娑婆へ
ミヤさんに手を引かれ、導かれるままに入った部屋は、白いシーツの被せられたベッドと、木製の椅子と机が一つずつ配置されただけの簡素な小部屋だった。
一応、壁には縦に長い両開きの――おそらくクローゼットへと続く――扉があるものの、その幅はせいぜい人一人分。中の広さはたかが知れている。
そしてミヤさんの言っていた“お友達”は、採光用の小窓から差す月光の下、ベッドの縁に腰掛けて呑気に足をぶらつかせていた。
「ケ……ソフィア?用事は済んだのか?」
「あ、やっと来たです。」
何故かメイド姿のソフィアは目を丸くしたこちら気付くや手に持っていた何かをジャラリと鳴らして掲げ、
「感謝してくれても良いですよ、隊長さん?」
と、やたら憎たらしい得意顔で言ってきた。
「それは、まさか……。」
その何か――複数の鉄の輪っかとそれにぶら下がる無数の鍵に、ついつい期待が膨らませられる。
その期待に答えるように、ソフィアは大きく頷いた。
「はいです。取り敢えず地下牢にあった鍵を全て回収しておいたです。隊長さんもそろそろその手足のアクセサリーに飽きてきたでしょう?」
「おう、頼む!」
喜び勇んでこの部屋唯一の椅子に腰掛ければ、ソフィアは隣に屈んで俺の手足の拘束具と鍵束を交互に何度も見返し始め、計4本の鍵を鉄の輪から取り外し、枷の鍵穴にそれぞれを差し込んだ。
……ここまで来る間に騎士剣やら聖剣やらを防いだり弾いたりしてきたせいで鍵穴が変形したかもしれない、という心配は杞憂に終わってくれた。
そして短い協議の末、俺が両足、ソフィアが左手、ミヤさんが右手の枷を外すこととなった。
「同時に回すんだよな?」
そうしないと四肢が使い物にならなくなるんだっけか。恐ろしいことに。
「はいです。でも、隊長さんなら万が一失敗しても、肩の魔法陣で全部治せるから安心です。」
「おいこら滅多なことを言うんじゃない。いくら魔法陣で治せるったってな、手足を内側から焼き尽くされるなんて体験は御免こうむる。」
激痛でショック死、なんてのもあり得るし。
『ヴリトラのブレスを数度受けておいてよく言うわい。』
いやいや今回は内側から、だぞ?
どうやれば耐えられるのか、イメージがまったく沸かない分、感じる恐怖はより強い。
『アリシアの魔法陣があれば死にはせんじゃろ。』
まぁ、そうだけれども。
「では、やりましょうか。せー「待ってください!」……の?」
早速可愛らしい掛け声をかけようとしたミヤさんを慌てて止める。
「どうかしましたか?」
「すみません、でも“せーの”ってやると、その“の”と同時にやるのか、“の”の後で1拍置いてやるのか、分からないじゃないですか。ここはやっぱり、3、2、1って感じでした方が……。」
「分かりました。では、「あ、やっぱり3、2、1、はい!ってやって、最後の“はい”で一緒にやりましょう。」はあ……。」
ミヤさんが困ったような表情をしたものの、やはりここは引けない。
すると焦れたようにソフィアが声を上げた。
「何でもいいからさっさとやるです。行くですよ、1!」
「あ、おい!」
話と違う!
「「2の!」」
ミヤさんまで!?チクショウ仕方ない!
目を閉じ、叫ぶ。
「「「3ッ!」」」
三人の掛け声と同時にカチリ、と小気味のいい音が4つ重なり、四肢が急に軽くなったかと思うと、ゴトッと重厚感のある音が聞こえてきた。
恐る恐る目を開ければ、半円を連ねた無骨な枷が計4つ、床板に転がっている。
……手足に激痛の走る気配は無し。
「く、くくく、ハッハッハー!……俺は、自由だァァァむぐッ!?」
「声が大きいです!」
いつになく緊張していた反動もあり、歓喜に右拳を振り上げて叫ぶと、ソフィアに手で口を塞がれた。
ま、実際、ここはまだスレイン城内――敵地だもんな。
ソフィアに何度か頷いて見せて了承の意を伝え、呆れた目をした彼女に手を退けてもらう。
「ふふ、良かったですね。では、こちらに着替えてください。」
「え?」
着替える?
掛けられた言葉に戸惑いながらミヤさんの方を見れば、彼女はいつの間にかクローゼットの扉を放ち、その中から白黒の折り畳まれた服を取り出していた。
「どうぞ。」
「あ、ありがとうございます。それで……これは?」
何が何やら分からないままのりの効いた服を受け取りながらミヤさんの目を見返すと、彼女は少女のような可憐な笑みを浮かべた。
「これはこの城の執事服です。」
「なる、ほど?」
何故に?
「城を出る際、これを着たまま、買い出しに行くと伝えれば、門番はきっとすんなり通してくださいますよ。」
あー、なるほど。
「ありがとうございます。」
再度礼を言い、早速服を着替えていく。
まぁ元々が上半身裸だったので、“着替える”というよりは“着る”の方が正しいかもしれない。
白い下着とシャツとを着、ズボンも――少し迷った末、変装がバレるよりはマシと思い――着替えて元々着ていた古龍の下衣はヘール洞窟へ送り、ベルトを少しキツめに締め、黒い燕尾服をさらに上から羽織って、俺は晴れてスレイン城勤務の執事となった。
……本当にそれだけで済んでいたなら、どれだけ良かったことか。
実際は俺が新たな服を身に纏うたびにソフィアとミヤさんからチェックが入り、下着が裏返ってるだの、シャツのしわが寄ってるだの、ズボンが2cmぐらい短いだの、と細かい文句が何度もつけられ、着替えは遅々として進まなかったのである。
……ったく、どうせこの城を出たらお役御免だってのに。
「はぁ……。」
「コテツさん、背筋を伸ばしてください。格好悪いですよ。」
「あ、はい。」
小さく吐いたため息を聞き逃さず、ミヤさんが俺を嗜なめ、俺は慌てて気を付けの姿勢を取る。
そうして直立不動となった俺を眺めながら、ソフィアとミヤさんはぐるぐると俺の周囲を歩き続ける。
「「……。」」
彼らの目は真剣そのもの。
ときたま燕尾服やズボンの裾をクイクイと引っ張っては一歩退いて俺を遠目にしばらく眺め、頷き、やっと終わったかと思えばまた厳しい目をして歩き出す。
しかし肝心の俺自身にはその前後で何が変わったのか全く分からず、そもそも二人が何を不満に思っているのかの検討すらつかないため、ただただ彼らの気が済むのを待つしかない。
「あの、あんまりここに長居する訳には……。」
「大丈夫ですよ。普段の買い出しは日の出の少し前頃ですから、それまではたっぷりと時間があります。……あ、少し脇を開けてくれますか?」
遠回しに催促しても終始この調子で、抵抗は無駄だと俺も何となく察せてきた。
「はぁ……。」
「「姿勢!」」
「はいはい。」
結局、二人から渋々ながらの合格が出るまでは数時間掛かり、そしてもちろん、数時間前との差なんて俺には全く分からなかった。
俺が着替え終えてからは特にすることがなく、暇になってしまい、三人でおすすめの料理等の当たり障りのない話をしばらく続けた。
「そろそろ、ですね。」
そして空が明るみ始めたのを窓から見て取るなり、ミヤさんはそう言ってベッドから立ち上がった。
慌てて俺も椅子から腰を上げる。
「ありがとうございました。」
そしてミヤさんへ深々と頭を下げると、
「え?」
予想とは違い、戸惑ったような声が返ってきた。
何かおかしかっただろうか?
そう思って顔を上げれば、彼女は大きめの手提げ鞄を片手にポカンとした表情を浮かべていた。
「えーと……?」
助けを求めて、未だベッドに座ったままのソフィアを見ると、彼女はあからさまにため息を吐き、
「はぁ……この人も来るです。」
不機嫌顔でボソリと呟いた。
「は?」
来る?
目を前に戻す。
「いけませんでしたか?」
するとミヤさんから寂しそうな視線と共にそんな問いがされ、俺はほぼ条件反射で首を横に激しく振った。
「そんなことはありません!むしろこちらからお願いしたいくらいです。ただその……良いんですか?メイド長としての仕事とか、色々あるでしょうに。」
「ふふ、もちろん駄目です。」
片目を瞑り、ミヤさんが笑う。
「でも、貴方達の逃亡に協力したことを、裁きの神であるテミス様から隠し通せるとは思えません。」
あー……。
「すみません。」
「謝らなくても良いですよ。これは私が決めたことですから。森から逃げた私達エルフを受け入れてくださった恩への義理立てなら十分過ぎる程果たしたとも思いますし。」
まぁ300年近く奉仕していて不足なことはないだろう。
「ただ、夫と息子に迷惑を掛けることは、少しだけ気がかりですね……。」
そう言って笑みを翳らせ、ミヤさんは言葉を切った。
確かに、これでミヤさんが犯罪者だって事になれば、彼女の家族への周囲の扱いが悪くなるのは目に見えている。きっと彼女はこれから先、それをずっと気に病むことになる。
……できればそれは避けたいな。
ナイフを右手に作り上げ、ミヤさんへと一歩歩み寄る。
「あの、コテツさん?」
途端、不安そうな顔をした彼女へ、俺は安心させるように笑いかけ、その手を優しく握った。
「まぁ任せてください。ただ、一応先に謝っておきますね。」
せっかくの準備を台無しにすることとか、色々。
「武器を捨てろ!」
俺が指図すると、すぐさま二本の槍がカランと高い音を響かせ、俺の足元に転がった。
「分かった。分かったから、落ち着け、早まるんじゃない。」
「両手は頭だ。」
「くっ。」
焦り切った顔で俺を諌めようとする騎士に右手のナイフを向けて黙らせ、ジリジリと狭い石の足場の左縁へと移動。
まだ朝早いからか、眼下に広がる町並みは閑散としている。寝ぼけ眼を擦っているかもしくは未だ熟睡している住人達は、今現在城壁の上で異変が起こっているなんて夢にも思っていないだろう。
「乗せたぞ。ほら。だ、だから、早くその女を離してやれ。」
「ああ、俺達はお前を絶対に追わないと約束する。」
両手を頭に乗せたまま、それでも何とか無辜の命を救おうと俺に諌めの言葉をかける騎士二人。
そんな尊敬すべき、騎士の鏡とも言える門番達に対し、俺はミヤさんを抱きしめた左腕にさらに力を込めて見せた。
「黙れ!俺に指図するな!」
「い、いや!やめて!死にたくない!」
すぐにミヤさんが体を俺の腕の中でくねらせ、
「静かにしろ、死にたいのか?」
俺がその耳元に、騎士たちに十分聞こえるぐらいの大きさで話しかけると、ピタリとその息までをも止める。
「くはは、厳しいメイド長様とは言っても、こうなると可愛いもんだ。……いっぱい楽しもうな、ミヤちゃん?」
「やめ、て……。」
そして俺がさらにそう言えば、彼女は今度は目を閉じ、細い身体を微かに振るわせ、小さくすすり泣き始めた。
「この、外道めッ!」
「メイド長、待っていてください。後で我々が必ず助けにぃぃ……。」
ガシャン、と片方の鎧が急に脱力したように、城壁上の石床を叩いた。
「なっ?おい、どうしたデイブぅぅ……。」
次いでデイブじゃない方も糸が切れたように倒れ伏す。
もちろん二人とも頭に両手を乗せたままだ。
「よし、良いぞケイ。」
「これぐらい当然です。」
ナイフを消して言うと、すっかり暗殺者の風体に戻ったケイは、寝転がった二人を跨ぎながら素っ気なく返してきた。
「でも、ここまで立ちはだかってきた人達全員を本当に殺さないで良かったんですか?」
「おう、メイド長であるミヤさんが格好いい誘拐魔に誘拐されたってことを広めて貰わないといけないからな。……はいはい、普通の誘拐魔な。格好よくない普通の誘拐魔、これで良いか?」
「はぁ……。」
ケイのジト目に負け、渋々言い直す。すると深ぁいため息を吐かれた。
そう、目の前で倒れたままピクリともしない門番達は実は死んではいない。致死量に届かない程度の麻痺毒に意識を刈り取られただけだ。
とはいえ、ケイの話ではあと数時間はこうして寝たままだそう。
そして彼らのように昏倒した人達は王城の中にも数人おり、その一人一人がさっき門番達にやって見せたような、俺の三文芝居とミヤさんの名演技を目にしている。
これでミヤさんが俺達に協力したと思う奴は余程勘がいいか疑り深いかのどちらかだ。
勘が良いと言えばノーラが思い出されるものの、あの子は勇者とはいえやっぱり子供なので、その意見にしっかりと耳を傾ける奴は少ないだろう。
……そう願おう。
「あの、コテツさん?」
と、俺の腕の中のミヤさんが困ったような笑みを浮かべてこちらを見上げてきた。
「あ、すみません。えーと、お疲れ様でした。本当に素晴らしい演技でした。見た人全員をまんまと騙せていましたよ。」
慌てて彼女を解放し、照れ隠しに褒めそやかすと、ミヤさんの方も照れたように首を横に振った。
「いえいえ、コテツさんの演技があまりに真に迫っていたからこそ、できたことですよ。」
真に迫っていたって……あの役回りでか?ちょっと素直に喜べない。
「ですね。隊長さん、経験があるんじゃないですか?アイタッ!?」
俺と同じ思考をしたか、すかさずそんな茶々を入れてきたケイには右のチョップをかましておいた。
「はぁ……、ったく、さっさと降りるぞ。転けないようにな。」
そして、黒魔法式エレベーターにより、俺達三人は無事王城からの脱出を果たした。




