先生は強く頷いた。
「ああ、そしてその時のためにも、まずは僕の教え方をより良くしていかないといけない。……どうも君にしたみたいにとにかく戦って体に覚え込ませるって手法だと、嫌になってやめてしまう子がたくさん出て来るみたいでね……。」
「あー……。」
「僕はね、クロウに体術を嫌いになって欲しくないんだ。」
なぁるほど。
「あ、そう言えば先生、クロウを泣かせずに抱けるようになりましたか?」
「もちろん、当たり前じゃないか。僕の息子だよ?」
どの口が言ってるんだか。
「……少なくとも僕はコテツ君みたいに、一目見るだけで泣かれるなんてことはないからね。」
「次こそは大丈夫です。」
前は殺気を制御できていなかっただけだ。きっとそうだ。そうに違いない。決してクロウに嫌われてるとか言う訳ではない、筈だ。
……たぶん。
「そ、それでクロウは、家に?」
「ああ、リズといるよ。じゃあ僕はこの子達の指導があるから、コテツ君はお仲間を連れてリズのところに行くといい。……うん、説明はリズに任せよう。」
「説明?」
「な、何でもない何でもない。ほら、行った行った。」
怪訝に思って聞き返すも、先生は慌てたようにそう言って俺の背中を叩き、というか丘の上の家へと押し、足早に俺から離れていった。
どうしたんだ?
「ごめんくださぁい!」
「まぁた来たのかい!?」
汗水垂らして拳を振るう子供たちの間を通り、丘の上の家の戸を軽くノックした直後、扉が勢い良く開かれ、不機嫌顔の師匠が現れた。
目を瞑ったまま、ボサボサ頭をガリガリ掻きつつ、彼女は苛立ったように口を開く。
「ったく、アタシはコテツの場所なんて知らないよ。匿ってもいない。てか、今朝さんざん家探ししていったばかりだろうが!こっちにも暮らしってもんがあるんだよ。さっさと帰……!」
そしてそこまで言ってようやく目を開け、どうも俺のせいで厄介な立場になってしまっていたらしい師匠は彫像のように固まった。
「すみません、迷惑かけたみたいで。」
取り敢えず頭を下げる。
「ラヴァルさんと……第二王子、あー、ベン様も来てるのか?」
すると、硬い口調で予想外の返答が返された。
「え?はい。ていうかどうしてベンもいるって……。」
「はぁ……、その様子だとアンタ、なんっにも分かってないんだね。アルには会ったろ?あいつは何も言わなかったのかい?」
「“説明はリズに任せよう。”って言ってました。」
「……あの野郎。ったく、全員連れて入って来な。」
俺の答えに脱力したように項垂れ、首を振り、師匠は諦めたようにそう言って家に引っ込んだ。
……俺が、分かってない?
「どういう意味だ?……おーい、行くぞ。」
師匠の言葉に首をひねりつつ、取り敢えず子供達の修行風景を眺めていた他の皆を呼んで師匠の跡を追う。
おそらく普段は家族団欒の場となっているであろう、大きめのテーブルのある部屋で、師匠はそのテーブルに腰掛けて腕組みしていた。
眉を寄せ、何やら真剣に考えているようだったものの、俺達7人が全員部屋に入ったと見るや、長めの息を吐いて呼吸を整え、その顔に小さな笑みを浮かべた。
「何よりもまずは、無事で良かったよ。ユイ、アンタもね。」
「「ありがとうございます。」」
ユイと揃って頭を下げる。
それに一つ頷いて返し、師匠は視線を俺の背後――壁に背を預けたラヴァルへとやった。
「久し振りだねラヴァルさん……その足、辛いんなら好きな椅子に座って良いよ?」
「ああ、すまない。言葉に甘えさせて貰おう。」
「ていうか他の奴らも立ってないで楽にしな。ここまで来るのは疲れたろ?」
ラヴァルがテーブル周りの椅子に腰を下ろすと、師匠は逆に腰を上げて他の皆にも座るよう促した。
ただ、流石に人数分の椅子はなかったため、俺は黒魔法で四角い箱を作ってそれに腰掛け、椅子取りゲームに負けた数人の側にもそれぞれ置いてやった。
「ベン様も久し振りだね。てか、アタシのこと覚えてるかい?」
「ああ、それは、もちろん。前回の武闘大会で、優勝した、突撃ひ「そう!その通り!よく覚えててくれたねぇ!」え?それはもみろん、初めての、女性優勝者、だったから。」
俺の向かい側でセラのために椅子を引いていたベンの返事の途中で、焦ったように師匠が声を張り上げる。
大方、昔の二つ名“突撃姫”をバラされたくなかったのだろう。
「武闘大会?」
ただ、俺としてはこっちの方が俄然気になる。
疑問を師匠へ目で投げかけると、肩をすくめて返された。
「5年に一度の祭りだよ。スレイン中の武道家を集めて、一番を決めるってヤツさ。で、アタシが3年前の大会優勝したって訳だ。だからこそ“この国一番の剣士に弟子入りしたい”って願ったお前はここに転がり込んできたんだよ?……王国の使者がいきなり来て、勇者のなり損ないを弟子入りさせてくれって頭を下げてきたときは驚いたねぇ。」
懐かしそうに言い、くつくつと笑う師匠。
まさかそんな経緯があったとは。
今更ながら驚いていると、ふと思い出し笑いを引っ込めた師匠が、今度は深々とため息を吐いた。
「はぁ……時期が来たらアンタに出場を薦めようと思ってたけどねぇ、もう、無理だよなぁ。」
「です、ね。……なんかすみません。」
俺が出場した日には、たぶんカイトが乱入して初戦から決勝をやる事になる。
パン、と師匠が手を叩いた。
「さて無駄話はこれぐらいにして本題に入ろうか。……コテツ、アンタ達は今どんな状況にいるのか分かってるかい?」
「えーと、俺とラヴァルは脱獄した大量殺人鬼で、ユイはその脱獄に加担した裏切り者。ベンとセラは……なんだろ、王位の継承争いに負けた逃亡者ってところでしょうか?あと、ミヤさんは攫われたお姫様で、ソフィアは、ソフィアは……ただの少女だな……マジかよ。」
まさかこの中で一番後ろ暗い経歴を持った奴が、表ではここにいる誰よりも罪やら何やらと縁遠いとは。
「どうしたです?」
左隣に少々怯えを含んだ視線を向けると、ミヤさんと何やら楽しげ話していたソフィアは可愛らしく小首を傾げて返し、俺は何でもない、と首を振った。
これがプロか。恐ろしい。
でもまぁ何にせよ、俺達の立場は今さつまき言ったようなところだろう。大して間違ってはないとは思う。
しかし、そう思って師匠を見返すと、険しい顔で首を横に振られた。
「いいや、違うね。」
「え?」
んな馬鹿な。
「とは言っても、アンタとラヴァルさんの立場は半分ぐらいは合ってるよ。でも、ベン様とセラ、そしてユイに関しては全く違う。」
真剣な目を、自身の口にしたそれぞれの人物へと向け、師匠は続ける。
「……良いかい?今アタシが言った5人はね、共謀してアーノルド王女を暗殺したってことになってる。もちろん、王位を奪うためにね?」
「馬鹿な!ベン様がそのようなこと……!」
途端、怒鳴って立ち上がったのはセラ。その拍子に彼女の椅子が倒れて大きな音を立てたものの、本人にそれを気にする素振りはない。
対し、師匠は至って冷静だった。
「そんなこと言われてもね。ベン様は“冒険者をやってる風変わりな王子”だってことぐらいしかそこらの人は知らないよ。……コテツにユイ、そしてラヴァルさんまで暗殺に協力したって、朝うちに来た兵隊が言ってなけりゃ、アタシも全部信じてたね。」
「くっ……。」
悔しそうに歯噛みして、セラはテーブルに置いた手を白くなるまで握り締める。その肩にベンが優しく手を置くと、彼女は小さく一礼して、倒れた椅子を元に戻し、静かに座り直した。
「だからコテツ、気を付けな。」
それを尻目に、師匠が再び俺を見る。
「気を付ける、ですか?」
「そうだ、アンタは冒険者として名を上げた。もちろん、アンタの師匠としては誇らしいよ?でもね、そのせいで大抵の冒険者は、例え顔は知らずとも、黒ずくめの双剣使いって聞けば、真っ先に、“切り込み隊長”コテツ、を思い出す。」
「え、俺の名前ってそんなに知れ渡ってるんですか?」
そんな認識は無かった。
聞き返すと、師匠はため息と共にガクリと頭を落とした。
「ったく……満腹亭ってのは、アンタが懇意にしていた宿だったんだろ?」
「え?まぁはい、そう、ですね。」
急になんなんだ?
「あそこに泊まると、昇格が早まるそうだ。」
「たぶん……迷信ですよ?」
その迷信を利用してローズが宿屋に駆け出し冒険者を引っ張り込んでるんだっけか。
ていうかそもそも、噂を広めた奴はローズなんじゃないだろうか。なんだかんだ言って、あいつは宿屋の娘らしくちゃっかりしているし。
満腹亭の繁盛具合をいつも嘆く少女を脳裏に思い起こしていると、バン!と師匠がテーブルを強く叩き、俺はその音で現実に引き戻された。
「分かってんだよそんなことはッ!それだけアンタの名前が広まってるって言ってんだ!」
「あ、はい。」
恐縮してコクコク頷く。
「で、でも、冒険者としての活動内容そのものは平凡で「毒竜とフラッシュリザード。」……そういやそれがありましたね。でも俺の活躍なんてそれだけですよ?」
言うと、師匠が片眉を上げた。
「ふん、確かに冒険者としてはその程度かもしれないね?それでも、たった二人で数千人を殺したヤツらの名が知れ渡らない訳ないだろう?そこに次期国王の暗殺話だ。……ったく、有名どころの騒ぎじゃないよ。」
「すみません。」
「分かれば良いんだよ。とにかく、アタシが言いたいのはね、もっと身を隠すことに気を使えってことだ。」
「分かりました。」
「あと、昔の知り合いだからって気を許すなよ?ったく、堂々と真っ昼間に来やがって。アタシがアンタを王国に突き出すとは思わなかったのかい?」
「うっ、それは……。」
正直全く考えてなかった。それどころかむしろ“通り道だし、ちょっと寄っていこう。”って程度の心持ちだった気がする。
「あはははは……。」
頭を掻き掻き笑う。
「馬鹿弟子。」
「はい。」
誤魔化し笑い、呆れがはち切れんばかりに含まれた一言にあっさりと、俺は目を閉じて殊勝に頷いた。
本当、返す言葉もない。
「で、これからどうする?アタシの所に隠れるつもりだったのなら無理な話だよ。言ったろ、今朝王国の兵隊が来たって。アンタ達が見つかるまであいつらは何度だってここにやって来る。」
「いえ、これからイベラムに向かうつもりです。」
「……アタシの話は聞いてたかい?」
「いや、その、ミヤさんの家族にミヤさんの無事を伝えないといけなくて……。」
言い、ベンと一緒になって意気消沈したセラを慰めるミヤさんを手で指し示す。
「それならあいつ一人に行かせれば良いだろ。見る限り身体はある程度引き締まってるし、顔も場数を踏んだ奴のそれだ。優秀な魔法使いか魔術師か、その辺だろ?……何にせよ、アンタが護衛する必要はないよ。」
「えーと、実は彼女はその後も付いて来てくれるってことになっていて、というのも……。」
テミスの存在等々、諸々の事情を説明。
「なるほどね。でもだからってアンタが危険を冒してまでイベラムに入る必要は……「そしてそれとは別に、俺が届けないといけない物があるんです。」……はあ?そんなもの、あのミヤ?ってヤツに託せば良いだろ。」
しかし師匠はそれでも納得が行かないようで、俺が続けた言葉にもそう反論してきた。
ただ、ここは引けない。引いたらいけない。
「いえ、それは、俺が直接渡さないといけないものなんです。……渡す相手の、父親の形見ですから。」
届け物とは当然、純白の大剣――神器ヴルムのこと。アルバートの最期を看取ったものとして、その形見をローズに渡す義務が俺にはある。
何もできなかったものとして、それぐらいは、しないといけない。
「ったく、譲れない理由があるんだね。なら仕方ない。とにかく気を付けな。」
「はい、ありがとうございます。」
師匠のぶっきらぼうな言葉に再度頭を下げると、師匠は俺以外の訪問客を改めて見渡し、口を開いた。
「今日はもうここで休め。ただ、出発は明日の早朝だ。良いな?」
そういう事になった。




