予想外
外に出ると、ルナの先生との手合わせ、というよりリベンジマッチは佳境に入っていた。
守りと攻めが幾度も変わり、攻め同士がぶつかって守りと転じるのもしばしば。
「フッ!」
「軽い!」
ルナの拳を二の腕で跳ね上げ、先生の右拳が――地にめり込む程の踏み込みを経て――ルナの胸につき刺さる。
「ッ、ハァァッ!」
いや、ギリギリでルナが身を捻り、攻撃をいなした。
目の前の腕のすぐ上を這うように、ルナの裏拳が先生の顔へと伸び、その額に命中、というよりは先生の頭突きで弾かれる。
互いへ伸ばした腕をサッと引き戻し、同時に後ろへ一歩退く。
「ふぅ……、最後に会った時とは、見違えたね。」
「はぁはぁ……当然、です。」
ルナはバハムートに散々しごかれてたからなぁ……。俺が先生との苦戦をバハムートに告げ口したせいで。
言葉を交わしつつも、互いの目から戦意は消えていない。
仕掛けたのはルナ。
身を屈め、相変わらず着物とは思えない速度で接近し、先生の腹部へ拳を振るう。
「ゴッ、オォォッ!」
それをそのまま真正面から腹で受け、ルナの肩を左手で掴むなり、先生は前に無理矢理進む事で彼女の体を押し返す。
結果、屈めていた上半身が開かされ、ルナはすぐさま退却のために地を蹴飛ばす。しかし上手く距離が開けられない。
先生に肩を掴まれたままだからだ。
「くっ、この!」
「ゼァッ!」
何とか肩の手を振りほどくも、逆の肩に先生の突きが炸裂。突き飛ばされ、ルナの体が一気に半回転。
錐揉みして地に落ちるかとと思いきや、ルナはしっかり姿勢を制御し、腹から真っ直ぐ地に倒れる。
すかさず先生が赤い拳を振りかぶった。
対してルナは土に両手を付いたと同時に、肘を曲げ膝を曲げ、全てを一気に伸ばす。
先生のとどめの一撃は跳ね上がった踵に蹴り上げられ、ルナは両手で飛んで宙返りという、冗談のような身のこなしで両足で着地。すぐさま相手へ肉薄した。
「そんな動きもできるのか、君は。……つくづく獣人が羨ましいね。」
半ば呆れたような笑顔を浮かべる先生。
片腕を蹴り上げられて空いてしまった右半身の脇腹に、腕を引き戻す僅かの間に、ルナの重い連打が叩き込まれる。
「ぐ、ぅぅっ……」
呻くも、先生は右脇を締めて体のガードを固め直す。
「ハッ!」
しかしその直後、ルナは攻撃の狙いを下腹部から一気に上へ上げ、その渾身の殴打は相手の顎にクリーンヒット。
低く攻撃して敵のガードを下げさせ、空いた頭部を狙い打つ。至って基本、だから決まると強い。
「がッ!?」
先生の顔は今日の晴れた空を仰ぎ見、その足はおぼつかない足踏みをしてみせた後、その腰がストンと茶色の地面に落ちた。
「……はは、参ったね。君に一年もせずに負かされるとは。」
「はぁ、はぁ……はぁぁ……。」
先生が苦笑すると、ルナはその場に、糸が切れたように崩れ落ちた。
「これで……ふぅ、バハムート様に、怒られなくて……済みます。」
そして心底安堵した表情でそう言った。
勝敗を決したのは、 両者のこの勝負への意気込みの差こそが原因だと言っても、そう的外れではない気がする。
「お疲れさん、良かったなルナ。」
ルナの側に立ち、手を差し出す。
「……。」
フッとルナの顔から笑顔が消えた。
……やっぱり駄目か。どさくさに紛れてルナの怒りをなぁなぁで済ませよう作戦、失敗。
「はぁ……。先生、大丈夫ですか?良かったですね、クロウ君が見てなくて。」
嘆息し、俺は代わりに先生の元へ行って、先生が立ち上がるのを軽口と共に手伝う。
「…!コテツ君、彼女はその、一般的に見て強いのかな?」
と、荒い呼吸のまま、ポツリとそんな事を先生は呟いた。
「どうしたんですか、いきなり。もしかして自信を無くしましたか?」
「はは、一年足らずで僕といい勝負するようになられるとね、どうも。獣人相手だとは分かっていても悔しいね。……まぁ半年足らずで僕を抜き去った君もいるから、僕は本当に大した事……」
すみませんでしたァッ!俺はただズルしてるだけですからッ!
叫びたいのをぐっと堪える。
「ま、まぁ、ルナはこれまで激しい鍛……戦闘を戦い抜いてきましたから。否応無く強くなりますよ。」
バハムートと鍛錬してただなんて言えない。ラダン行きがバレる。
「……鈍ったのか、僕が。」
こりゃ相当応えてるな。
「先生は今はもうこれからは武の腕を磨くより、クロウをしっかり育てないといけないですから!ね!?」
「抱く度に泣かれるけどね……。」
「それを言うなら、俺なんてさっき、クロウ君と目を合わせただけで大泣きされましたよ……。」
「ぷっ。」
……よーし慰めるのはやめだ。
それまでは先生を慮って小さくしていた歩幅を元に戻し、半ば引き摺るようにして連行、若干苦い顔をしてる師匠の足元にポイと捨てた。
「……アル、アンタよく頑張ったよ。」
妻から夫への哀れみの視線。
「コテツ君、この仕打ちはあまりに残酷だ……。」
夫の方は目を合わせないよう、首だけ捻り俺に向けて愚痴った。
「で、次はユイと師匠ですか?」
自分が作った状況なのに何となく他人事のようには思えず、俺は仕方がないので助け舟を出す。
「そうだね、リズもここの所ニーナさんに付き合わされてイライラしてたし、良い機会だよ。」
「え?私そう思われてたの!?リジイ、本当?ね?ね?」
「そうだねぇ、「えぇ!?」ユイか……よし、アタシが経験の差って奴をアルの代わりに見せてやろうじゃないか!」
背後から絡んでくるエルフをガン無視し、師匠はニヤリと笑う。その視線を辿れば、少し離れた所でユイの肩がビクッと跳ねたのが見えた。
「呼んできましょうか?」
「いいや、ここはアタシから行くのが筋だろう?コテツはアルと一緒に見学してな。あー、あとニーナ、さっきから煩いよ。」
「……扱いが酷い。」
「居候。」
「不肖ニーナめはご指示通りここで大人しくしておきます。」
「よろしい。」
ニーナの畏まった態度を見て頷き、師匠はユイの所へ歩いていく。
「……なぁ、もうファーレンに帰らないか?」
正座したままの駄目エルフに声をかける。
「7月には帰るよ。」
まさか話が今から1ヶ月以上先に飛ぶとは。予想外。
「……どうして7月なんだ?」
こうなるとむしろそれが気になった。
するとニーナは正していた姿勢を少し崩し、鼻下を人差し指で擦り、少し照れるようにして口を開けた。
「卒業式、終業式、退任式とか諸々の式で、壇上に立って話さないといけないからね。」
「もうお前一生ここで世話してもらえ。クロウ君の良い遊び相手になるだろ。……いや、あの子に悪影響があるか……。」
そしてたぶんファーレンの教師から出る貧血者数が減る。
「酷くない?ねぇ酷すぎない?」
「そう思いますよね?先生。」
「え?あ、うん、そうだね。」
長考するどころかほぼ即答で答えが返ってくる。
「アレックスさんまで!?……そん、な。」
驚愕したニーナはそのまま魂が抜けたように呆け、俺と先生はやっと訪れた静けさに心の中で歓喜した。
絶えず鳴る、低い風切り音と少し高めの金属音。
「ほらほらほらほら!まだまだ行くよ!」
荒々しい声とは裏腹に、師匠の剣は曲線的で靭やか。対するユイの太刀筋は真っ直ぐ、力強い。
「フッ!」
千変万化の斬撃を捌き、弾き、掻い潜り、鋭い突きが一直線に放たれる。
しかしユイのそれは師匠に片手で上方向にずらされ、逆に彼女の腹部へと下から中華刀の攻撃が襲う。
「ッ!」
その腕を咄嗟に左膝で右に蹴り、ユイは倒れるように左へ跳んで転がって距離を稼ぐ。素早く立ち上がって下段の構えを取った。
直後に襲ってくる、師匠の追撃。右上からの袈裟斬り。
「ハァァ!」
対してユイの放った切り上げはそれに真っ向からぶつかり、外へ弾く。続く彼女の滑るような踏み込みと共に木刀でキレのある切り返しが行われ、今しがた彼女がこじ開けた師匠の右半身へと斬撃が放たれる。
普通ならこれで終わりだろう。
しかし、当たる直前、師匠は姿勢を下げてさらに踏み出し、ユイの肘を押し上げながらの体当たり。
「くッ!?」
が、そんな予想外の反撃にも、ユイは耐えた。
片足を一歩後ろに下げる事で転倒を回避した彼女は、再度の切り返し、下から上へのツバメ返しで師匠の胴を狙う。
「くっ。」
師匠は咄嗟に木剣で防いだものの、ユイの木刀の力はそのまま木剣ごと、師匠に打ち込まれる。
力で押し込まれて顔をしかめ、師匠は蹴りで今度こそユイを突き飛ばし、距離を離した。
「やるじゃないか。」
両手の木製の剣を下ろした師匠は浮かべていた笑みを深くし、相手を油断なく、しかし楽しそうに眺める。
「技量が上がったというよりは、戦い慣れしてきたって所だね。コテツと散々打ち合ったのかい?」
聞かれたユイは何故か俺の方を睨み、視線を前に戻して首を振る。
「……いいえ、あの人はいくら頼んでも取り合ってくれませんでした。」
それを聞くなり師匠の目が少し見開かれる。
「そうかい?アタシの剣を初めて受ける奴はもっとやりにくそうにするんだけどね?いや、アタシまで腕が落ちたのなら、これじゃあアルの事を馬鹿にできないねぇ……。」
そして最後に急な落胆を見せてため息をついた。
この手合わせへの意気込みが先生を馬鹿にしたいだけとは……やっぱりストレスを相当溜め込んでいたのかもしれない。
「それはきっと私があの人に目に物見せるためにあの人の剣をしっかりと見ていたからです。」
返すユイは再び俺を目で射竦める。
たまには誘いに乗っておくべきだったなぁ。そうすればあんなおっかない目を向けられずに済んだのに。もうユイには見られるだけで寿命が一年単位でごっそり減っていくような気分だ。
「コテツに目に物見せたい、か。なるほどね……クク、クックック、よぉし良い機会だ!ユイ、武器を下ろしな。」
と、師匠は突然不気味に笑い始めたかと思うと、高らかに、ハキハキした声でそう言った。
「え?は、はい。」
訳も分からず、混乱したまま、ユイは素直に木刀の切っ先を地に下げる。
それを見てよしよし、と満足気に頷き、師匠はこっちに目を向けた。
「これからアタシは久々にコテツとやる。だからユイ、アンタはそれをしっかり見てな。」
!?
「待ってください!どうして俺がそんな事をする羽目に!?」
思わず叫んだ。
「師匠命令だからだ。あとコテツ、少し静かにしてな。あ、これも師匠命令な。」
横暴だ!
「ユイ、十中八九アタシが負ける。アタシとアルの一番弟子は強いからね。ただコテツからは引き出せるだけ引き出す。そして疲れさせる。その後はアタシの仇をとる意味でも、アンタがコテツに敗北の味を舐めさせろ!あいつの勝ち逃げは今日で終わりだ!」
「はい!」
良い返事だなぁおい!
酷いや。ていうか師匠め、根に持ち過ぎだろ。
『お主は人の事を言えるのか?いい加減わしを許してもいい頃合いじゃろ。』
あのな、殺されたら根に持つ持たないの前に、絶対に忘れたりしないんじゃないか!?それも現代社会で、剣で殺されたらなぁ!刺激的にも程があるわ!
「アル!もう立てるだろう?例の魔法陣を描くよ。全力のコテツが負けないと意味がない。」
「そうだね、コテツ君はたまには土を味わって欲しい。」
先生は頷き、ヒョイと立ち上がるなり家に戻っていった。たぶん魔法陣を描く道具か何かを取りに行ったんだろう。
……俺の目の前でそんな私情まみれの言葉を言わないでくれないだろうか。
「ニーナ!アンタは魔法陣が得意なんだろう?働け!」
「……すぅーすぅー……アイデッ!?」
ニーナの頭へ木剣が円弧を描いてクリーンヒット。
素晴らしい威力と精度だ。惚れ惚れする程に。
「狸寝入りするんじゃないよ、ったく、アンタは寝てるとき、大いびきをかくんだからバレバレだよ。」
「リジイ酷い!私はいびきなんかかかないよ!」
「はいはい。文句言ってないでさっさと働きな、それとももう一本頭に当てて欲しいのかい?」
「あ……う……いびきなんて、かかないのに……。」
トボトボと先生の後をついていくニーナ。
「さて、アタシもあの娘達を久し振りに引っ張り出すかね。コテツ、今のうちに身体を解しておきな。負けた後の言い訳なんてするんじゃないよ。」
意気揚々と、師匠も家の中に入っていった。
「楽しみね。」
と、嬉しそうに、笑顔で言って、ユイが俺の隣に腰を下ろす。
「はぁ……そんなに嬉しいか。物騒な奴め。」
「物騒?心外ね、あなたには言われたくないわ。」
「俺程温厚な男はそうそういないぞ?」
事実であ『る筈がなかろう。わしの方がマシじゃ。』……後半には反論したい。
「ミョルニルが盗まれようとしたとき、あなたは……十何人ものドワーフを、その、笑いながら殺してたじゃない。」
と、言いにくそうに、つっかえながらユイが言葉を紡ぐ。
しかしその時の事を思い返してみるも、俺にそんな覚えはない。まぁ譲歩して多少の高揚感はあったかもしれないが……
「……流石に“笑いながら”は言い過ぎじゃないか?」
「いいえ、笑ってたわ。……こんな感じで、ね。」
ユイはその細く繊細な指を彼女の端正な顔にあてがい、見るも無残で醜悪な造形へと変貌させた。
美人の要素をここまで台無しにできるとは思わなかった。
「ユイ、人間にはそんな顔できないからな?」
ていうか親に謝れ。




