一息
「あぁ、効くぅ……イデッ!?」
傷の癒える気持ち良さを堪能しているところ、パァンッと小気味の良い音が鳴り、鋭い痛みが背中を駆け抜けた。
「あ!駄目ですよ!もう、見た目は良くなっていても、コテツさんはまだ完全には治ってないんですから。」
ファーレン城の保健室に並べられたベッドの一つにうつ伏せに寝ている俺の隣でアリシアがそう抗議し、
「アハハ、ごめんごめん。コテツ隠してた怪我が予想以上に大きくて、思わず、ね。」
俺を挟んだ反対側につい今しがたやってきて、いきなり俺の背を思いっきり引っ叩きやがったネルは、悪びれもせずに笑った。
しかもこいつ、怪我人の背をはたいた事自体については一切謝罪していない。
「……なに?まさかこの傷跡があの山にいたヴリトラ教徒と戦ったときにできたなんて言わないよね?」
寝たまま恨めしげに見上げる俺の目を睨み返し、ネルはそう言いながらつんつんと俺の背を突つく。
何をつついているのか俺からは見えないものの、おそらくルナの実家で付いた火傷痕を触っているのだろうと察しは付く。
「そのことは許して貰えたんじゃなかったのか?」
「ある程度は覚悟してたけど、これは許容範囲を超えてるの。もう、何をしたらこんな跡が残るの?」
俺の背中の傷跡はそんなに酷いのか?
「……それでも怪我人は丁重に扱うべきだろ?なぁアリシア?」
「え!?私ですか?えっと、でも、ネルさんはコテツさんのことをいっぱい心配しているだけですから……。」
「そうそう。それに、体中傷だらけなくせに服で隠して誤魔化して痩せ我慢して、そのまま部屋に戻って寝ようとしてた人には良い教訓でしょ?まったく、ボクが気付いたから良かったけどさ。」
「……眠かったんだよ。」
これは事実だ。
範囲が広いとはいえ、火傷ぐらいで騒ぐのはみっともないと思ったのもある。
「駄目ですよコテツさん。いくら眠くても、怪我をしたら私に言ってください。ちゃんと治してあげますから。」
「はは、頼りにしてるよ。」
「はい!」
叱られ、アリシアの方を見て笑い掛けると、胸を張った彼女はにっこり笑い返してくれた。
「それでネル、何か用があるんじゃないのか?まさか俺を虐めに来たってだけじゃないだろ?」
もう一度ネルの方に顔を向けて聞けば、彼女は口を開きかけ、ふとその動きを止めたかと思うとニヤリと左右の口角を上げた。
「うーん、もうちょっと虐めたいかなぁ?コテツのこんなに無抵抗なところって珍しいし。……ね、コテツの弱いところってどこ?」
言いつつ、ネルが悪戯な笑みを浮かべたまま俺の耳の裏に細い指を添え、優しく撫でる。
くすぐっているつもりらしい。が、しかし残念ながらそこは俺の弱点ではない。
「……で、要件は?」
余裕の笑みでもう一度聞くと、ネルは唇をとんがらせ、悔し紛れに俺の耳をちょっと引っ張ってから手放した。
「怪我が治ったら職員室に来て、って理事長先生が。」
「了ー解。……よいしょっと。」
「え、コテツさん?」
間延びした声で答え、起き上がってベッドに腰掛けるように体勢を変える。
そしてそのまま立ち上がろうとすると、案の定、背後のネルに腕を引っ張られた。
「ちょっと、聞いてた?怪我が治ったらって、ボクはちゃんと言ったつもりだよ?」
「はは、もう治ったに等しいだろ。」
傷口は塞がり、血や痛みは止まった上に疲れも取れた。
ヴリトラがファーレンにもうそろそろ上陸するんだから時間は無駄にできない。
笑い、俺の腕を放すよう、彼女の手を上から数度叩くと、彼女は何故か今度はアリシアの方に目を向けた。
「アリシア、本当にいいの?」
おいおい。
「あのな、俺の体なんだから、俺が一番……うぉぉっ!?」
苦笑した俺のは、次の瞬間、前方からの強い力でベッドに押し倒された。
「アタタ、何、が?」
ギシリと軋む音を聞き、思わず閉じていた目を開けて前を見れば、そこには驚いたようなネルの顔。
その真ん丸に見開かれた目は、俺の胸元に向けられていた。
そちらを見ようと起き上がろうとするも、さらに左右の二の腕が掴まれ、抑え付けられてしまい、身動きがほとんど取れなくなる。
それでも何とか首だけ曲げて目を下に向ければ、
「アリ……シア!?」
アリシアが俺を半ば抱きしめる形で拘束していた。
垂れた金髪が腹を撫でててくすぐったい。しかしそんなことより、この娘の一体どこからこんな力が出てるんだ!?
「コテツさん、良いですか?コテツさんの怪我を治すのは私の役割なんです。だから私が良いと言うまでは勝手に動いたら駄目です。」
「いや、だからもう……」
「むぅ、駄目なんです!」
「あ、はい。」
真剣な顔に気圧されて首肯すると、アリシアの頬はしぼみ、その顔に再びいつもののほほんとした笑顔を浮かんだ。
内心ホッとしたのは秘密だ。
「もうちょっとだけですから。」
そう言って彼女は俺から体を離し、魔法陣の描かれた紙を彼女は優しく俺の胸に押し当てる。
ヒンヤリとしたそこから、気付いていなかった体のだるさが取れていくのが分かった。
「……ビックリしたぁ。」
と、呟いたのは俺の頭の上側に座ったままのネル。
「まさかコテツがあのアリシアに押し倒されるとはねぇ……。」
彼女が感慨深げにそう続けると、俺の足元からくすぐったそうな笑い声が聞こえてきた。
もちろん、アリシアのものだ。
「ふふ、コテツさんみたいな元気過ぎる怪我人の方は今までも何人か診てきましたから。……最初は大人しく引き下がってしまっていたんですけど、ツェネリ先生にそれでは駄目だと言われたんです。何のために体を鍛え、身体強化の魔法を覚えたのか、と。」
なるほど、アリシアの腕力の出処は分かった。
……ツェネリが回復科でやらせてたあの訓練が自衛のためだけじゃなく、まさか患者にドクターストップを掛けるためのものだったとは。
つい笑いそうになるものの、俺の胸に指先で触れたままフンスと鼻息を荒くし、自信に満ちた表情をみせるアリシアの気分に水を差すことはできなかった。
彼女の袖の下には、この約二年間で培ったちっちゃな力こぶが隠れているのかもしれない。
「頼もしくなったなぁ。」
「えへへ、そうですか?」
「そうだねぇ。お菓子に目が無いのは相変わらずだけど。……もしかして鍛えてるから食べても太らないなんて思ってるんじゃないかな?」
「ネルさん!?」
「はは、まぁ程々にしろよアリシア?ただでさえ食いしん坊なんだから。」
「コテツさんまで!?」
アリシアの照れ笑いが一瞬で慌てた表情に置き換わり、途端、俺の息が急に苦しくなった。
「っ!なん、だっ?」
胸を抑え、歯を食いしばる。
「あっ!」
するとアリシアが慌てたように魔法陣を俺から遠ざけ、同時にスッと俺の呼吸が元に戻る。
「コテツさん!だ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。こほっ、今のは?」
胸のつっかえを咳で取り除きながら聞くと、アリシアが見るからに落ち込んだ様子で頭を垂れ、
「魔法陣の効果の調節が狂ってしまったんです。……お二人が変なことを言ったせいで。」
言葉の後半で不服そうに睨んできた。
「え?ボクらのせい?」
するとネルが驚いたように聞き返し、対してアリシアはむっとした表情のまま口を開く。
「そうです。この魔法陣の扱いはとっても大変なんですよ?効果が高い分、流さなければいけない魔素がすごく多くて……だから微調整が難しいので目一杯集中しないといけないんです。……どうにか魔素量を減らせるように改良しているんですけど、今以上にはなかなか減らせなくて困ってるんです。」
そう言って、アリシアは魔法陣を描いた手元の紙を真剣に眺め始める。
話す内にその怒りはあっさり霧散したようで、彼女は何故か落ち込み始めた。
「はは、魔素の操作か。ただでさえアリシアは魔法は苦手だもんなぁ?おっと。」
しかし俺がそう言って笑いながら起き上がると、彼女はドンと俺の胸に肩からぶつかってきた。
肺の空気を押し出されながらも何とか倒れずに彼女を俺が受け止めると、アリシアはそのまま身を捩って俺の腕の中で座る形になる。
「……コテツさんは魔法が得意でいいですね!」
本人は俺に背を向けて怒って見せているつもりらしい。
「アハハ、コテツと比べるのはやめた方が良いと思うよ?化け物先生は伊達じゃないんだから。」
不機嫌なアリシアの言葉に呆れた声で返しながら、ネルが俺の隣に腰を下ろした。
化け物先生という呼称への抗議に軽く睨んでやったものの、彼女はどこ吹く風といった様子。
しかし彼女はアリシアの次の言葉で赤くなる。
「でも、ネルさんはコテツさんに追い付きたいっていつも言ってますよね?」
「そういやそうだな?」
「う……まぁ、そうだけど、さ。」
俺の目の前で言われるのが恥ずかしかったか、ネルが視線を右往左往させるのをアリシア共々眺めていると、「そんなことより!」と彼女は半ば叫んだ。
「さっき改良って言ってたけどさ、つまりア、アリシアのそれ、自分で作ったってことだよね!?凄いね!」
「え!?そ、そうですか?で、でも、さっき言ったように改良の必要がありますし……そんな大したものじゃ……」
俺を目指していることがどうしてそんな恥ずかしいことであるかのような扱いになっているのか、甚だ疑問な上に釈然としないけれども、しかしネルの誤魔化しの言葉は、アリシアにクリティカルヒットした模様。
まぁこの子が単に流されやすいだけなのかもしれない。
「ううん、そんなことないよ。戦士とか魔法使いなんてそこら辺にたくさんいるのに、魔術師で、しかもこんなに若い内から新しい魔法陣を作れる子なんて滅多にいないんだから。」
話題の転換に必死なネルは照れるアリシアを尚も全力で誉めそやかす。
俺の腕の中で恥ずかしそうに身じろぎした天才魔術師は、ふとこちらを見上げ、小首をコテンと傾げた。
「コ、コテツさんは、どう思いますか?」
「俺か?そりゃあもちろん、えーと、凄いと思うぞ。うん。」
我ながら素っ気ない返答。
しかし魔法陣の知識そのものが欠落している俺にはそんな空虚な褒め言葉しか言えないのだ。
「……ちなみにそいつは具体的にどんな魔法陣なのか教えてくれないか?」
だからせめて関心はあることを示そうと思ってそう聞くと、アリシアの目がかっと見開かれた。
彼女は俺に完全に寄りかかって頭を預けたかと思うと、俺とネルにも見えるように紙を両手で開いて掲げ、そこに描かれた複雑怪奇な幾何学模様を見せながら得意気に話しだした。
「ふふふ、これは私が私の持てる技術の限りを尽くした魔法陣なんですよ?思いきり使ったら、どんな回復魔法よりも遥かに強い効果が出せるんです。でもそれだけだと重傷の方にしか使えないので、流した魔力に応じて出る効果を調整できるようにしました。魔法陣の効果範囲も自由に調整できるようにしてありますし、あと、解毒魔術の効果も加えてあるんですよ。」
一息に言い切ったアリシアの、キラッキラした目が俺を見上げる。
「えっと……盛りだくさんだな?」
自分の語彙力の無さが嫌になる。
「はい!魔法陣は誰でも扱うことができる代わりに、決められた効力しか発揮できない物でしたから、私はそこへさらに魔法と同じような柔軟性を与えたかったんです。あ、もちろん普通の魔法陣も魔素を多く流せばある程度は強い効果を得られますよ?でも私の作ったこれは効果の幅がうんと広いんです!」
「そうかぁ。」
にっこり笑い、相槌を打つ。
ネルが隣で感心したようにアリシアの説明に聞き入っているので、たぶん凄いことなんだろう。
無知が辛い。
しかしそんな俺の内心を見抜いたのか、俺の顔をもう一度見たアリシアは少し考え、付け加えてくれた。
「え、えっと、この技術をさらに回復魔術以外にも適用できれば、コテツさんみたいに魔力が強いのに魔色が黒と無色の方でも、魔法陣一つで魔法使いと同じくらい自由自在に魔法効果を扱うことができるようになるんですよ?」
なんだと?
「凄いじゃないか!」
俺はついに炎をバンバン乱射できるようになるのか!
感動に打ち震えていると、肩を軽く小突かれた。
「コテツも少しは魔術の勉強をやったら?」
横を見れば、俺の知ったかぶりを看破したらしいネルが半ば嘲るように笑い、対する俺は苦笑を返すしかない。
「そうだな、じゃあヴリトラをやっつけた後、アリシア先生にご教授願おうかな?」
言いながら、顎のすぐ下にあるアリシアの手触りの良い金髪を撫でる。
「もちろん良いですけど、私は厳しいですよ?」
そして俺の手を押し上げるようにしてこっちを見た彼女の、得意気な笑顔での返答に、俺は思わずネルと顔を見合わせた。
「「……ふっ。」」
「ああ!どうして笑うんですか!?」
「アハハ、アリシアは優しいままが良いよ。」
「だな。無理しないでいいぞ。」
「無理なんてしてません!」
そこからアリシアの機嫌を治すのに数分使い、最後に魔法陣の悪影響が無いことを彼女にチェックして貰って、俺は職員室へと転移した。




