スレインへ
「ほれ。」
「あむ。」
「ほい次。」
「はむはむ。」
「そういえばリーダー、バハムートを帰して良かったのかい?」
リヴァイアサンに拗ねさせられたルナの要請“我を甘やかせ”達成のため、俺は取り敢えず、彼女にファフニールの料理を一つずつ食べさせている。
ちょうど小麦色の細麺を愛しの恋人の口の中へと、それがつるりと箸から零れないよう、慎重に慎重に運んでいた俺のこの頭はフェリルの質問に即座に対して答えられる程、どころか質問の内容を咀嚼できる程の器用さを持ち合わせてはいない。
「……で、なんだって?もう一回頼む。」
何とか麺のタスクを完了させ、改めて聞き直す。
……ったく麺類の“あーん”があそこまで神経を使わせるものだとは思わなかった。そもそも俺はなんで細麺なんかチョイスしたんだろうか。謎だ。
「僕達はこれからスレインに帰るんじゃないのかい?」
「ああ、そうだな。……ほらよっと。」
「もぐもぐ……」
まだフェリルの質問の意図が掴めず、集中するため、俺は少し大きめの肉塊をルナに突っ込み、先を促す意味で頷いた。
……何だかこの餌付けが機械作業化してきた気もするが、まぁ本人が満足そうなので大丈夫だろう。
「僕はバハムートにスレインまで乗せて貰う気でいたんだけど、違うのかい?」
あーなるほど。
「いや、スレインへ帰る手段は別に考えてあるから大丈夫だ、問題ない。」
「ファフニールに乗せていって貰うんじゃないの?」
「あ!そういう事ならばどうぞお任せください。」
シーラが言うと、ファフニールが何故か目を輝かせた。
……龍の塔に一人残るのはやっぱり寂しかったりするのだろうか。
「ありがとうございます、でもご心配なく。古龍にわざわざ乗せて貰うより、もっと早くて国境の警備にも見つからない方法ですから。」
ファフニールに感謝を示しながらもやんわりとその申し出を断ると、急にバンとテーブルが叩かれ、揺れた。
そのせいでコップが倒れ、断られて涙目になってしまっていたファフニールの服をぐっしょり濡らしてしまう。
絵に書いたようなな泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったりな構図。
ファフニールは本当に運が悪いらしい。
「そうやって焦らすから心配になるのよ!話しなさい、今、ここで!」
叩いた犯人、ユイはそんな惨事に全く気付かず、少し怒ったようにそう言えば、周りの連中がうんうんと同調する。
だがしかし、だからといって素直に言ってしまう程俺も馬鹿ではない。
しかし三人の急激に冷え込んでいく視線を無視するほど愚かでもなく……
「…………どうせ嫌がるだろ?」
結果そんな返答に落ち着いた。
「「「なおさら話せ!」」」
ったく、人の配慮を何だと……
『突っ込まんぞ。』
へいへい。
「えーとじゃあまずは……ん?」
話し出そうとすると、隣のルナに袖を引かれた。どうやら肉塊をもう食べてしまったらしい。
……少し大きいってだけじゃあ獣人の顎に負けてしまうか。それならからめ手を使わせてもらおう。
「ほいよ。」
「……適当になっていませんかムッ!?むにゅむにゅ、食べにきゅい……」
今更な事に気付いたルナの気を逸らすため、ついでに今度は噛み切りにくい、繊維質が多めの野菜を食べさせる。
「口に物入れたまま話さないように。行儀が悪いぞ?ふぅ……お、これ美味いな!」
はぐらかしながらつついた料理の味に不意打ちを受け、思わず感想が声に出た。
「そうですか、気に入ってくださいましたか!ふふ、これは前にバハムートが手土産に持ってきたキングボアの肉を使わせていただいた物で、普通のグレートボアと違って脂身が少ないために従来の調理が合わなくて大変苦労いたしました。ええ、とても。何せキングボアはなかなか手に入る物ではなく、それこそ高級店でしか取り扱われない程の肉で……あ、確か貴方とルナベインは行かれたのでしたね、エルドーレに。私もあちらにキングボアの調理の仕方を教えていただきました。どうもキングボアの肉はグレートボアのそれとは全く違った物だそうで……」
褒めてもらえたのが余程嬉しかったのか、ファフニールはここぞとばかりに饒舌になる。
それを半分聞き流しながら、俺は件の料理をもう一口食べて疑問を持ち、咀嚼し、飲み込んでから確信を得た。
これは、まさか……牛、だと!?
この世界では肉=グレートボア≒豚肉という方程式で成り立っていると勝手に思い込んでいたが、喜ばしい事にその仮説が打ち砕かれてくれた!
「なぁファフニール、キングボアってのはラダンにしかいないのか?」
「……筋は獣人にとっても硬いのですが、しゃぶると味が染み出てそれはそれで美味し……え?いいえ?キングボアは完全に成長しきったグレートボアにかけられる呼び名ですよ?スレインでは人が多くいらっしゃる分、グレートボアの内に食べてしまわれて、キングボアにならないのかもしれませんね。」
スレインの馬鹿野郎!
まさかグレートボアが成長するとその肉質がここまで変化するとは……待てよ、それなら馬は何になるんだろうか……羊肉とかかね?非常に気になるところである。
「あ、これもキングボアを用いた料理ですよ。」
「へぇ、これも……お!」
「どうです?美味しいですか?」
「(コクコク)」
「そうですか!えっとそれならばこれなんて……」
ファフニールに次々と勧められる料理をルナの口に放り込みながら自分でも味わい、それを見てファフニールも調子付いていったのもあり、俺はついつい腹八分どころか十二分に食べてしまった。
……ファフニールの普通の腕前による料理は食材の質でそのランクが簡単に上がるのかもしれない。
「何か?」
「え?」
考えた途端、ファフニールに静かな声を掛けられ、俺は椅子の上で小さく跳ねた。
ついにファフニールまで読心術を!?
「いいえ、何も無いのならばそれで構いません。……満足していただけましたか?」
「あ、ああ、美味しかったよ、ご馳走様。」
そう言って俺は若干ビクつきながらも席からおもむろに立ち上がり、
「「「説明は!?」」」
パーティーメンバーに凄まれてもう一度座った。
「もきゅもきゅ……」
まだまだ腹に余裕があるらしいルナは俺が突っ込んだ焼き野菜を美味しそうに食べていた。
「で、だ。俺はこの指輪の魔法陣を使ってヘール洞窟に転移しようと思う。」
皆が食べ終わるのを待ち、俺は単刀直入に切り出した。
途端、いやそ〜な顔を浮かべるSlanパーティー“ブレイブ”の一同。
何の事だか分かっていないファフニールは使った食器をせっせと一所に集めている。
「あー言いたいことは分かる、うん。でも楽だろ?安全だし。」
言うが、皆苦虫を潰したような顔になるだけで一向に晴れる事がない。
だがしかしはっきりと反論してこないあたり、皆これに勝る方法を考えつかないのだろう。
「アンデッドが嫌いなのはよぉく知ってるつもりだ。ただ何度も言ってるように、あいつらはゴーレムみたいな物で「「「全然違う!」」」……あ、はい。」
相変わらず毛嫌いするなぁ。ったく、そんなに嫌ってやるなよ、サイが可哀想じゃないか。
「はぁ、まぁほら、ヘール洞窟から出るのはそう難しい事じゃない。向こうに着いたらさっさと外に向かえばいいだけの話だろ?それで、異論はあるか?無いならもう行くぞ?」
言い切ると同時にカシャンと高い音が鳴った。
発生源を見れば、積んだ食器を持ち上げた位置が悪かったのか、ファフニールが皿を数枚取り落としてしまっていた。
「あ……すみません。どうぞお続けください。」
慌てて食器の塔を持ち直し、ファフニールは厨房に歩いていく。
「……さて、じゃあ向かうはヘール洞窟だな。全員荷物の用意をして、ファフニールに感謝の気持ちの一つでも表してからここに集合するように。解散!」
パンと手を叩き、言うと、
「「「「……はーい……。」」」」
陰鬱な表情で気怠げな返事が為される。
正直、アンデッドにはそろそろ慣れて貰っても良い頃なんじゃないだろうかと思う。
武器は自作し、服に頓着しないため、ラダンにはおそらくパーティーで最も身軽な格好で密入国した俺は、集合した皆の中で一番の重装備だった。
というのもポケットの如意棒は嵩張らないから良いとして、右手のミョルニルを肩に担ぎ、背中にはロンギヌス。そしてファフニールからの報酬である、無骨な鋼色の長剣をさらにたすきのように背負うという、武蔵坊弁慶見習いのような出で立ちに俺はなっているのだ。
ちなみにファフニールに渡された剣は鑑定し、結果はこれ。
name:魔剣グラム
info:戦神オーディンの加護を受けた剣、神剣バルムンクの成れの果て。バルムンクに神を殺し得る力がある事に気付き、オーディンが直々に砕いたが、散った破片を元に人の手で鍛え直された物。
本来バルムンクの持っていた、古龍の鱗をも容易く、抵抗なく切断する力が宿るが、人の手で作られたため、たまに失敗し、錆びや汚れでさらに失敗しやすくなる。
疑問、安心、高揚、そして落胆。
ファフニールから今回の報酬として渡された、遊びの一つも見当たらない、地面に突き立てれば俺の胸に届くか届かないかくらいの長さの細身な長剣を鑑定し、俺の心は大雑把にそんな感じで動いた。
神剣を期待していたら魔剣、でも本質は神剣(神威の宿っているのは爺さん曰く確からしい。)、強力な効果、そして最後の但し書き。
……微妙な表情を浮かべてしまったのは仕方がないと思う。
どうしたのかと気遣うファフニールに、意を決し、魔剣グラムはありがたいが真っ当な神剣は無いのかと聞いてみれば、少し怒った様子でこれは神剣バルムンクだと彼女言い張られた。実際部分的にはそうだからそれをしっかりと否定することができず、結局俺が謝罪と感謝の言葉を口にして終わった。
まぁ使えないわけ訳じゃない。良しとしよう。
「さて、じゃあ最後に忘れ物はないか?……よし、なら早速ヘール洞窟、へ……ユイ、刀に手を掛ける必要はないだろ?シーラも魔法を撃つ準備をしないで……おいフェリル、矢をつがえる必要があるか?あとルナもドラゴンロアの詠唱を呟くんじゃない。」
何故だろう、スレインに戻るだけなのに皆の雰囲気が物々しいにも程がある。
「身の安全のためよ、これぐらい良いでしょう?それとも困る理由でもあるの?」
シーラが言い、そうだそうだと他も賛同。
「はぁ……。」
思わずため息が出た。
「スレインはそこまでされる程荒れた国なのでしょうか?」
隣で少し驚いた風に、見送りをしてくれるらしいファフニールが呟いた。
「はは、彼らが心配症なだけですよ。」
その変な勘違いに苦笑してしまう。
あーあ、一体いつになればこの指輪を自由に使わせてくれるようになるんだろうかね?
『期待するだけ無駄じゃよ。』
そうだよなぁ……。
「ま、いっか。じゃあそれぞれ手を繋いでくれ。」
そう言って、俺は左手でルナの手を取る。
そして全員が繋がったのを確認し、俺は指輪の転移陣に魔素を流す。
「三ヶ月間お世話になりました。」
「いいえ、こちらも助かりました。いつかまた……きっといらしてくださいね。」
最後に一礼して、俺は胸に魔法陣を押し付けた。
「ゴガァァァァァァァァァァァァァァッ!」
大気を震わせ、轟く咆哮。
それを放ったのは天龍ファフニール。
まさしく天に届く程の長い首と、それと同じくらいに長い尾。胴の脇からは龍の塔の上面をしっかと踏みしめる四つの、体全体と相対的に見ると短めながらたくましい足、背には巨大な双翼を生やしている。
それら全てを白銀の鱗で覆った龍の塔の管理者は、雲一つない夜空より降り注ぐ澄んだ光と、眼下に見えるドランの街並の各所に灯る暖かな明かりをその身に映し込み、その存在をいっそう神々しく、美しく魅せていた。
「くはは、これを見ずに帰ってしまう所だったとはな。それこそ怪我の功名ってか?」
軽く笑い、右中指に嵌めた復活の指輪を親指の腹で軽く回す。
「もしかするとと少しは思ってたんだけどな、いやーやっぱり焦る。まさか俺が転移しても指輪だけはその場に取り残されるとは。」
ヘール洞窟についた途端、サイが予め他のアンデッド達に命令して脇に退かせる事でできた出口への一本道を、ルナ達が猛スピードで駆けていき、その後を苦笑いしながら悠々と歩いていく途中、サイに不思議そうに言われたのだ。「転移陣の描かれた復活の指輪は転移できないはずですが?」と。
本当に、焦った。
思わず双龍を作り上げて龍眼と黒銀とスケルトン(補助魔法の方)を一気に発動してしまう程には。
しかしサイは俺に襲い掛かりはせず、他のアンデッド達も俺の制御には無いというのに襲ってくる様子は全く無かった。
種明かしを聞けば案外簡単で、俺がアンデッドを作るとき、彼らには必ずサイの指揮下にも入るよう命令していたため、俺に“復活の指輪”という指揮権が無くなってもサイがそう命令しない限りは俺達に危害を加える事はないとのこと。
ちなみにその肝心のサイは俺が彼に王の墓の守りを継続させてやっているため、俺に大した不満はなく、むしろ次の主人が俺と同じような命令を下すかどうか分からないので、是非主人としての地位を維持していて欲しいらしい。
……俺の人徳ってやつだな、うん。
そんな訳で俺は急いでベール洞窟から龍の塔へ転移。するとそこでどうやら寂しさがちょうどこみ上げていたらしいファフニールに泣きながらの全力の抱擁をされ、脱出した後、床に落ちていた指輪を再び指に嵌めながら俺が事の次第をファフニールに伝えると、彼女は自分から俺をヘール洞窟まで送る申し出をしてくれ、今に至る。
「ゴグァァ?」
ついさっきまでの怒涛の約30分を懐かしい昔話のように思い返し、自嘲気味に笑っていた俺は、雷鳴に似た低い声に顔を上げた。そこではファフニールが龍人のときの柔和な物から大きく変化した、勇ましい顔を傾げさせていた。
「ああ、すまんすまん、今乗るよ。」
はてさて、天龍ファフニールか、乗り心地はどんなものかね?