訪問客②
迂闊だった。
ブランチとやらにお呼ばれされたとユイ本人は言っていた。しかし、本当にその朝食兼昼食とやらを一緒に食べるためだけに彼女が王子様に呼ばれた筈が無い。
何らかの話があって、それを食事越しにユイと話そう思っているからこそ、彼女を呼んだに決まっている。
それも長くなる類の話だ。でないとわざわざ食事越しに、なんてことはしないだろう。
ということはつまり、今日のユイには俺に昼御飯を持ってくる暇など無いのである。
そして、そうとなればその仕事は当然、兵士か、もしくは召使いの誰かに回される。
もしも仕事を宛てがわれた奴が――ユイの言っていたように――俺を心底嫌い、もしくは怖がり、食事を届けるなんて死んでもやりたくないと思う者であれば、俺が一食抜けば済む話だったろう。
しかし、実際問題として、そうはならなかった。
「どうかしましたか?」
「い、いえ、何でも。」
自ら作った氷の椅子に膝に手を乗せて淑やかに座る、落ち着いたメイド服姿のエルフの女性に、慌てて首を横に振って返す。
手足の枷に繋がる鎖までもが揺れてカチャカチャと音を鳴らした。
そう、なんと今日はミヤさんが昼御飯を持ってきてくれたのである。
彼女が俺の牢の前に現れたときの驚愕は、ここ数年の刺激的な生活を鑑みても、人生で数えるほども経験したことがない。
本当、心臓に悪いったらない。
取り敢えず持ってきてもらったお盆を膝に乗せ、パン、と力強く合掌。
「い、いただきますッ!」
「どうぞ、召し上がれ。」
「あ、は、はい。」
そうしてとにかく手元の食べ物に意識を集中させようと意気込んだものの、掛けられた優しい声音にそれが無駄な努力だとあっさり悟らされた。
「えっと……ミヤさんは、その、戻らないんですか?牢屋なんて、居心地の良い場所じゃないでしょう?」
だから観念して顔を上げ、勝手に恋して失恋して、さらには一戦交えたこともある、色々と気まずい相手と目を合わせる。
『フォッフォッ、それら全てを引き摺っているとは。女々しいのう、アホじゃのう。』
うるさい黙れボケ老害。
『なっ!?』
「あら、ユイ様はいつもここで貴方と歓談されていると聞きましたよ?もちろん、私と話したくないのであれば……。」
「そんな事はありません!」
「ふふ、良かった。」
コロコロと笑うミヤさんの姿に、自分の慌てぶりが恥ずかしくなってくる。
何か話題を……。
「えーと、それで、そ、そういえば!ラヴァルの食事は、いつも誰が持っていっているんですか?」
「いつもは私ですよ。」
いつも、ミヤさんが……?恨むぞラヴァル。
そう思いつつ、相槌を打ちながら昼御飯のパンにかじりついた所で、ミヤさんが続けた言葉に驚かされた。
「でも、今回は息子に行かせています。あの方は息子の恩師ですから。ふふ、今頃、二人は感動の再会をしているでしょうね。」
「え?クレスはここで働いてるんですか?」
聞き返すと、いいえ、とかぶりを振られた。
「息子は夫の仕事の手伝いをしています。」
「ああ、冒険者ギルドに。」
父親――確か名前はレゴラスだっけか――がギルドマスターだしな、覚える仕事はさぞ多かろう。
「はい。あ、そう言えば、コテツさんは夫とも会ったとか。」
「2年以上前ですけどね。」
「ふふ、2年なんて私達エルフにとっては短いものです。あの人、今でもコテツさんと会ったときのことを時々思い出しては、恥をかいたと落ち込むことがありますよ?」
「そう、ですか。」
「ええ、ですから半年前ともなれば今朝のように思い出せます。」
にこやかな表情を崩さず、メイド服の襟から伸びる細い首の輪郭を白い指でなぞるミヤさん。
……やっぱりこの話題になるよな。
まぁ、避けられないことは分かっていた。
まだ完食していない昼御飯を静かに盆ごと脇に退け、足が痛むのも構わず正座して、
「申し訳ありませんでした!」
俺は誠心誠意土下座した。
「えっと……故郷での謝罪のポーズですか?」
「そんなとこです!」
気圧されたような声音に構わず、しっかりと返す。
「そ、そうですか……ふふ、少し変な気分になりますね。良いでしょう、大切なお友達ですから、許してあげます。」
「ありがたき幸せ!」
変な口調になりながら言い、ゆっくりと顔を上げると、ミヤさんは気恥ずかしそうな表情を浮かべていた。
「大袈裟ですね。」
「それぐらい申し訳ないと思ってるんです。怪我が残っていたりは……。」
「いいえ、全く。」
「ホッ、良かった。」
安堵の息をつき、姿勢を崩して胡座をかいて、その上に昼御飯の盆を乗せ直す。
「でも、驚きました。」
「え?」
「私はこれでも魔法の腕には自信があったのですよ?それなのにいとも容易く負かされてしまって。ふふ、正直悔しかったです。」
そうして浮かべられた少女のような可憐な笑みに、俺もつられて笑顔にさせられた。
「聖武具を使って何とか勝てただけですよ。」
「あら、ヴリトラを倒した方がよく言いますね。謙虚も過ぎると嫌味にしかなりませんよ?」
「いや、謙虚も何も……。ん?ヴリトラ退治はカイトの手柄になったんじゃ……。」
問い返すも、意味深な笑顔が返されるのみ。
「ふふ、息子のクレスは風紀委員長だったそうです。」
「え?……ああ、はい、そうでしたね。」
急な話題転換についていけないまま頷く。
「なので彼は当時生徒会長だったハイドン卿と、今でも親交があるのです。」
「はあ。」
なんなんだ?話が繋がらない。
「そのハイドン卿は先の戦いの折り、国境の警備を任されていまして、ついこの間、とある特殊な集団を保護したそうです。」
「まさか!」
「はい。」
前のめりになる俺へ楽しそうに笑いかけながら、ミヤさんは人差し指を口元に立てた。
その様子から、エリックが保護の名目で避難民を捕らえた訳ではないと分かり、小さく安堵の息を吐く。
「じゃあ、ヘイロンには伝わってない……?」
「ええ、国王様のご病気は先の戦いのせいか著しく悪化し、今はとても政務を行える状態にはありません。ですから代わりにアーノルド様に報告がされました。」
「なっ!?なら、早く全員を故国に帰させるようエリックに伝えないと!」
結局、結果は変わらないじゃないか!エリックはなんで報告なんかしたんだ!
「大丈夫ですよ。」
「え?」
しかし俺とは対象的に、目の前に座る彼女は至って落ち着いていた。
「知りませんでしたか?アーノルド様はファーレン学園の卒業生です。スレインの王族として、初めての。」
「ああ、それは知ってる。ごほん、知ってます。」
危ない危ない、いつの間にか敬語が途切れてた。
しかしそれはしっかりと気付かれていたらしく、ミヤさんはクスクスと笑って顔を綻ばせた。
「ふふ、そのおかげもあって、アーノルド様はヘイロン様やそれ以前のどの王よりも開かれた考えを持っています。戦争の終結を志す程に。ですから貴方の今されている心配の必要ありません。」
「いや、でも、昔の自分は未熟でそういう考えはもう改めたって、ヘイロンに言ってるのを聞きましたよ。」
「賢い方ですから。頑固な父親の扱い方はちゃんと心得ているのです。王位を継ぐまで辛抱しさえすればあとは自らの手で改革を為せますから。」
じゃあ、ずっと周りを騙してきたのか?
「そう、なんですか。」
「ええ。あ、そういえば、もうユイ様もアーノルド様本人からその心の内を伝えられている頃ですね。」
「ああ、それでブラ……ごほん、食事に……。」
ブラ、なんだっけ?
ともかく、手の平を合わせたミヤさんの楽しそうな笑顔に頷き返しながら昼御飯を食べ進めていると、ふと彼女が自作の椅子から腰を上げ、屈み込んで顔を寄せてきた。
ふわりと花の香りがする。
「え、えっと……?」
対し、気が動転した俺はどうにかこうにかそれだけの言葉を絞り出せた。
こういうのは一々心臓が飛び出そうに鳴るからやめてほしい。……いや、別にやめて欲しくはないな、うん。
「コテツさん、私がこれから言うことは、誰にも言ってはいけませんよ?ここだけの秘密です。……良いですか?」
耳をくすぐる囁き声に、無言のまま首を動かして頭を縦にぎこちなく一往復させる。
「実は、アーノルド様は自身の即位の恩赦を利用して、貴方がた二人を開放するつもりでいます。」
“二人”が俺とラヴァルのことなのは言われずとも分かった。
「そんなこと、大勢が反対するんじゃないですか?そもそも改革をするって言ったって、周りがそれを許すかも分からないだろうし……。」
小声で聞き返すと、その長いまつ毛を数えられるくらい近くにいたミヤさんは、静かに微笑んで口を開いた。
「確かに、反対する者は多いでしょう。でも、賛同する者も同じくらい多いと思います。改革にも、貴方の釈放にも。」
「そうですか?」
「ええ、何せファーレン学園を卒業した貴族の当主は今や何人もいますから。実際、戦争で上げられる武勲は徐々に減ってきています。それに、アーノルド様やベン様がファーレン学園に通われたのも、何人もの貴族の強い勧めにヘイロン様が折れたからですよ?」
へぇ、そんな事情があったのか。
まぁヘイロン本人はそれを心底後悔してたみたいだけどな。
「なんだか嬉しいですね。学園で仲良かった者同士が故国に帰ったら殺し合いを演じるってことに心を痛めていた教師は多かったでしょうし、ラヴァルなんてファーレンの創設時からずっと教えていたらしいですから、その精神がちゃんと生きていたと分かれば、きっと俺以上に喜びますよ。」
上の命令で仕方なく戦争をしてはいても、ファーレンの卒業生達は彼らなりに戦いを避けようと努力してくれていたとは。
アーノルド然り、教育で育まれた精神はそう簡単に塗り変えられたりはしないのだろう。
少し感慨深く思っていると、ミヤさんにそっと片手を取られ、かと思うと両手で握られた。
途端、俺はピシリと硬直。
「私も嬉しいです。異端と言われ続けて尚、曲がることのなかったファーレンの精神は、とても尊い物だと常々感じていましたから。」
幸い、本当に嬉しそうにそう話してくれたミヤさんは、俺の緊張に全く気付いてなかった。
「せ、戦争にかまけていなければ、スレインはエルフの森の奪還に動き出せますしね。」
「それは、確かにそうですけれど、私は本当に、心からファーレンの考えに共感しているのですよ?」
心が落ち着かないまま、ふと頭に浮かんだことを口にすれば、少し拗ねたような声音が見返された。
しまった、何か別の話題を……
「……そ、それで、俺が釈放される予定だってことがどうして秘密なんですか?」
「騎士学校出の貴族達がもしそのことを知れば、彼らはヘイロン様が存命のうちに貴方の処刑を強行しようと躍起になるに違いないからです。」
「あー……」
なぁるほど。
「……やっぱり処刑される予定だったんですね。」
小さく呟き、苦笑い。
だからこそ高額な暗殺依頼とやらが幾つも出ていたのかもしれない。
「ええ、ユイ様と、彼女の味方の貴族達が執行を差し止めています。」
そうだったのか……。
「一言言ってくれれば良かったのに。」
「ふふ、きっと不安にさせたくなかったのでしょう。……ですから、私がこうして教えたことはユイ様にも秘密ですよ?」
「分かりました。」
ようやく心が落ち着き、しっかりと頷いてみせると、ミヤさんは握っていた手を俺の膝の上に戻し、
「もう少しの辛抱ですよコテツさん。……頑張って。」
そう囁いて、ミヤさんは氷の椅子に姿勢良く座り直した。
そしてさらに数分後、俺が平らげた食器を乗せた盆を持って出ていくとき、彼女は「またお話しましょうね。」と最後に言ってくれた。
重い音と共に鉄格子の扉が看守に閉じられ、2組の足音が完全に消えてしまうと、ほぅ、と知らぬ間に詰めていた息が漏れて、同時にストンと肩が落ちた。
あー緊張したぁ。
「随分楽しそうでしたね。」
「うぉぉっ!?」
突然掛けられた声に、ビクッとその場で体が跳ねる。
見れば鉄格子の向こうに赤黒いマントが立っている。そのフードの下の目は座ったままの俺を蔑むように見下ろしていた。
「お、おお、ケイ、お前か。……いつの間に。」
「あのエルフの子供の話になってた時にはもう、近くで隠れていましたよ。普段の隊長さんなら気配察知でそれぐらい分かってくれたのに……。まったく、気を抜き過ぎです。暗殺依頼が出てること、もう忘れちゃったんですか?」
「そ、そうだな、すまん、他に気を取られてた。」
「デレデレしてただけでしょう。」
「いや、デレデレなんてして「してました。」……。」
そうかぁ?
『しておったの。』
くっ。
「ま、まぁそれはそれで置いといて……。悪いな。」
「まったくです。」
苦笑すると、ケイはフードを下ろし、纏う空気も緩ませた。
そのまま、鍵が掛け忘れられてたんじゃないかと思うくらいスムーズに牢屋の中に入ってくると、
「せっかく調べたのに、全部言われちゃいました。」
彼はそう言って俺の隣にしゃがみこんだ。
実は彼には王城の内情がどんな物か調べるよう頼んでいたのである。だというのにその報告を聞く前にミヤさんが色々教えてくれたため、その調査は半ば骨折り損になってしまったのだ。
どうしようもなかったとはいえ、申し訳ないったらない。
「くはは、より詳しく説明できることはあるか?」
「そうですね……。まず、王様の病気はかなり悪いです。もう完全に寝たきりで、専属の白魔法使いですらもう3日と保たないと漏らしてたそうです。……5日前にですけど。」
「しぶといな。」
「今まで問題なく国を統治してきたのに、最後の最後で大失敗しましたからね。死んでも死に切れないんでしょう。隊長さんの死体を見るまでは死なない、とかよく漏らしているようですし。」
「……刑の実行は、本当にされないんだよな?」
つい不安に襲われて聞くと、ケイはしっかりと頷いてくれた。
「はい、勇者ユイがあの手この手で食い止めています。……一体どうやってあれだけの貴族を味方に付けたのか分かりませんでしたが、さっきのエルフの話を聞いて納得しました。」
「というと?」
「ファーレン学園を出た貴族が軒並み勇者ユイに協力してるんです。ただ……」
「ただ?」
おいそこで口ごもるな。ものすごく不安になるだろうが。
「ただ、対立勢力に王女がいます。そして王子は――実際は勇者ユイと同じ側らしいですけど――自分の立場を公にはしていません。」
「つまり形勢は悪い、と。」
呟くと、ケイは首肯した。
「はい。……王様を暗殺してさっさと王位を移させましょうか?今なら自然死に見せかけるのは簡単だと思います。」
そしてその可愛らしい顔をコテンと傾かせたかと思うと、なかなかに物騒な提案を提示してきた。
「却下だ。」
即答し、首を横に振る。
「早かれ遅かれ死ぬ奴をわざわざ殺す必要はない。それに、暗殺を失敗したり、もしくはそれを誰かに見られたり怪しまれたりしたら、それこそ俺の命が危ない。ユイの立場もな。」
「……分かりました。それで、これからどうします?」
再度頷いてそう聞いてきたケイに、俺は肩をすくめ、軽く笑ってみせた。
「ま、ユイを信じて気長に待つしかないだろうな。」
「分かりました。……でも、逃げる手筈はいつでも整っているってことだけは覚えててください。」
そう言い残し、ケイは向かい側の牢へと戻っていった。




