Backstabber
何が、起こった?
殺気は全く感じなかった。
今だって一切感知できない。
……なら、どうして俺は今串刺しにされてるんだ?
「が、はっ……ッ!?」
喉を競り上がった鉄味の塊を吐き、何とか後ろを振り向こうとしたところで、体を貫く鋼が引き抜かれ、走った激痛に体が一瞬硬直。
「嫌ッ!」
「がぁっ!?」
黒魔法で腹部を強く締め付ける事で空いた傷口をきつく抑え、前に倒れそうな体を何とか両足で支えるも、そこで背を新たな熱が走り、俺は膝から地面に崩れ落ちた。
さらに背中を蹴られ、顔が地面を強かに叩く。
首だけ動かし、自分を斬った相手を確認しようと後ろを見上げれば、
「ル……ナ?」
そこには紅の刀を振り上げ、両手で逆手に持ち替える、一度は互いに想いあった女性の姿があった。
「どう、して?」
「……ごめん、なさい。」
刃の先から俺の血が滴り落ち、頬を濡らす。
「よくやりましたルナベイン。止めは刺さず、そのまま黙って待機です。しかし彼が不穏な動きを見せたなら速やかに殺しなさい。」
視界外からそんな声がすると、俺の顔を今にも貫かんとしていたルナの体はがピシリと固まった。
「「コテツ!」」
「おっと、貴方方二人には動かないでいただきましょう。この方の命は私が握っていますことをお忘れなく。」
こちらへ向かおうとするツェネリとラヴァルに、ルナを止めたのと同じ声が掛けられ、少しして見知った男が俺の視界の中に入ってきた。
「カイ……ル?」
「おや、今回は私のことを覚えていましたか。お久しぶりですねコテツさん。」
やってきた奴隷商は、気負いのない落ち着いた口調で場違いな感のある挨拶をし、俺を上から見下ろしながら媚びた笑みを顔に貼り付ける。
着ている黒のローブがこいつを敵だと教えてくれた。
「この度は貴方にお詫びを申し上げに参りました。ルナベインをご購入頂いた際、契約に不備、というより不手際がありまして、契約書を貴方に渡しそびれていたのです。」
俺の前に屈み込み、懐から巻いた紙を取り出して見せて、笑みを絶やさないまま彼は続ける。
「命令の強制を行うことができないなど、多大なご不便かけたこと、大変申し訳なく思っています。もちろん他の奴隷商によりアレとの再契約を行われたのであれば、その手数料を私が倍にしてお払いいたしましょう。……まぁ私の命令に従ったところを見ると、そのようなことはなさっていないようですね。奴隷制を快く思わない者が何かの拍子に奴隷を持った際、命令を行わないでいるというのはよくある事です。そのような事例そのものが極めて少数ですが。」
……ルナへの命令権は初めから俺にはなかった訳だ。
この世界の奴隷制の仕組みに疎いことがここに来て災いしたか。
「予想通り、か?」
声を絞り出し、睨むも、カイルはどこ吹く風といった様子で首を横に振った。
「いえいえ、今申しましたように、ルナベインとの再契約をされていればこのようなことは不可能でした。ただ、失敗すれば無駄金を払えばいいだけであるのに対し、成功すればこのように物事を滞りなく動かすことができますから、賭けるべき賭けだと判断したまでです。一商人としてあるまじき行為ではありますが、私はその前にヴリトラ様の忠実な下僕ですので。……まぁしかし、貴方やあのゲイルとかいう冒険者がもとの計画を破綻させなければ、そもそもする必要のない賭けでしたが。」
「計、画?」
なんのことだ?
「うん?ああ、そうでした。まずはそこから話さなければ分かりませんか。ですがその前に……お前達!早く持ってきなさい!」
聞き返すも、カイルはそう言って俺から目を外し、手の平を打ちながら立ち上がってルナのさらに後ろにいる誰かに向けて声を張り上げた。
そしてくるりと180度振り返ると、今度は恭しく頭を下げた。
「ヴリトラ様、貴方様の忠実なる下僕たるカイル、ここにその高貴なる魂の欠片をお持ちいたしました。」
「そのようなことは分かっている。……残念だネクロマンサー、もう少し楽しめると思ったが……。」
強めの口調でカイルを突っぱね、ヴリトラは俺の目の前に降り立ってそう言った。
太阿と龍泉で切り刻んでやりたいものの、それは指先でどうにか触れられる位置にしかなく、掴むことは叶わない。
例え手に取れたとしても、ルナに頭蓋を貫かれて終わるだけだ。
……何とかしてこの状況を抜け出さないといけない。
「さて、貴様、カイルだったか……。」
「も、申し訳ありません。私はただ、ヴリトラ様の魂の欠片を届けることこそを最優先にすべきだと判断させていただいた次第で……。」
ヴリトラが顔を上げ、カイルを見ると、当の本人は足を震わせながら謝罪を捲し立てた。
「……良い。戦果を上げたのだろう?その何を責めるべきか。その戦果を見せよと言いかけたまでだ。」
「そ、そうでしたか、か、彼らに持たせております。」
そしてヴリトラの言葉に、汗で顔をびっしょりと濡らしたカイルはもう一度深々と頭を下げ、ヴリトラはそれに応じないまま彼の横を歩いて通り過ぎた。
「……ふぅ。」
カイルが安堵の息を漏らす。
信仰している相手とはいえ、怖いっちゃ怖いらしい。
ヴリトラの歩いていった先には黒ずくめが数人、片膝を付いて頭を垂れ、内二人は上に魂片――おそらく理事長室から奪われた物――を乗せた柔らかそうなクッションを掲げていおり、また別の一人は肩に一人の女の子を担いでいた。
担がれた彼女が着ているのは、元は白かったのだろう、今はあちこちが煤けたゆったりとした筒状の衣服。
どうも意識がないらしいその子の垂れた長い金髪の間から垣間見える顔は……!?
「アリシア!?」
俺のよく知る少女の物だった。
「さて、話の途中でしたね。」
「カイル!あいつ、は!?」
歯を食いしばり、声を荒らげると、俺の目の前にしゃがんだカイルは掌を見せて俺を制した。
「おっとあまり急な動きをするとルナベインに殺されますよ?……まぁ気持ちは分かります。ええ、あれは貴方もよく知るアリシアです。」
「ごほっ、どうして!?」
「まだ分かりませんか?彼女がヴリトラ様の魂をその身に宿しているからですよ。今までも私の同士達が彼女を攫おうとしていたのもそのためです。」
は?
「アリシア、を……?」
クラレスじゃないのか?
「いい顔ですね。くく、私達の邪魔を幾度となくしていながら、その狙いには気付いていませんでしたか。元々はヌリ村で保管していたものを、貴方も会ったあの老神官が奇病を患った赤子の救済に勝手に使った結果があの娘です。……全く、老人は騙し安いのは良いですが、時折こちらが考えもしない行動を取るから困りますね。」
やれやれとカイルが首を振る。
「アリシアは、それを……。」
「もちろん知りません。」
「……お前は、アリシアがヴリトラの魂片を持っていることを最初から知っていたのか?」
「ええ、もちろん。元々はあの娘の持つ魂によってヴリトラ様の復活を為すつもりでしたから。しかし先程言ったように、あの老神官のおかげで復活は数年遅れてしまいました。が、それは良いでしょう、ヴリトラ様の言葉をお借りするなら、その程度は些事です。ただ……見れば早いですね。あれをご覧ください。」
言って、カイルがヴリトラを指差し、俺が仕方なくその言葉に従えば、ヴリトラが白い魂の欠片を一つ掴み取り、握り潰すところだった。
すると、ヴリトラがそのまま硬直した。目を瞑り、そのまま言葉を一切発しもせずに静止している。
「なん、だ?」
「魂を宿していた者――今回は勇者ユイですが――その記憶がヴリトラ様に流れ込んでいるのです。」
「記憶を、受け継ぐのか。」
問いに、目の前の奴隷商は頷いてみせた。
「というより、記憶の共有が正しいでしょう。ですから私はあの方の魂の保持者であるアリシアを下手に害することができず、魂の回収にわざわざ特別に計画を組み立てなければなりませんでした。あの村に住む商品共にはまだ私を彼らの味方であると思わせておきたかったですしね。」
「商、品?」
「ええ、言ってませんでしたか?ヌリ村は私が自らの商品を増やすために作った場所です。奴隷を用いて村を作り、その奴隷を住まわせ、人のように生活をさせる。ただ、できた子供には奴隷紋を入れさせるよう命令をしておく。そうすることで世代を経るごとに私の財産が勝手に増えるという寸法です。状態も自分達で良く維持してくれるので楽なものですよ。私はただ買い手の付いた奴隷に薬を飲ませて眠らせ、それが重い病だと嘘をつき、村の外へ連れ出して客に売り捌けばいいだけです。ははっ!」
得意気に笑い、カイルは続ける。
「そんな商品の貯蔵庫――奴隷村を私はいくつか持っていましてね、今回の戦闘にもそこから多数の奴隷を引っ張り出して用いていますよ。……ああしてアリシアを無傷で捕らえられたのも、村の知り合いが彼女に睡眠薬を盛ったからですよ。」
「……同じ人間に、よくもそんな……。」
人が、まるで家畜じゃないか。
「はい?奴隷の子が奴隷となるのは当然でしょう?私はそれを大々的に進め、利益を得ているだけです。あと、私が人間といいましたが、違いますよ。私は人間とドワーフとのハーフです。だからこそヴリトラ様に協力し、姿形ではなく、本人の能力を至上とする世界を目指しているのです。……まぁ姿が人間よりであることに異論はありませんが、ただの人間では私の商業戦略による成果を得る前に年老いて死ぬでしょう?」
「だからって……。」
「…… 同じ人、ですか?くく、筋金入りの奴隷制嫌いですね。」
言って、ドワーフとのハーフらしい奴隷商はくつくつと笑い、そこでそれを塗り潰すような大声の笑いが聞こえてきた。
発生源はヴリトラ。
カイルと二人してそちらを見れば、黒い龍人は笑いながらこちらを振り向いていた。
「ふはははは!感謝しようネクロマンサー!貴様の働きのおかげで我は死を経験せずにすんだようだ。」
ヴリトラが吸収した魂片はユイが取り込んでいたもの。
……魔槍ルーンのことか?
「お前のためにやったんじゃない……。」
「ははは……さて、アリシアの話の続きでしたね。」
呟きを聞き取ってカイルが笑い、彼の続けた言葉に否応なくヴリトラ教徒の肩に担がれたアリシアへと意識が向く。
内心の焦りが激しくなるのが分かった。
……落ち着け。
頭を回せ。
一瞬でルナの間合いから逃げ、アリシアを瞬時に奪い返してヴリトラから即座に逃げないといけない。
やるべきことの一歩目から無理難題でしかない。……それでも、何か思い付かないといけない。
それも早く。
突然、背中に焼けるような痛みが走った。
「ぐぅぅっ!?」
「無視はいけませんね?私の計画を潰した貴方には私の話を是が非でも聞いて貰いますよ。」
歯を食いしばって目線を上げれば、俺の背を踏み付け、カイルが下卑た笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
「なんだ、計画って。」
お望み通り聞いてやる。
するとカイルは満足したように頷き、俺を踏み付けたまま口を開いた。
「なに、簡単ですよ。アリシアを外に連れ出し、私の下の者に彼女を誘拐させるのです。そうすればヌリ村の奴隷達が私に怒りを抱き、私がその村そのものを潰して全員を売り飛ばさなければならなくなる、などという事態を避けられますからね。……しかし、その計画を実行の時期はあの老人が魔法を教えると言って聞かなかったため、大きくずれ込みました。しかもいざ実行に移してからも、不都合な事が3つ立て続けに起こりました。」
言葉を切り、苛立ったように荒く呼吸してカイルは続ける。
「……サイレスに着き、そこで待機させていた別の奴隷村の物と計画の確認をしたまでは良かった。」
「盗賊の真似事?じゃあ、あれは!?」
「ええ、2つ目と3つ目の不都合です。私の馬車の護衛はせいぜいがDランク冒険者程度で、盗賊役には彼らを確実に倒せるだけの人数を用いていました。しかし道中で護衛達はBランク冒険者を拾い、その結果、部下達と冒険者達の戦いは拮抗し、そこに3つ目の不都合な要素、貴方が来た。」
アリシアの奴、いつの間にやらとんでもない綱渡りをして、本人すら知らない内に渡り終えてたんだな。
「……あの日ほど神を呪ったことはありません。唯一の救いは貴方が希少な奴隷嫌いで、そこにこうして容易に付け込こめたことですよ。」
言い終わり、カイルはその場にすっくと立ち上がった。
「サイレスで冒険者達を毒殺してさっさとアリシアを手に入れれば良かった。ギルドや国に目を付けられる可能性を覚悟して初めからヴリトラ教徒を専属の護衛としておけば良かった。何度となく後悔して来ましたが、その日々も今日で終わりです。また、悲願成就の日でもある!」
俺に背を向け、カイルが謳うように大声を上げた。
事実、この学園にあった魂片は考えていた3つではなく、アリシアの物を含めた4つ。
つまりこの島に7つ全ての魂片が揃ってしまっている。
カイルの向いた先では既にヴリトラが無色の魂片を右手で握り潰し、吸収し終えていた。
その左手には氷の槍が何故かゆっくりと形作られていっている。
アリシアが黒ずくめの肩から草地に降ろされ、横に寝かせられた。
……ルナの間合いからの脱出方法は考えついた。ただ、アリシアを連れて逃げる方法は、成功する可能性が極めて低い。
「ツェネリ!ラヴァル!俺のことは良い!頼む!アリシアを救ってくれ!」
だから、俺はうつ伏せに寝たまま叫んだ。
剣を振るだけの俺と魔術を既に二段階も進めたとニーナに言わしめたアリシア、それぞれの年齢を考えても、どちらの命に価値があるかは考えずとも分かる。
加えて、ヴリトラに本来の力を取り戻させる訳には行かない。
「すまないコテツ……転移陣!」
ラヴァルもそれは分かっているのだろう、俺の言葉を受け、躊躇は一切見せなかった。
血の魔法陣でヴリトラの背後に転移し、龍人の背中へカラドボルグを突き出し、
「オオオ!ソニック!」
同時に覚悟を決めたツェネリがミョルニルを大きく振り上げてヴリトラとの距離を詰めた。
「ではお望みどおりに。殺しなさい!ルナベイン!」
カイルの命令。
「嫌あああああああ!」
後ろのルナが悲痛な叫び声を上げ、直後中を貫かれたヴリトラに大雷が落とされた。
激しい光が迸り、強風が辺りを吹き付ける。あまりの轟音に気が遠くなりかけ、視界が真っ白に染まる。
そして強烈な光が収まったとき、背中をカラドボルグで刺されたヴリトラはミョルニルを直接受け止めたことでその右腕を消し飛ばされていた。
しかしその顔には余裕の笑みが張り付いたまま。
「ほう、ネクロマンサー、あの窮地から脱したか。ふははは、流石だ。」
目の前に横たわるアリシアへあと数歩の距離を走っていた俺を見ても、彼の表情は崩れない。
その胸を覆う黒い鱗の隙間から白い煙が漏れる。
「二人とも!そいつから離れろ!」
「ふん!」
叫び、アリシアを囲うように障壁を展開。双剣を持った腕を交差させ、ヴリトラから離れようとした直後、肌を刺す冷気が吹き荒れ、あたり一面が凍り付いた。
飛びのこうとした姿勢のまま俺は氷の彫像と化してしまい、ツェネリとラヴァルも氷に囚われて白い地面に転がってしまっている。
「ふははは、人にここまで深手を負わせられるとはな。うむ、良い戦いであった。」
言いながらヴリトラが消し飛んだ筈の右腕で自身の背に刺さったままのカラドボルグを引き抜くと、そこに開けられた風穴が白い光を発し、修復された。
そして俺が聖剣で入れた傷をなぞるように、右手に作った氷の短剣を自身に切り入れれば、その斬撃の跡も綺麗に治ってしまう。
……白魔法か。
「どうやって!?何をしているのですルナベ……なッ!?」
と、カイルの驚愕の声が、周りの氷のせいでくぐもっていたものの、聞こえてきた。
彼は振り返ってルナを見、彼女の刀の切っ先が小さいながらも分厚い黒い障壁を貫かんとしたまま、カタカタ震えているのを見て再び驚きを顕にした。
「あぁ、良かった……。」
そのルナはと言うと、物騒な命令に従おうとする体とは裏腹に安堵の表情で涙まで流している。
ただ、今は俺の脱出成功を祝っている場合じゃない。
本来なら、こうしてルナの下から脱出しながらワイヤーで純白の双剣を引き寄せ、それを投げてアリシアの元へ転移したあと、アリシアを連れてコロシアムリングへと連続で転移する筈だったのだ。
その結果は失敗。
俺があと一歩分速ければ話は違ったろうに、アリシアは眠ったまま、ヴリトラを邪魔する者は皆氷漬けにされてしまった。
焦りつつも、黒色魔素を氷に流し始める。
「んん……あれ?ここは……?」
と、目の前のアリシアが目を覚ました。薬の効果が切れたらしい。
眠たげに目を擦りながら上体を上げ、周りを彼女の寝ぼけ眼が見渡す。
「あ、コテツさん。ふふ、変な顔になってますよ?」
俺を見ると、力の抜けた無邪気な笑顔が彼女の顔に浮かべられた。
うん、アリシア、今はちょっとそれどころじゃないからな?
「起きたか。」
「え!だ、誰ですか!?」
彼女の背中にヴリトラが話し掛けると、アリシアが肩を小さく跳ねさせて振り返り、びっくりした様子で聞き返した。
……早く、この氷をっ!
「我が分からぬか?」
左手に槍を尚もゆっくりと作成しながらヴリトラが問う。
「え?知り合いでしたか?すみません……あ、でも、何だか昔から知っているような、懐かしい感じがします。」
「……そうか、では名乗るとしよう。我が名はヴリトラ、貴様が利用してきた力の本来の主だ。」
「ヴリ……トラ……ッ!?」
ようやく自分の窮地を悟ったアリシアは絶句し、座ったまま後ずさる。
そしてコン、と俺を覆う氷にその後頭部がぶつかった。
「あ、そんな!コテツさん!?」
「アリシア!逃げろ!」
「コテツさんも逃げないと!」
こちらを見上げて泣きそうな表情を浮かべた彼女へ氷越しに叫ぶと、アリシアは首を横に振って氷を手掛かりに立ち上がった。
彼女の両手に炎が現れ、俺を覆う氷に押し付けられる。
「アリシア!あいつの狙いはお前だ!」
「でも!」
「苦しませるつもりはない。すぐに終わらせる。」
焦りのない、厳かな声。
「ッ、エアグラディオ!」
「む。」
素早く振り返ったアリシアが大声を上げながら腕を振ると、龍人の鱗が切り裂かれ、ヴリトラの胴に斜めの線が刻まれた。
胸を切り裂かれたヴリトラは一歩下がったものの、しかしすぐに傷の再生が始まり、瞬く間に治ってしまう。
「……なるほど、貴様の宿す魂は緑か。」
ヴリトラが頷くのと、さっきからその左手でやけに丁寧に作られていた槍の作成が終わったのは同時だった。
長さはいわゆる短槍のもの。その表面には円形の幾何学模様がビッシリと刻まれ、斑を為している。
あれは……?
『前に言うたじゃろう、魂片を生物より取り出す方法は複数ある。』
槍を使う方法か……たしか魂片を宿した方の命を気にしない奴だったよな。
『うむ。』
くそっ!
ヴリトラが前へ踏み出す。
そこで、アリシアの努力もあって、ピシリと俺を覆う氷が鳴り、そこにヒビが深く入った。……それでも、これじゃあ間に合わない!
「良いから逃げろ!」
叫び、横の地面からワイヤーを伸ばし、遠隔操作でアリシアに巻き付けて横へと引っ張らせる。
しかし、目の前の彼女はビクともしない。
「……ごめん、なさい。」
その膝から下は氷で地面に固定されていた。
「やめろォッ!」
恥をかなぐり捨てて叫ぶ。
「うっ!?」
しかし直後、彼女の体が震え、その胸から透き通った刃が現れた。
「アリシア!」
氷に囚われたままの俺の目の前で、白い神官服がみるみるうちに赤く染まっていく。
「コテツ……さん。」
息苦しそうな掠れた声が、何とか俺の名前を呼び、華奢な両腕が俺の首に縋り付くように回された。
走る激痛への声を堪え、アリシアの顔は俯いたまま。
体はまだ動かせない。焦る気持ちとは裏腹に、黒魔法による俺を覆う氷の支配は遅々として進まない。
すると貫かれた胸を中心に、アリシアの白磁のような肌の上を禍々しい赤色の線が這い始めた。
彼女の繊細な手や細いうなじに血管のような模様が描かれ、そして、それこそ本物の血管のようにドク、ドクと脈打ち始める。
「うぅぅぁぁああああああ!」
そして痛みを堪えきれなくなったか、アリシアが顔を上げ、声の限りの悲鳴を上げた。
首が激しく横に振られ、豊かな金髪が振り乱される。涙を流しながらこちらを見上げる顔が苦悶に歪めば歪むほど、そこに描かれた紋様の放つ赤い光が強く、鮮烈になっていく。
「アリシアッ!」
彼女の名を叫び、歯を軋む程に噛み締めて氷を砕き割ることに集中。
そして、氷が黒色に完全に染まった。
すると俺に抱きついたまま、もう叫ぶ力もなくなったアリシアの肌から赤の線が引きはじめた。
氷の槍が引き抜かれ、同時に俺の体を覆う氷が粉々に砕ける。
「アリシア!」
叫び、だらりと体を預けてくる彼女の体を抱き止める。
……遅かった。
何も、できなかった。
すぐ目の前にいたってのに!
「さて、これでようやく本来の姿を取り戻せる。残るは一つか。」
そしてヴリトラの無感動な言葉に、俺の中の何かが切れた。
「お前ッ!」
「う……コテツ、さん……だめ。」
「アリシア!?」
しかし、聞こえた微かな声が激昂しかけた俺を引き留める。
生き……てる!?
「ほう?生きていたか。運の良い。」
早く、安全な場所で治療を受けさせないと!
そう思った瞬間、ヴリトラの背後で高めの破砕音が鳴った。
ラヴァルとツェネリが脱出した。
「鉄縛陣!」
地面から伸びた三本の鉄の柱がヴリトラに巻き付き、
「ソニック!」
その間にツェネリが神器を回収。
「「コテツ!行け!」」
二人に言われ、俺は教師証を掴んだ。
アリシアの足を掴んでいた氷は既に砕いてある。
「ルナベイン!今度こそ殺しなさい!」
カイルの声。
刀を持ったルナが一気に迫ってくる。
教師証を掴み、職員室へ転移しようとするも、ヴリトラに城が壊されたからか、不発。
「早く!逃げて!」
「後で必ず戻るからな!」
刀を振りかざしながら懇願するルナに答え、コロシアムへと行き先を変更すると、今度こそ視界が切り替わった。




