脱出
濃い紫のカーテンの下には3人の男。
内、二人はスレインの国王と第一王子。彼らは周りの状況の変化にも関わらず、その地位に違わない威厳を保って玉座に座っており、残る一人、座る二人の間の、一歩引いた位置に立つのは、俺と何かと縁のある騎士ドレイク。
その3人のいる段差の下には有象無象の騎士達が等間隔に整然と並び、微動だにすることなく、いつ来るとも分からない侵入者を警戒している。
その隊列から少し離れた所で、ピタリとくっついているのはユイとルナ。直接は見えずとも、だらしない笑みを浮かべたユイにルナが抱き付かれている構図だと予想がつく。
騎士達の目の前なんだから、流石に自重するかと思いきや、そんなことは無かった。
「ふぅ……。」
気配察知を一頻り終え、息を吐き、扱える2種の魔素を手元に集めながら立つ。そして開けっ放しの出口へ向けて歩を進める。
腰のベルトに差した白い金槌がジャケットの下に半分隠れているのを外に出し、フードとマスクで目元以外を覆い隠す。
隠密スキルは発動済み。
……逃亡ルートは手前左の出入り口、だったよな?爺さん。
『手前の右じゃ。』
……うん、よし。あと確認することはない、かな?無いよな?無いはず……無いと良いなぁ……うーむ、思いつかん。
無いと思おう。
さて、逃げますか。
外界までの最後の3歩を助走に使い、俺はまず王親子の背後の騎士の背中に、カーテン越しで飛び蹴りをかました。
「な、にぃぃっ!?」
「「ドレイク!?」」
完全な不意打ちに為すすべもなく、盛大にな音を立てて下段に落ちる騎士ドレイク。いつも悪いと心の中で謝罪しつつ、魔法で生成した黒煙を左右に――手前左右の使用人用勝手口までの道が両方見えなくなるように――放出した。
「「「「「ドレイク騎士長!?」」」」」
「……くッ、何をしている!私などどうでもいい!賊は元よりここに潜んでいた!総員掛かれッ!陛下、王太子様はお早くこちらに!背後に賊が!」
「分かっている!父上お早く!セァッ!」
いち早く立ち上がった第一王子――アーノルドは、帯びていた剣を即座に抜き放ち、お高いだろうカーテンごと俺のいた場所を剣で切り裂く。
「あ、ああ……まさか既に宝物庫を破られていたとは。」
少し遅れてスレイン国王が玉座を立つと、アーノルドは半ば呆然としている父親を守るように、剣を構えたまま短い階段を降りていく。
そしてそんな様子を気配察知で把握しながら、俺は予定通りの方向へ煙の中を走り抜け、部屋からの脱出に成功した。
そこまでは、良かった。
凍てつく強風が真正面から吹き付ける中、氷の礫が空を舞い、風の刃が宙を駆ける。
石の床や壁、窓までもが薄氷に覆われ白く染まり、襲う冷気に今が6月の中旬だということを疑いたくなってくる。
「くっ、しぶとい!」
顔の前で交差させた両腕の間から見えるのは、この惨状の大元。こちらに左掌を突き付けている、見間違えようもない美貌を少し歪ませたメイド長、ミヤさん。
計画では謁見の間から脱出するなり最寄りの窓から外に逃げるつもりだったのだが、そこでミヤさんに出くわしてしまった。
俺が出てきた出入り口から漏れる煙幕や、そもそもつい2〜3時間前に彼女と言葉を交わした――眠らされていたはずの――清掃員の特徴的なマスクを着用中。
それでピンと来ない訳が無く、彼女は俺を侵入者だと即断。大きく下がったミヤさんは、鎌風を放って戦端を開いた。
……ったく、使用人達の取り調べがこの道の先で行われていたとは。
『うむ、失念しておったわい。なに、勇者よりはマシじゃろ?』
むしろやりにくいわ!
十数メートル向こうから遅いくる氷塊は獣人を思わせる衝撃を伴い、鎌風は、俺が鉄塊を使っていたなら、俺の腕はジャケットごとかなり深く斬っていたこと請け合いだ。
しかしそんな危険極まりない嵐は、突如フッと止んでしまう。
「これは、無色!?」
流石は熟練の魔法使い、原因は即座に突き止められた。が、それでも魔法が中断した事に変わりはない。
「ォオオオ!」
俺はすぐさまミヤさんへと走り出し、対して彼女はさらに後方へ下がりながら再び魔素を集め直し始める。
この隙に窓から脱出したいとは思うが、相手は王城屈指の魔法使い。そう簡単に逃がしてはくれまい。
走りながらさり気なく、手首のスナップでナイフを投擲。
軌道は低く、足元へ。
「エアシルト!」
しかしミヤさんはそれにしっかりと反応。左腕を振り上げる。あと少しでメイド服に届きそうだったナイフは巻き起こった風に煽られあらぬ方向に……いや、反転!?
「くぉっ!?」
思わずナイフを魔力で操ろうとするのを我慢。素早く半身になり、ナイフの横をサイドステップで通り抜ける。
しかしそこから体勢を直す暇など与えてくれず、ミヤさんは右手の白いタクトを俺へと振るった。
「フリージア!」
古代魔法!?
手袋で迎撃しようとして、寸前で思いとどまり、真横に転がり込む。
迸った白い光線は、俺がさっきまで背を向けていた壁を一瞬で白に染め、窓も絵画もまとめて全て凍り付かせてしまう。
……くはは、流石。前に片手で弾いた学生の物とはやはり一段違う。そしてつまり彼女を無力化しない内に逃げようとすれば、俺もああなる訳か。
「ちょこまかと!」
転がる勢いを用いて即座に立ち上がり走りながら、タクトが俺へと向くより先に、再びミヤさんへ向けてナイフ投げ。
「エアシルト!」
さっきと全く同じように、命中する直前で反応されるが、それは勿論分かっていた。
方向転換したナイフは、ミヤさんからまだそう離れてない位置で、俺がタイミングを遅らせて投げておいた煙玉に突き刺さる。
瞬間、黒い霧が一気に吹き出して廊下を広がり、俺からミヤさんが見えなくなった。
「え、煙幕!?」
そして当然、逆もしかり。
足のギアを上げ、俺は石の床を思いっきり突っ走った。
「ブロウ!」
すぐさま吹く向かい風。黒いモヤは俺の後ろへ流れていく。
流石ミヤさん、判断が早い。
だが、そんなことは織り込み済み。この人があの程度で取り乱すはずが無い。
狙いはハナからただ一つ、ミヤさんとの距離を詰めること。……決してお近付きになりたいとかいう事ではない。物理的な話だ。
煙幕を使ったのも、魔法による妨害を一瞬だけでも中断させるためのみ。
「アイスシルト!」
向こうもそれを理解したのだろう、彼我の距離を3メートル程まで詰めた俺に対し、行使した魔法は氷の障壁。
「……オーバーレイ!」
それも1枚ではなく、計7枚。
別に体当たりで壊せない事はないが、それだと俺のスピードは確実に落ちる。
……使うか。
右腰の武器、聖槌ウコンバサラをベルトから引き抜く。同時に抑え込まれた怨嗟の声が彼方で響き、聖槌の効果で力が沸き立つ。
右肩からの突撃。あっという間に7枚の氷壁を突破。
ミヤさんが俺の間合いに入った。
……まずいな、氷壁の抵抗すら感じなかったぞ。……このまま殴ると手加減できない。
ウコンバサラの先に雷を集めて……
「エア、ボム!」
俺のほんの少しの逡巡は、ミヤさんにとって十分な隙だった。
「しまっ……ぐ!?」
至近距離で強風が発生。
それは俺の進行を完全に押し留め、ミヤさんの体を遠くに飛ばした。
フードが外れないように摘んで抑え、ただ踏ん張ることしかできないながらも何とか突風に耐え切り、再び前へ進もうと視線を上げると、約5メートル先で凛とした立ち姿を見せるミヤさんがその少し歪曲したタクトの先を真っ直ぐ俺に向けていた。
「ヴェンタス!」
鋭い声に空気が引き締まり、直後、荒れ狂う暴風と化して俺を襲う。
「く、おぉっ!?」
すぐに身を屈めるも、一気に数メートル石床を滑らされてしまう。
左手袋の先を尖らせ、石床を無理やり掴んで体を固定したところで吹く暴風に刺すような冷気が混じり始めたことに気付いた。
「凍えなさい。」
厳かで静かな声。
……くはは、古代魔法の上にさらに魔法を混ぜますか!
突破口を探して顔を上げれば、こちらにタクトを向け、睨むミヤさんの美貌。
ついに体表面に薄氷がまとわり付き始めたところで、俺は焦りを抑えて心を決めた。
先端に雷を纏ったウコンバサラを振りかぶる。
「ドゥオラァッ!」
そして強化された身体を存分に連動させて、聖槌を思い切りぶん投げた。
聖なる金槌が手より離れたその瞬間、身体強化が途切れてしまう。当然、俺の体は風圧に煽られ、背後へと飛ばされた。が、しかし目は前を見据えたまま。
柄の黒く染まった純白の金槌は常軌を逸した向かい風の中を突き進み、これにはミヤさんも目を見張る。
しかし彼女が少し身を逸らすだけで金槌は彼女の真横を通り過ぎて行った。
「惜しかったですね。さぁ大人しく……「おねーちゃん後ろ!」ッ!?」
こちらを向き直ったミヤさんのさらに向こうから、拙い子供の叫び声。
その警告の通り、ミヤさんの背後へ飛んでいくはずのウコンバサラは、雷を帯びたままブーメラン軌道を描いている。
もちろん、俺が描かせている。
「クソッ!間に合えッ!」
悪態を吐き、俺が聖槌の操作を強めると同時、ミヤさんが背後を振り向き、迫る脅威に気が付いた。
「そんな、どうして!?」
しかし完全に意表を突かれたために、彼女の対応はほんの一瞬滞った。
そしてそれで十分だった。
雷槌が彼女の首筋に触れ、激しい閃光を発す。
「ああぁッ!?」
短い悲鳴。
続いてドサリと人の倒れる音。
猛威を奮っていた暴風が止み、俺の背中は石床を叩く。体に張った薄氷はすぐに溶けて水となった。
「く!?イテテテ……何とか、なったか。」
勝利の余韻に浸りたいが、今は敵地だ。そうも行かない。加えて勝った相手が相手なので罪悪感の方が内心勝っていたりもする。
背中を押さえながら起き上がれば、視線の先では倒れ伏したメイド姿の美女に駆け寄る幼い子供の姿がある。
……ノーラか。
ったく、あの警告でもう駄目かと思ったぞチクショウめ。
まぁいいさ。さっさと聖槌を確保して、早いところここからおさらばしよう。
「風が止んだぞ!急げ!あそこだ!」
嘘だろおい!?
背後から声。
聞き慣れてきた特徴的な金属音から、見ずとも分かる。謁見の間にいた騎士共だ。
モタモタしてる場合じゃない!
背中の鈍痛を忘れて駆け出す。
進行方向にはさっきと変わらず気絶したままのミヤさん。
そして、両手で聖槌を構えたノーラ。
…………は!?
「馬鹿野郎!早くそれから手を離せッ!」
「……うん、うん……」
一喝するが、ノーラは虚ろな目で虚空に向かって頷くのみ。俺の声なぞ聞いちゃいない。
手遅れになる前に、無理矢理にでも取り上げる!
『やめい!あの娘の心配は無用じゃ!お主は逃げに徹するがよい!』
馬鹿言え!あんな小さな子の気が狂うのを捨てて置けるか!
「……よく、分かんないけど、悪い人をやっつけるのに、力を貸してくれるの?……うん!」
あと2〜3歩で手が届くといったとき、ノーラが一度まばたきし、その目に澄んだ強い光が宿る。
瞬間、俺の本能が警鐘を鳴らし、俺をワイヤーで真横へ逃げさせた。
「はああああああ!」
直後、俺に向けられていたウコンバサラの白い角から雷光が迸る。バンッ!と空気を貫いたそれは直線上の天井を焦がし、余波で壁の垂れ幕に火をつけた。
……半ば倒れ込みながらそれを見る俺の目はさぞ虚ろなことだろう。
なぁ爺さん……
『うむ、新たな勇者の誕生じゃ。良かったのう、とても貴重な場面じゃぞ?』
「ええい!」
ノーラがこちらを見、聖槌を高く掲げ、俺は前転から素早く立ち上がるや否やもう一度前に飛び込む。
破壊音と共に床が揺れ、目の端で俺のいた場所に大穴が穿たれているのが見えた。
どうしてノーラにあれが使えるんだ!?ていうか俺が使ってたときより効果上がってるよな!?
『当たり前じゃ。聖武具と対話した上で認められれば聖武具の方から協力するからのう。』
勇者じゃなくてもか!?
立ち上がり、大いに混乱しながらも再び駆け出す。
『あの娘は既に勇者となっておる。……ああ、お主の言いたいことは分かる。なに、異世界より来ただけのお主よりもあの娘が怨嗟の声の影響を抑えられただけじゃよ。フォッフォッ、異世界から来たという特権も無しに扱うとは、相当に意志の強い、もしくは余程純真な娘なんじゃの。』
笑い事じゃねぇよ……ッ!
バチィッ!という聞き覚えのある破砕音に反応して振り向けば、一瞬で俺との距離を詰めたノーラが跳び上がり、ウコンバサラを今にも俺に叩きつけようとしていた。
ネルの使ってた雷光と酷似、いや、そのものだ。
「おりゃぁぁ!」
「ったく、悪く思うなよ!」
右足を強く踏んで急ブレーキ。左足をノーラへと踏み込み、二の腕で聖槌の柄を左へいなした俺は、右の掌底で彼女の胸を突き飛ばした。
「あぐぅっ!?」
呻き声を上げ、エルフの少女が背後へ大きく吹き飛んでいく。……残念ながらウコンバサは握られたままだ。
あのまま聖槌を持っていて大丈夫なのか?今は良くても、後々悪影響が出るんじゃないのか?
『心配は要らん。言うたじゃろう、あの娘はもう勇者になっておる。二度目以降の怨嗟の声なぞ一度目に比べれば屁でもなかろう。』
そうか、なら良い、か。
一番近くの窓に拳を叩き付け、破壊。その枠に足を掛けたところで……
「見つけたッ!」
……心の底から聞きたくなかった声が耳に入ってきた。
見ればその声の主――カイトは廊下のさらに約20メートル先の角をちょうどこちらへ曲がったところ。
この距離なら何とか間に合うか!?
窓枠を蹴り、外へ脱出。置土産に魔法で煙幕を放出。
「もう逃さない!天断ッ!」
直後、カイトの声が背後から。
瞬間移動でも使えるのかあいつは!?
極光が辺りを包み込み、遅れて盛大な爆音が轟かせ、堅牢に見えた厚い石壁が爆散。そうして飛び散った壁の欠片が地に着く前に、ダメ押しとばかりに白銀の火炎が噴き出した。
何処にいたのか、一斉に青い空へと飛び立ちち空を埋める、何羽もの鳥達の黒い影が俺に落とされる。
……あれも全部魔物に分類されてるんだよな。
『完全鑑定を使うがよい。さすればあれらの人の敵たる所以の力が分かるわい。』
そうかい。
……そういえば焼き鳥ってこの世界で見かけないな。ったく、何やってんだか歴代の勇者様方は。
『で、そろそろ現実に戻ったらどうじゃ?』
「はぁ……。」
きっと使用人か特別な業者かが精魂込めて整え作り上げたであろう、青々としていた芝生。それを大きく深く、そして無残に、土ごと抉り取る事でできた、何とも言えない程酷い光景が俺の眼下に広がっている。
ワイヤーを駆使して大きく跳躍し、2階の窓を割り、逃げ出すつもりの王城に逆に逃げ込んだ俺は、その惨状を成し得たカイトの力にただただ呆れ、ため息を漏らした。
その間にも、城に空いた巨大な穴から未だところどころで火の燻る芝生の焼け跡へ、ワラワラと溢れ出てくるのは物々しい鎧を身に纏う騎士達。
……つまり今なら別の方角の警戒が緩んで突破しやすくなってる可能性が高いかね?
『うむ、そのようじゃ。』
よし。
何にせよ、疲れた。早く寝たい。
床に散らばったガラス片を踏み付けてしまうのを構わず、俺は割れた窓から身を離した。




