まだまだ
「1つ、2つ……はい、この角を右です。そのまま通りを横切って向かいの路地裏に入ってください。」
どうだ爺さん。
『……大丈夫じゃ、進むが良い。』
よし。
ケイの目指す目的地を当然ながら俺は知らない。よって案内を爺さんに丸投げする事ができない。
そのため道案内をケイに、爺さんには広範囲の索敵を任せ、俺は今二人に指示されるがまま、ゲームアバターの如く夜闇に包まれた街を走っている。
そしてぐねぐねと曲がる道順を――月光が届かず視界が悪いせいで色んな物を薙ぎ倒し、蹴飛ばしながら――走り、遂にぽっかりと空いた空間に出た。
「着きました。そこです。」
ケイが前を指差し、言う。
しかしその示す先、目の前の空間には何もない。ただ雑草が好き勝手に生えているのみ。
“そこ”とはどこか、疑問符を頭の中で浮かべていると、ケイに腕を引かれ、先に進むよう急かされた。
「……ここは一体何なんだ?ていうか何をしに来たんだ?」
歩きながら聞く。
「前半は後々分かりますよ。後半なら当然、この肩を直して貰うために来ました。」
「白魔法とかポーションとかじゃ駄目なのか?」
聞くと、ケイは腕の中で肩をすくめ、
「ええ、聖剣にやられてしまいましたから。イタタ……。」
そしてその肩の傷に顔をしかめる。
……痛いならやらなきゃ良いのに。
「……知りませんか?聖武具による傷は治らないんです。例えば今の私に白魔法をかけてしまうと出血は止まります。けれどこの穴は空いたまま。右腕はもう使い物にならなくなりますよ。」
そんな効果があるのか……。
「へぇ?もう呪われた剣の類だな、あれ。」
あの剣に込められた怨念も含めて。
「勇者が相手をするのは悪者で、その討伐に使われる武器が聖武具ですよ?聖なる力を持ったとってもありがたい武器に決まってるじゃないですか。本当……堪りませんよ。」
力のない言葉を吐いて歎息したケイの姿が珍しく、それが変におかしくなってきた。
つい笑ってしまう。
「くはは、ということはこいつはもう聖武具とは言えないのかもな。何せ勇者を襲ったんだから。」
「あはは、それは困りますね、それでは聖武具を盗み出すという依頼が達成できません。……ここで下ろしてください。」
四方の建物に窓のない背を向けられた、小さな公園程度の空き地の中心でケイの言葉に従うと、彼は懐から小さな棒状の何かを取り出した。
そしてその場にかがみ込み、彼は取り出したそれを地面に突き刺す。
「隊長さん、行きますよ。」
「ん?ああ。」
取り敢えず首肯。
何が始まるのだろうか?
静寂の中、カチリと小さな音が鳴る。
次の瞬間、雑草で隠れていてそれまでは全く気付けなかった、俺たち二人を囲う大きめの魔法陣が地面の下から浮き上がった。
「転移します。手を。」
おそらく何らかの鍵であった物を懐に戻して言うケイ。その肩に手を乗せた直後、俺の視界は白に染まった。
突然目の前の扉が開き、革張りのベンチに座って船を漕ぎ始めていた俺はその音で跳ね起きる。
「……終わったよ。後は安静にしていれば完治するさ……安静にしていれば、ね。」
「そ、そうか。……そりゃ良かった。」
出てくるなりそう言ったのは、左頬に二股のサソリの入れ墨がある女性。彼女は指先の真っ赤に染まった白手袋を外しながら俺の隣に腰を下ろした。
「さ、約束は守って貰うよ?」
様々な模様や生き物の彫られた長い手足をより際立たせる、黒いシックな服装をしたこの人の名を、俺は聞かされていない。
そして彼女にも俺は名乗っていない。
というのも、ここ、闇ギルドの本部では相手の詮索をしないのがマナーらしい。ケイによれば、下手に相手の詳細を知り、いらない面倒に巻き込まれる事を避けるための処世術だとか。
なので分かっている事は、彼女が闇ギルドに勤務する職員で、白魔法を使わない治療を趣味で身に付けた人物だということ。
その闇ギルドの実際の場所自体、謎だが。
翻ってかなり特殊なSランク冒険者である俺の事はバレバレの可能性が高いが、もう今更だ。
「はいはい、分かってますよ。でもまずは……」
数度頷き、生返事を返しながら俺は腰を上げ、
「坊やなら寝てるよ。心配しなくたって明日には起きるさ。ほら、勿体ぶらずにさっさと吐きな。こいつを書いた頭のトチ狂ったお人はどこにいるのかをね。」
彼女の後ろポケットに差し込まれていた本の表紙で顔を押され、再び腰を下ろさせられた。
何度も読み直された事でその縁や題名が擦り減ってしまっているその本は、人の体内の詳しい見取り図や各部位の説明、また様々な病や怪我の治療法など、白魔法なんて物がある世界における無用の長物を集めた物。
だがそれだけならば学問的好奇心を刺激するだけの物である。
しかしこの本は違う。その肝心な内容が全て何回もの人体実験によって裏付けされているのだ。そしてだからこそ、隣の彼女に本の著者を“トチ狂ったお人”と評させる。
「別に俺の知り合いがその著者だとは限らないぞ?白魔法を使わない治療法を道楽で研究していて、色々な人体実験をしてるってだけで……。」
……自分で言っててほぼ当たりだろうと分かる。ったくあいつも大概だな。
さて、その知り合いが誰なのかはもう分かっただろう。そう、他でもない我が心の友にして最大の理解者、ファフニールである。
そしてこの本の著者は十中八九あいつだ。ていうか、あんな事をする奴がそう何人もいて堪るか。
「奴隷だって安かないんだ、あんたの知り合いがこいつを書いた可能性は高いよ。それにそうでなくとも、同好の士とはお近付きになりたいからね。」
それでも引かず、目を爛々と輝かせる彼女に、直感が二人を近付けてはいけないと警鐘を鳴らし始めた。
「はぁ……ここだけの話だからな?」
が、俺はため息をついてそんな警鐘を無視。
二人の間には国境があるんだ、俺の心配なんて杞憂だろう。まさか趣味のために命を掛けはしまい。
小さく手招きすると、彼女は嬉々として黒いサソリを近付けてきた。
「天龍ファフニール……の、巫女様だ。」
一応、ファフニール自身がドランの人々にも自らの正体を隠しているようなので、彼女の耳元に囁いたのは、真実から少しばかり逸らした答え。
あと、ただ単純に古龍の名前を出すと信憑性が著しく落ちるから、という理由もある。
「……え?巫女?」
「おう。ま、信じてくれなくたって良いぞ。突拍子も無い事は重々承知だ。」
肩を竦め、耳無し芳一のように何も描かれていない、肌色の耳から口を離すと、彼女は太ももに両肘を付き、目を閉じて何やら熟考し始めた。
「…………つまり、その人はラダンにいるんだね?」
「え?ああ、そうだ。もちろん、俺の言葉を確認できないように他国の人を出した訳じゃないからな?」
「そう……やっぱりか……残念。……じゃ、これで治療代はチャラだ。」
「チャラも何も、趣味の範疇だからお代は無しって話だっただろうが……。って、信じてくれるのか?」
ったく、彼女が「白魔法無しの治療が趣味だから金は取らない。」と言ったとき、黙ってりゃ良いのに、どうして俺は「俺の友達にも同じ趣味の奴がいる。」なんて余計な事を口走ってしまったのだろうか。
「その様子だと、あんたはこの本、読んだ事が無いね?」
自分の迂闊さが嫌になっていると、そう聞かれ、俺は彼女の意図を掴めないまま頷く。
「なら、尚更信じられるよ……ほら、これを見な。」
手元の本をペラペラめくり、彼女は目的のページを開いて俺に突き出した。
黄ばんだ紙に描かれているのは……全身の人体図?
筋肉や骨は断面図まで事細かに描かれている割りに、臓器の方は適当だな。それぞれの大まかな位置ぐらいしか分からない。加えて顔に至っては口や鼻以外はノータッチだ。
つまりファフニールの奴、まだ人間の脳味噌や臓器の詳細までは研究しきれていないのか。
ま、時間の問題だろうけどな。誰かあいつに早く倫理観を教えてやってくれ……。
「分かった?」
「何が?」
「この体、どうみても獣人の物だろう?」
言われ、もう一度人体図に目を向ける。
……なるほど、尾骨が長い。あと、耳が頭の上にある。
「あー、だから信じてくれたのか。」
「そういう事。スレインの貴族が獣人奴隷を掻っ捌いてるなんて話は探しても無かったからね。ラダンにいると言われた方がまだ信じられるよ。」
「そーかい、ま、納得してくれたのなら良かったよ。……それで、ケイは最短でいつ復帰できそうなんだ?」
区切り、話を戻すと、彼女のカラフルな爪をした指が本をパタンと閉じて尻ポケットに差し直す。
「はぁ……聖剣の怪我は特殊な事は知ってるね?」
「ああ、白魔法、魔術、ポーションも効かないんだろ?」
ケイの受け売り。
「いいや、効くには効くよ。」
「え?……あ、あーそうか、出血は止められるんだっけ?」
「そ。もう少し詳しく言うと……」
前を向いたまま首肯して、彼女は上半身を上げ、両手を頭の後ろで組んで続ける。
「……聖武具に斬られた切断面はね、白魔法や魔術で生え変わらないどころか、斬られた腕を一緒に並べて最高級のポーションを使っても元には戻らない。もしそうすると、切断面だけを上から皮膚が覆ってしまって、そこから先が元から無かったみたいに治ってしまう。びっくりだろう?アタシも初めて見たときはたまげたよ。……斬られた本人はもう泣いてたね。」
共感を求めて目を向けられるものの、俺としては当然ながら、聖剣による効果の方が常識の範疇である。
どうして手足が生え変わるのが当然なんだよ。トカゲの尻尾じゃないんだから。
「……厄介な武器だな。」
内心は押し殺し、取り敢えずそう答えておく。
「そう。だから直すには人の体の自然治癒力に頼るしかない。」
「へぇ?そりゃまたどうして?」
「これはアタシの持論だけど……」
それで良い?と縁取られた目で問われ、どうぞ。と軽く頷いて促す。
「……聖武具はね、たぶん常に微弱な白魔法を放っている状態なのさ。」
「ふーん?」
まだ結論と結び付かない。
「分からない?簡単に言うと……そう、手足の欠損なんて大怪我に、ヒール程度の弱い魔法を使ってしまうのと同じ事だね。」
「……ソウカー、ソンナンダローナー。」
簡単に言ってくれたらしいが、まだ分からん。
『手足が斬られた跡にヒールなどの弱い回復魔法を使うと、生やし直すところか、止血するのみに留まってしまうのじゃよ。そうして切り口が塞がったが最後、斬れた手足は二度と戻らん。』
手足が斬れたら戻らないのは当たり前だろうが。……いや、俺にとっての当たり前が驚きなのか……。
「……呆れてる?はは、武器が魔法を使うなんて突拍子も無い事は重々承知だよ。でもね、そうとしか考えられない。そしてそう考えれば色々と辻褄が合うの。勇者が魔法を斬ったなんて話にも説明がつく。」
二股サソリの彼女は俺の微妙な顔に気付いてくれたようだが……違う、そうじゃない。
武器が魔法を使えようが何しようが、そんなこと、こちとらファンタジーの一言で片付けてやれる。
「で、それがケイの復帰とどう関係するんだ?」
何にせよ随分と話が逸れた気がする。
そんな俺の問いに彼女は片眉を上げ、口元に浮かんだ微笑でサソリが蠢いた。
「焦ったって何も出ないよ?……アタシがやったのは骨接ぎに、傷口の消毒とその縫合だけ。つまりは本人の体が穴をそのままにしてしまうのを、無理矢理止めたってところだね。……もし肩から先を完全に切断されてたら、アタシの技術じゃ治せなかったよ。」
「ま、治るなら良いさ。で、いつ治るんだ?」
肩を竦めて言い、そして同じ質問を聞き直すと、彼女はふと俺の方へ目を向け、
「……あの坊やは運が良いね、色々と。」
そう、端的に言ってカカと笑い、それを問いただす間も与えてくれずに話を再び続けた。
「自然治癒はね、白魔法と違って驚くほど遅いよ。聖武具で傷付けられたのなら輪を掛けて。あの程度、普通は白魔法で数分もしないで治せるところだけど、今回は完治に3ヶ月は掛かるよ。」
……よし、白魔法が如何に異常なのかはよぉく分かりましたよっと。
にしても、
「3ヶ月、か……。」
「安心してください隊長さん。心配せずとも明日から行動を始めますよ。」
翌日、簡素なベッドに寝たケイの隣に座り、彼の肩が完治するまでに掛かる時間を伝えた途端、そう即答された。
「そうは言うけどな……。」
「完治を待つなんて甘ったれた事はやってられません。一度痛い目にありましたから、これ以降の敵の警戒はより厳重に、当然ながらなります。しかしだからこそすぐに仕掛けるべきです。なるべく早く、向こうが警備体制をまだ変えたばかりで十全に機能させられない内に、痛ッ!」
俺の言葉を上塗りするように捲し立て、ついに猛って上半身を上げたところで、肩の粗めな縫い跡に痛みが走ったのだろう、ケイの相変わらず女性寄りの顔が歪む。
少し慌て気味にその背中を左手で支え、そっと寝かせながらため息。
「はぁ……まぁ落ち着け。ったく、そんな状態で二回目をやったって失敗するのが関の山だろ?」
「なら隊長さんは3ヶ月も待ってくれますか?」
聞かれ、俺は返答に窮してしまう。
3ヶ月先だとファーレンに再就職できなくなる。そうなるとニーナやラヴァルとの連絡を取るのが困難になるし、何より、これまでした約束をほぼ違えてきたネルに殺される。アリシアにも愛想を尽かされるかもしれん。
どう誤魔化すか……
「……いや、まぁほらこいつが手に入ったし、目的は達成したんだから……な?」
ベルトの右腰に取り付けた金色の輪っかを軽く叩き、それにキーホルダーのように繋がった3本の金属矢をジャラリと鳴らしてみせる。
「あはは、そんなに気を遣わないでくださいよ。それが隊長さんの狙いとは違うから、二回目を検討したんじゃないですか。……お願いします、やらせてください。」
しかし、ケイは納得せず、真剣さを込めた言葉と共に俺の左手を強く握ってきた。
どうしてもやりたいらしい。
「なぁ、どうしてそこまで拘るんだ?聖矢を盗め出せたんだ、それで成功って事にして輝かしい経歴にしても良いんだぞ?」
こいつの目的は十分に達成されたと見て良い。もしかした何か他に理由があるのかね?
そう思って聞いたのだが、ケイは何故か急に目を泳がせ始め、かと思うと空いた方の手で毛布を引き上げ、口元を隠し、
「……だって……嬉しかったん……です……。」
そしてそう、恥ずかしそうに小さく呟いた。
「は?」
「う、嬉しかったんですよ!失敗した直後に二回目をどうするかなんて相談されて。……成功したあと、口封じに僕を殺そうとしてくる依頼主だっているのに。」
あまりに意外な返答に呆気に取られてしまった俺に、ケイは毛布を外してカバッと起き上がり、紅潮させた顔でさらに言い連ね、そして言い切ると力尽きたようにベッドに倒れ込んだ。
「……僕?」
「っ!う、煩いですね……とにかく、“私”は、だからこうして気の進まない怪しげな治療まで試したんです。」
一人称を元に戻し、素が出たのが恥ずかしかったか、ケイはそれを指摘した俺を睨んできた。ついでに俺の手を握る力も強まったが、彼自身にあまり力はないので、大して痛くない。
「今、怪しい治療って聞こえたよ?」
と、俺の後ろに座り、ファフニールが書いたと思われるあの本を読んでいたケイの主治医が口を挟んでくるが、若干興奮気味のケイにはそれを気にする素振りはない。
「3ヶ月なんて、どうせ施術を施したこの傷の経過を詳しく調べるために決まってます。この程度、一日二日で治りますよ。」
いや、それは流石に違うと思うぞ?
たぶん白魔法を使った場合の常識がそういう認識をさせてるんだろうけどなぁ。
「……治らなくても、やります。」
俺の微妙な顔に気付いたのだろう、ケイはすぐにそう言い直した。
その意志の強さに困り果て、背後の主治医を振り返ってドクターストップをしてやってくれないかと目で懇願。
「アタシを見られてもね……知らないよそんなの。本人の責任だ。……怪しいと思おうと思わなかろうとね。」
いやはやごもっとも。




