夏休み④
閃光。
すぐに左の首筋を守るように龍泉を構えると、その上を短剣の刃が火花を散らしながら滑る。両手で押し込んでいた武器の軌道をそうして逸らされた相手は、そのまま俺の左を駆け抜けた。
それを目で追い、左足軸に素早く回転。
しかし、そうして完全に向き直る前に、相手は俺からたった一歩離れた所で片足でのブレーキを掛けて自身の向きを切り替え終え、次の一手を繰り出していた。
逆手に持ち直された短剣による、左斜め下からの斬撃。
対して俺は回転の勢いで右足を踏み出し、太阿で相手の短剣を防御すると共に右の龍泉を上から振り下ろす。
するとバチッと鋭い破砕音が鳴ると同時に眩い閃光が目の前で弾け、龍泉は見事に空振った。
「はっ、はっ、はっ……」
そうして俺の間合いの遥か外に逃げたネルは、空いた手で胸を抑え、その乱れた呼吸を整え始めた。
さて、ここは2ヶ月ぐらい前にアリシアと遊び倒した海岸。
わざわざ許可を取るのも億劫で、ここ一ヶ月はルナとも専らここで手合わせしている。
コロシアムリングのものと同じ魔法陣をアリシアに砂地に描いて貰い、その上をなぞるように黒魔法製の魔法陣を作成。起動のために流す魔素はルナとアリシアに任せているので、俺とネルが戦う上で支障は特にない。
強いて言うなら足場が柔らかく、不安定なことくらいか。ま、それも練習だと思えばプラスに転じさせられる類の物だ。
「前々から速いと思ってはいたけどな、一年でまた見違えるほど速くなったんじゃないか?今の切り返し、ファーレンの学生達じゃ早々反応されないだろ?」
「……ふぅ、コテツには全部見えてるみたいだけどね?」
息を吐いて言いながらネルは短剣の切っ先を上に向け直し、聞いた俺は苦笑い。
にしても、相変わらずの動きやすさ重視の装備のせいで細い腹周りやすらりと長い手足の赤身を帯びた素肌が見え、目に毒だ。
いっそビキニなんて着てくれた方が、あからさまな分、ありがたいまである。
もし視線のやり場に困らせる作戦だと言うのなら、とても有効なので彼女を褒め称えてもいいと思うのだが、ネルのことだ、まずそんなことはない。
肩を竦め、そんな邪念を悟られないよう口を開く。
「あーほら、前にカンナカムイと戦ったことは話したろ?あいつはさらに速いし、しかも息切れで攻撃が止まることもないんだよ。……ったく、あんなのとは二度と戦いたく無い。……すまん、龍人と比べるのは流石に酷だったな。忘れてくれ。」
いかんいかん、愚痴になった。
「ううん、それぐらい……ボクだってやれないと。」
俺の謝罪に首を振り、彼女はそう言って姿勢を下げた。
「くはは、そうだな。その意気だ。」
笑い、俺も腰を落として構える。
目標は高く――良い事じゃないか。
「疾駆……雷光ッ!」
スキルと魔法の重ね掛け。
一瞬でカンナカムイのそれに迫るスピードを出し、ネルは俺へ一直線に疾走。
あまりの速さに残像が重なり、彼女の姿が若干ブレて見えるが、まだ龍眼に頼る程ではない。
白い双剣を構えたまま、ネルの一挙一投足を逃さぬよう、睨み付ける。
そしていざ刃を交えようとする直前、彼女は進行方向をきっかり45度変更。俺の間合いのギリギリ外側を駆け、鋭角な切り返しで俺の斜め後ろから、その速度を落とすことなく襲い掛かってきた。
「ソニックスタブ!」
いいや、むしろその速度を上げてきた!
突き出された短剣を、ネルへ体を向けながら剣の腹で防いだ瞬間、バチッと鋭い音を鳴らせて、彼女はこちらの懐に潜り込む。
「ピアスッ!」
刺突が蒼白い軌跡を描いて俺の顎を貫かんと迫る。
短剣を握る腕を左手の甲で素早く外へ押し退け、代わりにその手に握った太阿による斬撃を、伸びた彼女の腕に沿ってその首元へ襲い掛からせた。
「雷光ッ!」
またもや閃く眩い光。
太阿は空振った。が、俺の目はしっかりとネルを捉えたまま。
「そっちだ!」
移動先は俺の左、太阿を振り下ろした俺が背中を見せてしまっている方向。
そちらへすかさず左足を踏み込んだ俺は太阿に鋭い切り返しを行わせ、ネルへと逆袈裟斬りを放つ。
「くっ!?」
ギン、と金属同士の擦れる音。
太阿を短剣で受け止めたは良いものの、不安定な体勢だったネルはよろけ、危険を察知して2歩目で大きく距離を取る。
そして俺が追撃に走ろうとした直前、
「まだまだッ!」
またもや閃光が走り、彼女は真後ろの空気を蹴って突撃を敢行した。
またもや直線距離の全力疾走。
如何なる方向から攻撃されようと、カウンターを入れる気構えで聖双剣を構え直す。
「ライズ!」
と、少し先の砂から小さな石の段差が顔を出し、ネルはそれを足掛かりに大きく跳躍した。
……後ろに。
「なにを!?「させないッ!」……くっ!」
完全に不意を突かれ、遅れて彼女を追おうとするも、後ろ宙返りをしながら投擲されたナイフで足を止めさせられてしまう。
雷の軌跡が空中に半円を描き、空を華麗に舞ったネルは膝を曲げ、ふと、地べたに足をつけたままの“真上にいる”俺を見上げた。
「空歩!」
何もない筈の虚空が蹴られる。もちろん雷光は発動中。
……避ける時間はない。
落雷。
「龍眼!」
直視し辛い閃光の中から短剣の軌道を読み取り、両の剣を交差させ、真正面から防御。
直後、ドン!とネルの細い体付きからは想像し得ない衝撃が両腕を襲い、踏ん張った俺の足は砂地に沈ませられた。
何とか力任せに押し返せば、彼女は力に逆らうことなく飛び退き、俺はすぐにその後を追う。
「使ったね?」
着地したネルが笑う。
台詞の主語が“龍眼を”だってことは分かっている。
「……。」
取り合わずに右足を踏み込み、繰り出したのは龍泉による鋭い突き。
「くく。」
笑いながら、破砕音を鳴らして横に跳んだネルはそのまま俺の背後へと回り、エッジの効いた鋭い方向転換で攻勢に突っ込んでくる。
対し、俺は左足を上げて思いっきり地面を踏み直し、結果、背後の彼女に大量の砂が襲いかかった。
「え?わっ!?」
右足で地を蹴り、身を屈めながら左足軸に半回転。
「ら、雷こ……!」
「逃がすか!」
回転した勢いを用い、目を腕でガードして死角だらけになったネルの軸脚を、俺は右のローキックで刈り取った。
遅れ、宙に向いた長い脚から夏空へ向けて放電がなされ、ネルは柔らかい砂浜に肩から落ちる。
それでも戦意を残していた彼女はすぐ横に転がり、手で地を押して立ち上がったものの、既に距離を詰め終えていた俺に龍泉の腹をそっと首元に突き付けられ、静止した。
「……降参。」
短剣をポトリと取り落とし、かと思うと彼女はそのままこちらへ倒れ込んできた。
「おっと、大丈夫か?」
少し慌てて双剣を捨て、膝を曲げて正面から彼女を抱いて支えてやる。
「アハハ……どう、しよ。終わったと思ったら……脚に、力が入らなくなっちゃった。」
「アホか、無理し過ぎだ。」
「そう、かな……。」
手を俺の肩に乗せ、耳を俺の胸元に押し当てて、ネルが力なく笑う。
吊られ、その頭の赤い尻尾が軽く揺れた。
実際、彼女の脚は本当に限界に来ているようで、火照り、体重のほとんどを俺に任せているくせにぷるぷる小さく震えている。
……こいつ、明日は確実に筋肉痛で苦しむだろうな。
「あんなに、無理しても、ボクじゃ、まだコテツの全力を引き出せないのかぁ……。」
「はぁ……あのな、戦士が斥候に負ける訳には行かないだろ?むしろ龍眼を使わせられるとは思わなかった。」
砂かけなんて小細工も。
「そう?」
「そうだ。……ほら、腕を俺の首に回せ。それぐらいはできるよな?」
ため息をつき、ネルを少し抱き寄せる。
「え?うん……「よっこらしょ。」わぁっ!?」
戸惑い顔で指示に従ったネルは、俺が彼女の両脚を片手で支えるようにして持ち上げると、仰天して目を見開いた。
「な、な、何してるのコテツ!?」
「え?いや、歩けないんだろ?」
ニヤニヤ笑いながら言う。
「うっ、そ、それは、ありがたいけど……どうしてこんな、こんな恥ずかしい、かっこ……」
「フッ、懐かしいだろ?」
ネルを仲間に引き入れた時が思い出される。
「懐かしくない!せ、背負うとか、他にあるでしょ?」
「えぇ……。」
それじゃあからかえないじゃないか。
「えぇ、じゃない!」
「くはは、ま、やったもんはしょうがない。また背負い直すのは面倒だしな。……あ、重い荷物みたいに肩に乗っけるやり方にならこの体勢からでも「ボクは重くない!」そ、そうか、悪い。えっと、じゃあ文句ないな?」
「……うん。」
最後の提案を――余程重要なことだったのか――かなり力強く否定したことで残った元気も使い果たし、ネルは俺の腕の中で大人しくなった。
「あ、コテツさん!終わりましたか!?早く来てください!」
と、掛けられた声の方を見れば、波打ち際で魔法陣に手を当てたアリシアが大きく腕を振っていた。
その隣ではルナが小岩に腰掛け、足で波を感じており、さらに別のもう一人がアリシアに吊られてこちらを見ている。
誰だろうかと遠目に見るも、遠過ぎてよく分からない。
「コテツさーん!」
アリシアの催促。
「ああ、今行く!……誰だろうな?」
彼女に大声で返事をし、早足になりながら手元のネルに聞く。
「さぁ?誰だろ……って待って!」
「え?」
急な制止に、戸惑いながらも素直に従う。
どうしたんだ?と目で聞けば、
「まずはボクを下ろして!」
真っ赤な顔で命令された。
「なんだ、恥ずかしいのか?」
「当たり前でしょ、もう!ほら早く!「はいはい。」……うぅ、もしあれが知り合いだったらどうしよう……。」
軽く茶化すと必死な顔で怒鳴られてしまい、俺はそう生返事しながらサッと彼女を地に下ろす。しかしネルの脚がまだ震えていたため、結局彼女に肩を貸す形で三人の元に歩いていった。
「ああ、お久し振りですコテツさん。こんなところで会うとは奇遇ですね。」
そして、謎の誰かさんに俺がいざ声を掛けようとすると、そいつはそう言って親しげな笑みを投げ掛けてきた。
対して俺はその場に立ち止まり、彼の顔を穴が開くほど見つめながら頭を捻り回し、「お久し振りです、カイルさ、んっ!」と言ったネルに脇腹を突かれた衝撃でようやく相手を思い出した。
「ほぼ一年ぶりだな、カイル!お前、こんなところでも商売してるのか。」
奴隷商カイル。
本人にその気は無かったとしても、俺をアリシアとルナに引き合わせてくれた男だった。
「はは、かの切り込み隊長さんに覚えていただけて光栄です。しかし残念ながら私は別の用事で来ていまして、今は商品の売買を行っておりません。が、これも何かの縁です。何かご希望があればお聞き致しますよ?」
「あー……いや、奴隷には興味はないんだ。すまんな。」
しかしカイルのそんな言葉に、ついつい声のトーンが下がってしまう。
「そうですか。……もしやルナベインや交した奴隷契約に何か不満や不備がありましたか?」
「いやいや!そんなことはない!彼女は本当に良くやってくれてるよ。紹介してくれたことに何度感謝ししたってし足りないくらいだ。……ただ、俺自身が奴隷っていうのにちょっと抵抗があるだけで。」
「ああ、やはりそうでしたか。これは失礼を。」
やはり?
思考は咳払いで邪魔された。
「……こほん、今アリシアから聞きましたよ。あなたのおかげで無事にファーレン学園に入学できたと。ヌリ村の者を代表して感謝致します。」
カイルは――まるでハナから俺の価値観に気付いていたかのように――気を悪くした素振り一つ見せることなく、別の話題に移ってくれた。
そして彼に頭を下げられた俺は少し慌て、顔を上げるように手振りで伝え、
「俺は何にもしちゃいない。全部アリシアの実力だよ。」
そう言ってアリシアに目を向けた。
そのアリシアはくすぐったそうに首を竦めた。
「えへへ、ありがとうございます。あ、カイルさんはいつまでここにいるんですか?」
「生憎とこれからすぐに発ちます。今は予約した飛行船の出航までの空き時間を潰していただけでしてね。しかし11月か12月にもう一度ここに来る用事がありますから、そのときまたこうして会うことができるかもしれせんね。……では私はこれで。提供したルナベインがこれからもあなたの役に立つこと、心より願っております。アリシアも、大いに勉学に励んでください。」
「はい!」
アリシアの元気な返事にカイルは笑顔で最後にもう一度頷き、遠目にそびえる物見塔の方へと歩き去っていった。
「それで、どうしたんだルナ?」
彼を見送り、始終黙っていたルナに目を向けるも、ぺたんと耳を伏せた彼女は気不味そうに、して俺と目を合わせない。
「……苦手なのか?」
聞くと、ルナの頭が小さく上下に動いた。
ま、それなら仕方ないか。
正直、奴隷商と奴隷の関係は、俺にはあまりよく分からない。
「あ!そういえば!ボクの方がルナよりコテツと長く戦えてなかった?くく、ボクはいよいよルナより強くなったってことかな?」
と、急にネルが話を変えた。
明らかにルナを気遣ってだろうけれども、ルナにかける言葉を迷っていた俺にとってはとてもありがたい。
さて、彼女の言った通り、実はネルとやる前に俺はルナと一戦交えていたのである。数日前まではルナと勝ったり負けたりを繰り返していたが、ここ2〜3日は俺が勝利を収めている。
それが聖剣の扱いに慣れた成果なのか、ルナの太刀筋の方に慣れただけなのかを検証するために、またネル本人の強い希望もあって、連続してネルとの試合を行ったのだ。
そんで結果はあの通り。ある程度は使えるようになったと見て良いだろう。
「まぁそうだな、そう考えたらネルの方が強いってことになるか。」
それはともかく、ここはネルの気遣いに便乗してやろう。
「くくく、そうでしょ?」「そんな事はありません!」
「のわっ!?」
「きゃ!?」
と、急に立ち上がってかなり強い口調でそう言ったルナに、俺はビクッとその場で跳ね、ネルはサッと俺の背後に隠れる。
……脚がまだ本調子じゃないからか、コートの下のシャツまで引っ張られて喉が少し苦しい。
「あー、びっくりしたぁ……。」
「おい、お前が選んだ話題だろうが。」
自分で爆弾に火を付けておいて俺を盾にするんじゃない。
しかし、ネルから返ってきたのは力ない笑顔。そしてついでに俺をルナの方へ押しやがった。
「はぁ……。」
ため息が漏れる。
さて、俺の元恋人はその端正な顔に真剣そのものの表情を貼り付け、腕を組んでいた。俺の今さっきの評価は承服しかねるらしい。
「その、別にルナを馬鹿にしようって訳じゃないんだよ?ただ、えっと、ボク自身がどれだけ成長したか知りたくてさ。」
俺の腕の横から顔だけ出し、苦しいにも程がある言い訳を口にするネル。
それでルナが矛を収める筈が……
「もちろん分かっているわ。だからネル、今度は私と戦いましょう?」
あれ?
「……ふぇ?」
ルナの言葉に、ネルが変な声を漏らした。
……あ、そうか!分かったぞ。ルナの奴、バトルジャンキーを拗らせて気分が高揚してるだけだな?
おそらく、いや間違いなく、自身の評価は二の次三の次。あれは単なる会話の取っ掛かりに違いない。
ただ成長したネルと一戦交えたいってだけだ。
「私と戦えばどちらが強いかはっきり分かるわよ?」
「え、えっと、どっちが強いかなんて、そこまで気にしてないから……。」
「もしそうならご主人様にああ言う筈がないわ。そうね……明日、ええ、明日、存分にやりましょうね?……ふふ、楽しみ。」
ニコニコと、邪気の全く感じられ無い、嬉しそうな顔をするルナ。彼女のあまりの強引さに口が達者な筈のネルも二の句を告げず、呆然とした表情でこちらを見上げた。
“助けて。”
“頑張れ。”
懇願する瞳に笑い返す。
「なに、ルナが戦ってみたいと思うぐらい強くなれたってことだろ?」
「そんな評価はいらないよ……。うぅ、どうしてこうなるかな。」
「ま、良い機会だろ。お前ら二人は最近なんか仲悪そうだし、この際思いっきりやり合えばいい。」
肩を竦め、言うと、
「そんなことないよ。」「そんなことないわ。」
二人に即座に、声をピタリと合わせて否定された。……確かにこれだけ見ると仲は良さそうだ。
「そうか?なんかお前ら、たまに睨みあってないか?なぁ、アリシアもそう思うだろ?」
俺の隣で会話を静観、というかボーッ見ていたアリシアを見て聞くと、彼女はハッと我に返り、すぐにうんうんと頷いた。
心当たりは結構あるらしい。
ほれみろ、とネルとルナに目を向ければ、二人にスッと目を逸らされ、知らんぷりされた。
「はぁ……いてっ。」
ため息をつくと、背中に強い衝撃。見ればネルに頭突きされていた。
「……理由を聞いても?」
「教えてあげない。」
何なんだ……?




