出発
魔法陣の描かれた右の掌底。
迫るそれを黒い手袋ではたいて右方へずらし、耳元を炎がゴウと通り過ぎる音を聞きながら手の平を返して相手の右手首を掴み取る。
それを強く引っ張って相手に体重のほぼ全てを片足に掛けさせた俺は、その足を自身のそれで素早く刈り取った。
相手の体が浮く。
「ずいぶん強くなったな。」
一言言いつつ、ついでに目の前の背中を左手でトンと押して地に落ちる手助けをしてやれば、
「あ、しまっ……べふっ!?」
珍しく早朝の練習をしにやってきた現生徒会長――テオは、顔面から石リングに着地した。遅れ、かつてエリックがしていたような無駄に長い緑のケープがバサリとその頭を覆う。
さて、本日の朝練はこれで終わり、と。
「ふぅぅ。」
息を吐き、パンパンと手を叩いて土やら砂やらを払い落とす。
にしてもこいつ、本当に強くなったなぁ。いや、そうというよりは戦闘の幅が広がったと言うべきかね?
片手を腰に当て頭の裏を右手で掻きながら、地面に倒れ伏したテオを眺める。
今さっきこいつが放ったのは炎の魔法陣付きの掌底。しかしテオはこの練習試合を始める前はちゃんと槍を構えていたのだ。
そしてそれを俺が奪い取った瞬間、彼は何の躊躇いもなく徒手空拳に切り替えてきたのである。
念写スキルと組み合わせたその動きは明らかに付け焼き刃ではなく、機敏かつ正確。槍術と遜色ない程磨かれたもので俺を大いに驚かせた。
驚き過ぎて危うく一発貰うところだった。……いやはや2年足らずでここまで成長するとは。
本人の才能かファーレン学園での指導の賜物か。或いはその両方かもしれん。
何にせよ、ここは褒め言葉の一つでも言ってや……あれ?まだ起き上がらないぞ?
「……おいテオ、立てないのか?手を貸してやろうか?」
「っ、問題、ない……。」
しゃがみ、ケープつまみ上げ、うつ伏せに倒れたテオの顔を横から覗き込んでそう聞くと、歯を食いしばっていたテオは、さらにわなわなと体を震わせた。
その顔を見れば、かなり悔しかったということが誰が見ても明らかだった。頑なな負けず嫌いは2年前とさして変わってはいないらしい。
しかしまぁ、無事なら良いか。
「先輩!」
ホッと息をついて立ち上がると、観客席から観戦していた金髪三つ編み少女――パメラがタタタと駆け寄ってきた。
ちなみに姉の方、オリヴィアの姿を俺は今朝はない。パメラ曰く昨夜から気分を悪くしていたそうで、オリヴィアは自分の代わりに妹をここへ連れて行くよう、テオに頼んでおいたとか。
そしてパメラといつも通り戦って俺なりのアドバイスを――彼女の魔法の質や威力は申し分ない上、オリヴィアと違って突っ込み癖もないのでちょっとした小細工や戦術の伝授ばかりであるものの――してやり、ついでに暇そうにしていたテオと戦い終えたのがついさっきだ。
「ゆっくり立ちます、先輩、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。」
俺とテオの間にサッと体を滑り込ませたパメラはテオに声を掛けながら彼の片腕を自身の首に回させ、上半身を抱くように優しく支えて――背後の俺を乱暴に押し退けながら――ゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう。はは、パメラに情けないところ見られちゃったな。」
「いいえそんな、情けないだなんて……。」
「お姉さんには内緒だよ?」
「……はい。」
さっきまでの悔しさでいっぱいの顔はどこへやら、爽やかな笑みでテオが笑う。
パメラは笑いかけられると顔に微かな朱を差し、続いてのキザなウィンクに真っ赤な顔を俯かせた。
どうもテオは後輩に悪い格好は見せたくないらしい。
にしても、いやはや姉妹共々普段は澄ました顔をしているのに、こういう面ではオリヴィアと違ってパメラは実に分かりやすい。
そう、端的に言ってパメラはテオに気がある。
横恋慕と言いたい所ではあるものの、オリヴィアとテオが恋人関係にあるとは聞いたことはないし、普段見ていてそういう風では無いようなので、単純に恋慕で良いだろう。
何にせよ、いずれ来るであろう波乱の予感に俺の口角は今現在もピクピク震えている。
……まぁ貴族なんだから一夫多妻ぐらい普通にやりそうではあるけどな。
となれば正妻戦争でも起こるかね?
どの道面白そうではある。
「先生、俺は、どうでしたか?」
ニヤけるのを必死に耐えている俺はともかく、傍らで赤面している女の子にすら気付かないまま、テオはこちらを見上げて聞いてきた。
……何だかカイトと同じ臭いがしてきたぞ?
そんでテオを取られたとでも思ったか、パメラはというと親の仇のようにこちら睨んでいる。
彼女と俺との間の溝が一秒ごとにどんどん深まっていっていると感じるのは気のせいではないだろう。
苦笑いしてパメラからそっと目を逸らしながら、テオの――技術は上がってはいても相変わらず単純明快な――戦い方に少しケチをつけて、俺は本日の朝練の終了を宣言、二人が仲良くコロシアムから歩き去るのを見送った。
目を少し上げれば、青い空に程よい雲。
合宿日和だ。
「あ、リーダー!どうしたんだい?そんなに若い娘達を引き連れて。」
ファーレン城から合宿を行う山への道中、街中を――あたかもバスのツアーガイドのように――八芒星のでかでかと描かれたファーレンのミニ旗を掲げて約500人の一年生達の先頭を歩いていると、ここしばらく見なかった顔、フェリルにばったり出くわした。
「おう、久し振りだな。俺はこれからあそこの山でやる、こいつらの合宿の監督役なんだよ。」
合宿のスケジュールが割りと立て込んでいるため、足を止めないまま親指で背後を指差し、次いで遠目に見える白い山を人差し指で示して答えると、フェリルは「へぇ。」と一つ頷き、俺の隣について歩き始めた。
「楽しそうだね。僕も一緒に行ってもいいかい?」
言い、俺の背後の学生達に――十中八九女学生達だけに――笑いかけるフェリル。
どうも俺の後ろの男共はこいつの視界に入っていないらしい。
「もう何言ってるのよ、フェリル君にはお仕事があるでしょ?」
「アハハ、冗談さ。店長と一緒に働ける方がずっとに楽しいよ。」
「もう、今はテイル、でしょ?」
「あ、そうだったね、つい。」
ちなみに彼は一人ではなく、見知らぬ獣人の女性と二人。どうも前までの人間好きからさらに守備範囲が広まったよう。
今朝は合宿日和と思っていたけれども、デート日和でもあるらしい。
そしてつまりもちろんのこと、シーラの姿はどこにもない。
要は平常運転だ。
まぁフェリルの首にはあのGPS搭載型首飾りがぶら下がっているので、シーラにぶっ飛ばされるまでのカウントダウンは既に始まっていることだろう。
「そういやお前が働いてるのって……たしか花屋だっけ?」
ここファーレンに冒険者ギルドなるものはない。
何せファーレン島において魔物の生息域は合宿場所である山とその周辺のみ。強いて言うならあとは海ぐらいなのだ。
加えて各家庭に魔法陣が常備されているので、大抵の魔物は子供でも追い払える。
もちろん冒険者の仕事は魔物討伐ばかりではないけれども、それ無しでは稼ぎはないに等しい。
だからここにギルドの支部が置かれることもない。
よってフェリル達は二人とも別の仕事に就かねばならず、そこで俺は前にニーナに紹介されたこともある、ファーレンと縁のある職場の一つへ二人に就職して貰ったのである。
「そう、花屋だよ。そして彼女がそこの店長さん。僕がお給料を貰えるかどうかも、全部彼女に掛かってる訳さ。」
ちなみに、何故かこの頃は学園でシーラを見ることはよく会っても、フェリルの姿はあまり見ていない。
そのため、フェリルと花屋が即座に繋がらなかったのだ。
本当、何故だろう。
……ちなみに金は有り余っているからと俺が生活費を出してやろうと進言したところ、二人にはあっさり断られた。
「大丈夫よ、フェリル君はとても優秀なんだから。手放したくなんてないわ。」
フェリルと同じく、この頃あまり見かけない花屋の店長さんは、そう言うなりそっとフェリルの腕に腕を絡めた。
「それなら心変わりされないように気を付けないとね。」
そしてフェリルは気負いのない自然な仕草でその手を握って彼女に優しく笑い掛ける。
手慣れてやがる。……しっかし、フェリルに引っ掛かる女性はこれで一体何人目なんだろうか。
「はぁ……ま、せいぜい頑張れ。じゃあな。」
呆れ、何と言う事もできず、俺は手を振ってさっさと彼らと別れた。
シーラにこの場を見られたら俺まで制裁に巻き込まれる可能性大だ。
少し、歩くペースを早める。
「「あ、あの、コテツ先生。」」
「ん?どうした?」
と、急に呼ばれ、聞き返しながら後ろに目を向ければ、うさ耳の少女と山羊のような角を生やした少女が、微かに頬を紅潮させてこちらを見上げていた。
二人は声が重なったことに驚いたのか、互いと一瞬見つめ合い、少ししてうさ耳の方が口を開いた。
「先生、先生はあのエルフの方とお知り合いですか?」
「あ、ああ。」
質問に頷くと、二人の目が輝いた。
おいまさか。
「お、お名前は!?」
そして今度は山羊角の方が声を上げ、その上ずった調子に俺の疑念は確信に変わる。
……被害者二人追加、と。
「フェリルだ。務めてる花屋の場所は知らんぞ。」
「「フェリル……さん。」」
ぶっきらぼうに言ったものの、二人は噛み締めるようにフェリルの名前を反芻し、俺から離れて学生達の中に再び紛れた。
俺の予想、というか確信が正しければ、あの二人はまず間違いなくあの花屋を探し出し、お得意様となることだろう。
「ま、何事も経験だよな。」
フェリルだって根は良い奴だ。あの二人を口説いてその気にさせることはあっても、金を搾り取るなんて真似はすまい。
「フェリルみたいな奴もいると知って、彼女らも一つ賢くなっていく訳だ。うんうん、俺は悪くない。」
教育者の鏡だな。うん。
目を閉じ、自分の意見に賛同するように何度か頷く。
「そうね、あなたは悪くないわ。それで、フェルがどうかしたの?」
……。
片目を開け、ゆっくり左を見れば、赤いエプロン姿のシーラが何かの詰まった袋を肩に担いで隣を歩いていた。
「朝から精が出るな。」
「これもお花屋さんの仕事よ。それでフェルがどうしたの?」
「いや、さっきちょうど会ってな。えっと……いつも通りだったぞ?」
嘘じゃない。
「ふーん、私が土運びでいない間にね……。」
どうやら彼女が担いでいるのは花用の土らしい。加えて彼女は俺の言葉の真意も読み取ってしまった模様。
グッと袋に彼女の指がめり込んだ。
「ううん、今回悪いのはフェリルじゃないわ。前からおかしいと思っていたのよ、あの店長。私にばっかり遠出させるし、フェルは店番ばかりだし……。」
ぶつぶつと呟くに連れ、土袋に彼女の白い指が深く食い込んでいく。
「……ねぇ、別の場所で働くべきだと思わない?」
「え?いや、たぶんそんなことしても大して変わらないんじゃないか?」
急に話を振られ、慌て気味に返答。
実際、フェリルならその店の店長であれ従業員であれ、やってくる客から借金取りまで、女性であれば構わず口説きに掛かると見て良い。
「やっぱりそうよね。……なら私にも考えがあるわ。」
すると彼女はそう言って、ゾッとするほど邪悪な笑みを浮かべた。
「な、なぁシーラ!」
人死にが出る。そんな気がした。
……何とか邪気を散らさねば!
「なによ。」
「そのエプロン、結構似合ってるぞ。」
半分は本気でそう言って、ついでに親指を立てて見せると、心なしか彼女の表情が和いだ。
「あ、そう?ふふ、ありがとう。実はここに花柄の刺繍もあるのよ。可愛いでしょう?」
すると彼女はさらに腰を捻り、エプロンの縁を彩る黄色の花もにこやかに見せてくれた。
「あ、ああ。」
よしよし、この調子。
「 あの店長はいけ好かないけど、あの人の選んでくれたエプロンは気に入ってるの。フェルのはもう少し暗めの色で、あれはあれでフェルに似合っていたでしょう?」
「え?」
そんな物着てたっけ?
「……そう、着てなかったのね。」
そして彼女は今までよりさらに闇色のオーラを垂れ流し始め、別れの挨拶の一つもなく歩き去ってしまった。
道行く人が恐れ慄いて彼女に道を譲るのを尻目に見、俺はもう一度目的地の山に目を向ける。
さぁ!合宿だ!




