鎧袖一触
強い桃色の光が辺りを照らした。
「……来たか!」
相手のフランベルジュを太阿で抑え、天岩戸を装備した腕を内側から龍泉で刺して固めたまま、空を見上げて大声を上げる。
眩しくて良くは見えないものの、エルフィーンで攻撃がされたってことは、つまりヴリトラが痺れを切らして攻め入って来たということだ。
「……いよいよだな。」
言いながら、バーナベルが俺の目の前の大男の顔面から氷の刃を引き抜くと、折れた角を生やしたそいつはバタリと力なく地に落ちた。
そして巨大な爆発音が上空で轟き、辺りがさらに明るくなったところで、頼んでいた増援がようやくやって来た。
「ご、ご、ごめん、遅れて、し、しまった。」
ロンギヌスの槍を片手に携えて走ってきたのは、薬学教師カダである。
「遅ぇぞカダ!ん?いや、ちょうどいいか!ははは、良い時に来たな!」
「え?え、え?」
到着するなりバーナベルの身勝手な評価を受け、目を白黒させている彼の装備は、明らかに新品な革鎧とその上に羽織った大きめのマント。
顔以外全てを窮屈に覆う兜からは気合い十分であることが伝わってくるけれども、正直、似合わな過ぎて笑いを誘われる。
まぁそれでも、無いよりは遥かにいい。
「カダ、こいつを使え。敵の神器だ。身体能力まで強化してくれる優れ物だぞ。」
今倒れたヴリトラ教徒の死体から天岩戸を剥いで放ってやると、カダは両手でそれを抱きとめ、大いに狼狽えた表情でこちらを見返した。
「こ、ここここ、これも、か、かかか、神々の!?ほ、本当にわ、わ、私が、使っても……」
「ああ、使ってくれ。そもそもバーナベルも俺も盾は使わないしな。」
「そ、そそ、そうか。」
頷き、いそいそとカダが天岩戸を左手に装備するのを尻目に、俺はファーレン城前で行われているヴリトラ教徒とファーレン学園・島民連合軍との戦闘へ目を向け、右耳のイヤリングを手で抑えた。
「ネル、聞こえるか?今話せるか?」
[大丈夫だよ、どうしたの?]
「ヴリトラが来る。」
端的に伝えると、小さく息を呑む音すが聞こえた。
[……うん、分かった。今からそっちに……。]
「いや、そうじゃない。外に出ている奴らに隙を見て城の中に逃げるよう伝えてくれ。全員が戻ったら、渡した教師証を掴んで“我らは学徒の道を守り導く者なり”って唱えろ。それで職員室に転移できるから、そこにいる教師達に第三段階開始って伝えるんだ。」
[我らは学徒の道を守り、導く者なり、ね。……それだけ?]
「あー、あと、できれば裏切り者探しをしてるラヴァルを探し出して、こっちに加勢するよう伝えて欲しい。」
[え、裏切り者!?]
「ああ、誰かがニーナを斬った。だから、全部終わったあとはアリシアと一緒にいてやって……」
[待って!ボクもコテツと一緒に……]
「駄目だ。古龍相手だと流石に守り切れん。」
[ッ!……そっ、か……。]
「ああ、それに、ヴリトラと戦うって無茶は許してくれるんだろ?だからこっちは任せて、お前はさっき伝えたことを……[うん……分かった。]……頼む。」
沈んだ声で、加えて俺の言葉を遮る形ではあったものの、ネルから了承の意が返されて俺は内心ホッとした。
心配して無茶するのを止めようとしてくれるのは確かにありがたい。しかし今はその無茶ができるように――学生達等――懸念要素を全て潰さないといけないのだ。
と、空から降る光に蒼色が混ざった。
再び見上げると、おそらくヴリトラのいるのであろう位置から鮮やかな蒼炎が放たれ、桃色の光弾を押し返していた。
2色に明滅する大玉がじわりじわりとファーレン城へと動いていく。
その向かう先、城の一番高い塔の天辺からさらなる光条がそこへと伸びていくものの、押し返すには至らない。
「……不味いな。」
このままだとエルフィーンを射ってるフェリルが危ない。
まぁ、手はあるにはある。
というのも、作戦の第三段階では、俺達がヴリトラの攻撃の流れ弾を気にせずに戦えるよう、最初に張られた物と同じ種類の防御結界がファーレン城のみを囲うように張られる手筈になっているのだ。
範囲を絞った分、頑強さを著しく高められたとラヴァルが言っていたその結界の生成が間に合えば、フェリルはきっと無事で済む。……少なくとも逃げる時間は稼げる筈だ。
ただし魔法陣を起動する際に地上の味方が防壁の外に取り残されることは絶対に避けなければならず、つまり、味方にはさっさと城に引っ込んでもらわなければならない。
しかしファーレン城の前での戦闘は尚も継続中。退却が完了していない証拠に城の門がまだ開かれたままであるのが遠目に見える。
爺さん、退却状況はどんなもんだ?
『ふーむ、もう少し掛かるかの?ネルも奮戦しておるが、如何せん、味方がバラけ過ぎておる。』
……あの巨大な光が直撃するまでに間に合うかね?
『無理じゃな。』
了解。分かりやすくて助かるよ。
「はぁ……やるか。」
ため息を吐くことで純白の双剣を握る力を意識して緩め、精神を研ぎ澄ます。
「コ、コテツ君?」
「カダ、俺はこれからあいつに攻撃を仕掛けにいく。ヴリトラが地面に降りたら、お前とバーナベルの出番だ。」
雰囲気が変わったことを感じたか、こちらを向いたカダにそう伝えると、驚愕するだろうという俺の予想に反して、彼は一度深く頷いて見せた。
「わ、分かった。ら、ら、ラヴァル先生は、く、来る、かな?」
「あ?そういやラヴァルがいねぇな。ま、いねぇならいねぇでやる事は変わんねぇか。」
「くはは、そうだな。何にせよ、来ることを祈ろう。……じゃ、行ってくる!」
なんとも頼もしいバーナベルの言葉につい笑ってしまいながら、俺は空を走る蒼炎の起点へと駆け出した。
一番理想的なのは、ヴリトラがエルフィーンの攻撃を押し合返すことに夢中な間にその背後から致命的な一刺しを決めること。
ただまぁ、期待はあまりしていない。気配察知か危機感知かで気付かれるのがオチだろう。
空を1歩蹴るごとに足下の戦場が小さくなり、光と熱、加えて吹き狂う風までがはっきりと感じられ始める。
そして、上空に浮かぶ透明な氷の板と、その上で左腕を突き出して炎を放つ、上半身には暗色のケープのみを纏った男の姿を俺の目が捉えた。
……あれがヴリトラか。
「はてさて届くかね?ドラァッ!」
下からそいつを睨み上げながら、右手の得物を思いっきりぶん投げる。
狙いはヴリトラの背後の空間。
しかし荒れている風の影響か、回転し煌めく白刃の軌道は逸れ、あろうことかヴリトラの立つ氷の足場に突き刺さってしまった。
龍人特有の金の眼がこちらに移る。
俺の理想としていた不意討ちは、めでたくご破綻となった訳だ。それも敵に先手を与える形で。
「はぁ……。」
「久方ぶりだな、ネクロマンサー!ようやくこうして相見えたな!しかし、人間でありながら空を駆けるとは、ふははは、それでこそだ!」
呆れ、思わずため息を吐くと、頭上のヴリトラはこちらを攻撃するのではなく、その重く響く声で呼び掛けてきた。
後ろに流した長い白髪を金のサークレットで留め、血の気を感じさせない顔には凄みのある笑み。
もちろん挨拶なんぞ返しはせず、そのままヴリトラへ向けて走り続ければ、彼が突き出した手に片手剣が横向きに握られていること、そしてその握られた拳だけでなく刀身からも炎が噴き出ていることが見て取れた。
あれは?……鑑定!
name:神剣クラウソラス
info:戦神ヌァザの加護を受けた剣。纏う超高温の炎は敵の目を眩ませ、その守りを焼き切る。
チクショウ!4つ目はあいつ自身が持ってたのかよ!?ったく、只でさえ龍人は厄介だってのに。
……ったく、つまりあの炎、神器の効果に古龍としての魔法を上乗せしている訳か。エルフィーンが押し負ける訳だ。
「くそったれ。」
悪態をつくも、走る速度を変えはしない。
「さてネクロマンサー、今更我が下に降りに来たのではあるまい!戦いならば受けて立つ。だがまずは貴様とその仲間の奮闘を讃えよう!まさか我が配下が城に足を踏み入れることすら叶わぬとはな!」
片手から放出する炎で桃色の光を押し返しつつ、大仰な手振りと共に厳かな声でヴリトラが言う。
「理由はもちろん分かっている。我が来ることを見越し、入念に計画を立て、備えていたのだろう?弱者の小賢しい戦法だ。しかし馬鹿にはできぬと前回既に痛感している。……個の数を揃えてはみたが、やはり用兵を学ぶべきか。」
「そうかい。まぁ作戦がここまで嵌まるとは思わなかったけどな。」
“あの古龍は己の力を過信し、正攻法をこよなく愛する。フッ、まだ魔物の方が戦いに知恵を働かせる。”
作戦を説明されるとき、散々言うなぁ、と心の内で苦笑していたものの、ラヴァルのあの評価は存外間違っちゃいなかった。
何せ今のところ、予想外のことと言えばヴリトラの早めのお出ましだけだ。
「ラヴァルはお前のことをよく理解していたよ。」
言いながら太阿を鞘に収め、代わりに弓を作って握る。右腰の輪っかからグジスナウタルを3本すべて捻り取るなり、手首をくるりと回すことでそれらの長さを倍に伸ばす。
チラと目を移せば、神器による攻撃の押し合いはヴリトラ優勢のまま。注意を引ければあるいは、という楽観視は間違っていた模様。
そろそろ仕掛けないと不味い。
「ラヴァル?……ああ、思い出した。そうか、あれは吸血鬼だったな。仇は皆死に絶えたと思っていたが、まだあの者が残っていたか!」
途端、火炎の勢いが見るからに増した。自然、エルフィーンの桃色の光弾がさらに押し込まれ始める。
くそっ、もう四の五の言ってられないか!
「射抜け!」
白銀の矢を3連射。
付与した効果はどれも同じ、鉄をも貫く貫通力。狙った先はどれも同じく、ヴリトラの顔のど真ん中。
しかしヴリトラが顔の前で素早く手を振ると、それら全てが彼の指の間に捕らえられてしまった。
ま、元より今ので決まるとは思っていない。欲を言えばあの炎を一瞬でも中断させたかったけれども、視界を遮るという目的は達せた。
「む、これは……ほぅ、聖武具か。……なに!?」
文字通り目の前で捕らえた矢の正体に気付いて、少し感心した風に言いながらヴリトラが俺のい“た”方へ視線を戻し、目を見開く。
「ッ、下か!」
一瞬遅れて彼が足下を見たとき、そこにいた俺は既に攻撃を開始していた。
掴んだヴリトラの足場に斜めに刺さった龍泉を引き、逆上がりの要領で下半身を斜め上に振り上げて、太阿を氷の上面の角に斬り入れる。
「後ろに!?」
そこを手掛かりに体をさらに持ち上げつつ、体勢を水平に調整。龍泉を氷から引き抜いた俺は、同時に太阿を振り抜いて左腕を折り畳み、体にそのまま横回転をさせる。
そして大きな円弧を描き、遠心力を乗せて振り下ろされた龍泉は、しかし燃える剣に阻まれた。
「こうも容易く我が虚をつくか!」
腰を左に捻ったままヴリトラは感嘆を顕にし、左手のクラウソラスを切り払う。
それに合わせて龍泉を立て、クラウソラスを下から押せば、燃える刃は中華刀の上を滑り、俺の体はその下に潜り込んだ。
髪の焦げる匂い。あまりの熱に左眼を閉じる。
そのままヴリトラの力を使って体を左回りに回転させ、俺は太阿でヴリトラの胸を縦に切り上げた。
「チッ、鱗か。」
硬い手応えに舌打ち。
しかし黒光りする鱗と鮮血が舞う中、鱗の覆う肌の浅い切り傷は、あっという間に掠り傷程度にまで修復された。
思わず目を見張る。
「ふははは!一人で我に血まで流させるか!」
痛みも薄いのか、斬られても全く怯まずに、ヴリトラが右手の平を俺に向けた。
直後、吐き出された紅蓮の炎が月明かりの弱い夜空を眩しく彩った。
「なんと!?」
驚愕はヴリトラの物。
その火を吹く右手は天に向けられ、手首から肘に掛けての赤い線はそうさせた龍泉の斬撃の跡。
ただ、彼の胸の傷のようにその線も急速に短く浅くなっていった。
仰向けになった俺は背後に板を作成し、それを左手で強く押してヴリトラから離れるように跳ぶ。
チクショウ、傷がああして半ばまで治るのは、聖剣の神威が弱いからか?
『お、珍しく察しが良いの。』
珍しくは余計だ。
足場を作って着地すると同時に横なぐりに照らす光が強くなった。見ればヴリトラが俺への対応にかまけて炎で押し返すのをやめたため、桃色の光が再び彼へと迫っている。
「面倒な。フッ!」
クラウソラスを右手に持ち替え、再び燃え盛る炎で神器の攻撃を押し返し始めるヴリトラ。
俺はその間に視線を地上へずらし、
「……あと少しか。」
未だ閉められていない城の門と、その前にいる味方が少なくなっているのを見て、自分に言い聞かせるように呟いた。
あと少しだけ時間を稼いだらヴリトラが降りてくるのを待とう。そこからが本番だ。
「ふははは、今の短い刹那でよく分かった。空を駆ける貴様は熟達した魔法使いかと思っていたが、その剣術こそ素晴らしい!練り上げられた技は無駄がなく、老練。しかし戦術は柔らかく、若い!」
「そりゃあどうも。その体にもっと味わわせてやるからその時の感想も考えておけ!」
自らの炎を鱗に映しながら、未だ余裕を見せるヴリトラにそう返し、俺は足場を後ろに蹴った。
「くく、そのような相手に慣れぬ剣など使うものではなかったな。」
言葉と共に、ヴリトラが空いた左手の指を鳴らす。
乾いた音がやけに響いたかと思えば、俺の前に色鮮やかな光が現れ、視界を埋め尽くした。
ついファレリルの魔法を思い出す。ただ、この量はあの比じゃない!
「先程の醜態は謝罪する。そもそも剣は得手ではない。だが魔法は違う。その一端を見せてやろう。」
見せんでええわ!
ヴリトラに心の内で叫び返し、手元に無色の魔素を集める。
襲い来る魔法は確かにファレリルより恐ろしい。ただし彼女と違い、ヴリトラの位置を把握できているのは非常に助かる。
「オォォッ!」
そして迫る色鮮やかな魔法の壁へ向けて無色砲を撃ち込めば、魔法の壁に大穴が開き、その先にヴリトラの姿を再び拝めた。
「人の身で我が魔法を打ち消すか!面白い!」
「ったくいつまで笑ってやがる!黒銀!」
ヴリトラがこちらに炎を発射し、対する俺は自ら穿った穴を潜り抜けながら黒銀を発動。
火炎が肌を炙る中、その発生源であるヴリトラの左手を龍泉で斬り払って右へ無理矢理向けさせ、俺は左足をさらに相手へ踏み込ませながら左脇をきつく締めた。
「シッ!」
鋭く息を吐き出し、繰り出すのは相手の心臓を狙った刺突。
しかしヴリトラは上半身を大きく仰け反り、太阿はその胸に新たな赤い線を刻むに終わる。
「くっ!」
相手の顔が初めて歪んだ。
それにちょっとした愉悦を感じたのも束の間、同時に俺との間に電撃が集まり始める。
チリリと全身の毛が逆立つ中、素早く右手からヴリトラの立つ氷へワイヤーを飛ばすも、それを引っ張る前に眩い閃光が迸った。
耳をつんざく轟音。全身を強烈な衝撃が襲い、呼吸も一瞬止まってしまう。
視界が、真っ白に染まった。
「……ガハッ!ゲホッゴホッ!」
意識も少し飛んでいたか、咳き込み、ようやく体の自由が効き始めたとき、ヴリトラは遥か遠くへ離れ、再び神剣でエルフィーンの攻撃を押し返しながら尚も俺から距離を離していっていた。
……少なくとも背後に吹き飛ばされている俺からはそう見えた。
ファーレン城へと目を移し、そこを薄い膜が覆い始めているのを確認。最低限の目標は達成できたと安堵したのもつかの間、眼下の地面との距離を目測で測った俺は、焦って黒の魔素を集める。
「黒銀!」
そして体をさらに固めた直後、全身が緑の地面ではなく、硬い石製の壁を叩いた。
「ッ!?」
しかし体は止まらず、そのままファーレン城壁をにめり込み、遂には貫通。
一瞬の浮遊感の後、学園外の家の屋根を削りながら滑って、俺の体はようやく止まってくれた。
「……くそったれ。はぁはぁ、一発喰らって、これかよ。」
下半身を商店か家かも分からない建物に埋めてしまい、両手でそんな体を屋根から抜きながらボヤく。
どうにか両足が自由を取り戻し、屋根の上に立って黒銀を解除したところでロングコートが消し飛んでいることに気が付いた。
せっかく作り直してもらった教師証はなく、着ていたシャツは言わずもがな。
ズボンは健在。……ゲイル、良い物をありがとう。
しっかし苦し紛れの攻撃でこれか。ったく、まさか古龍の魔法にここまで威力があったとは。
『それを耐え切るお主はどうなんじゃ。化け物。』
化け物言うな。
……ま、取り敢えずロングコートは一度穴が開くと作り直すまで無防備になるから――魔力の温存も兼ねて――今回はもうお役御免かね。
爺さん、龍泉と太阿はどこに飛んでった?どっちかでいい。近い方の在処を教えてくれ。
『お主が壊した壁の瓦礫の中にあるわい。教師証もそこじゃ。』
了解。あと、俺が壊した訳じゃないからな?
まだ少し痺れの残る体を動かして、前方に見える崩落したファーレン城壁へと、俺が通った痕跡が残った屋根の上を駆け出す。
そして龍泉をどうにか瓦礫から探し出し、また教師証が奇跡的に無事だったことにホッとして、それをまた壊されないようにとヘール洞窟へ送ったところで凄まじい爆発音が耳を叩いた。
……防壁に着弾したか。
そう思って顔を上げ、俺は自分の目を疑った。
「嘘だろ!?」
視線の先では、張られていた筈の防壁ごと、ファーレン城の上半分が跡形もなく消し飛んでいた。




