夏休み⑤
どんなに長い年月でさえ、一旦過ぎてしまえば短いものだ。その当時は一日千秋と感じていたって、改めて思い返せば人生のたったの1ページ。
長く思えた夏休みなんて、あっという間に終わってしまう。
「はい、登録完了です。試験の日にはこの整理券を持ってきてください。」
「ア、ハ、ハハハイッ!」
うさ耳の女の子が緊張でガチガチの声を発し、両脇を家屋に挟まれた道を慌てて逃げていく。
……まだ登録しただけなのに。
ま、何はともあれ、次だ次。
背中には見上げる程大きな門と、さらに高い城壁。隣には厳つい鎧姿の、しかし背丈は座った俺とほとんど変わらない、屈強なドワーフの門番。
ファーレン城の正面門前に設置された簡素な椅子とテーブルに座る俺は今、入学希望者の登録作業を行っている。
つまり初めてこの地を踏んでからちょうど2年が過ぎた訳だ。
「次の方、どうぞ!」
「う、うむ、ワテは……」
一人ずつ名前と希望するコースを聞いて手元の紙に書き記し、整理券を渡すという七面倒臭い作業。言うまでもなく、ニーナに押し付けられたのだ。
かつて俺が初めてこの島に足を踏み入れたときとほぼ同じ姿と位置で待機していたニーナの元へ、善は急げと朝一で実戦担当教師に立候補に行ったのがいけなかった。
ったく、俺を見たときのあいつの目の輝きようときたら……。
ちなみに去年は俺が就任した年よりさらに志願者が増えたらしく「今年からはそれを見越してバトルロイヤルをして数を減らしてからトーナメントをさせることが決まっているよ。」と去り際のニーナに説明された。
はぁ……真正面から頼まれると断れない自分が嫌になる。
「次の方!」
「ワイは……」
にしても、入学希望者の多いこと多いこと。
ファーレン城の東西南北の4ヶ所の城門前で登録受付がされているらしいが、それでも俺の目の前に伸びる列は長い。
30分後に一旦休憩が入るのが唯一の救いかね?
俺の目の前の列に加え、手紙で入学希望を伝えてくる人も多く、ファーレン城ではそちらの整理に追われているそう。
ニーナはそちらを手伝いに行くと言って転移していったが、十中八九、理事長室でぐうたらしていることだろう。……休憩時間中に何としてでもあのぐうたらエルフをとっ捕まえて、この椅子にふん縛ってやる。
ったく、どれだけ甘やかされたらあんな風になるんだ。
「次の方!」
「あの、ご主人様?何をしているのですか?」
と、やって来たのは入学希望の人ではなく、白に赤の模様が入った着物を着たバトルジャンキーな狐っ子。
「お、ルナか。いやぁ、かくかくしかじかでこの仕事を任されてしまったんだよ。何か急ぎの用か?違うならほら、あとがつっかえてるからこっち来い。」
「はぁ……?急ぎではありませんが……。」
納得のいってないまま取り敢えずといった風に頷き、ルナがトコトコ歩いてきて、俺は立ち上がって彼女に席を譲ってやる。
「そうか、じゃあもう少しで昼休憩が入るから、ちょっと座っててくれ。」
そして昼休憩でルナの要件を終わらせたら、ニーナの奴を捜索、捕縛だ。
「あ、いえ、私は……。」
「まぁまぁ良いから座ってろ。」
立っていようとするルナの肩を押して座らせ、俺はクリップボードをロングコートの中で作って取り出し、机に腰を掛けて足を組む。
良い子は真似しちゃいけません。
「次の方!」
「はい!ぼくの名前は……」
「はいはい……」
「……。」じぃ。
やることがなくてか、ルナは机に頭を寝かせ、そのまま俺の腰の横からそっと顔を出し、入学希望者さんをじっと見上げ始めた。
「うっ……コ、コースは、魔法使いで……」
それだけなら別に気にする必要はない。しかし、黙りこくったまま見てくるルナがやっぱり気になるのか、見られている側は居心地悪そうだ。
ルナが美人なのも始末が悪い。額から小さな角、というか突起を生やした目の前の少年の顔の朱がだんだんと濃くなっていっている。
「待ってろって。」
「あぅ!」
そこで、俺はルナの額をペンの頭で軽く叩き、彼女を椅子に深く座り直させた。
「……まだですか?」
「まだだ。……次の方!」
ルナが俺の所に来た理由は至極単純、そして明快だった。
「あはのひあいおへういほほははへは?」
(意訳:朝の試合をネルに断られた?)
つまりはそういうことらしい。そして俺のところに来たのは、代わりに相手して欲しかったから、と。……バトルジャンキーめ。
スプーンを頬張り、昼飯に選んだカレーライスを食いながら、隣に座るルナの言葉を反芻すると、彼女は大きく首肯した。
ちなみに彼女の昼ご飯はうどんである。
「はい、宿題があるからなどと訳の分からない理由で。」
いや、訳は分かるだろう。
そうつっこむ間もなく、ルナは続けた。
「きっと昨日で10勝10敗して追い付いたからよ……ネルはこのまま勝ち逃げするつもりに違いないわ!ご主人様はどう思う!?」
「……ふぅ、落ち着け。ったく、引き分けなら良いじゃないか。」
口の中身を飲み込み、言う。
ていうかそれ、勝ち逃げって言うか?勝ち越したんならともかく、引き分けじゃないか。
「良くありません!」
「はいはい、戦えなくて鬱憤が溜まってるのは分かったから……「そんなことは!」うんうん、ほら早く食え、麺が伸びるぞ。」
「あ、はい……ちゅるるる……。」
そしてようやく、ルナは自身のうどんに意識を向けた。
ここはファーレン城の中の食堂。
夏休みとはいえ教師達が利用するためか――働く人数は学期中より少ないものの――ここはしっかりと稼働中のよう。
寮に残っている学生達の姿もあり、幾十もの長テーブルとベンチが規則正しく並べられたこの巨大な部屋の真ん中付近には、緑や赤のケープが5〜6人分程固まっているのが見受けられる。
ちなみに俺とルナが今座っているのは、2年前も俺が愛用としていた、角っこの席。ルナはどうかは知らんが、俺はやはりここが落ち着く。
「ぐすっ、酷い、何も言い付けることないじゃん……。」
そんで、俺とルナの座る向かい側ではこの学園の理事長様がテーブルに突っ伏してブウたれていらっしゃる。
「何か言ったかしら?」
「ごめんなさい。」
間違えた、正しくは突っ伏す他なくなっている、だ。
ニーナの両手が黒い手錠で拘束されているのもあるが、何よりも彼女の目の前で腕を組み、薄ぼんやりした光の粒子を羽から散らしながら浮遊する妖精さんが恐ろしいからである。
“ニーナをとっちめようにも、あいつはどうせ理事長室に引き篭もっているだろう、しかし教師性の無い俺には理事長室へ行く手段がない。”
と、そんな風に考えた末、俺はニーナの保護者(厳しい方)に直談判、要はチクったのである。
「コテツ、あなたもあなたよ。そろそろ人の頼みを断れるようになりなさい。」
「あ、はい。」
いい気味だと思ったのも束の間、ファレリル矛先がこっちにまで飛んできた。
「あ、もちろん私の頼みは聞いてもらうわよ?」
腰に手を当て、くるりとこちらを振り向き、この場の支配者様がそうおっしゃる。
「横暴だ……。」
「何か?」
しかも地獄耳と来た。
「貴方様のおっしゃるとおりに致します。ええ。」
妖精さんが怖いよう。
「……そんなこと言わなくたってファレリルの機嫌を悪くしようとする怖い物知らずなんてこの世にいないよ。」
と、ここでボソリと呟いたのは未だ突っ伏したままのニーナ、いや、怖い物知らず。
その意見には俺も大いに同意するが、それをこの場で口にした事に、賛同するよりむしろ敬意を評したい。
トン、とニーナの頭の横に着地して、ファレリルは両手で蛮勇の長い耳を掴む。
俺はこれから何が起こるのか、すぐに理解した。……2年前、ファレリルの怒りに触れた学生達の上げる悲鳴の記憶が呼び覚まされる。
「あ!ご、ごめんな………」
少し遅れ、ニーナも自身の窮地を理解。
だがしかし、もう遅い。
「ニーナ、反省が足りないようね?」
慌ててされる命乞いにファレリルが耳を貸す訳もなく、彼女はその背の羽から燐光を一気に振り撒いて大きく飛び上がった。
「アダダダダ!」
そりゃあ痛いだろうとも。
耳だけで腰を無理矢理浮かさせられ、痛くない訳がない。ニーナの目尻には涙まで湛えられている。
そんな、目の前で始まったショーを、ザマァ見ろと内心思いながら眺め、俺はまだぬるいカレーライスを口に運ぶ。
「ニーナ、これからあなたは何をするのかしら?」
「……ごめんなさいぃ!」
「ええ、謝るのは良いことよ。それで?」
悲痛な謝罪。しかしそんな彼女の耳を引っ張り上げたまま、ファーレンはゆっくりと、言い聞かせるように話す。
……悪質だ。
「ちゃ、ちゃんと受付をやりますぅ!」
「よろしい。全く、あなたはその杜撰な性格さえ直せば、見た目も実力も良い、どこに出しても恥ずかしくない子なのよ?」
「う、うん。」
俺とルナの目の前で急に子供扱いされ始め、ニーナの頬が羞恥で赤みを帯びる。
ここが食堂の隅で、学生達から離れていることが、理事長ニーナにとってのせめてもの救いかもしれない。
「良い?私だって好きで怒ってる訳じゃないのよ?それがいつまでたってもこんな事をするから、仕方なく叱っているの。分かっているかしら?」
「……ごめんなさい。」
「はぁ……何でも真面目に、ちゃんとやりなさい。あなたはできる子なんだから。良いわね?」
「……あい。」
母親代わりに片耳でぶら下げられたまま、ニーナは素直に頷き、小さく返事。
どうも耳の痛みは麻痺してきたらしい。
「よろしい。」
するとファレリルが目を瞑ったまま満足気に頷き、ニーナはあからさまにホッとした表情を浮かべた。そしてニーナの目が俺とルナを再び捉える。
俺の2倍は生きているであろうエルフは、再び顔を紅潮させた。
「ファ、ファレリル、わ、私、もう受付しにいくから!」
「ええ、そうでしょうね。後で様子を見させてもらうわよ?」
「う、うん!分かった……から、早く放して!」
真っ赤な顔のまま慌てふためき、一刻も早くここから立ち去ろうとニーナが懇願。
「けれど……「良いから!」そう?分かったわ。」
エルフ特有の長耳が妖精の手から離れ、
「あぐ!?」
ニーナはそのままテーブルに頭突き。
「「ぶふっ!」っ!っ!っ!」
堪え切れず、吹き出したのは俺とルナ。ルナはとっくの昔に完食していたため、そこから無言でむせ始めたのは俺一人のみ。
因果応報とは思うものの、流石に少し不憫に思えてきた彼女は、むせ返る俺を涙目で一瞬睨み付け、目を落とし、
「うぅ、最近、ファレリルがいつもより厳しい気がする……。」
余計な一言をまた小さくボヤくいた。
「ニーナ?」
「なんでもないよ!い、いってきます!」
そしてファレリルの微かな怒気に敏感に反応して、ニーナは尻尾を巻いて逃げていった。
「さて、私も仕事に戻らないと……。あーそうそう、コテツ!」
「は、はい!」
呼ばれ、咳き込みたいのを無理矢理我慢、背筋を伸ばして座り直す。
「仲がいいからって、アリシアの勉強を邪魔しないように。良いわね?」
「あ、ああ、もちろん。」
……前にアリシアが授業中に俺と念話してたこと、まだ根に持ってるのかよ。
「あの娘を甘やかしたくなる気持ちは分かるわ。私だってニーナにもっと優しくしてあげたいもの。でもこれはあの娘らのためなのよ。厳しくなさい。」
優しくしてあげたいのか、あれで。
「お、おう。でもまぁ、アリシアにはアリシアのペースがあるだろうし、きっとコツを掴んで……」
「私は賭け事はしないのよ。」
そこまで言うか!?
「厳しくなさい。良いわね?」
「へい。」
念押しに肩を竦めて頷くと、ファレリルはそのままニーナの走った方へと飛んでいった。
「にしても厳しく、ねぇ。」
妖精の皮をかぶった鬼が消えるのを待ち、独りごちる。
そんなに信用ならないのだろうか?
「ご主人様はアリシアに相当甘いですから。」
と、それを耳聡く聞き取ったルナがそう答えた。
「そんなに甘いか?」
「甘々です。」
そうなのか……。
自分では全く気付いていなかった評価を意外に思いつつ、冷たくなったカレーを掻き込み、完食。
ふぅ、と息をついたところでルナが改めて口を開いた。
「それより、これからどうしますか?もうお仕事はありませんよね?良ければ、その、私と、二人で……」
「そうだな。」
言い切られずとも、彼女の言わんとするところは分かる。
「本当ですか!?」
同意され、ルナは喜々とした様子で言い、盆を持って立ち上がった。
ったく、相変わらずだな。
「ああ、実戦担当教師には何としてでもなりたいからな。」
俺も自分の盆を片手に立ち上がり、ルナの後を追ってカウンター横の食器返却棚へと向か……
「え?」
……おうとしたところで、目の前の狐っ子が一歩踏み出したところでピタッと静止。首だけでこちらを振り返った。
その顔につい先程までの喜びようは欠片も感じられず、ルナの紅い大きな瞳がただじっとこちらを見上げてくる。
何か間違ったか?
「えーと、どうした?手合わせのためにコロシアムを借りるんだろ?「手合わせ、ですか?」え、違うのか?」
問い返したルナにさらに聞き返すと、彼女は俺から目をスッと下に逸して俯き、
「違いません!」
足元に半ば怒鳴るように言って踵を返し、早足で歩き去っていく。
……違わないならどうして怒るんだ?
さらなる疑問符を脳内に浮かばせ、俺は彼女の後を追った。




