狂い②
扉を開くと、アーノルドさんは柔らかい色彩と材質の衣服を身に纏い、自分の仕事机を背中に、片手で長剣を構えていた。
……外の護衛の人達を倒すときに音を出しすぎたかな?なるべく素早く済ませたつもりだったけど、やっぱり音を立てない戦闘は難しいや。
「ああ、カイトか。外が何やら騒がしいが、何があった?」
入ってきたのがオレだと見ると、アーノルドさんは警戒を解いて剣先を下ろし、少し安心した風にそう尋ねてきた。
「……聞きたいことが、あります。」
「聞きたいこと?ふむ、義弟の問いだ。何でも答えよう……と、言いたいところだが、今は遅い。明日にしてはくれないか?外の様子も気に……。」
「ここに入るときに少し揉めただけです。それより、これは何ですか?」
俺の横を通り過ぎようと歩き出した相手の進行方向に改めて立ち塞がって、巻いた数枚の紙の束を彼の足元へ投げ捨てる。
「ん?なんだ?これ……は……!」
それを拾い上げ、広げた途端、彼の顔色が変わった。
素早くこっちを見上げてくる。
「知らないなんて、まさか言いませんよね?」
「……これは、どこで?」
「ティファが見つけたんです。さぁ答えてください。……あなたがスレインを裏切っているのは本当なんですか?」
問い掛け、聖剣を抜く。
するとアーノルドさんは目を見開き、焦ったように剣を構え直し、
「私がスレインを裏切る、だと?……何を言っている。」
まるで本当になんの事か分からないかのような顔で聞き返してきた。
「とぼけないでください!それはファーレンから逃げ伸びた人達がハイドン領に匿われているという密告書でしょう!?それをあなたは一週間も前に受け取っていながら、今まで何の行動も起こしてない!国内の裏切り者を処理して、さらに他国に優位に立つ絶好の機会なんですよ!?黙殺するなんて、裏切り以外のなんだって言うんですか!……その次の紙だって!」
「次?……これは、和平条約の草案だな。これがどうかしたのか?」
片手で器用に紙をめくり、その下の別の紙面を見ると、アーノルドさんは苦笑してそうとぼけた。
馬鹿にするな。
「そんなことは分かってます。でも、敵のスレインへの侵入を受け入れて、加えて領土そのものも明け渡すなんて、降伏してるのと何が違うんですか!?」
和平条約なんて、名ばかりじゃないか!
「……まぁ落ち着け、弟よ。」
怒鳴ったオレを片手を上げて制止して、アーノルドさんは再び剣を下ろし、少し下がって自身の机に腰掛けた。
「お前も楽にしろ。椅子なら適当に使って構わん。」
そう言われてもオレは動かず、レーヴァテインを構えたままアーノルドさんを睨み付ける。
「ふむ、そうか、ならば好きにすると良い。」
それに怒る様子もなく、彼は手にした紙を机の上に雑に放った。
「……カイト、私は何も他国からの来訪を全て認めようとは思ってはいない。関所を設け、その管理はもちろんするつもりだ。そしてここに示した国境はただ互いの最大侵攻距離の間を取っただけの物。いわば譲歩できる最低限の線だ。加え、今の戦況では我々が優位に立っているため、確保できる領地はより多いだろう。まぁ、今現在の国境よりは多少後退するだろうが……ははは、それで領土を明け渡すなどというのは言い過ぎではないか?」
なんてことも無いように笑い、アーノルドさんが続ける。
「父上の知らぬところで画策していた点を責められれば私は何も言えん。だが、和平が成れば、戦争は無くせる。これから死ぬ筈だった何百何千もの民を救えるのだ。素晴らしいと思わないか?」
そう言い切った彼の姿は、自信に満ち満ちていた。
でも、そんなのは間違ってる。
「……オレが召喚される遥か前から戦い続けてきたスレインの皆の想いを、あなたはそうやって無視するつもりなんですか?」
今まで一体何人が死んできたと思ってるんだこの人は。一千一万どころじゃない。彼らはそんな中途半端な結果のために命を費やしたんじゃない。
「大陸を平定して、皆が安心して豊かな生活を送れるような世界を作りたいって、王様も、スレインの人々も、ずっと願ってきたんですよ!?」
聖剣がそのことをいつも教えてくれる。だからオレはそれに応えようとこれまで鍛錬し、戦ってきた。
スレイン王国の兵士も国民も全員同じ思いの筈だ。
「……そうして今まで何人が死んだと思っている。」
「彼らは英雄です!……でも、もしあなたのその和平条約が成立してしまえば、彼らは本当に無駄死にしたことになります!」
「それは違う!彼らがいたからこそ、我々は対等に交渉台に乗ることができる。この和平の申し出が、ただ慈悲を乞うための姑息な手立てに成り下がらぬのは彼らのおかげだ。」
「こんな半端な結果に……死んでいった兵士の誰が、残された家族や友人の誰が!満足するっていうんですか!?」
一気に怒鳴ったら、それを目を閉じて聞いてたアーノルドさんが数度頷いて返してきた。
「そうだな。不平を言う者、不満を持つ者は後を絶たぬだろう。」
「当たり前、です。」
「だが和平の成立が後になれば後になるほど、そのような者はさらに増える。他国の者へ抱える憎悪も増大の一途を辿ることは間違いない。……既に遅きを期していることは否めないが、それでも、和平を結ぶなら早い方が良い。」
「……怖じ気付いたんですか?」
「なに?」
聞くと、彼はやっと目を開いた。
「敵は確かに強大です。異種族のほとんどは筋力や魔力で人間に勝る。武器や防具の質も敵の方が良いかもしれない。だからオレ達が負ける可能性はもちろんある。……でも、勝てない訳じゃない。オレ達は異種族共と十分以上に戦ってきた!実際、歴代の勇者達も幾度となく勝利を収めてきたんでしょう!?あなたのように負けるのを恐れて消極的になってしまったら、それこそ勝てる戦いにも勝てなくなる!」
「そうか……私が戦争での敗北を恐れていると。お前はそう思っているのだな?」
「何が違うっていうんですか!」
オレの言葉を、再び目を閉じて反芻した相手にさらに声をぶつけても、相手に動じる様子は見られない。
青い目がオレを射抜いた。
「私を見くびるな。戦争など怖くはない。ただ、それが無益であり、無駄なことであると言っているだけだ。ふっ、むしろ害でしかない。言っただろう、敗北しようと勝利しようとスレインはその都度多大な犠牲を払ってきた。……数百年も昔から同じ過ちを繰り返し犯し続けてきたのだ。だから、私がそれを正す。」
「あや、まち?」
「そう、過ちだ。……良いかカイト、我々に争う必要などない。……姿形が違おうと思想が違おうと、互いを認め合い、助け合い、共に歩む。それさえ叶えられたなら、スレインだけではない、ラダンもへカルトも、皆が幸福になれる。」
「敵と、仲良くなれって言うんですか?」
「異種族だからといって、敵と断定することは早計だ。お前も、ファーレンで学んだのなら分かるだろう?」
「……そうですね。確かに、彼ら全員が人間を憎んでいて、殺そうとしている訳じゃない。……でも、だからなんだって言うんですか?人間だって皆が皆異種族を嫌ってる訳じゃない。でもオレ達の戦う目的は大陸の平定で、それを邪魔する奴らは敵以外の何者でもないでしょう?」
「大陸を一国が平定せずとも良いと言っているのだ。ラダンやヘカルトと友好的な関係を築くことができれば……。」
「そうしてこれから先は二大国へのご機嫌取りを続けていくんですか?冗談じゃない!スレインは負けてなんかないんですよ!?……もしも、万が一、和平を結ぶとするのなら、それはオレ達の攻勢によって向こうから引き出した物であるべきです!オレ達から譲歩する必要なんてない!」
「どちらかが譲歩しなければ戦争は終わらん。」
「だから、譲歩させるんでしょう!?……ファーレンからの逃亡者を敢えて見逃したり他国に降伏しようとしたり、どうしてそんな、国を裏切るような真似をするんですか!?そんなの、これから王になる人のすることじゃない!」
「……お前の戸惑いは分かる。私の取る方針は確かにこれまでの愚王とは大きく違う。初めはその変化に多くの者がお前やティファニーと同じように疑問を抱くだろう。しかし、最後には私の目指す物の正しさを皆が理解してくれる筈だ。」
「っ!」
剣を握り直す。
……ティファに説明された通りだった。
単に何かの勘違いやすれ違いを起こしてるだけで、この人を殺す必要なんてないと思いたかったけど、違った。この人は、本気でスレインを壊すつもりなんだ。それも、良かれと思って。
「よく、分かりました。」
王にしたら、いけない。
ゆっくりと剣を下ろすふりをして、それを腰だめに構える。
でも、殺す必要まではあるのかな?まだ話す余地は……いや、例えもっと話しても、この人は意思を曲げはしない。
「そうか、それは良かった。ならばもう部屋に戻り、休め。それと、ティファニーにはもう少し節操を持つようお前の口から伝えておけ。身内とはいえ、自室を荒らされることは愉快ではない。」
アーノルドはそう言って机から腰を上げ、やれやれと首を振った。
「……そう、ですね。」
王族は、かつての勇者の血を引いていて、“障壁創造”というスキルを受け継いでいる。
文字通り、任意の場所に様々な効果の障壁を瞬時に生み出す力だ。
だから攻撃するのなら、それは相手がオレから完全に目を離した瞬間。
……この人が王になったら、スレインの皆が苦しませられる。スレインの過去の全ての戦いが無駄になってしまう。
正義はこっちにある。
だから剣に迷いはない。あったらいけない。
オレの狙いを知る由もなく、アーノルドは抜いていた剣を鞘に収め、それを机の上に置こうとこっちに背を……後ろッ!?
危機感知スキルに従い、左に飛び退く。
するとオレのいたよりも少し右側の空間を凄まじい速度で何かが貫いた。
「ゴッ!?」
その何かはそのままアーノルドを貫き、首をから刃を生やした彼の体は、そのまま床に崩れ落ちる。
ガクガクと痙攣する体。見開かれた目がオレを捉え、剣を投げた犯人を探して彷徨い、しかしすぐに生気を失った。
背後を振り向く。
「アイ!?」
視線の先――部屋の入り口では、アイが右腕を振り抜いていた。
怒ったような顔をしていた彼女は、オレを見るなりいつもの明るい笑顔になった。
「良かった、間に合った。カイト、大丈夫?」
「ど、どうして、ここに?」
「もちろんカイトを助けるためだよ。」
パタパタと走り寄ってきた彼女に聞くと、そんなハキハキとした答えが返ってくる。
「オレを……助ける?」
「うん。もしかして、迷惑……だった?」
「そ、そんなことないよ。ありがとう。……もしかしてティファに頼まれたの?」
怯えたような表情に慌てて首を横に振って見せ、そう尋ねれば、アイはホッと安心したように息を吐いた。
「ううん、王女様には私から、協力させるように言ったんだ。酷いよね、カイトにこんなことさせるなんて。……ちょっと怒っちゃった。」
言って、彼女は恥ずかしそうに小さく舌を出す。
「酷くなんかないよ。これはスレインの皆のためにしなくちゃいけないことなんだか……「それでも、カイト一人に任せ切りにするなんて、駄目だよ。」ア、アイ?」
対するオレの言葉をそう言って遮ると、アイは聖剣を握るオレの手を両手で包んだ。
「あいつをあまり信用しないで。アーノルドを殺すように言ったのだって、自分が女王になりたいからっていう理由もあるんだから。」
「そんなこと!」
「本当に無い?」
すぐに返され、必死に頭を回転させる。
「だ、だって、アーノルドがスレインを裏切ってたのは、ティファの言う通りだったし……。」
「そうだね、スレインを救いたいって思いはあったかもしれないね。でも、あいつはアーノルドと話し合いを一度もしたことがないんだよ。……一度も、だよ?それなのにいきなり次の王様を殺そうだなんて、おかしいと思わない?」
「っ!」
確かに、おかしい、かもしれない。
「うん、やっぱりおかしいよね。残念だけど……たぶんカイトは、利用されたんだよ。」
「そんな……。」
「辛いよね。許せないよね。そんな酷いことしてるのに、本人は今、自分の部屋でぐっすり、幸せな夢を見てるんだよ?」
「いや、でも……直接、聞かないと。」
アイの勘違いの可能性もある。ティファがそんな子だとは信じたくない。
「本当の事を教えてくれると思う?」
「う……。」
優しく問いかけてくるアイの目から、つい顔を逸らしてしまう。
……あれ?
「ねぇアイ。」
「なーに?」
「ティファを疑ってるなら、どうして、アーノルドさんを殺したの……?」
濃い赤に染まっていく絨毯を尻目に聞けば、目の前の笑みが少し深まった。
「ふふ、私はね、王女の計画を逆に利用としてやろうと思ったんだ。カイトが王様になることには私も賛成だから。」
「王様?む、無理だよ、そんなこと。それに、ベンさんが……。」
「第二王子には王になる気はないみたいだから大丈夫だよ。それに、少なくとアーノルドがなるよりはカイトが王になる方がマシだとは思うっしょ?」
「それは……うん。王様だからって、何でも自分勝手にしていい筈がない。やっぱり、周りの皆の意見を受け入れて、ちゃんと反映させるような人じゃないと。」
「そうそう、カイトの言う通り。……ここにあんまり長くはいられないよ。行こう?」
そう言ってオレの手をぎゅっと握って、アイはオレを部屋の外へと引っ張っていく。
部屋を出れば、オレがここに入るときに気絶させた護衛の騎士達が横たわって……いない?
「アイ、ここにいた人達は?」
鎧兜を着込んだ大人が5人も、そんないきなり消えることなんてあり得ない。
「私がちゃんと処理しておいたから安心だよ。」
でも分からないことだらけのオレとは違って、アイは歩みを滞らせず、オレをさらに引っ張っていく。
「そ、そう?」
慌ててその隣に並んで歩くと、彼女はオレの方に少し寄ってきて、肩に頬を乗せてきた。
「うん、カイトがここにいたことを知ってるのは、私とあの王女だけ。さっき投げた剣から私達を特定される事もないよ。……そんなことより、やっとだね?」
「え?」
何がやっとなのか聞き返そうと、すぐ横のアイに視線を移せば、彼女の頬が少し赤くなっていた。
「わ、私、カイトのために頑張るからね?……立派なお嫁さんになるから。」
「え!?お、お嫁、さん?」
「どうしたの?心配しなくても、王様が奥さんを二人持つことぐらい、許されるよ?」
いきなりのことに驚くオレに対し、アイは恥ずかしそうに笑顔を浮かべたまま。
「ま、待って、お嫁さんって……。」
話が急過ぎて頭が追い付かない。
「あ!もちろん私が女王様になりたいとか、そういう意味じゃないよ?私はカイトのことが世界中の誰よりも好きなだけだから。」
「え?あ、ありが、とう?」
さらに急に告白までされて頭がクラクラし始めた。
「ま、待ってよアイ。オレはそんな、アイと結婚するつもりなんて……。」
そもそもアイとは付き合ったこともないのに。
「カイトは優しいね。まだあの王女に気を使ってるの?大丈夫、あいつも納得してるから。」
「え?納得してるって……。」
ティファが、オレに一言も言わずに決めただって?
「うん、あっさり認めてくれたよ?本物の愛の前には何も言い返せなかったみたい。」
「え?本、物……?と、とにかく、ティファと直接話さないと。」
足を早める。
アイの言うように、ティファがオレを利用していただなんて、やっぱり信じられない。
「きっと辛いだけだよ。」
「それでも、聞かないと。」
オレの手を握ったまま、引っ張られるように歩くアイの言葉に首を振る。
……そんなこと、信じたくない。
振り返らないまま、ティファの部屋を出た。
「ね、分かったっしょ?」
ずっと隣で手を握っていてくれたアイが気遣わしげに言って、オレを見上げた。
「うん……アイの、言う通りだった。」
予想と違ってまだ起きていたティファから、アイと二人で詰問することで、全てを聞き出した。
ティファが、アーノルドさんの裏切りを知るなり、彼を殺すことでオレを王に、そして自分を女王にしようという計画を密かに立てていたこと。そして数日前、アイの強い願いを理解して、結婚を了承してたことも。
「あんまり恨んだら駄目だよ?あいつがカイトのことが好きなのは、一応、本当のことなんだから。……もちろん私の方が好きだけど。」
歩きながら言い、アイがオレの手にそっと指を絡め直した。
「そう、だね。アーノルドさんの裏切りは本当だったし、許せないとはオレも思う。だけど、一言ぐらい相談はして欲しかったな。」
その機会なら今までいくらでもあったのに、ティファがそんな大事なことをオレに黙ったままだったなんて。
「私もそう言ったけど、止められたの。……カイトを信じ切れなかったみたい。」
「そうなんだ……。」
ちょっと、ショックだ。
「……可哀想なカイト。」
穏やかな声と共に、腕を引っ張られた。
吊られてアイの方に顔を向けると、唇に彼女の柔らかいそれが押し当てられた。
完全に体が固まる。
少ししてアイが離れる。
「ア、アイ?い、今のは……。」
急なことにオレはまだ目を見開いたまま。
対してアイは、恥ずかしかったのか、僅かに顔を逸らしてはにかんでいた。
「辛かったら頼ってね?好きだよ、カイト。これまでも、これからも。……誰よりも。」
それでも一生懸命にそう口にする彼女の姿はとても可愛らしくて、オレは思わず顔を綻ばせる。
「ありがとう、アイ。」
「カイトのお嫁さんになるんだから、当たり前だよ。」
「お、お嫁さん、か。……まさか、二人と同時に結婚することになるなんてね。」
「あ!駄目だよカイト、あの王女は仕方ないけど、3人目なんて許さないよ?」
「あはは、もちろん、分かってるよ。あ、そう言えば、首は大丈夫?」
「え?首?」
「うん、ていうか喉、かな。ティファの部屋で、ずっと触ってたよね?痛いの?」
ティファに質問するときも、その答えを聞く時も、アイはティファをじっと強い目で見据えながら自身の喉に何度も触れていた。
その度にティファの顔が青ざめたような気がするけど、あれはただ質問で痛いところを疲れただけだと思う。
「ちょ、ちょっと、変な感じがしただけだよ。私の声、おかしくない?」
「あはは、全然。」
なぁんだ。心配し過ぎだったのかな。
しっかりと首を横に振る。
「そっか、良かった。(……他の方法を考えないと。)」
「え、なんて?」
最後の方が小さくて聞こえなかった。
「変だったら恥ずかしかったな、って言ったの。」
「アイって意外と恥ずかしがり屋さんだったんだね。」
「むぅ、意外とは余計。……他の人には秘密だよ?」
「うん、分かった。」




