引っ越し
「こちらがファーレンの、えーと、教師証、になります。そしてこれより君は、ファーレンの教師の一員です。」
朝日にきらめく水面に浮かぶ、石製のコロシアムリングの上。
朝早いからか、理事長モードに綻びが生じさせながらもニーナが差し出してきた、八芒星の中にカイトシールドの描かれたメダルを俺は恭しく両手で受け取り、その紐を首に下げた。
職業が変わりました。
name:コテツ
job:教師
職業補正:索敵能力アップ
そして久方ぶりの爺さんの裏声を脳内で聞き、改めて目の前の名ばかり理事長に一礼。
「これにて就任式は終わりです。その紋章の表す通り、教師として学生を守り、導いて……導きなさい。」
彼女は最後まで眠たげな目でそう言うと、さっさと転移して消えていった。
途端、周りの観客席の学生達から弛緩した空気が溢れ、くっちゃべる声があちらこちらから聞こえ始める。
俺は貰った教師証を早速掴んでニーナを追い、転移した。
「何とかできないか?」
「えー……そんなこと言われても……。」
理事長室。
先程までの格式張った立ち居振る舞いで疲れたのか、大きな背もたれのついた革張りの椅子にもたれ掛かっているニーナに、俺は恥を忍んで頭を下げた。
「頼む。アリシアの奴隷って事にしてねじ込めないか?」
「この学園では学生が奴隷を連れてくるのは、余程の理由がない限り禁止だよ?」
ニーナが首を振り、ならばと俺は一歩進み出、彼女との間に座る机に両手を置いて乗り出す。
「じゃあ俺の奴隷のままってことでいいから、ルナを女子寮に住まわせてやれないか?」
俺の嘆願内容は今言った通り、ルナに女子寮の一室を宛てがって貰うこと。
というのも、数日前のファレリルの忠告、それにルナ自身の進言もあり、赤の魔法ならばお手の物であるルナにはアリシアの家庭教師のような事をしてもらいたいからである。
その際、なるべくアリシアの近くに長くいられるよう、こうして交渉している訳だ。
「それより、2年前と同じようにしちゃいけないの?」
「無理だ。」
逆に為された提案は首を振って却下。
それだとお互いに気まず過ぎる。
と、ここで背後に誰かが転移してきた。
「ニーナ!」
……おっかない怒声を発しながら。
驚き、振り向いて見れば、相も変わらず不機嫌そうな妖精さん。
「さっきの話し方はなに!?相手が知り合いだからといって、あそこは気を抜いて良い場所じゃないのよ!?」
近付きがたい怒気を顕に彼女は俺とニーナの間に入り、腰に手を当てて怒鳴り散らす。
どうやら実戦担当教師の就任式でのニーナの態度が気に入らなかった模様。
「え!?わ、私は……気を抜いてなんか……。」
そして黙っていれば良いのに、我らがアホな理事長様はささやかながらも反論、当然、そんな物は火に油。
「そう?ならあの立ち方は何か説明しなさい!背も膝も曲がっていたわよ!?声だってふにゃふにゃしていて聞けた物ではなかったわ!だから普段からちゃんとしなさいとあれ程言ってきたでしょう!?ニーナ、聞いてるの!?返事は!?」
「はい……。」
さらなる怒声に姿勢をピシリと正し、ニーナは何度も首肯しながら掠れた声で返事する。
にしても人前で良くもまぁここまで怒れるな。それとも俺じゃあ人の数に入らないってことかね?
……何にせよ流石に可哀想になってきた。
「な、なぁファレリル、もうそこら辺で良いんじゃないか?」
言った瞬間、後悔した。
ギロリと鋭い眼差しがこちらを向く。
「何か?私にはニーナを立派に育て上げる義務があるのよ?関係ない人は黙って「あ、そうだ!なぁファレリル、アリシアの勉強のサポートのためにルナを女子寮に入れさせようと思っているんだけどな、何とかならないか?」え?ルナ?」
こちらに対しても段々ヒートアップしてくるファレリルの言葉を遮り、捲し立てる。
そりゃもう必死に。
「ほら、2年年は俺と一緒の部屋で暮らしてた……。」
「ああ、あの娘ね。それが?」
よし、食い付いた。
「あいつは銀狐族っていう、獣人なのに赤の魔法に長けた種族でな、本人も多彩な赤の魔法を扱えるんだ。アリシアにも赤の魔色適性があるし……だからルナを女子寮に入れさせて、毎日アリシアと練習をさせたいんだ。きっと、いや間違いなく、アリシアの魔法技能を向上に繋がると思う。……そ、それに、「あら、良い案ね。」な、何とかなるか?」
軽く息切れしながら、ホッと静かに胸を撫で下ろす。
俺の提示した別の話題でファレリルの意識を少しは逸らすことができたらしい。
「そうね……ニーナ。」
「はいッ!」
正した姿勢のまま、自分の部下に呼ばれた理事長は小さく跳ねた。
「空いた部屋はあるわよね?違ったかしら?」
「ある、けど……だからって許可したら他の学生も自分の奴隷を入れろって言い出すんじゃない?」
「アリシアじゃなくて俺の奴隷だぞ?」
「でもアリシアの世話をさせるんだよね?」
言うも、そうあっさり返され、俺は言葉に窮してしまう。正確にはアリシアの勉強の世話であるものの、それでも特別扱いには変わりない、か。
「……雇うという形でどうかしら?ええ、これなら良いわね。」
呟き、ファレリルは彼女自身に言い聞かせるように頷く。
「雇う?」
「ええ、今いる用務員は男なのだけど、彼、女子寮の掃除がやりにくいといつも愚痴をこぼしているから丁度良いわ。二人目の用務員として雇い入れましょう。どうせアリシアは昼は授業で忙しいでしょう?」
「できるのか?」
いきなり新しい雇い口なんて作るなんて、それこそ不平等じゃないだろうか。
「ええ、あの娘への多少の特別措置は仕方のないことよ。それに、雇うという“形”にすれば良いだけでしょう?何の問題も無いわ。」
「あー、そうか。」
形、ね。そりゃ簡単だ。にしても前半の言葉をはたして素直に喜んでいいのやら。
「ニーナも、良いわね?」
「え?あ、はい。それじゃあ給料はどれぐらい……」
ファレリルに従順に返事をするニーナ。しかしどうもファレリルの話をしっかり聞いていなかったよう。
「はぁ……、俺の分から好きなだけ差し引けば良い。ここにいる限りどうせそこまで使わないだろ?。」
「そ、そう?……でもそれだと雇うとは言えないんじゃない?」
「言えないな。」
「言えないわね。」
「え?」
ニーナの疑問に俺とファレリルが異口同音で端的に返し、聞いた彼女が目を白黒させる。
やっぱりファレリルの言葉を聞いてなかったな?
頭を掻き、口を開く。
「あのな、こんなのはどうせ建前なんだからそれで良いんだよ。」
「建前?」
しかしまだニーナは首を傾げたまま。
「そうよ。コテツの奴隷を女子寮に入れる口実さえあれば、辻褄合わせはどうとでもなるでしょう?」
ファレリルの補足。しかしそれでもニーナの顔は晴れない。
「……そんなこと、やって良いの?」
そして漏れた清らかな心からの呟きに、俺とファレリルは目を見合わせ、
「「どうでしょうか理事長?」」
小さく笑いながら、口を揃えてそう言った。
「こういうときだけ私を理事長扱いしないでよ!」
ちなみにもちろんのこと、ニーナにファレリルへ反抗する力も度胸もある訳がなかった。
かつて師匠から“でけぇな。”という第一印象を与えた俺の体を――もちろん屈ませればだが――すっぽり入れてしまう程大きいファレリル製の鉄釜。
2年前暮らしていた部屋に安置してあったそれを両手で抱え、昼の日差しの下、えっちらおっちら歩いていき、これからルナが暮らすことになる女子寮の一階の部屋の前にたどり着くと、部屋の中で荷解きしていたルナがこちらに気付いて窓から顔を出してきた。
「あ、あの、ご主人様?わざわざ持って来ずとも、私がそちらへ行きましたよ?」
「はは、良いって。風呂の度にそんな面倒は掛けさせないさ。」
何故か焦った様子のルナに笑い返し、かつての記憶を呼び覚ましながら、目の前の草地の上に黒魔法でかまどを作り上げる。
「そういうことではありません……。」
しかし窓から覗くルナの顔は不満そう。
何なんだ……?はっ!
「あー、やっぱりファレリルに新しく作って貰うか?こいつは2年前の物だし、ネルが暇つぶしにたまに磨いてくれたと言っても、流石に所々錆び付いてるもんなぁ。うん。」
にしても暇つぶしにするような事じゃないよな……。ネルの戦士コース内の人間関係の改善は急務かもしれん。
「まぁなに、ファレリルは煽てればすぐに調子に乗るから苦労はないさ。任せとけ。」
肩を竦めて言葉を締めるが、ルナは未だなお物言いたげな顔。
「ルナ?」
「……それで構いません。」
「そうか?遠慮なんてしなくても……」
「していません!」
こう本人にきっぱりと断じられると、俺にはもうどうしようもない。
「了ー解。」
肩を竦め、軽い返事を返すも、彼女は口を閉ざしたままなんの反応も示してくれない。ただし窓から顔を引っ込めもせず、こちらを見つめてくるのみ。
「……。」
「……はぁ。」
嘆息して、俺は鉄釜をかまどに乗せ、水と火の出る魔法陣をそれぞれ描かれた石板が2年前と同様にちゃんと機能するのか、試運転を開始した。
鉄釜を水で満たし、そこに映る青空を黒魔法で作った風呂蓋で隠してしまい、かまどの底の魔法陣に火を出させる。
よしよし、いい感じだ。魔法陣の摩耗も気にする程じゃなかったか。
「……あの、もしかしてご主人様がこちらに来るのですか?その、風呂を使いに。」
おずおずとルナがやっと口を開いてくれ、俺は五右衛門風呂の様子を眺めたまま首を横に振る。
「いいや、俺は男子寮の共同風呂の方を使うよ。だから存分にこいつを独り占めしてくれ。お前、好きだったろ?これ。」
「そんな、好きとまでは……ただの風呂ですし。」
くはは、何を言うかと思えば。
「嘘つけ。合宿に行くとき、山の上までこいつを持って行くって言って聞かなかったこと、俺は覚えてるぞ?」
「う……。」
ルナが口ごもり、その心の素直さに俺は思わず声に出して笑ってしまう。
「ははは……まぁそれに、これからお前はアリシアの勉強の手伝い以外にも用務員としての仕事も任されるし、きっと忙しくなる。風呂ぐらいはゆっくり入りたいだろ?こんなことで遠慮するな。……ていうかすまんな、かなり苦労をかける。」
アリシアの家庭教師だけをさせる予定が、用務員の仕事との掛け持ちになってしまったからなぁ。本当、申し訳ないったらない。
苦笑いして謝ると、ルナはいいえ、と首を横に振った。
「気にしていません。私はただ、その、ご主人様と二人っきりの……えっと、し、しっぽの手入れをする時間が、取れなくなるのが嫌なだけです。」
あー、なるほど。
「そうだなぁ……正直、なかなか来れないとは思う。でもまぁ、なるべく来るようにはするさ。」
「はい、待っていますね。」
「ていうか、普段から自分でもやれよ?俺にばっかり任せずに。」
「はい、分かっています。……そ、それで今日、は……[コテツさん!今どこにいますか?]」
「っと。」
ルナの何故か尻すぼみになっていく言葉に覆い被さるようにイヤリングからアリシアの声が発された。
俺は予想外のことにビクッと肩を一瞬跳ねさせ、素早く耳元を手で抑える。
「……ご主人様?」
「アリシアからの念話だ。ごめんな、ちょっと待っててくれ。……どうしたアリシア?俺は女子寮の前にいるぞ?何かあったか?」
手刀でルナに謝り、相変わらず元気そうな声の主に答えながら問い返す。
[えっと、大したことじゃないんです。その、コテツさん、今時間は空いていますか?]
「時間?……ルナ、さっき何か言い掛けてたよな?長くなるか?」
念話を中断、ルナの方に顔を向け直して聞く。
急に質問された本人は寄りかかっていた窓枠からパッ、と顔を上げてふるふると首を振った。
「いえ、何でもありません。私はこれから寮長の方に仕事の説明を受けるので、ご主人様はどうぞアリシアの元へ行かれてください。……ふふ、頑張ってくださいね。」
そして捲し立て、最後に何故か俺を激励して、彼女は俺の前からパタパタと走り去った。
……?
ま、時間は空いたな。
「アリシア、聞いてるか?時間なら大丈夫そうだ。」
[そうですか……。あの、コテツさん、コロシアムに来てくれませんか?あ!忙しいのなら無理して来なくていいんですよ?その……むしろ来ない方が……]
「いやいや、だから大丈夫だって。コロシアムだったな?了解、すぐに向かう。」
アリシアの最後の方の小声が非常に気になるな……。一体何があったんだろうか?
ま、行ってみれば分かるか。
……我、学徒の力量を測る者なり。
教師証を掴み、2年前の記憶をこじ開けながら適当な文言を心中で唱えると、俺の視界は真っ白に染まった。




