復帰
当然ながら、一日二日でケイの肩は完治しなかった。
「何度も言ってきたけどな、安静にしてろって。」
「何度も言いましたよ、やると言ったらやります。……痛っ!」
頼りになりそうな言葉を吐きながら、上手く起き上がれずにボフンとベッドに倒れ込む元暗殺者。彼はそのまま肩の止血のために巻かれた包帯を抑えて悶え始める。
「ったく、それならいい加減、左腕で起き上がる癖ぐらい付けろ。」
「……そのうち慣れますよ。」
ケイの左手首を掴んで引っ張ってやると、不服そうにボヤかれた。
「はぁ……世話になったな。」
「どうせ暇だったんだ、気にすることないよ。むしろいい暇つぶしになったさ、良いことも聞けたしね?」
ため息をつき、脇で座っているお医者様に礼をすると、彼女は事も無げに言って笑みを浮かべ、最後に掲げて見せた手元の本に再び目を落とした。
しかし適当な態度とは裏腹に、彼女はこの2日間、俺と一緒に――いやむしろ、食料確保のためにときたま外出していた俺よりも長いこと――ずっとケイを看ていてくれたのだ。
「ほら、お前も。」
「うぐ、ありがとうございましたぁ。はぁ、これで良いでしょう?親ですかあなたは?」
促され、ぶつくさ言いながらも礼を言って、ケイはさっさと出口に歩いていく。
それを見て苦笑いした俺は「お前も早く出ていけ。」と言わんばかりにシッシッと片手でジェスチャーされ、そそくさと部屋を後にした。
「で、まずは教会の様子を見に行くか?」
雑草の生い茂る空き地に転移し、そう聞くも、ケイにあっさりと首を振られた。
「違います、背格好が似た二人がいると思われて怪しまれますよ。それに、何よりもまず寄らないといけないところがあります。」
「……あ、宿屋か?」
そりゃあんな大事件があった後にずっと留守だと怪しまれるよな。
「服屋です。」
……服?
本来ならば2日前の夜の内に帰る予定だったため、お日様の元を堂々と歩くための変装が手元にない。つまりはそういう訳で、俺は今、貴族用の高級服屋にいる。
と、シャァッと目の前の赤紫のカーテンが、円形のカーテンレールを滑った。
「似合うです?」
そして中に立っていたソフィアはその場で無邪気にくるりと周り、水色のスカートを駒のように舞わせる。
「ああ、似合う似合う、それにしよう、な?だからもう宿屋に……「あ、これも可愛いです!」……。」
俺は普通に、ケイはその暗殺技術を活かして誰にも気付かれないように、服屋に入店し、ケイが適当な――当然(?)女物の――服を引っ掴んで試着してソフィアに化け、ケイの抜け殻を俺が回収したまでは良かったのだ。
そう、そこまでは。
そこから変なスイッチが入ったらしく、かれこれ30分、俺は様々な服に着替えていくソフィに付き合わされている。
それだけならまだ、適当な相槌やら何やらで――疲れはするものの――流せるが、今日のソフィアお嬢様は右肩を怪我していらっしゃるため、俺は服の着替えを一々手伝わされる羽目になっているのだ。
実に辛い苦行であるが、しかし特殊な怪我やら性別やらのせいで店員さんに押し付ける訳にも行かず、ただひたすらに、無心を貫いて黙々と作業を続けるしかない。
「これとこれ、どっちが良いです?」
「え?あ、右。」
もちろん考えちゃないない。
「こっちですか……でも着てみたら変わるかもしれませんです。」
そう言って、ソフィアがカーテンの中に引っ込んでいく。
……もう勘弁してくれ。
もしかしてあれか?あのとき、無理矢理礼を言わせた事の腹いせなのか?
「ふんふんふーん♪」
楽しそうにしやがってチクショウめ、もし腹いせの類だったらまだ自分を納得させられたのに。
と、中から聞こえる鼻唄が唐突に途絶え、俺は待ってましたとカーテンを少し開いて中を覗く。
そこにあるのは、包帯に巻かれた右肩を含めた右半身を外気に晒し、困ったようにこちらを見るソフィアの姿。
「またか?」
「……ごめんなさいです。」
ったく、毎回本当に申し訳なさそうに謝るから困る。
こう何度もやられると流石に演技だとは思うのだが、真に迫っていて協力を断わるとこっちが罪悪感に苛まれそうだ。
……もう、いっそアレをやってしまおうか?これからのパフォーマンスに影響が出ても困るし。
「どうかしたです?」
しかし、例の魔剣の応用って事で話を押し通せるかね?……信頼もまぁ、一応、ある程度はできるか。よし、いざとなったら闇ギルド関係者らしく買収しよう。
「えっと、聞いてるで、す!?」
中に踏み入り、カーテンを閉じる。
目を丸くしたソフィアは後ろに……下がれず、壁に背中をぶつけて崩れ落ち掛け、俺は少し焦って、左手でソフィアの脇腹を、右手でその頭のすぐ側の壁を押すことで支えてやった。
「っと、驚かせたか?すまんな、でもちょっとそのまま自然にしててくれ。ほら、しっかり立て。」
「は、はい……。」
消え入るような声だが、指示にはゆっくり従ってくれた。
ソフィアの体重が感じられなくなった所で、脇腹を支えていた左手を彼女の脇の下へとずらしていく。
「ッ。」
「力むな。別にお前を害を為そうとしてる訳じゃない。ていうか、俺にそんな気が無いことは分かるだろ?」
殺気を感じ取れるんだから。
「そ、そんな心配はしてませんけど……」
「嘘つけ、口調がケイに戻ってるぞ?」
「うっ。」
しかし、未だその細身の体は強張ったまま。
「はぁ……ほら、力を抜けって。なるべく痛くないようにするから。な?」
「……分かり、ました。ふぅぅ……お願いします、です。」
「くく、あーすまん。すぐ終わらせるから。」
今更のように口調を整えたケイに思わず笑いが漏れ、誤魔化すように咳払いを一つ。
ソフィアの二の腕と脇の間に指を入れて間を開けさせ、軽く二度叩いてそのままにするよう指示。
「え?」
「どうした?」
「い、いえ、わ、分かりました。」
それに頷いてくれたのを確認し、するりと今度はソフィアの肩甲骨辺りに手を回し、こちらに少し抱き寄せるようにして壁から背を離させる。
さて、ここからだ。
「痛かったら遠慮なく言ってくれよ?」
「はい、分かりましィッ!?」
俺の指先が包帯に触れ、ソフィアは声を噛み殺す。
「大丈夫か?」
「……楽しんでるです?」
手の動きを止めて聞くと、ソフィアは涙目でこちらを睨み、俺をサディスト呼ばわりしやがった。
まだ余裕はあるのかね?
「アホか、そういう目的じゃない。ったく、行くぞ。」
「ッ〜!?」
白い包帯に左手の平を押し当て、それを魔法で黒色に染めてしまい、そこから黒魔法で肩をさらに締め付ける。
ついでに個人的な美意識から、包帯の厚さが均一になるように、背中側には左手を回す事で、体の前は目視によって確認して調整。
「……ぐ……ぅ……。」
そしてソフィアが俺の右腕をグッと握って耐え始めたところで、俺は肩の締め付けを中止。
俺自身も何度かお世話になっている、ギプス(もどき)の完成だ。
「どうだ、腕は動かせるか?」
「え?腕?……ええ、動かしにくいですけど、少しは。」
聞くと、ケイは不思議そうな顔で脇の開け閉めをして見せた。
「よし、痛くはないな?」
「あ、言われてみればそうですね。……でも肩は全く動きません、です。」
「ああ、それで良いんだよ。」
幸い――と言って良いのかは知らんが――ソフィアが貫かれてたのは肩と腕の接合部よりも十数センチも内側のところ。なのでそこをピンポイントにガチリと固めてしまえば、ある程度の腕の可動域は確保できる。……とは言っても四十肩をもう少しマシにした程度だろうが。
これが俺自身に対してする場合であれば、逐一ギプスの形を整え、傷口を常に抑えたまま元々と遜色ない動きを実現させられるのだが…まぁそこは仕方ない。
「で、えーとだな、これは魔剣の……」
「い、良いですよ、教えてくれなくて。私に何もするつもりが無いのが分かっただけで十分です。それに、ルールですから。」
俺が並べようとした嘘八百を、ソフィアは肩を覆う黒色を撫でて感触を楽しみながら遮る。
しっかし……
「……その言い方だと俺を疑ったままだったんだな?」
すぐ目の前のソフィアに片眉を上げてそう言えば、スッと目を逸らされた。
「ま、まぁその、職業病みたいな物です。」
「はぁ……ま、任せられただけ信用はしてくれてる、か。じゃ、痛みが増したり、体に異変が出たりしたら我慢せずにすぐ言えよ?その都度こいつを調整するから。」
「あ、もう、やめて、ください。」
悪戯心も少しあって、ギプスをつんつん突付いて言うと、ソフィアはくすぐったそうに身を捩る。
そこで突然、背後でカーテンの滑る音。
「お客様、何か問題でも……なっ!?」
首だけで振り返れば、店員の男がこちらを覗き込んでいた。
「……え?」
それから、何が何やら分からぬままに、俺は何故か店から蹴り出された。そう、俺ただ一人だけが。
……解せぬ。
「困りましたね。」
「そうだな……まさか俺の人生で服屋に出禁を喰らう経験をするとは。まぁ元々俺には縁のない店だったから良かったものの。」
こいつの服の値段を見てついさっき目玉が飛び出たばかりだ。
にしても、いやはや、あのときの俺が傍から見れば女の子の着替え中に押し入った暴漢だったとは。
「隊長さん、そんな話じゃありません。」
「はは、分かってるよ。」
宿には――拍子抜けな事に――怪しまれる事なく帰還でき、俺達は今、二人して状況の確認とリベンジマッチへの準備中。
要は取り越し苦労って奴だろう。
「ったく、よりにもよって王城かぁ。」
状況というのは、どうも聖武具の保管場所がこれ以上ない程盗みにくい場所に移されたこと。
夕飯を済ませ、宿屋に戻ってくるまでの間、ケイ、いやソフィアの聞き込みや俺の酒を介した会話でその可能性が頭をもたげ、爺さんによって裏付けが取れた。
「予想はしていましたけどね……最悪の場合として。」
「諦めて養生するか?」
「あはは、冗談。」
ソフィアのドレスとは打って変わって簡素なシャツを着ているケイはすぐに笑みを消し、目の前に浮かぶ王城のホログラムへと視線を戻す。
「……やっぱり宝物庫みたいなところにあるんですか?」
「さて、どうだろうな。」
真剣な顔のままケイが尋ね、ソファに深く座ったまま、俺は肩を竦めて返した。
王城の中のどこにあるのかは巷には単なる噂話としてすらも流れていなかったのだ。
「『聖武具の場所は既に把握してる。』なんて言ったのは隊長さんですよ?」
確かに言った。つまり知ってるとは言ってない。
もちろん爺さん頼りの言葉だ、非常に不本意な事に。
『ハッ、いつもの事じゃろ。』
そうだな、これからもこき使ってやる。
「安心しろって、場所を把握してるのは本当だ。ただ、その部屋がどんな物かは分からないってだけだから。」
「……また魔剣ですか?」
「……まぁそんなとこだ。」
いい加減嘘だってバレてるよな、とは言っても今更か。ケイは自分の肩の黒いギプスも特殊な物だと察してくれてたし。
ルールであるらしいが、取り敢えず今は聞かないでいてくれるのが本当にありがたい。
「せめて大体の場所は分かりませんか?」
爺さん?
『地下じゃ。』
「地下だな。」
地下なんてあるのか、知らなかった。
「地下、ですか……。」
言うと、透ける王城をベッドの縁に腰掛けて眺めながら、難しい顔になって押し黙る。
「となると牢屋か、もしくは本当に宝物庫にありそうですね。」
「はは、その選択肢なら宝物庫に決まるんじゃないか?」
「アザゼル教の最も位の高い祭具を、スレイン王家の宝物庫に、ですか?」
なるほど、そんな捉え方もあるのか。
確かに、神の冒涜だとか何とか言われそうだな。しかし……
「だからって牢屋に置くか?罪人とその位の高い祭具とやらを一緒の場所に?まだ宝物庫に保管した方が、祭具をこの上なく大事に扱ってますよ、なんてアピールができるんじゃないか?」
「……ですよね、やっぱり。できればそうであって欲しくありませんでしたが……そうとしか考えられませんよね。」
肩を落とし、テーブルの上のメモ帳をこちらに滑らせるケイの姿に目新しさを覚えつつ、俺は改めて王城の構造に目を向ける。
「なんだ、自信が無いのか?」
「自信云々の話の前に、まず、宝物庫への入り口がどこにあるかが分かっていません。その地図だって、ある熟練の盗賊が王城の形と内部構造との違和感を探し出して、宝物庫の場所を探り当てようとしたときの、一年掛けて作られた副産物ですよ。……結果見つからず、地下のどこかにあるという結論に至って終わりましたが。」
そう言って、ケイはベッドに背中から倒れ込んだ。
……つまり、この地図はあまり役立たないのか。
「くはは、そりゃ大変そうだ。」
さて爺さん、出番だぞ?
『うむ、宝物庫から伸びる穴がどこに繋がっておるのか、辿って探せば良いんじゃろ?ヘール洞窟と同じ要領じゃ、安心して任せい。』
……そういえばあのとき、隠されていた連絡通路と言う名の落とし穴に、爺さんのせいで落とされたんだっけか。
『魔が差しただけじゃ。』
言い訳になってないからな!?
「はぁ……。」
「分かりましたか?これがどんなに困難なのか。」
「あーいや、場所なら大体分かる。」
「本当ですか隊長さん!?」
ガバッと上半身を上げ、テーブルに身を乗り出すケイに、一度ゆっくりと頷いてみせれば、彼はホッと息をついて、再び柔らかなクッションに腰を沈ませた。
「そ、それで、どこに……。」
しかし興奮は未だ醒め切らぬといった模様。
爺さん?
『む、これも行き止まりかの?うーむ……この迷路は難しいのう。』
おいこら。何をし……え、迷路?
『やかましいわ!誰のためにわしが今こうして久方ぶりに集中していると思っておる!』
あ、はい。うん、頑張れ……。
で、目の前には知的好奇心に目をキラキラ輝かせた、考えてみれば年相応な少年の姿。
「……えーといや、すまんな、どうにも分かりにくい。向こうで感覚に頼るしか無さそうだ。」
「そう、ですか……。」
そして俺の言葉でその目が伏せられ、表情が一気に曇ってしまう。
何とかフォローを……。
「あ、別に信用してないとか、そういう訳じゃないぞ?」
「……あは、そんな心配はしていませんよ。いきなり何言ってるんですか。」
嘘つけ、見るからに上機嫌になったぞ。ったく、急に姿勢まで正しちゃってまぁ。
「そうかい。それで?いつやるつもりだ?」
「毒竜討伐隊が出発してから、もう3日経ってます。なるべく早くが良いでしょう、勇者一人でさえ辛いのに、二人を相手になんてしたくはありません。それに、一人ならまだ避けるのも容易ですから。隊長さんの準備が整っているのなら、明日の夜でも良いですよ。」
「宝物庫の前で待ち伏せられていたらどうする?」
「勇者だっていつかは寝ますよ。用を足すことも必要でしょう。」
「なぁるほど。しっかし明日の夜ってことは、夜闇に紛れてあの壁を乗り超えるにも、まだ明るいぞ?」
満月が3日程前にあったばかりだ。新月にはまだまだ遠い。
「それに、戸締まりぐらいはしてるんじゃないか?」
「鍵なら任せてください、それが魔法でも魔術でも、原始的な代物でも、パッと開けて見せます。これでも依頼達成数はギルドの中でも5本の指に入りますから。……侵入に関しては気配察知で確かめるしかないでしょう。すみません、普段なら門番の買収をしたり交代時間を調べたりするんですが……。」
「ま、時間がないもんな。……よし、じゃあそこから先は俺が宝物庫への入り口を捜索すれば良いんだな?」
申し訳なさそうなケイの言葉を遮り、切り上げ、そう質問すれば、しっかりと頷いて貰えた。
「ええ、頼みますよ、隊長さん。」
「おう、頼まれた。」
頼むぞ爺さん。




