思い
ヴリトラの攻撃、そしてその余波や流れ弾に加え、落ちたヴリトラ自身の大質量にまで押し潰されて、ファーレンの街は徹底的に破壊された。
ファーレン学園の敷地内だけは、結界により、魔法関係の攻撃を全て凌いだものの、やはり主戦場となったせいで損壊は免れず、そしてヴリトラの死体の落下による破壊は外の街と同様、まともに受けた。
全てが元通りになるまでには数十、下手すれば数百年は掛かるだろう、とはラヴァルの言葉だ。
ヴリトラ教勢は、その旗頭たるヴリトラが倒れたことで総崩れとなった。
半数以上は戦うことそのものを止め、その場で赤子のように泣き出したらしい。
口々に死にたくないと訴える彼らは、つまり死の恐怖を克服した訳ではなく、ただそれから逃げ続けていただけだったよう。
そもそもヴリトラの掲げていた世界平和への野望は――一見魅力的ではあるものの――結局のところ、自然界の弱肉強食の理を人に当て嵌めようとしたものだ。
そうした上で、一番強い最上位の存在が平和を求めれば、世の争いは無くなるとヴリトラは考えていた。
それが恐怖政治だなんだとは敢えて言わない。
ただ、人が互いと協力し合って脱しようとしている理を、逆に目指そうとするのは間違っている。
弱い奴を食い物にして得をする事はあるだろう。俺も今まで一度もそんなことをしていないとは言い切れない。
ただ、それが正しくないのは分かっている。
そしてそれを正しいと言えるような世界を目指すのは、人から猿に逆戻りするのと何ら変わらない。
……人間以外の種族、そもそもこの世界の人間も、元が猿だったかどうかは知らん。
何にせよ、あいつの元に集った者の殆どが死の恐怖という誰もが持つ動物的な感情を人一倍強く持っていたのは当然だったのかもしれない。
……奴らと戦ってくれた島民や学生等の学園関係者約800人の内、出た死者は合わせておよそ200人。
転移陣と回復の魔法陣を上手く用いて、怪我人は重軽傷問わず、全員を救うことができたらしい。バーナベルも助かった一人だ。
しかし、即死級の致命傷を受けた者はやはり助けられず、それだけの数が死んだのだ。カダも、その内の一人だ。
ただ、彼ら全員の奮闘のおかげで、避難民は誰一人として死ななかったそう。
ああ、駄目だ。どうしても思考がここに戻る。
……戦い、生き残った600に俺がいる。そして、200の死者の中には、アリシアが、いる。
「どうして、逆じゃないんだ……。」
コロシアムの改造部屋で、俺は木の台の上に両手を体に乗せて寝るアリシアの横顔へと話しかけた。
返事なんてなくてもいい。無邪気な笑顔をもう一度見せてくれるだけ、いや、目を少し開けてくれるだけでも十分だ。
しかしそんな奇跡が起こる事はなく、椅子に背を丸めて座る俺は、握った両手にまた目を落とした。
嵌めた手袋が軋む。
……全部、これからだったじゃないか。
ファーレンでしっかりと学んで、技術とか知識とかを培ったのも、世の中でそれらを存分に発揮して、良い人生にするためだろう?
「なぁアリシア、ラヴァルは、お前を天才だって言ったんだぞ?……俺は魔術のことはよく分からないけどな、あのラヴァルがそう言ったんだ。……どこの誰もが羨むような生を、お前はきっと送れたんだよ。」
確信を持ってそう言える。
なのにどうして、俺なんかのために命を捨てたんだ。
……いや、違うか。
アリシアは命を賭した祈りを捧げはしても、自ら命を断った訳でも、誰かに介錯をして貰った訳でもない。
彼女の体そのものが限界に達したのだ。
それを察して、アリシアは祈ったに違いない。
結局は俺の力不足が原因だ。
右手で、着ているコートの上から左胸を強く掴む。
悔やんでも悔やみきれない間違いの跡がここにある。
「……何が、“ポーションの副作用が出る前にヴリトラをやっつける”だ。馬鹿が!自惚れやがって!」
この魔法陣を刻ませるために無理をさせて、俺はアリシアの死を手繰り寄せただけじゃないか。
ヴリトラを倒すことと、アリシアを助けること、2つを比べて、俺はあろう事か前者を選んでしまった。
今思えば他の道は幾らでも思い付く。
ロンギヌスの槍を持ってアリシアの元へと戻り、適当な敵を捕まえてそいつを――もしも自殺したなら俺自身を――刺せば良かった。
いや、そうしてる内にファーレン城がヴリトラのブレスで破壊されて大勢が死んでいたか……。
……なんなら戦わず、魂片の返却と俺がヴリトラの傘下に入ることをダシに、ヴリトラの魂の欠片をアリシアに宿らせて貰えるよう、交渉したって良かった。
ああそうだ。裏切り者だと罵られようと、アリシアが死ぬよりは遥かにマシだっただろう。
そうして彼女の命を永らえさせ、ヴリトラの手下を続け、勇者達がやって来たら勝ちそうな方に協力すればいい。そうすれば、アリシアは今も元気でいてくれた筈だ。
しかし現実として、俺はそうはしなかった。
「……ごめんな。お前を絶対に死なせないなんて言った癖に……それに、初めて会った頃、付いて来てくれって頼んでいながら、俺は、自分が力を得るためだけに、お前を切り捨てた。」
左の拳をさらに硬くし、目を閉じたまま膝の間に向けて吐き出す。
足元には魔術的にも物理的にも封をされた黒い箱。
中身は今回の戦いの成果であるヴリトラの魂。
爺さんの案内で探すまでもなく、それは地面に落ちたヴリトラの、2つに裂けた頭の間に転がっていた。
ヴリトラを殺すための物であるだけあって、神器に込められた神威が魂の封印と摘出をしてくれたらしい。
そうして手に入れた、黒以外全ての魔素を大量に吐き出すこれには、ただ所持しているだけで自分を含めた周囲の人の黒以外の魔法を補助し、強化する効果がある。
アリシアの台の上に刻まれた――前にユイの命を助けたこともある――対象の時間を巻きもどす魔法陣を俺はずっと起動させ続けているものの、限界は全く感じない。
この魔法陣が元々は5人がかりで起動させる代物なのに、だ。
……だから、なんだ。
アリシアの命は戻ってこない。どれだけ魔術を行使しようと、失った命は戻ってこない。
こんなもの、欲しくもなんともない。
こうなってしまってようやく、俺はこれまでヴリトラやその手下と戦ってきた理由を思い知った。
怒りじゃない。憎しみでもない。ましてや正義感や使命感なんて物でもない。
ただ、アリシアに無事でいて欲しかっただけだ。
ヴリトラから彼女を守るために必要だと思ったから、神器なんて探しに行った。
もし敵の狙いがクラレスではなく、アリシアだと分かっていれば、ファーレンを離れるなんてことはしなかった。
なのに、俺はその一番大切なことを、戦いの中でいつの間にか見失っていた。
そしてそのツケを、アリシアが命で払ったのだ。
俺が、払わせた。
俯いたまま、アリシアに触れる資格のない両手の指を、頭の後ろに強く突き立てる。
「……許して、くれ。」
掠れ声の懇願に、応えは勿論返ってない。
……アリシア本人が聞いていれば、きっとあの眩しい笑顔を浮かべて許してくれただろうと思うと、余計に辛かった。
「この船、もっと速く進まないのかしら!?」
「風の魔法を使えば速くなりそうだけど、でもここで味方を疲れさせる訳には行かないよ!」
もう何度目かも分からない会話をユイと大声で繰り返しながら、オレは乗っている帆船の外に広がる大海原へ目を向けた。
ついさっき昇った日の光をキラキラと反射する波に、吹きつける気持ちのいい風はこれからの戦いを応援してくれているみたいだ。
「そう、ね……。」
でもオレの前に立つユイにはそれを楽しむ様子はない。
彼女は一つ頷くと、小さな木箱に片足を乗せたまま、船の向かう先に視線を戻してしまった。
腰に吊った刀に左手を掛けて、右手で帆に繋がるロープを握り、一つに束ねた髪を風に揺らす姿は、なんていうか、様になっててすごく格好いい。
ただ、時折ネックレスを掴んでは怪訝な顔をするのはどうしてだろう?
「くくく、これから邪龍ヴリトラと戦うというのに、“急げ”とは。心強いなドレイク。」
「ええ私の部下にも見習わせたいものです。」
「わっ!王様!?ドレイクさんも!」
急に後ろから話しかけられて驚いて振り向いたら、ドレイクさんと王様が立っていた。
最近体の調子が悪くて杖をついている王様は、空いた手でドレイクさんの肩に手を乗せ、船の揺れに耐えている。
「えっと、早いですね。まだ日が昇ったばかりですよ?」
「なに、余のような老人は朝が早くなるものだ。くくく、カイトよ、この老体に手を貸してはくれぬか。海が見たい。ヴリトラに勝とうと勝てまいと、これで見納めになるやも知れぬからな。」
「陛下。戯れが過ぎます。」
「くく、常に余の側におるお前はよく分かっておるだろう?戯れなどでは……「陛下!」……そうだな、余が悪かった。カイトよ、頼めるか?海が見たいというのは本当なのだ。」
「あ、は、はい。」
王様から杖を受け取って、空いたその乾いた手を掴む。
そのままドレイクさんと一緒に少し歩いて王様の手を船の縁に乗せてあげた。
「うむ、やはり良い風だ。……勇者ユイ、そなたもそう思うであろう!」
顔のシワを深めて笑いながら、眩しそうな表情で頷くと、王様はユイの方に顔を向けて大声を出した。
「……ええ。」
でも彼女は王様の方を一瞥もしない。
「余は、そなたに謝らねばならん。」
「その必要はないわ。」
「ユイ、少しは聞いてあげても……ユイ?」
城から追放したのはあんまりだとオレも思うけど、それでも少しは聞いてあげるべきだと言おうとすると、彼女はオレを振り向いて、王様を指差した。
「アオバ君、言ってなかったわね。私は一度、スレインに騙されて殺されかけたのよ?それを許せって言うの?」
「え!?」
そんなの、初耳だ。
「ユイよ、それは誤解だ。」
「何が誤解よ!現界、魔槍ルーン!」
王様の言葉にユイが言葉を荒げ、次の瞬間、その手に真っ赤な禍々しい槍が現れる。
「ヴリトラの魂片を取り出す道具だと言ってこれを渡したのはあなた達でしょう!?私があれを取り出して、万が一にもスレインの敵に渡さないようにするための保険として!」
「それはスレインの本意ではない。一部の貴族が勝手に動いてしまったのだ。もちろん、彼らの処罰は下してある。」
「これはティファニーに渡されたのだけれど?」
え?
「うむ、知っておる。我が娘は彼奴らに騙されておったのだ。」
ほっ、そうなんだ。
「……だから、許せって言うつもりかしら?」
睨むユイに対して、王様はゆっくりと首を振った。
「そうは言わぬ。ただ、理解して欲しいのだ。スレインはそなたらの味方だ。決して敵などではない。……だから勇者ユイよ、老い先短い余よりも少ない睡眠を取り続ける必要はないのだ。」
「ッ!」
「そなたを心配して、カイトもあまり寝ておらぬようだ。主戦力たる勇者の二人がこれでは、勝てる戦も勝てぬ。」
うわ、オレのこともバレてる!?
「……そうなの?アオバ君。」
「え?いや、オレは平気だよ。わ!?」
聞いてきたユイに慌てて首を振ると、近付いてきたユイに頭を両手で止められた。
「何が平気よ、隈ができてるじゃない。まったく、一言ぐらい言いなさいよ。はぁ……心配かけてごめんなさい。少し、自分の部屋に戻るわ。」
ため息をついてオレから手を放し、ユイは歩いて行ってしまった。
……急に近くまで来られてびっくりした。
オレの顔、赤くなってなかったよね?
「ふぅ……これで、懸念の一つは解決したか。」
と、王様の呟きが聞こえた。
「えっと、王様、ありがとうございました。」
「なに、結局はスレインのためにしたこと。感謝せずとも良い。それより勇者カイトよ、近う寄れ。」
そっちに向き直って頭を下げると、王様はそう言って片手で手招きしてきた。
またあの話かな?
そう思いながらその隣に立つと、いきなり肩に手を回され、
「さて、我が第三の息子となる決意はできたか?」
予想していた通りの言葉が耳元に掛けられた。
「それは……。」
顔が熱くなる。
だって、それはつまり、オレとティファが……恋人になる、ていうか、そのさらに先に進むってことだから……。
「勇者であれば地位に申し分はない。ティファニーの気持ちにも問題は無いぞ?いや、これは余よりもそなたがよく分かっておるか。」
「で、でも、やっぱり元の世界にいる友達とか家族が……わっ!?」
肩に掛けられる力が急に強まって、咄嗟に船の端を掴む。
「カイトよ、あれらを見よ。」
そんなオレから視線を外し、王様はその真っ直ぐに伸び切らない指で、隣に並ぶたくさんの帆船を指し示した。
「ティファニーと共に王領の一部を納めてくれるのであれば、あれらに乗る兵は全てそなたの部下となる。」
「え?」
後ろのドレイクさんを王様の腕越しに振り向く。
兵隊の統率は、騎士長の役目だったはずじゃないの?
「もちろん、勇者様にはまず副騎士長となって貰い、その責務を果たして貰います。次の騎士長の席に座るに相応しいか、皆が見定めるためですが、なに、心配はありますまい。」
「そう、ですか……。」
淀みのない口調に頷かされながら、目を前に戻す。
「そうだ。カイトよ、下準備は全て整えてある。行く行くはそなたが騎士長として次代の王たるアーノルドを支え、また良き夫としてティファニーと添い続けられるようにな。……それでもやはり、郷里に残してきた者が気に掛かるか?」
「……はい。」
小さく頷く。
この世界来てからもう3年も経つし、あのトラックにはねられたと見られて、オレはもう死んでしまったことになってるかもしれないけど……それでもやっぱり、心配だ。家族や友達に会いたいとも思う。
「そうか……。だがこうも考えて見よ。そなたが元の世界に帰ったならば、この世界の多くの者が悲しむ。余やドレイク、そして誰よりティファニーも、な。」
「うっ……。」
それも、何度も考えた。
たったの3年、それでもその短い間にたくさんの人達と出会った。
皆と2度と会えなくなるのは、とても辛い。
「決断すれば、スレイン王家がそなたの新たな家族となろう。それに、この世界で老いるまで暮らし、晩年に帰った勇者もいる。それもそなたの取れる選択肢の一つだ。」
「オレは……。」
「陛下!緊急です!」
口を開きかけたとき、ガシャガシャと鎧を鳴らして騎士の一人が走ってきて、振り向いた王様の前でひざまずいた。
「聞こう。」
緊急、という言葉に纏う空気を張り詰めさせて、王様が後ろを振り返る。
「邪龍が……ヴリトラが、倒されました!」
「なに!?」
「え!?」
そしてされた報告に、王様だけでなく、オレも目を丸くした。
「誠か?」
王様の質問に騎士が無言で頷く。
「……ならば即刻、神威授かりの儀の中止を本国に伝達よ!……然る後に魔法使いを起こせ!ファーレンへ急ぐのだ!」
「はっ!」
命令され、騎士はまた鎧を鳴らして走り去って行った。
「あれ?スレインに戻らないんですか?」
まだ信じられないけど、ヴリトラがやっつけられたんだから。
「カイトよ、此度の目的はヴリトラを討ち滅ぼすことではない。ヴリトラの魂を我らスレインの手中に収め、大量の魔素を精製するそれにより我が軍の魔法の力を底上げすることだ。」
「あ、そうでした。」
今度こそヴリトラを倒すと誓って、ずっと力を磨いて来たからか、ついつい忘れてしまってた。
「かつての級友と戦う事になるやもしれぬが、それでも、スレインのために戦ってくれるか?」
「勿論です。」
そんなの、当たり前じゃないか。
「おお、なんと心強い。しかし、ヴリトラが先に倒されるとはな。どのようにやったかは分からぬが、ありがたい事だ。伝説にある、“神の助力を得るために多くの民が身を捧げる”という一文に倣わずに済んだ。」
「えっと……?」
どういう意味だろう?
「いや、今となっては詮無いことだ。くく、退位の前に歴史に名の残るような戦ができると思っていたのだが、なかなかうまくは行かぬな。」
「陛下、相手がヴリトラではないからと油断なされませんよう。ファーレンはヴリトラを倒す程の力を持ち、今はその魂を手にしたことでさらなる武力を得たのです。」
くつくつと笑った王様は、ドレイクさんに毅然とした声で忠告されると、咳払いして背を伸ばした。
「ごほん、うむ、分かっておる。だからこうしてファーレンへ急がせているのだ。ヴリトラと戦い、疲弊した所を討つためにな。……だが、ファーレンの中には条件次第でこちらに従いそうな者がいた筈だ。それを使うのも一つの手だろう。ドレイク、遠話室へゆくぞ。」
「はっ、承知いたしました。勇者様も、気持ちは抜けていませんな?」
「はい!」
鋭い目に射抜かれ、オレはしっかりと頷いた。




