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 転職勇者   作者: まずは深呼吸
第五章:賃金の出るはずの無い職業
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息抜き

 「よい……しょ、ふぅ、これで最後か?」

 龍の死体を下ろし、腰に手を当てて伸びを一つ。

 「ええ、お疲れ様でした。」

 と、同じ死体を一緒に運んできたファフニールがそう言って労ってくれた。こいつなら一人で一体持ち上げるくらい訳ないだろうとは思うが、手伝ってくれた事に文句を言おうとは思わない。

 「はは、とは言ってもここからが本来の仕事だからなぁ……。」

 目の前に並ぶ、数えるのも馬鹿らしくなるほどの竜の死体が整然と並べられた光景を眺め、自嘲気味に笑う。

 今いる場所はファフニールの宝物庫の大扉の前の空間。住み着いていたトカゲ共を退治し終え、掃除するのに邪魔なので外に取り敢えず退かしきったところである。

 つまり、これでやっと本来そうであるはずだったスタート地点、ファフニールの宝物庫の掃除に取り掛かる前段階にたどり着いたという訳だ。

 「私も尽力いたしますから、どうかよろしくお願いします。」

 「ああいや、別に責めてる訳じゃないんだ。ただまぁ、それだけでも助かるよ。さぁて、大掃除だ。」

 言いつつ、俺は肩を回しながら大扉へと歩いて戻る。

 半開きの扉に片手を掛け、一気に開くと、ルナが俺の方へ倒れ込んできた。

 「きゃ!?ふ!」

 気配察知でそこに隠れている事を把握していたこともあり、慌てず騒がず、俺は彼女を抱きすくめるように受け止める。

 「で、お前は何してるんだ?」

 「……それは私の台詞です。」

 聞くと、ルナはそう言って俺の胸元から片目で睨んでくる。

 「ん?俺はファフニールと一緒に仕事をこなしてただけだぞ?」

 何かまずい事でもしたしたのだろうかと、一応俺の認識を伝えると、ルナは再び俺の体に顔を埋めた。

 一体全体、何をどうすれば良いのか分からず、待つこと数秒、ガバッとルナが顔を起こした。

 「ファフニール様の匂いがします!」

 「え!?」

 驚きの声を上げたのは俺ではない。

 後ろを見ればファフニールが自らの服の端をつまんで焦ったように嗅いでいた。

 「……お前、ファフニールの匂いなんて分かるのか?」

 「はい、すれ違う度に臭うので!」

 「そんな!?」

 ファフニールがタタタッと洞窟を走り去る音が聞こえた。

 ……風呂にでも入るのだろうか。

 「はは……「で?」ぬおっ!?」

 苦笑するとルナの顔が一気にズームアップされた。

 「何か弁解したい事はありますか?」

 鼻先の触れるか触れないかの距離で詰問されるが、こっちは何の事だか分かっちゃいない。

 「うん、そうだな、まず何を弁解しないといけないのかが分からん。」

 「そうですか……ファフニール様とは随分仲良さげでしたが?」

 返すと、ルナはそう聞いてきた。

 「ああ、ファフニールか、あいつとは本当に、いや信じられないくらい気が合ってな。まともに話した事なんてまだ数回しか無いっていう、の……に?」

 何故か知らんが、目の前のルナが放つ恐ろしい覇気を感じ取り、俺は言葉を途中で切る。……まだまだ語れたのに。

 拳を握ったその両手はギリリと握りしめられ、顔に笑みを浮かべているものの、見方を変えれば何かを噛み殺しているようにも見える。全体的にワナワナと震える彼女は、俺が黙ったのを見て取ると、噛み締めていた口をゆっくり開け、

 「それで?続きは?」

 と、極めて平坦な調子で言葉を紡ぎ、再び硬い笑みを顔に貼り付けた。

 正直に言おう、身の危険を感じた。

 「……ちょっと腹が空いてきたな。宝物庫の掃除は食事の後にしてもらうよう、ファフニールに……っ!?」

 ……頼みにいくか、と言いきる前に、ルナが俺の胸倉を乱暴に掴んで顔を寄せ、キスしてきた。

 「ん……私ではいけませんか?やっぱりファフニール様の方が良いのですか!?」

 身を離し、今にも泣きそうな顔でルナが訴える。

 よーし、本格的に訳が分からなくなってきたぞ!?

 「な、何が、良いんだ?」

 せめて何の話なのか、その取っ掛かりを得たい。

 「全部です!」

 全部!?

 「……取り敢えず何か腹に入れないか?どこかおすすめの店があればそこでも良いぞ?」

 何故だが必死そうなルナの様子に、もう一度聞き返す度胸もなく、訳の分からないまま、俺は頼りない経験則に従って“怒る人は満腹にして宥めよう作戦”に出た。

 「やっぱりファフニール様と一緒に、ですか?」

 「ん?二人じゃないのか?まぁ俺は別にファフニールを連れて行っても良いん……「二人で行きましょうか。」……お、おう。」

 俺に最後まで言わせない、圧のある笑顔。

 しかしそこに先程まであった不機嫌さがだいぶ薄れている事に、俺は小さく、ホッと胸を撫で下ろした。



 「な、なぁルナ、本当にここに来て良かったのか?」

 「嫌でしたか?」

 「いや、そういう事じゃなくてだな……。」

 隣のルナと言葉を交えつつ、既に何回目か分からなくなるほど見回した部屋の内装を、そわそわと落ち着かないまま、もう一度眺める。

 この部屋には俺とルナしかいないため、こんな田舎者丸出しな振る舞いを公に見られずに済む。ああ良かった。

 とは言え。

 俺とルナが座っている前には、黒曜石からそのまま切り出されたような、重厚感に加えて滑らかな艶のあるテーブル。その上面の奥4分の3程を占める、鏡と見まごうほど丁寧に、完璧と言って良いくらい磨かれた鉄板。

 俺にはそれぐらいしかハッキリと見ることができない。

 というのも、この部屋には照明と呼べる物が、中に小さな火を灯され、その回りに紙の覆いが為された、黒光りするテーブルの両端に位置する小さなランプ2つのみなのだ。

 それらの発する、ぼんやりとしたオレンジ色の明かりはその程度の視覚情報しかもたらさないのである。

 俺達が入室に使った扉のある背後に並ぶ影法師や、左右の壁に映し出された影が揺れ動き、この個室の狭さを伝えてくる。

 「……明らかに奴隷を連れてきて良いところじゃない。」

 「ふふ、ご主……コテツはもう、東のスタンピードに対処するために雇われた協力者ですよ。」

 そうか、奴隷を偽る必要はもう無くなったのか……。

 「だとしても人間だぞ?」

 「奴隷ではない人間を入れてはいけないなんて言う店はありませんよ。」

 「そりゃあ奴隷じゃない人間は普通ラダンにいないからな。」

 「大丈夫ですから。信じてください。」

 と、テーブルに乗せていた手の子指にルナの手が触れた。

 少し驚いてその手を見、そのまま視線を隣の恋人に向ければ、そこには気恥ずかしそうな、それでいて少し不安そうなルナの顔がボゥッと淡い光に浮かび上がっていた。

 微かな明かりに照らされる中、ルナの手に手を被せ、その細い指に俺のそれを絡め、軽く力を入れて握る。

 ルナはそっとその体を俺に寄せ、頭をコテンと傾けて俺に預けた。

 目だけ動かし、盗み見る。

 彼女は目を閉じ微笑して、何やら安堵した、嬉しそうな表情を浮かべていた。

 そのまま肩にほんのりした温かさを感じること数分、背後の扉がノックされ、俺とルナは共に座ったまま跳ねた。

 「ど、どうぞ。」

 姿勢を正したルナがつっかえ気味に声を出す。

 少々寂しい気もするが、手は未だ握ったままなのでそれ程でもない。

 カチャリと扉が開く。

 この個室は防音設計で作られているらしく、外の喧騒が急に入ってきて、消える。そして、金属の直方体の覆いが為された皿をそれぞれの段に一つずつ乗せた二段の台車が、ゴロゴロと低い音をさせながら俺の脇を通り、中に周りの光景を暗く写したテーブルの横を回って俺とルナの反対側まで移動した。

 それを押してきた人は、真っ白な、料理人の着るようなエプロンみたいな服に見を包んでいた。

 分かる特徴と言って良いものはそれだけ。言わずもがな、足りない光量のせいである。

 「この度は私共、エルドーレへご来店いただき誠にありがとうございます。本日担当させていただく、シイル・エフコックと申します。」

 仄かな明かりに照らされた口を動かし、穏やかであり、かつ自負を微かに感じさせる声音でそう言って、彼は軽く頭を下げた。

 ルナが会釈を返し、俺もそれに倣う。

 「では鉄板が熱くなるのでお気を付けください。」

 言いながら、手俺とルナの手元、鉄板ではない残りの約4分の1、つややかな石製の面に、手の平大の皿が2つずつ、コトリと並べられる。

 続いて、木製の、チェスのポーンを少し太らせた形をした物が俺とルナの間に置かれ、刃の長いナイフとこれまた先の長い二股のフォークはシイルさんの手元に置かれた。それらのミニチュアも取り出され、それぞれ俺達二人の皿の上に、その木製の取っ手がこちらを向くようにして置かれた。

 手際よく、整然と準備が整えられていくのを呆然と眺めている中、シイルさんはふとその手を鉄板に翳した。

 空白の時間が流れる。

 彼が何かに納得したように小さく頷き、口を開いた。

 「焼き加減はどういたしますか?レア、ミディアムレア、ウェルダン?」

 「え?あ……ミ、ミディアムレアで、お願いします。」

 聞かれ、我に返ったルナが何とか答えを絞りだす。

 「貴方は?」

 「あ、ああ、俺も彼女と同じで。」

 少し引っかかりながらも俺が答えると、彼は小さな笑顔でもう一度頷き、再び動き出した。

 台車の上段の覆いが脇に置かれ、その中にあった白いマーブル模様が入った赤い塊が、シイルさんのナイフと二股フォークで鉄板の上へと移される。

 ジュゥゥッ!

 まず聴覚が食欲を訴えた。

 油の乗った肉塊は、シイルさんの素早い手際で回されながら、熱された鉄板に何度か満遍なく抑えられ、何回かのルーティンの後、サッとひっくり返される。

 ジュァァッ!

 そして嗅覚がさらに食欲を刺激した。

 綺麗な茶色の表面のあちこちで弾け続ける小さな油滴。そうして跳ね、また垂れた油分が鉄板に触れた瞬間、幾つもの泡と共に香ばしい匂いが立ち込める。

 先ほどと同じように肉塊を回し、鉄板にそれがヘバリ付いてしまうのを防ぎつつ、焼き足りない所は焼き直し、いよいよ食べられるかと思った所でシイルさんは肉塊の上から金属の覆いを被せてしまった。

 ジュウジュウと肉の焼ける、籠った音が聞こえる中、彼はナイフとフォークを自身の両脇に置くと、屈んで俺達の視界から消えた。

 ガサガサと物音をさせた後、すっくと立った彼の手には小さめの丸いパンが4つ。

 おそらくテーブルの下に置いてあったのであろうトングでそれらが俺とルナの手元の皿の片方に2つずつ乗せられる。

 再び屈み、手ぶらで立ち上がるなり、周りをマジックミラーのように歪めて写す覆いの取っ手を、彼の手がそっと掴む。

 そのままシイルさんは静止。真剣な顔のまま目を閉じていた。

 籠った音が響く。

 まだかまだかと思い始めた頃、カッとシイルさんの目が開かれた。

 素早く覆いが上げられて、籠もりに籠もった白煙が昇り、焼ける肉の匂いが鼻孔に襲い掛かる。ブワッと唾液が口内で生成され、溢れてしまいそうでゴクリと唾を飲む。

 シイルさんは肉を一度ひっくり返し、二股のフォークでその中心を抑え、

 「なにも味付けを加えず、このまま召し上がっていただいても構いません。が、お好みでそちらの塩とコショウをお掛けください。」

 そう言いながらそれぞれのポーンを指し示し、彼はナイフで勢い良く肉塊を切り始めた。

 「ただ、過度な味付けは逆に肉の味を損ねます。まずはそのまま召し上がってください。」

 言葉と共に、一口サイズに切られた肉が手元の空いている皿に次々と置かれていく。

 中心に赤身を残したそれは一つの芸術作品のようで、食べるのが惜しいという気持ちが一瞬鎌首をもたげた程だ。

 いただきます。

 フォークとナイフを手に取ろうとした所で、俺はルナと手を繋いだままだという事を思い出した。

 見れば、ルナもちょうどそれに思い至ったらしく、こちらに目を向けていた。少し顔が火照っているのはお互い様かもしれん。困ったように軽く笑い合い、一度強く握り合って、名残惜しくも手を離す。

 俺はどうして左利きじゃないのだろう。

 そして、フォークで一口サイズのステーキを刺し、俺はシイルさんのアドバイスに従い、まずはそのまま口に近付けた。

 さらに強い香りが鼻孔をくすぐり、見るからに熱々なそれを、息を吹きかけて冷ます時間も惜しく、俺は素早く口に入れる。

 !?

 カリッとした表面を歯で破れば閉じ込められていた肉汁が大量に溢れ出、分泌された唾液と共に口の中が満たされる。まだ赤みの残る中身はぷるりと柔らかく、しかし肉特有の噛み応えという物も両立させている!

 あっという間に一切れを食べてきってしまった。

 これは、肉というよりはまるで……ああ、まるで果物だ!

 二切れ、三切れと咀嚼しては飲み込み、感動しながらパンを少しだか囓ると、

 「どうぞ私の言葉に縛られず、塩とコショウもお試しになってください。味を損ねるなどと申しましたが、結局はお客様の舌に合う事が何より大切ですので。」

 そう言い、シイルさんは一口大の最後の二切れを、彼の目の前に座るたった二人の客の皿に乗せた。

 パンを飲み込み、木製ポーンを取ろうとすると、ルナの手とかち合う。

 お互い遠慮し、調味料の容器から一瞬手を引くが、俺はこのままでは肉が冷めると思い直してそれを素早く掴み取り、持ち手の部分をルナに差し出した。

 少し戸惑った彼女はおずおずとそれを手に取って、俺はもう一口パンを頬張り、知らん振り。

 くすりと笑いながらルナが容器の膨らんだ下部を回してコショウを振るのを確認し、俺は塩を一切れに少しだけ掛けた。

 それを口に入れる。

 ほんの少し、一摘みあるかないかの量だったと言うのに、それだけで肉の味がガラリと大きな変化を遂げていた。元の素晴らしい食感や匂いはそのまま、しかし塩の微かな辛さが逆に肉の甘さを引き立てる。

 ここまで変わるものなのか……。

 ならばコショウだとどんな変容を見せて、いや、味わわせてくれるんだ?

 ルナの使い終えたコショウの容器へ手を伸ばし、取り、振って、食べる。

 塩と違い、コショウは味ではなく、その香ばしさを、肉と自らのそれとを混ぜ合わせて際立たせた。

 だからと言って味変容が無いわけではない。なにせ嫌いな食べ物を鼻を塞いで食べるように、匂いも味の重要な一部。コショウの独特の香りはそれまで俺が感じもしなかった、しかし確かにあった雑味を無くし、味を変えるのではなく真っ直ぐに整える。

 塩、コショウ、両方、何もなし、と色々試し、あっという間に皿のステーキが消え去った。

 そして自然、俺とルナの目線は一つの物に釘付けとなる。シイルさんに押されてきた台車の二段目。一段目にあった物と全く同じ形をした皿とそれに被さる金属の覆いに。

 「ではそろそろもう一枚を焼き始めましょう。」

 「「(ゴクッ)よろしくおねがいします!」」


 2枚目で分かった事だが、俺が塩派であるのに対し、ルナは何も掛けない派だった。

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