訪問客①
獄中生活が始まり早くも一週間。
俺から引き出せる情報は全て引き出したと判断されたか、3日程前からカイトやあの尋問官の姿は見ていない。
囚人として肉体労働や奉仕活動でもさせられるかと思いきや、そんなこともない。
……暇潰しに話したラヴァルや爺さんは、俺の手足を自由にするアホなんざいない、とそれを何も不審に思っていなかった。
兎にも角にもそんな訳で、俺はここのところ暇を持て余している。
「くぁぁぁ……。」
「ふふ、おはよう。眠そうね?」
「ん?ああ、ユイか。……おはよう。いつも悪いな。」
なので誰に構うことなく全力の欠伸をしていると、お盆を持ったユイがいつの間にやら牢の前にやって来ていた。
盆に乗せられているのは俺の朝ご飯。
囚人だから臭い飯、なんてことはなく、今も湯気立つそれからは、良い匂いが漂ってくる。
「お願いします。」
「はっ、畏まりました!」
ユイが俺からは見えない位置にいる誰かに軽く頭を下げて言うと、ハキハキとした返事とともに兵士が現れて彼女の前に屈み込み、腰から鍵束を取り出してその内一本を牢の錠前に差し込んだ。
しかし鍵は捻られることはなく、代わりに兵士が空いた手を錠にかざし、するとカチャリと解錠の音が牢に響く。
「ありがとう。」
「では、退出の際はお声掛けください。」
「ええ、分かったわ。」
兵士に扉を開いてもらい、俺の牢に入ってきたユイの装いは、首にかけたネックレス以外に金属の見当たらない、柔らかく、華やかなもの。
軽鎧を着た姿を見慣れていたのもあって初めは少し違和感を感じてたものの、最近ようやく彼女のこの姿に慣れてきた。
実際、この方が良いのかもしれない。鎧とか刀とか、使わないに越したことはないしな。
「な、なによ?」
ユイが盆を置く様子を眺めていると、顔を上げた彼女と目が合い、少し驚いた調子で聞かれた。
「いや、平和そうで良いなって思っただけだ。」
「……やっぱり似合わないわよね。」
咄嗟に答えるも、ユイは俺の真意にすぐに気付き、スカートのすそを摘んで苦笑した。
「そんなことないぞ。並の男ならイチコロだ。」
ぐっと親指を立てる。
「並の男に用は無いわ。」
しかしバッサリ切り捨てられた。
「くはは、酷いなおい。……いただきます。」
笑いながら、かいたあぐらの上に盆を乗せ、温かな野菜スープの湯気を吸い込みながら手を合わせる。
ジャラと四肢の鎖が石床を擦った。
初めは動き難くて仕方なかったこれも、慣れてくればなんじゃない。
そうして俺が食べ始めると、ユイは俺の隣に石のベンチを魔法で作り上げ、そこに腰掛けた。
「そのマント、役に立ってるかしら?」
「ああ、こいつが無かったらたぶん凍え死んでる。」
笑い、厚手の生地を左手で摘んでみせる。
いつもなら食べるのに集中するところ、流石に色々気にかけてくれる彼女を蔑ろにするのはまずいので、会話にはなるべく応じるようにしている。
「そうね、昨夜は雪が降ったみたいだし。」
「12月半ばだもんなぁ。……ったく、それなのに俺はシャツ一枚でいさせられるところだったのな。」
本当、ユイには感謝してもし足りない。
「あなた、嫌われているものね。……まぁ寒いぐらいで死にそうにはないけれど。」
「あ、やっぱりそうなのか?」
看守を命じられた兵士が見回りしているとき、俺の前を通る度に睨みつけて来るような気がしていたのだ。
「ええ、化物先生は伊達じゃないわ。」
「おいこらそっちじゃない。前半の嫌われてるのくだりだ。」
睨み、スープをすする。
「そうね、あなたには仲間をたくさん殺されて、それに留まらずアンデッドとして使役までされたもの。仕方ないとは思うわ。……ご飯だって、私以外が持ってくることになっていたら、きっと途中で半分つまみ食いされたり土を入れられたりしていたわよ。」
マジか。
『そもそもお主の元に届けられるかも怪しいのう。』
なんと。
「……な、なぁユイ、ぬいぐるみを今度は2体ぐらい作ってやろうか?なんだったらお前よりも大きい、巨大な奴でもいいぞ。」
無性にユイへの感謝を示したくなって言うと、彼女は少しムッとした表情を浮かべた。
「あなた、私を一体何だと思っているのかしら?」
「ケモナー。」
「……。」
された問い掛けへ端的に応じれば、図星だったか、ケモナーは押し黙る。
「と、とにかく!今のあなたには無理でしょう?」
「つまり、作って欲しいんだな?」
「これで私からの訪問を最後にしていいのよ?」
「……すまん。」
「分かればいいのよ。」
腕を組んだユイが満足気に頷く。
そんな彼女の様子に苦笑いし、少しして俺は朝ご飯を完食した。
「ふぅ、ごちそうさまでした。……そういやユイ、お前はもう食べたのか?」
「まだよ。そうそう、今日はアーノルドさんに呼ばれているのよ。」
「アーノルド?……あ、あの第一王子か。」
あの王の言葉を信じるなら、歴史上で唯一ファーレンを卒業した王族だ。
「そうその人。」
「それじゃあ急がないといけないんじゃないか?ここで駄弁ってて遅れた、なんて冗談にもならないぞ。」
「大丈夫よ。ブランチだから。」
「ぶら……?」
なんじゃそりゃ。
「はぁ……朝と昼の分をまとめて食べるのよ。だから、食べる時間も昼の少し前ぐらいになるわね。」
俺に浮かんだ疑問符を感じ取り、呆れ顔でユイが教えてくれる。
「へぇ、つまり今日は1日2食な訳か、相撲取りと同じだな。」
「……どうしてここって刀が持ち込み禁止なのかしら。」
どうも俺なりのブランチとやらの解釈はお気に召さなかったよう。
目が怖い。
「それで、呼ばれたのはお前一人なのか?」
「ええ、そうみたい。」
「何の用かは?」
「分からないわ。まったく、私だって忙しいのに……。」
「悪いな。」
漏れた愚痴に、俺はそう返すしかなかった。
何せこの一週間、ユイは俺とラヴァルの開放のために奔走してくれているのだ。
協力してくれそうな貴族の情報を集めたり、その領地が近場であれば訪問したり、かなり活発に動いているそう。
考えて見れば俺がこうして奴隷に落とされることもなく暇していられるのも、彼女が奮闘してくれているおかげだろう。
“忙しいのはカイトの争奪戦のせいか?”とか、からかう訳にはいかない。
まぁ、それはそれで試合経過が非常に気になるけれども。
「……謝らないで。これは私の義務ではあるけれど、私が好きでやってることでもあるのよ?」
「好きでやってる、ね。人に自分の意見を伝えるのを怖がってたんじゃないのか?」
言うと、ユイは少し言葉に詰まり、かと思うとほんのりと微笑を浮かべた。
「そうね。正直、今もちょっと怖いわ。でも、黙っていたとしても嫌われたり疎まれたりすることはあるもの。……ふふ、あなたには怒られたわね。」
「あー、カイト達にヴリトラの魂片のことをお前がなかなか話さなかったことか?」
あのときは焦ってたもんなぁ……主に毛根とかで。
「ええ、それに、私が自分が勇者だって黙っていたせいであなたはパーティーを追い出されてしまった。……危うく、あなたとの“縁”が切れてしまうところだったわ。」
「それを繋ぎ直したのはお前だろ。トントンだ。」
だから気にするな、と暗に伝える。
「でも、そのせいでルナさんとあなたは……。」
「それは俺の問題だ。」
それでも自分を攻める彼女にきっぱり言ってやると、彼女は少しむくれた。
「人の恋愛には散々首突っ込もうとするくせに、よく言うわ。」
「人のふり見て我がふり直せ。一応ちなみに、俺が悪い例だぞ。」
「でしょうね……。」
額に手を当て、ユイが嘆息。
「それで、今のカイト周りはどんなもんだ?」
駄目だ、やっぱり気になって仕方がない。
我慢ならずに聞くと、またもや呆れたような目が俺に向けられ、しかしそれに片眉を上げてみせれば、ユイは観念したように息を吐く。
「……王女様が優勢ね。」
「そりゃ大変だ。」
言うとギロリと睨まれた。
「家族ぐるみでアオバ君とくっつけようと協力しているもの、当然でしょう?」
「アイは?」
「大人しくしているわ。……見るからに不機嫌だけれど。」
「なんか、そっちの方が後々大変そうだな……。」
暴発しそうで怖いったらない。
「ふふ、そうね。」
「で、お前は?」
「え、私?」
聞くと、ユイの声が少し跳ねた。
ついつい口角を上げてしまう。
「何かアクションは起こしたか?」
「私は、忙しいのよ。」
「あー、うん……そう、だったな。感謝してる。でも、俺達のためにカイトといる時間まで削らなくて良いんだぞ?」
「大丈夫。好きでやっていると言ったでしょう?……こうしているのは本当に、すごく楽しいもの。」
その言葉に、嘘や誤魔化しの様子は無かった。
「そうか?」
「そうよ。……じゃあ、そろそろ行くわね。」
「おう、王子様によろしく。ついでに、良い太刀筋でしたとでも言っておいてくれ。」
ユイが立ち上がるのにあわせて俺も空の食器を乗せた盆を持って立つ。
そういやあの玉座裏のカーテンって縫い直したのかね?それとも新しく買い直したのだろうか?
「よろしくの部分だけ、気が向いたら伝えておくわ。」
言いながら俺から盆を受け取り、ユイは鉄格子の扉をくぐった。
そして彼女が横を向いて軽く手を上げると、ガシャガシャと音を鳴らして、廊下の先で待機していたのだろう兵士が現れ、俺の牢屋の扉を荒々しく閉めてユイと連れだって俺の視界から歩いて消えていった。。
二組の足音がフェードアウトする。
……さてと。
「なんの用だ?」
立ったまま言うと、向かいの独房の闇の中で影が動いた。
その独房の扉が音もなく開かれ、出てきたのは約半年ぶりとなる顔。……スカーフで口元は隠しているものの、色素の薄い髪に緑の瞳は記憶にしっかりと残っている。
と、スカーフが引き下げられ、無邪気な笑みが顔を出す。
「あは、やっぱりバレていましたか。今度こそ驚かせようと思ったのにな……。まぁとにかく、お久しぶりです隊長さん。それとも異世界人さんの方がいいですか?」
「好きな方でいい。ま、元気そうで何よりだ。」
言うと、ケイはさっそく俺の独房の扉に手をかざし、あっさりと解錠の音を響かせた。
「それで何の用だ?俺の暗殺依頼でも出てたのか?」
取り敢えず、鎖に繋がれた手足の自由がある程度効く位置まで下がる。
くそ、状況が悪すぎる。
「……確かに、隊長さんの暗殺依頼はたくさん出てましたよ。子息をアンデッドにされたんですから不思議ないですけどね。総額は少なくとも10000ゴールドは超えてます。」
「そりゃ大金だな。」
「ですね。」
ケイは緊張を全く感じさせない足取りで俺の目の前にやって来ると、自然な動作で腰に手を宛てがった。
来るか!?
「でもそんな依頼、私は興味ありません。だからそんなに警戒しないでください。……悲しくなるじゃないですか。」
「え?」
そう言って彼が取り出したのは、ただの針金だった。
針ではなく、針金。
人を傷付けるための物じゃない。
「手を出してください。」
「あ、ああ。」
肩透かしを喰らった気分を味わいながら素直に右手を差し出せば、ケイはそれを片手で支え、針金を手枷についた鍵穴に突っ込み、そのまま目を閉じた。
しかしその顔が少ししかめられたかと思うと、ケイは針金を引き抜いた。
枷は依然として俺の腕を拘束したまま。
「……これ、宝物庫を鍵より開けるのが難しいのか?」
「いえ、開けるのは簡単です。ただ、違和感が少し……調べさせて貰っても良いですか?時間はあまり掛からないと思います。」
「存分に調べてくれ。時間なら腐るほどある。」
答え、そのままボケッと立つこと数分、俺の手足の枷を針金でつついたり両手で握ったりしていたケイは、「やっぱり……。」と小さく呟いた。
「どうした?」
「これ、4つ同時に開けないと、強い雷が流れて隊長さんの四肢を内から焼いて破壊する罠がついてますね。……発動したら、最悪死ぬ可能性もあります。」
……そんな物騒な物を今まで嵌められてたのか俺は。
一週間も拘束され続けてむしろ付け心地が良くなってきた、なんて思ってた自分がアホに思えてくる。
『結論は間違っておらんの。』
黙ってろ。
「どうする?」
「幸い、鎖は切っても大丈夫みたいですから……。」
聞くと、ケイは何やら呟きながらその場に膝をつき、マントの下から小さな袋を取り出して、何やらごそごそ探し始めた。
「ケイ?」
「少し待っててください。」
「ああ、分かった。」
そのまましばらくして、彼の相変わらず女性的な顔が輝いた。
目的の物が見つかったらしい。
そして取り出されたのは2本の細い金属棒。
1本が俺に渡される。
なるほど、ヤスリかぁ。
「隊長さん、どうかしましたか?」
「ん?いや、いいヤスリだなって思っただけだ。」
もっとマジカルな物を期待していたとは言えない。
「あ、分かりますか?」
え?
「それには最硬の金属――アダマンタイトが使ってあるんです。今まで何度も使ってきましたけど、一度だって折れた事がありません。こういう機会でもないと、おそらく隊長さんに渡した予備を使う事は無かったと思います。」
石床に腰を落としてギシギシと鉄の輪を削りながら、自慢気にケイが言う。
「ほら、隊長さんも手を動かしてください。」
「お、おう、分かった。」
頷き、俺もケイに倣ってギコギコやり始める。
まさかこれがそんな思い入れのあるものだったとは。
「どうですか?」
「え?あーうん、凄いな。」
ヤスリで鉄を削ることってあんまりないから普通がどれくらいなのかは分からないけどな。
ただまぁ、何となく気持ち良いのは分かる。
「じゃあ1本あげます。」
「そりゃありがたい。」
実に楽しそうに言うもんだから下手に断れない。
一定のリズムの細い金属音が地下牢に響く。
「これを切り終えたらどうするんだ?」
手元を止めずに聞くと、ケイは手元に目を落としたまま口を開いた。
「私の隠れ家に一緒に来てもらいます。そこなら隊長さんが暗殺される心配はありませんから。心配しなくても、その枷に遠隔操作の機能はありません。鍵は後で私が盗み出します。」
「……悪いな、俺はここに残る。」
返した途端、真ん丸な目がこちらを向く。
「な、なに言ってるんですか。大勢に命を狙われてるんですよ?」
「一週間と少し前もそうだったよ。」
戦争の真っ只中だったし。
「そして、こうして捕まったんじゃないですか。」
「うん、まぁ、そうだな。」
目線を下げ、作業を続けながら苦笑い。
それを言われてしまうと弱る。
「でしょう?だからほとぼりが冷めるまでは身を隠すべきです。」
「ユイが頑張ってくれてるんだ。それを無駄にしたくはない。」
ここで脱獄したら、間違いなくユイが疑われる。そうなれば俺の代わりに彼女がここに閉じ込められてしまう可能性大だ。
それは避けたい。
「聞いてましたか?命を狙われてるんですよ?」
「そうだよな……。ケイ、ナイフを1本貸しておいてくれないか?」
俺が武器を持っていないだろうという油断を突いてやれば、おそらく何とかなるだろう。最悪、ユイを呼んでおいて時間稼ぎに撤するのもアリだ。
「それは別に構わないですけど……でも、食べ物に毒を盛られたらどうするんですか。」
「それを見抜く手段ならある。」
完全鑑定もたまには役に立つ。
『たまに、じゃと?』
違うか?
『くっ!』
「……隊長さん。」
と、視界にケイが入ってきた。
四つん這いになった彼の緑色の瞳がせっせと鎖を削る俺をじっと見上げてくる。
「私を、信用できませんか?」
その悲壮感溢れる目に見つめられ、
「はぁ……。」
「わっ!?」
俺はため息を一つついて持っていた鎖を床に置き、目の前の頭を雑に掻き混ぜてやった。
「そんな訳ないだろ。」
「でもさっきは……わう!」
手に力を込め、ケイが口にしかけた余計な言葉を抑え込む。
「信用ならしてるさ。ただ、ここを離れる訳にはいかないだけだ。」
「……なら、一緒にいさせてください。私の技術の限りを尽して隊長さんを守ります。」
「お、そりゃ心強いな。」
「え?良いんですか?」
拍子抜けしたような顔が俺の手を押し上げ、再びこちらを見た。
どうやら駄目もとでの申し出だったらしい。
「だから信用してるって言っただろ?くはは、よろしく頼む。」
「は、はい!」
「まぁ、できればラヴァルの警護にも回って欲しいんだけどな。」
「え……。」
晴れやかな笑顔で頷いたケイは、しかし続く言葉でそれを少し曇らせた。
「十中八九、あいつの暗殺依頼も出てるんだろ?」
しかもラヴァルは片足だ。
説明するも、ケイは不満気なまま。どうも気が進まないらしい。
「はぁ……、じゃあヤスリを渡すくらいはしてやれないか?」
「……それぐらいなら。すぐ戻ってきます。」
俺の代替案に渋々といった様子で頷くと、ケイはそう言い残して俺の牢を後にした。
「さて、俺は俺で頑張るか。」
石床に座り、鎖のヤスリがけに掛かる。
それからしばらく、耳障りな金属音が独房に響き続けた。




