交渉
『う……』
「ッ!」
「!?」
微かな殺気。反射的に隣を歩くセシルを左手で抱き寄せ、俺は作り上げた黒龍の切っ先を背後に向ける。
「……出てこい、奇襲なら失敗だ。」
ここは闇ギルドへと続く路地裏。
日のほとんど当たらないせいで視界は暗く、感じられる気配も微弱なために、具体的に何処に敵が潜んでいるのかは定かではない。
ただ、誰かが潜んでいる事だけは確かだ。
で、爺さん、なにか言いかけなかったか?
『後ろからかなりの速度で何者かが接近しておる事を伝えたかっただけじゃよ、先に気付いたようじゃがの。』
なぁるほど、ちなみにそいつが今どこに隠れているかは?
『十時の方向じゃが、お主からは死角になっておる。探すだけ無駄じゃよ。』
死角?この路地裏そんなのを生み出すような遮蔽物なんて見当たらないぞ?
まぁ一応、十時の方向を睨むだけ睨んでおくか。
「そこにいるのは分かってる。出て来い。」
「……やはり気付きますか、切り込み隊長さん。」
くぐもった声を俺に掛け、そいつは目の先の建物の壁から生え出るように現れた。驚いたものの、目を凝らせばその建物に俺が気付きもしなかった小さな凹凸があるのが見える。
背は低め。しかし顔の上半分は被った赤黒いフードの影の中、下半分は茶色のスカーフで覆われていて、辛うじて目が見えるぐらい。くぐもった声もそれ故だろう。また、それらのせいで相手の顔立ちも判別しづらく、加えてその体もマントで隠されてしまっている。
そこまで観察し、ようやっとそれら全てが自身の特徴を消す為のものだと気付いた。低い背丈も、年齢によっては平均的なのかもしれない。
「あれから全く衰えていない。むしろ鋭くなっていませんか?あはは、流石ですね。」
マントの下からおもむろに両手を出し、パチパチと軽い拍手。
“あれから”?いや、そんな事よりも、こいつには俺を襲う気は無い。つまり……
「お前が俺の依頼を?」
「ええ、まさか貴方からの依頼を請け負う事になるとは、世の中は狭いですね?あ、武器は下ろして構いませんよ、貴方を殺す依頼は未達成に終わり、依頼金は依頼主に全額返上、私の信用は地に落ち、全ての名残は私の経歴の唯一最大の汚点として残るのみですから。」
どうしてそれで俺が剣を下ろすと思えるのか、不思議でならない。
……って思い出したぞ。こいつ、麻痺毒で俺を瀕死に追い込んだあの暗殺者か!
「お前、ヴリトラ教徒の!?」
「それは誤解です。見当外れも良いところです。」
「?」
「私は彼らの依頼を引き受けただけですよ。先程言った通りあの依頼は破棄され、ここにいる私は貴方と敵対関係にはありません。今の私は雇用主の顔を確認しに来たしがない盗賊です。」
「……ここで交渉するのか?」
少しの動揺はおくびにも出さない……ように心掛けたつもりだ。
「いえいえ、もちろんギルドを通しさせてもらいます。昔と違い、今の私はギルドに勝手を許しては貰えませんから。」
「……前を歩け。」
睨んだまま言うと、そいつは軽く肩をすくめ、両脇の建物を伝って三角跳び。
「ではお先に。」
ストッと俺を挟んだ反対側に静かに着地すると、そう言ってさっさと進んでいった。
「始まる前からここまで不安にさせられるとは……はぁ、大丈夫かね?」
背中を刺されないと良いんだけどな。
息をつき、剣を下ろす。ただし消しはしない。
「……いい加減暑い。」
「ん?ああ、すまん。」
真下からの声に従い左腕を開くと、セシルは伸びを一つして体の自由を謳歌。
そこまで窮屈だったのだろうか。
そんな事を思っていると、彼女は一頻り体を解した後、こちらを一瞥すらせず、闇ギルドへと暗闇の中をてくてく歩き始めた。
大胆というか何というか、未だ警戒して気を張り詰めている自分にアホらしささえ覚える。
「さっさと来る。」
苛立たしげな声に反応し、慌てて彼女を追った。
前回訪れた時と変わらず、灯りの極端に乏しい酒場。
「さて、もう面合わせは済ませたようだが、お前の依頼を請けるのはこいつだ。」
案内されたのは、この店に幾つも置かれている、俺の胸の下ぐらいまでの高さの丸テーブルの一つ。
「改めてよろしくお願いします。私の事は、そうですね、ケイ、と呼んでください。」
そう言って、ついさっき再会したそいつがテーブルの向かい側から握手しようと手が差し出してくる。テーブル丈が高いのか、若干背伸び気味だ。
しかしそれを視界に入れながらも敢えて無視し、俺は隣のスキンヘッドと話を続ける。
「まだ交渉すらしてないぞ?決定で良いのか?」
「お前の依頼を遂行する能力と理由のある奴はこいつの他には心当たりがない。」
つまり相手の言い値になる可能性もあるのか。こっちが提示する条件もあるし……不味いな。
ただまぁ今はそれよりも……
「理由?」
「そりゃ「私から話します。」そうか、んじゃ、決まったら声を掛けてくれ。」
ひらひらと手を振ってスキンヘッドはカウンターの方へと戻っていき、そこで暇そうにしているセシルに水のおかわりを要求された。
理由を言う前に、と前置きしてケイが話し出し、俺は集中をそちらに向け直す。
「貴方は知っていますよね、私が暗殺業を営んでいた事、そして貴方の暗殺に二度挑戦して失敗した事を。」
「……身を持って、な。」
「基本的に、私達は請けた依頼を成功させるか、捕まり騎士団にマークされて仕事を行えなくなるか、死ぬかしか選択肢はありません。しかし私は重傷を負ったものの、この通り一命は取り留めました。騎士団に目を付けられている訳でもない。そのおかげで依頼を放棄したと見なされ、もう一度、一から信頼を積みかさなければならないという訳です。ですから貴方のこの依頼を達成すれば……」
「……ま、能力は認められるわな。」
なにせ聖武具を盗み出すんだから。
「理由は分かった。最後に一つ、どうしてお前が裏切らないと言い切れる?」
ただ、どう説明されてもこいつに俺が恨まれていないとは思えない。
「言ったはずです、貴方の暗殺依頼は失敗として決着が着いていると。」
「お前の経歴を汚した俺へ復讐しようとは思わないのか?」
「分かりました……ではこうしましょう。」
そう聞くと、ケイは突然フードを外し、スカーフを指で下にずり下ろし、そう言った。
ぼんやりした灯りに照らし出されたのは、ショートカットの色素が薄い髪に緑の瞳、加えて微かに赤みのある、まだ幼さを残した柔らかな顔。背が低めなのは年相応って理由が正解らしい。
その声からもあどけなさが感じられるし、見た目は完全にいたいけな少女。これで暗殺者なんだから人は本当に見かけによらないものだと思わせられる。
「これで良いですか?」
「何が?」
「分からない人ですね、素顔を晒す事は私達にとって致命的です。貴方が私の人相を騎士団に報告すれば私は一生の逃亡生活を送るハメになりますから。この仕事からも足を洗わざるを得ない。」
「だからどうした?」
俺がそれを知ったところで口封じのために殺される可能性が大きくなっただけな気がする。
「はぁ……信用して貰うために私の差し出せる物はこれくらいです。それに、元より貴方を殺せるとは思っていません。これで納得できないのならばこの話は無かった事にしてください。これ以上こちらの提示できる物はありません。」
「で、断った場合、お前の素顔を知った俺は命を狙われるのか?」
「あはは、そんな訳がないでしょう、この情報は信用を得るために差し出した物です。私は貴方を脅迫するつもりも度胸も持ち合わせてはいませんよ。」
ケイは自らの頬を指で叩き、笑った。
つまりこいつはもう最初から最大限の譲歩をして見せたって事か。となると俺も譲るべきなんだろうなぁ。
「そう、か。……まぁ、初めから疑ってちゃあ始まる物も始まらないよな。」
半ば自分に言い聞かせるようにして言う。
「では?」
「ああ、よろしく頼む。」
衣服越しでも分かる細い華奢な腕をケイはもう一度こちらへ伸ばし、その手を俺は今度こそ握る。
「ふぅ、ていうかお前、女だったんだな?」
そして、気になってた事を口にした。
「よく間違われますが、私は男ですよ。」
「嘘だろ!?」
たぶん、路地裏でこいつと再会したあの瞬間よりも驚いた。
「マジかよ……ごほん。で、えーとこの依頼には条件というか、追加の依頼があってな。」
驚愕を咳払いで何とか振り切り、本題に戻る。
「条件?ああ、そういえば何かあると伝えられてましたね。何ですか?」
「……俺も同伴する。」
「………………本気で言ってます?」
怪訝な目で見られたが、事実は事実だ、しょうがない。
「一応、隠密スキルは使えるぞ?足音も一応、ある程度は消せる。」
「このギルドの新人でもそれぐらいはできますよ……。というよりその条件を提示するのなら、それぐらいできてくれなくては困ります。」
「あ、はい。」
ちょっとばかり思い上がってました、ごめんなさい。
「良いですか、隠密スキルがあれば隠密行動ができるというのはただの勘違いでしかありません。スキルで己の気配を消すことができても、足音はもちろん、息遣い、風の通り、自身の影や鏡面に映る像、他にも数多の物を全て制御下に収め、初めて完璧に行えるのが隠密行動です。冒険者は魔物を襲撃する際、自分の臭いを運ぶ風にのみ注意を払えば後は一つ所に潜むだけで済むかもしれませんが、私達影で動く者の場合、そうはいきません。」
ケイの矜持か何かを刺激してしまったらしく、彼の弁はまさに立て板に水。
「……おっしゃる通りで。」
内容は考えてみれば、当然な事ばかり。……ネルの助言に従わず、王城に突撃していたらと思うと耳に痛い。
「分かってくれましたか……。それならば後は私に任せて、貴方は大人しくここで「いや、忠告はありがたく受け取るが、それとは話が別だ。」は?」
ケイが見せた安堵の表情にヒビが入る。
申し訳ない事この上ない。
「聖武具ってのはな、強力な反面、勇者以外の奴が触れると発狂してしまうんだよ。ただし俺は特別な方法で何とか耐えられる。だからお前は俺を連れて行く必要があるんだ。」
前も聖剣の狂気にあてられたものの、何とか正気は保てた。爺さんが言うには異世界人故に思考がずれているからだそう。それに最悪、ワイヤーを使えば問題ないだろう。
「……それが事実である証拠は?」
「無い。ただし事実だ。いくらでも疑って良いぞ、依頼主は俺である事に変わりはないしな。」
条件を引っ込めるつもりはないと伝えると、ケイは渋面でテーブルの中心を凝視し始める。
「そうですか……」
「降りるか?」
もしそうならどうしようか……ユイをダシに王城に入り込めるかね?公的にユイは勇者で無くなったから難しい物があるかもしれないが、忘れ物をしたとか何とか言って……
「分かりました。その条件、飲みましょう。」
と、今後に頭を悩ませていた俺にケイはしっかりと頷いてみせた。
「良いのか?」
「はい。」
ほっ。
「一応、貴方は必要最低限の技術は身につけていますから。」
「ま、まぁ。」
皮肉かよ。
「貴方の付けた期限は5月一杯でしたよね?具体的にいつまでに手に入れたいのか聞いても?」
「え、えーと、6月以内、だな。」
「……分かりました、十分でしょう。」
「何が?」
勝手に納得しないでくれ……。
すると満足気に頷いていたケイは顔を上げ、俺を少し驚いたように見つつ口を開く。
「情報収集などの前準備の期間が十分にあるという事ですよ。」
あ、そういう事。
「なるほど、そりゃ良かった。じゃあ後は任せていいのか?」
「ええ。貴方が6月までに王都に居さえしてくれれば何ら問題はありません。」
「了解。」
「さてと、では早速依頼金の話に移りましょうか。」
言い、居住まいを正したケイに対し、俺は申し訳なく思って頭を掻く。
「いや、ちょっと相場が分からなくてな。値段交渉はセシルとやってくれないか?」
言った途端、
「ブフォアッ!」
「ぐぉ、またか!もうそれわざとやってんだろテメェ!?」
カウンター席で、セシルがスキンヘッドに水を盛大に吹くという惨劇が再演された。
がなり立てるスキンヘッドに目もくれず、セシルはぎろりとこちらを睨む。
「……破産させてやる。」
「言っとくが余った金でネルのお土産を買うんだからな?」
「頑張る!」
相変わらずチョロいセシルは立ち上がり、俺の隣にやってきてフンスとやる気満々で交渉を始めた。
「そーですか。セシルからネルへの贈り物を買いに行っただけですか。」
「ああそうだ。お前もあいつのネル大好きっぷりは知ってるだろ?ほらあれ、見てみろ。」
部屋の隅に積まれた箱の山を指差す。
「あれ、全部セシルの買った物だ。」
そして――悲しいことに――当然ながら、荷物持ちは俺だ。
「……ご主人様、それがこんな真夜中に帰ってくる理由になっていると本当に思っているのですか?」
そう言って、ルナが指し示すのは見事なまでの星空。
昔の人々が星々を繋ぎ、星座を当て嵌め、物語を作って遊んでいた理由も何となくだが分かってしまう程。
ただまぁ今はそんな感慨に浸れるような状況ではない。
背を壁に付け手を天井へ向けて降参のポーズ。俺は鼻先5cmから向けられる烈火の如き怒りに冷や汗をかきつつ口を開いた。
「セシルが悪い。全部あいつが悪いんだ……。」
これは事実である。
俺とセシルがあの路地裏から一般社会に出たとき、お天道様はまだ、真っ赤になって頑張って、俺達を照らしてくれていたのだ。
それをあの野郎、あっちへフラフラこっちへフラフラ、優柔不断ここに極まれりといった様子で……それが全てネルに喜んで貰いたい一心だから始末が悪い。
そうして反論できずに引きずり回され、ヘロヘロになってやっと帰って来れたのがこの時間帯なのだ。
……そもそもこんな真夜中まで空いてるアホな店があるのが悪い。
「こんな時間まで空いてる……その、変な、お店なんて……よ、夜中の遅くに、男女が行く場所なん、て……」
「少ないけどあるんだなぁこれが。本当、信じられないだろ?」
店員さんは半ば寝っ被ってたけどな。たぶん万引きしたって気付かれなかっただろう。
「!!!!」
あ、まずい、ルナの顔が真っ赤だ。
「ッッッ、ふぅ……いいえ、きっと……考え過ぎ……いつもの空回り……。」
しかしルナはなんとか爆発を耐えてくれた……のか?
「ル、ルナ?」
「ご主人様!」
「はい!」
いきなり強まった語気に背筋が伸びる。
一体何を言われるのか、戦々恐々としながら待つ。
「……龍の塔で私に言われた事に偽りはありませんか?その、リヴァイアサン様を襲うくらいなら……私を、と。」
…………だぁーッ!何って事を言ったんだ俺はッ!いやまぁあのときの状況にもう一度陥ればまた同じ事を言うだろうなぁとは思うけどよぉ!?
何にせよ恥ずかしいったらありゃしない。ルナもどうしてそんな事を蒸し返すのか……。あれか?龍人と殴り合える俺を殴っても大して効果はないから、精神攻撃で悶絶死させようってか!?
「……ご主人様?」
頬を紅潮させつつ目を逸らし、片耳を伏せしかしもう片耳はしっかりと立てたまま、こちらをチラチラ見ながら答えを催促してくるルナ。
明らかに恥ずかしがってる。
案外自爆って奴だったのかもしれん。
「あ、当たり前、だろ?ルナは魅力的だしな。うん。」
「本当ですか?セシルよりも?」
「比べ物にならん。」
即答。
「それなら、証明してください……。ん。」
目を閉じ、背伸びして、ルナは唇を少し尖らせる。そんな彼女の要望通り、俺は上げていた手を彼女の体に回し、顔を近付ける。
触れ合い、少し離す。
いつもはこのぐらいで満足するか、尻尾の手入れに移るのだが、今夜のルナは違った。
「……もっと。」
余韻に浸る間もなく、ルナが僅かな距離を再び無くす。
舌を絡め合う。
顔をずらして彼女の首筋にキスして熱い汗を舐め取れば、ほぅ、とルナの吐息が耳元をくすぐり、俺の中の熱を掻き立てる。
と、ルナは俺の顔を両手で挟み、自らに向け、唇を重ねせてきた。
「う、ん。」
唇を合わせたまま、ルナが体をくねらせると、しゅるりとその肩から着物が外れ、赤みのさした柔肌が顕になり……
……しかし俺はそのまま着物が完全に落ちてしまうのを片手で食い止めた。
これ以上は、いけない。
「どうして?」
熱を帯びた吐息が、艷やかな肌が、半ばまではだけた双丘と少し眠たげな眼差しが、俺をさらに先へと誘惑する。
追い打ちに甘美なキス。
「んん、ご主人様?」
ルナの肩を掴んで身を離し、息を吐き出して頭を冷やす。
脳味噌を切り替える。
「ふぅぅぅ……ほら、隣の部屋にはユイがいるから、な?」
冷静になって頭を回し、何とか言い訳を捻り出した。
言われ、ルナは目を見開き、そして一転、泣きそうな顔を浮かべる。
「酷いです。うぅ、あんまりです。嘘だったんですか?」
「いや、嘘なんて……」
「それなら!」
無い距離が縮まり、目の前の甘い色香にクラッと流されてしまいそうな自分を押し留め、首を振る。
「すまん……。」
泣き落としにも、なんとか耐えた。




