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 転職勇者   作者: まずは深呼吸
第七章:危険な職場
273/346

決着

 「つ……掴んだッ!」

 柄を何度も指で引っ掻いた末、ようやく左手がクラウソラスの柄を握り締める。

 「離せネクロマンサァァッ!」

 途端、ヴリトラが吼えた。

 同時にその体から冷たい白煙が勢い良く噴き出、対する俺は鈎付きの太く短いワイヤーを複数本作成。

 「ハッ、誰が離すか!」

 それらをヴリトラの鱗の隙間に深々と埋め、片端を右のガントレットに融合させれば、右腕は荒れ狂う冷気の中でも俺をその場に留めるいかりとなった。

 下半身が凍っていく中、神剣を掴む左手に力を込める。

 「光輝を見せよ!クラウソラス!」

 唱えた瞬間、眩い蒼の爆発が起きた。

 発生源は当然、ヴリトラの首に根本まで刺さった蒼炎の神剣。

 冷気は一瞬で熱気に飲み込まれ、足を覆う氷は蒸発。衝撃でヴリトラの頭部付近がまとめて大きく振り回された。

 「ガァァッ!?」

 「ッ!」

 もちろん至近距離にいた俺も爆発に巻き込まれる。

 しかし前回と違い、右腕のいかりがあるおかげで俺の体がヴリトラから大きく離れてしまう心配はない。

 「くぅっ!もう、一発……!」

 ヴリトラの首にぶら下がるように足を風に遊ばせたまま、右腕一本で体を引き上げ、今の爆発でヒビ割れた鎧を修復しつつ、再びクラウソラスへと手を伸ばす。

 そして、白魔法による回復が未だ完了していないヴリトラの皮膚で、またもや蒼炎が吹き上がった。

 「何ぃぃぃッ!?」

 驚愕を顕にした古龍の首がさらに振れ、しなる。

 回復しかけだった黒い鱗は殆どが剥げ、赤く生々しい皮膚を露出させた。

 即座に白魔法が行使されるものの、やはり不死性による修復と比べれば速度は遅い。

 続けて3度目の爆発を起こそうと、もう一度クラウソラスへ左手を伸ばした瞬間、ヴリトラの体が震えた。

 「オオォォッ!」

 雄叫び共に発されたのは強力な風。

 それは俺の体を煽り、吹き上げ、クラウソラスから引き離してしまう。神剣そのものまでも揺らされてヴリトラの体から徐々に抜け始めた。

 ……一応、クラウソラスに付着させた黒色魔素の塊を使い、それが抜けないようにすることはできる。

 しかしそんな千日手を使う余裕なんざ今の俺には存在しない。

 だから代わりにカラドボルグを左手に握った。

 火炎を纏う剣がもう殆ど元通りに治ってしまった黒い鱗の隙間から滑り、抜ける。

 そうして空き、早速塞がり始めた目の前の細く深い穴の中へと伸縮自在の剣を突き出せば、螺旋模様の入った刀身は勢い良く伸び、クラウソラスよりもさらに深く、ヴリトラの首に突き刺さった。

 「くっ!?」

 巨躯が怯み、風が止む。

 「凍れ!」

 今度はそう易々と抜けないよう、剣と古龍の体を繋いでしまい、さらに上から共々凍らせる。

 氷の床に両足が着地。

 ここまでしても、ヴリトラは未だ巨躯をくねらせ、俺を振り落とそうと暴れ続けている。

 首じゃあ駄目か。……やっぱり頭を狙うしかない!

 見上げれば、ヴリトラの頭に生えた角まであと10メートル程。

 カラドボルグを握ったまま、右手に繋げたワイヤーを消し、そこに天羽々斬を引き寄せ、逆手に掴む。

 一歩踏み出し、その先を鱗の隙間に宛がい、厚い皮膚に鎧の力も用いて刺し入れながら専用の文言を呟けば、血でできた刃が黒い鱗の隙間にに突き立った。

 「煩わしい!」

 足場がうねる。

 かと思うと鋭い雷がその表面を走り、鎧越しに俺の体を貫いた。

 「ぐぉぁぁ!?」

 筋肉が緊張し、否応なく体が固まる。

 それでも歯を食いしばって、ヴリトラの背から落ちることだけは避ける。

 カラドボルグと同じ黒魔法による工夫を用い、天羽々斬を固定。

 「くっ、しぶとい!」

 すると頭上から苦々しい響きの声が上がり、見れば首を曲げたヴリトラが目の端で俺を捉え、睨みつけていた。

 その口から漏れる強い光。

 すぐに体を硬い鱗に押し付ける。

 「ギリャァァァァァァァァァァァァ!」

 直後、鼓膜が破れそうな咆哮が響き、周囲が白く照らされた。

 胸の魔法陣を発動するための魔素を準備。

 しかし、待てども強烈な衝撃も肌が蒸発する激痛も俺を襲っては来ない。

 「くはは……なるほど。」

 少し顔を上げれば、その理由はすぐに分かった。

 ここがブレスの発射台たるヴリトラの頭に近過ぎるせいで、自慢の破壊光線が俺に届かないのだ。

 なんとかしてそれを俺に当てようとヴリトラがブレスを吐きながら体を何度も捻っているものの、俺が傷付けられることはない。

 まぁ、強いて言うなら体を鱗に強く押し付けたことで胸に擦り傷ができたぐらいか。

 光が止む。

 「ハッ、でかいってのも考えものだな?」

 「落ちろ!」

 体を上げ、鼻で笑ってやりながらヴリトラの頭部へ踏み出すと、古龍はそう怒鳴って体を大きく捻った。

 右腕に力を込め、体が浮いてしまうのを阻止。すると、ふと俺を襲っていた雨あられが止んだのに気が付いた。

 ただし、辺りを見回しても雨の止まった様子はない。目を上げれば、太い尻尾が俺を押しつぶさんと目の前まで迫っていた。

 すぐにムマガカマルを左手に引き寄せ、掴み、振り下ろされる巨大な鈍器に突き出す。

 そこへ振り下ろされた黒い尻尾は、俺の目の前で音もなく静止し、短剣には強い赤の光が宿った。

 すかさず叫ぶ。

 「揺らせ!ムマガカマル!」

 瞬間、ヴリトラの尾はもと来た方へと跳ね返り、開けた視界から再び攻撃的な悪天候が襲ってくる。

 「ええい、猪口才な!」

 「くぉっ!?」

 いざ頭部へ、と足を踏み出そうとしたところで、胃が持ち上がり、足場が垂直になった。

 ヴリトラは地面へ真っ直ぐ落ち始めたのだ。

 その行く先にはヴリトラの流れ弾で半壊し、土砂降りだというのに未だ燃えるファーレンの街。

 「くそったれ!」

 天羽々斬を左手で強く掴み直し、俺は再び古龍の巨躯に体を貼り付ける。

 ヴリトラの狙いは単純明快。俺や刺さった神器を地面に擦り付けることで無理矢理振り落とすつもりだろう。

 痒い背中を掻きたいとき、孫の手の代わりにやることと同じだ。

 目を殆ど開けられない程の突風の中、近付いてくる地表を薄目で見ながら龍泉を抜き、古龍の肉へ深々と押し込む。

 パラシュートを作成し、背中に背負う。

 それを魔力で開いてやれば、俺の体は浮かび上がり、ヴリトラから一瞬で離れていった。

 しかしすぐに黒い板を作ってパラシュートを消し、着地すると、下半身に強烈な負荷が掛かり、俺は思わず膝をつく。

 ……空から勢い良く落ち来ていたことには変わりなかったらしい。もう少し勢いを殺すべきだった。

 そう反省している間も、真横を凄まじい速度で黒い鱗が流れていく。

 ヴリトラは俺が離れた事に気付いていないのか、刺さった神器を抜くのに手こずっているのか、街の家屋を一つ残らず押し潰し、倒壊させ、地表で大暴れを続けている。

 ヴリトラの頭に転移して戻るにはまだ早いか。

 魔剣グラムを両手で掴み、振り上げる。

 振り下ろす先は、未だ絶えることのなく流れていくヴリトラの体。

 「切り裂け……グラム!ぐっ!?」

 それを輪切りにしてやろうと長剣を振り下ろすも、特別な力を何一つ発揮することなく、刃はやすやすと黒い鱗に弾かれた。

 「そこかネクロマンサーッ!ギリャァァァァァッ!」

 しかも相手に気付かれ、すかさず真っ白な極太の光線がこちらへ放たれる。

 左手で腰の鞘に触れ、唱える。

 「応えよ、太阿!」

 転移先はもちろん、龍泉を埋めておいたヴリトラの首辺り。

 そうして右手で龍泉を改めて掴んだ瞬間、再び足場が垂直になり、しかし今度は俺の体が上に引っ張られる。

 降る雨を我慢してヴリトラの向かう先に目を凝らせば、こいつ自身が生み出した黒く厚い雲が空を覆っていた。

 ……次はそう来たか。

 内心で呟き、瞬間、全身が総毛立つ。

 「き、切り裂け!」

 若干の焦りと共に文言を唱えて握ったままのグラムを目の前に振り下ろすも、その効果は上手く発揮されず、刃は硬い鱗に弾かれてしまう。

 「馬鹿、野郎。焦るんじゃない……鱗の間を、しっかり狙え。」

 そう、声に出して自身に言い聞かせ、努めて冷静にグラムの剣先を操作し、鱗の間に軽く突く。

 しかし、突如強烈な音と光と強い体の痺れに襲われ、頭が一瞬、真っ白になった。

 「ッ!」

 頭を振ってなんとか戻した視界では、周囲黒いモヤで完全に覆われていた。

 グラムは左手から既に落ち、俺の纏っていた鎧の大部分は砕け散ってしまっている。

 しかし右手は幸い、天羽々斬を掴んだまま。そして俺の目の前では焼けたヴリトラの皮膚が修復されていた。

 ……捨て身の攻撃をやってまで、俺を体から振り落とそうとしている訳か。

 「くはは、そろそろ身の危険を、感じ始めたか?……ッ!?」

 乱れた呼吸をしながらも笑い、鎧を修復しようとしたところで鈍痛が体の奥で走った。

 すぐに鎧を消し去り、スケルトンのみを作り直す。

 それでも温かい液体が噛み締めた歯の間から漏れた。

 ……長くは保たんな、こりゃ。

 黒い素肌をヒョウが打ち据え、鎌風がそこに浅い切り傷を刻む中、左手に戦槌を掴んで掲げる。

 「鳴動せよ!ミョルニル!」

 そして大声を上げて目の前にそれを振り下ろすと、轟音と共に大雷がヴリトラを撃ち落とした。

 「ぐぅっ!まだ、戦えるのか!?」

 「……当たり、前だ。」

 雷をヴリトラ共々叩き付けられながらも、予期していたからか、俺の意識は飛んでいない。

 落下する古龍に張り付いたまま、ミョルニルからムマガカマルへ持ち替え、今度こそ硬い装甲の隙間に深く刺して固定。

 それを左手で強く握り締めて胸に右手を押し付け、刻まれた魔法陣を起動させれば、体の内外の熱が全て引いていった。

 「ごふっ!……まぁ、こうなるわな。」

 しかしすぐに体内が傷付いたのか、血の味のする咳が出る。

 ……アリシアは、この激痛とずっと戦っているのか。

 そうなると弱音はいっそう吐けないな。

 だから赤い掌を握りしめ、笑う。

 そして顔を上げ、あとたったの数メートルだというのに、やけに遠いヴリトラの角を睨み付けた。



 4本目の瓶が空になった。

 「大丈夫?」

 「はい、問題、ないです。」

 アリシアから空の薬瓶を受け取りながら聞くと、彼女は荒い呼吸のまま精一杯の笑顔をボクに見せた。

 それで安心したいところだけど、この子のポーションを飲むペースはかなり早くなって来ている。

 外で吹き荒れる雨風は――それらが魔法で作られているからなのか――結界が完全に防いでくれているから、アリシアの小さな体の震えが走る痛みによる物だと分かる。

 この分だと5本目を飲ませないといけなくなるまで、2分保つかどうか……。

 「ごめんなさい、私の失敗でこんなことになるなんて……。」

 こちらに背を向けて立つシーラさんが振り向いて言う。するとアリシアはゆっくりと首を横に振った。

 「シーラさんの、せいなんかじゃ、ありません。」

 「でも……「シーラ!そっちから来てる!」ッ!下がりなさい!」

 それでも納得の行っていない様子の彼女は、フェリルに鋭い警告を発されると巨大な氷塊を作り上げて飛ばし、コロシアムリングに上がってきたヴリトラ教徒達をまとめて観客席に叩き付けた。

 それでも敵の数が減った様子は全く無い。

 むしろコロシアムに入ってくるヴリトラ教徒の数はどんどん増えて来ている。

 事前にボクの行き先を伝えていたシーラさんがフェリルと二人でコロシアムに駆け付けてくれたとき、敵はまだ一人も襲って来てはいなかった。

 それが急にこうして狙われ始めたのは、フェリルが神弓でヴリトラへ桃色の光の矢を数発放った直後。

 つまり、相手方の目的はフェリルの援護射撃の阻止。

 でも、だからといって襲ってくる彼らを無視できる訳じゃない。大人数の敵の対処に追われて、神弓によるコテツの援護はもうずっと途切れたまま。

 というより、たった二人で敵を未だに退け続けられている事そのものが奇跡に近い。

 ……二人と一緒に、ボクだって戦いたい。でも苦しむアリシアを放っておくなんて事はできない。

 せめてシーラさん達の負担を減らそうと、こっちに飛んでくる魔法はボクが防ぐから気にしないで、と言ってあるけど、それでも歯痒い思いは変わらない。

 立て続けに放たれる強力な魔法や光の矢が黒ずくめの相手を――運が良いのは観客席にぶつけ、運が悪いのは周囲の水の中へ沈ませ――戦闘不能に追い込む中、ふと空から白い光が降り、かと思うとすくに消えた。

 空を見上げれば、それが何度見ても背筋の凍るような感覚を覚える古龍のブレスだと分かる。

 光の明滅は、ファーレンを覆う結界を真っ直ぐ横切ったせいで起こったもの。

 結界の外の惨状は想像したくもない。

 でもそれだけで終わりじゃなかった。

 暗い空のせいで余計際立つ白い柱はファーレン学園の上を往復するように通り過ぎたかと思うと、縦や斜めにも、大きなカーブを描くようにも振り回されて、その度に周囲の明暗が切り替わる。

 「う……ぐぅ、ぅ。」

 と、ボクに体を預けたまま、アリシアが背中を丸めて呻いた。

 心配させまいと口を手で覆って咳を我慢しているけれど、その手の指の間からは血が溢れている。

 「そんな、もう?ていうか、また我慢してたの!?」

 「ごめん、なさい。」

 慌てて5本目のポーションを手に取ると、口を抑えたまま、アリシアが潤んだ瞳でボクを見上げた。

 「もう、取り敢えず後で怒るから、今は早くこれを飲んで。」

 「怒、られるのは……嫌です。」

 「駄目。ほら、体を少し起こして。」

 「うぅ……は、い。」

 土汚れの目立つ白い神官服の背を左手で押してアリシアの体を支えてあげながら、栓を噛んで軽い音と共に抜き、横に履いて捨て、小瓶を彼女に優しく手渡す。

 「ありがとう、ございます。はぁ……はぁ、んん。」

 アリシアはそれを震える手で口元に近付け、中の青い液体を少しずつ、浅い呼吸を小刻みに挟みながら、飲んでいった。

 「どう?少しは楽になった?」

 空になった瓶を受け取り、そう聞きながらアリシアの姿勢を横にさせていく。

 「はい……す、こしは……。げほっげほっごほっ!」

 「アリシア!」

 でも儚い笑顔を浮かべてくれたと思った瞬間、彼女は腰をくの字に折って、今までで一番激しく咳き込み、自分の神官服の胸元と腹部を両手で強く掴んで捻ると、体を震わせ始めた。

 ポーションが、効いてない。

 「アリシア、痛いのは胸?お腹?」

 「……ぜん、ぶが、苦しい、です。」

 痛い所を擦ってあげようと思って聞くと、強がりを言う余裕すら無くなったアリシアは、目をぎゅっと瞑ったまま、咳を堪えるためか、そう小声で囁いた。

 「……そう。」

 頷いて、ボクは彼女を強く抱き締めた。

 これぐらいしか、してあげられないから。

 「ネル……さん?」

 「頑張ろう、アリシア。ボクがずっと付いてるから。ッ!」

 そのとき、空の色がまた変わった。

 ブレスの無機質なものと違って、微かに熱を帯びた赤色の光。見上げれば、ヴリトラが太陽のような強い輝きを体全体から発して暴れていた。

 「ギリャァァァァァァァァァァァ!」

 巨大な咆哮がビリビリとボクの体まで震わせる。

 ……負けないで。

 空を仰ぐボクの腕の中でアリシアが両手を組んだことに気付いたのはもう少し後だった。



 「落ちろネクロマンサァァッ!」

 遠くからも見えた、ヴリトラの頭部の7本の角。その間をようやく抜けたところで、灼熱の炎が俺を襲った。

 黒銀を使っているとは言え、至近距離からのあまりの火勢で体の各所が焦げているのが自分でも分かる。

 「ぐぅっ!?……ハッ、ここまで、来て、そんなことするアホが、いるか。」

 走る激痛に呻きつつも、俺は相手の焦りを察して笑ってやる。

 角度が目まぐるしく変わり続ける足場の上で、俺が体の支えにしているのは、十数歩前にもヴリトラに刺して自身の支えとした大剣ヴルム。

 刃をもつその他の6つの神器は俺の進んでき跡を示すように、まだヴリトラに刺さったまま。

 たったの6歩ではヴリトラの頭部に届かなかったため、一度刺したものを再利用することで歩を進めてきたのである。

 神の作った短剣を握り締めたまま、これまた数歩前に刺していたデュランダルを操って右手に握り、炎の中からさらに一歩踏み出してヴリトラの額にそれを突き立て、それを新たな手掛かりとする。

 「やっと、だ。ゴホッ!」

 ヒョウやら風の刃やらで夥しい量の血を流す体を動かし、背中には大小様々な氷の刃を刺したまま、ヴリトラの頭に両足で立つ。

 ただでさえ魔力に無理させている今、アリシアの魔法陣はそう易々と使えない。

 だから、今も増えていく体中の傷を強い炎が焼き広げていようと、まだ体が動くのなら、魔法陣の使い時ではない。

 背中の剣は黒く染まった硬い肌に阻まれて数センチしか埋まっていないため、体が少し動かしにくいだけで大した問題にはなってない。

 左手にミョルニルを握り、大きく振りかぶる。足は黒魔法で固定。

 さぁヴリトラ、頭蓋を貫かれてまだ生きていられるか?

 「さぁ終いだ。……鳴動、せよ……」

 打ち込む杭は、神剣デュランダル。

 「貴様、まさか!?オォォォッ!」

 ヴリトラが叫ぶと大嵐が激しさを増し、燃える彼の体表面を雷が幾本も駆け抜けて俺に襲い掛かった。

 対して俺はただただ強く歯を食いしばり、突き立った神剣に全神経を集中させる。

 風は酷いし、足場も安定しているとは冗談でも言えはしない。それでも焦らず、正確に、神槌を打ち込む必要がある。

 狙いを、定めて…………今ッ!

 「……ミョルニルァァァァッ!」

 大声を上げ、俺は全身全霊の一撃をデュランダルへ振り下ろした。

 瞬間、音が消え去り、視界は真っ白に染まり切る。

 心地よい浮遊感に包まれる中、再び視界が戻ると、俺は空から地面へ真っ逆さまに落ちていた。

 左胸に右手を伸ばし、魔法陣を起動すれば、ボロボロの体が見る間に修復されていく。

 すぐにその代償として体の内が傷付き、鈍い痛みを訴えたものの、まだまだ我慢できる範囲内。

 鼓膜が破れていたらしく、バタバタと相変わらず無傷なズボンがはためく音、そして高めの風切り音が聞こえてきた。

 しかし何より俺の注意を引いたのは、辺りに響くヴリトラの苦悶の声。

 「……アアァァァァァァァァァァァ!」

 発生源は逆さになった俺の足の下。

 大口を開けたまま暴れ、頭にデュランダルの深々と刺さったヴリトラの顔は、その大部分を既に血液で深紅に染められ、今尚さらなる鮮血を額から溢れださせている。

 白魔法で回復するにも、剣が丸ごと残っているのだ。治しようがないだろう。

 その激痛からか、もう自在に飛ぶ事すらできずに地へ落ちていくヴリトラは、地面につく頃には息絶えるに違いない。

 「くはは、しっかしあれでも即死しないか。」

 しぶとい奴だ。まぁ、俺も大概か。

 「貴様ァァッ!これで我に勝ったつもりかァァァァッ!」

 ヴリトラの声がさらに張り上げられ、そちらへ目を向け直すと、大顎を開けた古龍が最後の力を振り絞って迫ってきてきた。

 ……俺を噛み殺して道連れにするつもりか。

 しかしそうと分かってはいても、肝心の逃げ場がない。

 足場を作ることもワイヤーを飛ばすことも、今の俺には荷が重い。そもそもそれらを使って逃げる前に牙が俺を捕らえるだろう。

 「はぁ……せっかくのアリシアの描いてくれた魔法陣も、死んだら使えないしな。相打ち、か。……チクショウ。」

 吐き捨てる。

 ふと、右腕が向かってくるヴリトラへと伸びた。



 轟音を立てて、強烈な稲妻が世界を白く染めた。

 でも、ボクは空を見上げない。

 「はぁ……はぁ……ストームッ!うっ……。」

 「シーラ!?」

 「大丈夫、まだ、やれるわ。」

 襲い来る敵が多過ぎて、そしてシーラさん達も疲れ始めて、周囲の戦況はどんどん悪くなっている。

 でも、ボクは加勢にはいかない。

 「アリシア!お願い!目を開けて!」

 その代わり、手を強く組んだまま目を閉じて動かなくなったアリシアの肩を強く揺すり続ける。

 周りには彼女の服にお金の入った袋、そしていつの間にか買ってたお菓子とか、彼女が神様の空間に入れていた物が散乱している。

 それらは少し前、寝ている彼女の横の空間に空いた穴から一気に吐き出されたもの。

 「起きてよぉ!」

 不吉な予感は首を振って払い除けた。

 仲間を無くすのは、もう、嫌だ。

 「ネル……さん。」

 と、彼女の目が薄く開いて僅かに緑の瞳を覗かせてボクに安堵の息を吐かせた。

 「ホッ、よ、良かった。大丈夫?もうちょっとだけだから、あと少しだけ頑張ろう?……アリシア?」

 捲し立てるボクの言葉を笑顔のまま聞くアリシアの様子に、少し違和感を覚えて言葉を切る。

 すると、彼女はそっと目を閉じ、

 「今まで、ありがとうございました。」

 そう言って小さく笑った。

 穏やかな表情。体の中を傷付けられて、ボロボロにされて、苦しんでいた姿はどこにもない。

 喜ぶべきことなのに、不安な気持ちが収まらない。

 「今までありがとうって……。何言ってるの。これからも一緒でしょ?ね?」

 「もう、駄目なんです。」

 「駄目なんかじゃない!」

 目を伏せたアリシアの言葉に被せるように強く言っても、彼女は何も言い返さず、むしろ嬉しそうな笑顔を浮かべるだけ。

 「馬鹿なこと、言わないでよ。」

 その頬を撫でて、緑の瞳を真っ直ぐに見つめると、彼女はそのまま体を少し起こし、組んでいた手をボクの背にそっと回してきた。

 「ネルさんは、やっぱり優しいです。」

 消えてしまいそうな彼女を、逃さないように強く抱き締め返す。

 「私、そんなネルさんのこと、大好きでした。」

 アリシアの体が、力を失った。



 右手に魔剣グラ厶が収まった。

 同時に目元を走った熱に、目を強く閉じて歯を噛み締める。

 ……やめろ。

 「ネクロマンサァァァッ!」

 咆哮がぶつけられる。

 背中を地面へ向け、ヴリトラと真正面から相対する姿勢となり、俺はまだ痛む目を開けて長剣を両手で振り上げた。

 “切り裂け!”

 無邪気で明るい、元気な声が響き、神剣が強い黄金の輝きを放ち出す。

 「死ねぇッ!」

 怒鳴ったヴリトラの口の奥から白い光が見え、ためもそこそこに吐き出される。

 「ギリャァァァァァァァァァァァァ!」

 途端、両手を温かい何かに包まれた。

 やめろ!

 “大丈夫ですよコテツさん、ほら、一緒に……。”

 その言葉と、優しく手を押す力に負け、歯を一度強く噛み締めた俺は光り輝く長剣を振り下ろし、

 「“バルムンク!”」

 同時にあらん限りの力で叫んだ。

 そして本来の名を呼ばれ、長大な金の刃を伸ばした神剣は、放たれたブレスも、ヴリトラの頭も、その先にあった黒い雲も、全てを真っ二つに切り裂いた。

 「馬鹿、な……!」

 その言葉を最後に、古龍は沈黙。

 “ふふ、やりましたね!”

 俺を背後から抱きしめ、最後に嬉しそうにそう言って、少女の幻影は消え去ってしまう。

 ……間に合わなかった。

 否応なく、それを理解させられた。

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