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 転職勇者   作者: まずは深呼吸
第七章:危険な職場
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夏休み③

 元旦を含めた数日を挟む2学期制を採用し、一年間ほぼぶっ続けの授業日程を学生達に課すファーレン学園は、しかしその代わり、学年修了から新学期開始までの休みがかなり長い。

 その期間、実に7月始めから9月中旬までの約3ヶ月。

 だがしかし、また、ファーレン学園は――教える事柄こそ違うものの――元の世界の大抵の学校と同じく、通う学生に様々な知識や技術を身に付けさせるための場である。

 そのため、一年掛けて知識を詰めに詰め込んだ脳味噌を、その後の3ヶ月の休暇であっさりとすっからかんにされてしまっては、教師の方も困るのだ。

 よって、この世界でも、夏休みの宿題という奴が学生達に課されるのである。これまた元の世界と同じく、休暇が長い分、大量に。

 「ネルさん、まだお休みは長いんですよ?明日すれば良いじゃないですか。」

 「去年もそう言って、結局ボクが手伝ったよね?」

 「……クラレスさんやオリヴィアさんがお出掛けしようと誘うのが悪いんです。あんなに毎日遊んでいるように見えたのに、いつの間に宿題なんてやっていたんでしょう?」

 「アリシアが見てない間に、だよ。ほら、馬鹿なこと言ってないで手を動かして。こういうのは早めに終わらせるのが良いんだから。」

 宿屋の一室。

 小さな机の前に座り、顔をつき合わせたアリシアとネルは、数冊の教科書を周りに開いて、何らかのテーマについてのレポートを作成中。

 ちなみにネルは三枚目に差し掛かり、アリシアは一枚目の中程で躓いている。

 「ひゃー、大変大変。」

 そんな彼らの様子を横目に、俺はベッドに寝転び、高みの見物を決めている。若干の懐かしさも感じながら。

 「うぅ、コテツさん、手伝ってくれませんか?」

 「手伝いたいのは山々だけどな、残念ながら俺はお前よりも無学なんだ。はは、ラダンやへカルトの地図なんて今初めて見たぞ。」

 アリシアは猫の手も借りたいと思っているのだろうが、俺では猫の代わりすら務まらない。

 そんな俺の手にあるのは、一年生用の地理の教科書。

 フェリルとシーラは観光に出掛けてしまい、ネルとアリシアはこの通り大忙し。

 そのため、聖剣でのルナとの鍛錬を終え、両親への報告も終えた俺は完全に暇を持て余し、“そういえば結局ラダンやへカルトの地図を見損ねたなぁ。”と思い立って、興味本位で借り、読んでみたのだ。

 ……これが色々と新鮮で、なかなかに面白い。

 ちなみにルナは……お、噂をすれば。

 一つしかないドアがゆっくりと開かれ、両手でお盆を持ったルナが入ってきた。

 彼女はアリシア達が宿題をすると聞くなり、”何か持ってきますね。”と言ってずっと出ていったきりだったのだ。

 そしてどうやら差し入れは何かの飲み物にしたらしい。

 「アリシア、ちゃんとやっていますか?」

 机の横にそっと座り、ルナはそう聞きながら、明るい赤色の液体の入ったコップの4つの内2つを取って学生二人の前に静かに置いた。

 「わぁ、ありがとうございます。えっとはい、もちろんちゃんとやってますよ。……あれ?どうしてネルさんにも聞かないんですか?」

 早速コップを両手で包み、口元に運んだアリシアは、そこでふと動きを止め、首を傾げる。

 「……ふふ。」

 ルナは笑って誤魔化した。

 疑問符を浮かべたまま、さっきからレポートを一行も書き進めていないアリシアは、コップを傾け、中身を一口。途端、幸せそうに口元を綻ばせる。

 今さっきの疑問どころか、こりゃ宿題の存在すら忘れてるな。

 「ご主人様の分も作ってきましたよ?」

 内心で小さく笑っていると、ルナがお盆を持って立ち上がった。

 「お、そうか、ありがとな。」

 起き上がり、礼を言いながら、差し出されたお盆からコップを受け取る。

 そして最後の一つはルナが自ら片手で持ち、彼女はお盆をベッドの端に置いて、俺の隣に腰を下ろした。

 「……隣、良かったですか?」

 「え?」

 コップを片手に、もう一度教科書に目を落とそうとしたところでなされた唐突な質問に、俺は間抜けな声で聞き返してしまう。

 「……いえ、何でもありません。」

 ルナはどこか残念そうに呟き、自分の真っ赤な飲み物に口をつけた。

 別に、“良くない”なんて答えるつもりはなかったんだけどな……。

 思いながら、せっかくルナが持ってきてくれたコップを口につけ、傾ける。

 そういやこれって何なんだろうか?…………オレンジジュース!

 「美味い。」

 何だか久々に飲むな。

 「ふふ、そうですか、頑張って絞った甲斐がありました。」

 絞った!?

 ……そういやさっき、“作ってきた”って言ってたな。

 宿屋の厨房でも借りたんだろうか。

 「へぇ?そうなのか、そりゃあ美味しい訳だ。」

 褒めながらもう一口。

 そういやこの世界のオレンジってどんな形なんだろう。

 「そんな、大して難しい物ではありませんから。……それよりご主人様、何を読んでいるのですか?」

 「これか?アリシアの一年生のときの地理の教科書だよ。ほら見てみろ、魔法の方は散々でも、他はちゃんと真面目にやってたみたいだぞ?」

 手元の本を片手で開き、ルナの方に傾ける。書き込みがたくさん為されていることが一目で分かるはずだ。

 ……ところどころにヨダレの痕があるが。

 「散々は言い過ぎです!」

 アリシアから抗議。

 「くはは、そうだな、悪かったよ。ほら、いつまでも休憩してないで手を動かせ。そのペースだと、明日はお前一人をここに置いていくことになるぞ?」

 笑い、謝るついでに警告すると、彼女は目をまん丸に開けて、ちびちび飲んでいたジュースを脇置き、一心不乱にレポート用紙との睨み合いを始めた。

 それを確認して頷き、俺は手元の教科書に目を落とす。

 「私も読んで良いですか?」

 と、ルナが俺の肩に寄り掛かり、銀の糸で首筋をくすぐってきた。

 「ん?ああ、じゃあ捲るのが早かったら言ってくれ。」

 「ふふ、はい、分かりまし「はい、これ。」え?」

 いざ読み進めようとすると、ネルがこちらを振り向いて、ルナに俺の持っているのと同じ物を差し出した。

 「それじゃあ読みにくいでしょ?ボクのを貸してあげる。」

 「え?いえ……。」

 「良いよ、遠慮しなくて。」

 「……ありがとう、ございます。」

 姿勢を正してそれを受け取り、気のせいかどこかぎこちない笑みを浮かべて、ルナがその表紙をゆっくりと捲る。

 「楽しんでね。」

 「……はい。」

 何となく居心地が悪い気がして、俺は座る位置を笑い合う二人からそっと離し、今度こそ教科書を読み進めていった。



 おそらく衛星写真などないこの世界において、教科書に載せられた地図がどれほど正確な物かは知らないが――内容を丸ごと鵜呑みにするのなら――ラダン、スレイン、へカルトの三大国が構成する大陸は勾玉を太らせたような形をしていた。

 勾玉の尖った尻尾を南西、その丸まった背中を北とし、丸みを帯びた頭を東に見ると良いだろう。

 その勾玉の真ん中から北東に少しずれた位置を中心に魔物の巣窟である山々が、大陸のほぼ半分の面積をへばりつくように覆っていて、そのせいで北部には平地なんぞほとんどない。

 幾つもある尾根の中でも、山地の中心から南南東と北北西にそれぞれ伸びる長いもの、そして南西に伸びる短い2つとその間に存在する巨大な森が三国の国境の一部に利用されており、しかし山脈や森の途切れた先に広がる平地を明確に分ける境界はない。

 つまり、数年ごとに行われる戦争の目的は、この平地の境界を自国に有利なように定め、相手国にそれを力ずくで認めさせることだ。

 例えば今はエルフの森から伸びる川が国境に使われているらしいが、ネルによれば、それも数年前の戦争の末に決められたばかりのものだそう。

 現状ではラダン、へカルト、スレインの順に国は大きいが、へカルトはそのかなりの面積を山で占められ、暮らしやすい平地だけを見るなら、その広さはスレインに少し劣るぐらい。      

 対し、山の中心から遠い勾玉の尻尾部分をまるごと自国の物としているラダンは、その大部分が平べったい。スレインとへカルトの平野部を合わせてようやく、何とか対抗出来るほど。

 ……ラダンの中央にある聖都ドランからヘール洞窟まで、ファフニールに乗せて行ってもらったが、なんとそれだけの距離があればスレインを横断して余りある。

 もしも彼女が助けてくれなければ、俺は十中八九、いや確実に、今もヘール洞窟へ向けてのぶらり一人旅を余儀なくされていただろう。

 「……ファフニール様々だな。」

 「ファフニール?たしかコテツがお世話になった古龍だっけ?」

 いつの間にか俺の足の横に移動し、俺の手元を覗き込んでいたネルが見上げてきた。

 目線を上げれば、うんうん唸るアリシアの前は綺麗に片付けられている。……どうやらネルは一足先に今日やる分を終わらせたらしい。

 ……俺もこいつみたいに要領良ければ、夏休み最終日を恐れずに済んだのかもしれん。

 「コテツ?」

 袖が引っ張られる。

 「ん?ああ、あいつにはここからここまで俺を乗せてひとっ飛びで運んでもらってな?そのおかげで、こうしてここに戻ってくる約束を守れたと言っても過言じゃない。」

 言いながら、俺はドランからヘール洞窟までを指先でなぞって見せた。

 「ふーん……そもそもそこまでラダンに深入りする必要があったの?」

 「俺だってラダンのあちこちを飛び回ることになるとは思ってなかったさ……。はは、まぁそれでも、思い返せば結構楽しかったよ。」

 当時の俺がこれを聞いたらふざけるなと叫ぶに違いない。

 「こっちは真面目に勉強してたのに……「そりゃ悪かったな。」……あ、そうだ、時間はあるし、そのこと、話してよ。」

 「神器探しのことか?「うん。」それなら今までこいつを通して報告してきただろ?」

 ネルの耳のイヤリングを軽く弾くと、

 「っ!?「おっと、すまん。」もう……。」

 彼女はビクッと体を震わせ、その耳を素早く片手で覆って少し俯いた。

 手が冷たかったかね?

 「で、でも、何か聞き逃してるかもしれないし……。」

 耳を抑え、言葉につっかえながらも、ネルは引かない。

 別に、聞き逃してもらっちゃ不味いことなんて言った覚えはないんだけどなぁ……。

 「ま、そこまで言われて断る理由もないか。なぁルナ、もし俺が何か言い忘れてたら……おっと寝てらっしゃる……。」

 振り向くと、ルナは教科書に顔を突っ込んでいた。

 その手のコップの中身は空。大惨事になるのだけは免れたらしい。

 「アハハ、仕方ないよ。一年生の地理で習う物って当たり前のことばっかりだから。ボクもたまにだけど、うとうとしちゃうし。」

 「……そういやこれにもアリシアのヨダレの痕があるもんな。」

 「違います!それは、その、汗なんです!」

 俺の言葉を耳聡く聞き取り、見るからに慌てるアリシア。

 なぁるほど、アリシアは若いもんなぁ。そりゃあ汗腺も若く生き生きとして活発なことだろう。何の不思議もない。

 ……んな訳あるか。

 「2年生のときは授業で寝てしまったりしてないか?」

 「はい、もちろんです!」

 力強い返事。

 「よろしい。ならその調子で宿題もさっさと終わらせてくれ。」

 「あぅ……。」

 一転、返ってきたのは力無いうめき声。

 あまりの落差に思わず俺はネルと顔を見合わせ、笑う。

 「ははは……さてと、おいルナ。「ルナは寝かせておいて上げたら?」そうか?」

 寝っかぶったルナを起こそうと伸ばした俺の腕をネルが袖を引っ張って引き止めた。

 「うん……わざわざ起こしちゃうのは申し訳ないよ。ボクが聞きたいってだけだし……コテツ“の”話を。」

 「ん?そりゃ当然、俺の視点の話になるぞ?」

 「そういう意味じゃ……ううん、やっぱり何でもない。くく、前にコテツの身の上話を聞いたときは寝そうになったけど、今回は期待していい?」

 ……そんなこともあったな。

 召喚されてからアリシアに会うまでを話し終えたときの、ネルのうつらうつらした様子が思い出される。

 ついでにアリシアとルナも同じ場所で同じ話を聞いていたが、二人に至っては俺が話し終えるずっと前に夢の世界に旅立ってしまってたなぁ……。

 「はは、了ー解、楽しめて貰えるよう頑張るよ。……よっこいしょ。」

 片手で体を支え、腰をベッドから床、ネルの真横にストンと落とし、座り直す。

 「さてと、そんじゃあ一番最初、ファーレンからティファニアに着いた所からでいいか?」

 地図を彼女へ傾け、ティファニアに指を乗せて聞くと、ネルは頷き、

 「う、うん、じゃあ「あ!私も聞きたいです!」……アハハ、やっぱり。」

 そしてこちらに気付いたアリシアがバッ、と元気よく手を上げた。

 「今日の分は終わったか?」

 しかし、俺がそう質問するなり、彼女のその溢れんばかりのエネルギーは綺麗さっぱり消え失せる。

 「まだ、ですけど……でも心配ありません!後でちゃんと終わらせるので「駄目だ。」うぅ……。」

 何だか昔の俺を見てる気分がする。

 「はは、それじゃあアリシアが終わってから話そうか。「本当ですか!?」おう。」

 聞かれて頷くと、アリシアは嬉しそうに言って、再びガリガリと机に向かった。

 「優しいね?」

 「フッ、俺ほど優しさに溢れた奴なんて早々いないだろ?」

 「うん、そこまでは言わない。」

 「即答するな。」

 講義の意味でネルの脇腹を肘で軽く突くと、彼女はお返しとばかりに肩をぶつけてきた。

 「……でも確かに、コテツは誰にだって優しいよね。」

 「くはは、だろ?」

 自慢気に笑うも、ネルには何故か深い溜め息をはかれた。



 「……んで、俺はファーレンに帰ってきたんだ。ふぅぅ……どうだった?」

 「うん、面白かったよ。」

 「お、そうか!アリシアも、よし、寝てないな?」

 「はい!うとうと仕掛けたらネルさんがちゃんと突付いて起こしてくれましたから!」

 「あ、こら!」

 「え?」

 ネルが叱るも、アリシアは首を傾げるのみ。

 「はぁ……お耳汚しでした。」

 本当に、謙遜でも何でもなく。

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