意外な高評価
トントン。
トトトン。
トトットトットン。
「……どこで知った。」
またぞろ賭けでもして大敗したのか、不機嫌なオーラを辺りに垂れ流し、冒険者達を寄せ付けないという受付嬢にあるまじき行為を行っていたセシルは、発される闇の波動を掻き分け、何とか辿り着いた彼女の机で、五指でネルに習った通りのリズムと指の順番を守って叩いた俺を、眼光鋭く睨んできた。
「ネルからお前を頼るようにって言われてな。……にしても相変わらずだな、お前。」
ネルの名前を耳にしただけで険悪な機嫌を一瞬で直し、それに留まらず満開の花を思わせるような笑顔を見せるセシルに、思わず苦笑い。
「一応、ネルは授業中で、今は話せないからな?」
『お主が言うか。』
ファフニールの上での事か?俺はあれからちゃんと反省したのさ。
「チッ。」
目の前に座るギルドの顔は、舌打ちを隠そうともしない。
「まぁ良い、夜に来たときに話せるから。」
「え、夜?俺はまた出直さないといけないのか?」
「当然。」
いつも通り、ムスッとした返答。
しかし何が当然なのやら分からない様子の俺を見て、セシルは珍しい事に、その半眼を少し見開いた。
「何の合図なのか知らされてない?」
「ああ、もしかして何かの割引とかか?」
おどけて言うと、ギロリと睨まれる。
面白くなかったらしい。割引どころかスマイル0円の片鱗すらない。
「説明は後。夜、ギルドの前で待ってる。」
「はいよ、それまでに色々と説明をネルにして貰っておけば良いか?」
「必要ない。ネルに迷惑はかけない。私がその都度教える。」
「了解。」
「用が終わったらさっさと行く。後がつかえてる。」
セシルの言葉に振り向けば、俺の後ろにいつの間にやら長蛇の列ができていた。
おそらく俺と話している間、セシルからの暗いオーラの放出が止まっていたからだろう。あとはネルの名前に反応したときの笑顔に吊られたか、だ。
「人気だな?」
「仕事が増える。」
なんて奴だ。
「はぁ、また後でな。」
「あ。」
「あ?」
「Sランクの調査依頼。ヘール洞窟に古龍が現れたうわ……」
「断る。」
即断。
あそこら辺は魔物が多いから人はいないと思っていたんだけどな、やっぱり見てる奴は見てるらしい。
「ならAランク討伐依頼。ゴブリンが村を作り始めた情報がある。これを……「じゃあな!」」
遮り、俺は逃走した。
「あ!コテツさんだ!久し振り!」
ギルドから出て、通りを歩く人が皆、頭頂に手触りの良さそうな獣耳をつけていないという光景に新鮮さを感じていると、見知った顔に行き当たった。
個人的にはなるべく顔を合わせるのを避けたかった相手の一人、満腹亭の看板娘か若女将か、何と呼べば良いのかは知らんが、記憶にある通り元気一杯、それでいて少し背の伸びたというか、大人びた様子のローズである。
ギガンテ雪山でスティーブに関わるなと言われていたが、しかしまぁ会ったもんは仕方ないだろう。
「ああ、久し振り。しっかり奥さんしてるみたいだな?」
片手に買い物かごを下げているのを見て言うと、ローズはポッと頬を染める。
微笑ましい。
「コテツさんはいつ戻ってきたの?」
「今日帰ってきたばかりで、ちょっとギルドに寄ってきたところだ。」
「そうなの!良かったぁ、てっきり別の宿屋に浮気したんじゃないかって。ただでさえ少ない常連さんがいなくなると厳しいもん。」
浮気て……それに寂しいじゃなくて厳しい、なのか。本当に満腹亭は大丈夫なんだろうか。
だがまぁ実際、キガンテ雪山でスティーブに関わるなと言われていたので別の宿屋にしようと思ってはいた訳だから、簡単に笑い飛ばせない。
「飯は美味いんだから、繁盛すると思うんだけどな。俺一人ぐらいで大袈裟すぎないか?」
ぼかしたものの、満腹亭に行かないとはっきり言う事はできず、ローズの荷物を代わりに持ってやって、俺はそのまま彼女と満腹亭へ向かってしまう。
「ううん、今は命知らずのSランク冒者、“切り込み隊長”さんが贔屓にしてくれて、柱に名前まで彫ってある事も売りにしてるの。本人が来なくなっちゃったらうちはあっさり潰れちゃうよ。」
「切り込み隊長、ねぇ。」
そういえばそんな嬉しくない二つ名もあったな。
「そんな物で人が来るのか?」
「え?うん、来るよ。Sランクの人が名前を彫った宿屋なんて滅多にないんだから。」
「ほへー。」
そこら辺の木片に名前を書いて売り捌いたら幾らか金になるんだろうか。
『価値が下がるだけじゃろ。』
そうだな。それこそ満腹亭を潰してしまう。
「それに、コテツさんは20000ゴールドなんて大金をたった一夜で手に入れた、冒険者の夢をそのまま体現した人だからね。あと、GランクからBランクまで一週間足らずで駆け上がって、一年間ファーレンで教師を勤めた後、復帰して二ヶ月足らずであっさりSランクになったスピード出世振りに、新人冒険者達があやかろうとして来てくれるようになったの。」
そんな詳しい情報まで出回ってるのか……。
いやはや別に隠してた訳じゃないにしても、他人にここまで把握されているとは驚きだな。
「あやかりに、ねぇ。Sランクだから立派だって訳じゃないんだけどなぁ。」
照れくさいな。
首筋を掻き、苦笑い。
と、前方に俺の言葉のとてつもなく良い好例、たらしエルフの姿が見えた。ただいま片膝を付いて一人の冒険者風の革鎧を来た女性の手を脆い硝子細工のようにそっと包み、全力の求愛行動中である。
「……本当さ、この一年、君を忘れた事なんて一度足りともない。君の事を考えなかった事さえ一瞬だってない。こんなに長い間放ったらかしにしてしまったけど、それでも、僕の心はずっと君の側にあったんだ。」
言われた女性は空いた手で口を覆い、感激のあまりか、ただただ恥ずかしくてか、真っ赤になって震えている。何せこれを道の往来のど真ん中でやるんだからな。
やってるフェリルはもう賞賛に値すると思う。
「ほら、あれもSランクだぞ。」
Sランクだってピンからキリまでいるのだと隣のローズに伝えるも、
「あの人が来てくれたら女性のお客さんが増えるかも!」
彼女はそう言って目を輝かせていた。
フェリルに満腹亭に来て欲しい理由はそうなるのか……。あいつ泣くぞ?
さて、
「おいフェリル!シーラはどうした!」
声をかけない訳にはいくまい。
「リ、リリ、リーダー!?」
激しく動揺するたらしエルフ。焦ったような顔で辺りを見渡し、シーラの影が無かったからか、ホッと息をついてこちらを見た。
「誰?」
とはフェリルが今まさに口説いていた女性。
「あれは僕のパーティー“ブレイブ”の一人さ。」
何でもない事のようにフェリルが言う。
おいそれだとお前がパーティーリーダーみたいだぞ?まぁその座が欲しいならくれてやる。少々色を付けたって良い。
「今、リーダーって。」
フェリルは自身の失言を突かれ、うっと詰まった。が、すぐに持ち直して口を開く。
「ああ、彼にはパーティーリーダーもして貰ってるんだ。あの通り図体がでかいから。」
体がでかいのは関係ないだろうが。
『リーダーをして貰っておるという部分に文句は無いのか?』
まぁ半ば押し付けられた役割だからなぁ。実際、あの表現は間違っちゃいない。
ちょいちょいと袖を引かれ、見るとローズが小動物のような可愛らしさでこちらを見上げていた。
「ど、どうした?」
動揺し、聞く。
決して彼女に心が揺れた訳ではない。俺にはルナがいるんだから。ただ、この場をゲイルに見られたら殺されると思っただけだ。
「コテツさん、あの人のパーティーのリーダーなの?」
「まぁ、ほぼお飾りだけどな。」
苦笑しつつ頷くと、ローズはくわっと目を見開き、
「うちに来てくれるように言ってくれない?」
商魂たくましく、愛くるしい表情で言い放った。いやはや流石は元看板娘(お、この表現ならしっくりくる。)、俺のような、面と向かって頼まれたら断れない、人の出来た人間という奴をしっかり見極められている。
『ギルドではあっさり依頼を断っておった気がするんじゃがの?』
何の事だか。
ただまぁこの場合、
「俺が言うよりも、ローズ、お前が頼んだ方が上手く行くんじゃないか?」
フェリルの事だ、ホイホイ付いて来るだろう。
「む、私にはゲイルさんがいるもん。」
腰に手を置き、ローズは胸を張って言い切った。
微笑ましい。
ああ、どうして俺はテープレコーダーを持ってないんだ。ゲイルあたりに聞かせてやって、悶絶する所を見てみたい。
「はは、そうかい、そりゃすまなかったな。で、満腹亭に泊まるように言えば良いのか?」
「うん!」
はいよ、と返事して、まだ少し先にいる、口説き落とした女性と手を繋いで談笑しているフェリルの方へと軽く駆け足。
「フェリル、宿は満腹亭で良いか?」
「え?リーダーはそれで良いのかい?」
ローズの方をチラリと、気遣わしげに見るフェリル。
イベラムに付く前(ただし俺が乗馬に慣れた後)の道中、キガンテ雪山の事については触れないよう、パーティー全員に言って置いたので当然の反応なのだが、もうむしろ満腹亭に行かない方が不自然になる気がする。
「なに、知らん振りしておけば良いだろ?」
「僕やリーダーは良くても、他の皆はどうなんだい?」
「そうなんだよなぁ、まぁ一応聞いてみて、嫌だったらそいつには別の宿屋で泊って貰うか……。」
「僕にも少し遠慮したい気持ち……「フェリル、あっち見てみろ。」……は全く無いね、ああ、喜んで行くさ。」
俺がローズを指し示すと――そこで気の利くローズがにっこり笑顔で両手を振ってくれたのもあり――フェリルはあっさり折れた。
やっぱりハナからローズが言ってしまえば事は早く済んでたな。
「“ブレイブ”のリーダー……もしかして、“切り込み隊長”さん?」
ローズの協力に感謝しないとなぁと思いながら彼女の方へ踵を返した瞬間、フェリルと手を繋いだ女性が聞いてきた。
「え、ええ、まぁ。」
振り向き、取り敢えず会釈。
フェリルが苦虫を潰したような顔をした。
「本当!?あの、私Dランクのジェニファーって言うんですけど、あ、ジェニーで良いです!その、Cランクになかなか上がることができなくて……トリケラの足を傷付けずに倒すにはどうすれば良いか、ア、アドバイスなんて……」
と、彼女は俺の両手を握って――つまりフェリルと繋いだ手を離して――捲し立てた。
「え?あ、えーと、君の武器は……?」
気圧され、取り敢えず聞く。
「短剣です!」
よりによって短剣かい。
「仲間とかは……?」
トリケラってたしか割とでかかったはずだ。流石に短剣は難しいだろうと思って質問する。たしか昇格する場合、パーティー全員で一体綺麗に倒せば良かったはずだ。
「ソロです!」
ソロかよ!
取り敢えずパーティーを組んでおけと言おうとするも、目の前のキラキラした目に阻まれた。
「……たしかトリケラのいる所には森があっただろ?木の上から飛び降りて、弱点のここ、首の付け根を刺せばイケるんじゃないか?」
「わあ!ありがとうございます!早速昇格クエストを受けに行きます!この御恩は一生忘れません!」
思いつきをそのまま口にすると、ジェニファーは俺の両手を上下にぶんぶん振って、感謝の言葉を口にすると、ギルドとは真反対の方向にダッシュして行った。
焦ってるのか慌ててるのか知らんが、何にせよ、大袈裟過ぎるだろ。
「はぁ……まぁ良いか、本人が喜んでるなら。」
喜び勇んでタッタカ走っていく彼女の背中を見て嘆息すると、不穏な声が掛けられた。
「リーダー?世にはやって良い事と悪いことがあると思わないかい?」
出所は真横、せっかく仲良くなったジェニファーに別れの挨拶一つ言ってもらえなかったフェリルだ。
「えーとほら、満腹亭までのローズとデートする権利を譲るから。」
冗談じゃなく、珍しく怒りを見せる彼に適当に言いながら、俺は預かっていた買い物かごを差し出し、ローズの方へとフェリルの背中を押す。
「よし、許す!」
チョロいにも程があるわ!
一瞬で機嫌を直したフェリルは唖然とする俺を置いて、ローズと二言三言言葉を交わし、何を言ったのかは知らんが、仲良く連れ添って歩いていった。
……はてさて、シーラの鉄拳制裁はいつ飛んで来るのやら。
ジェニファーが俺の事を広めたのか、道中色んな人にチヤホヤされて気を良くしながら、俺は元看板娘の隣で鼻の下を伸ばすたらしエルフの、間違いなく辿るであろう末路を想像しながら後を付いて行った。
満腹亭のある通りで、遂にはサインまで求められて調子に乗りに乗り、新人冒険者達に武勇伝を脚色マシマシである事ない事付け加えながら、意気揚々と話していた俺がユイやルナのありもしない事実無根な失敗談を披露としている所、ちょうどご当人お二方が通り掛かり、問答無用で路地裏へ引っ張られた俺は地べたに正座。延々と説教された。
ちなみにもちろん、言うまでもない事ではあるが、フェリルは満腹亭が視界に入る遥か前に瀕死に追いやられた。




