集合
「んぅ……ん。」
「おはようルナ。」
「あ……おはようございます。」
「それで、まだ怒ってるのか?」
とっくの昔に覚醒していた俺は、ルナが目を細く開けたのを開けたのを確認し、尋ねる。
「むぅ……私は昨日のように覚えていますよ?ご主人様がリヴァイアサン様に向けていたいやらしい視線も、だらしない顔も!ご主人様にはがっかりしました!」
するとルナはぷんすか怒って、もう耳にタコができるくらい聞いた文句を口にし、俺からプイと顔を背け、ベッドに顔を埋める。
「はぁ……悪かった、すまん。」
「……。」
ここまでが、リヴァイアサンが誘惑されてから一週間強、毎朝行われてきた、慣れたくなくとも慣れてしまった会話だ。
「俺の信用は一体どこで失われたんだ……。」
リヴァイアサンのところに行く素振りなんて一度も見せていないのになぁ。
「一週間前です。」
「……そうだったな。なぁ、いつまでこうするつもりなんだ?」
「……ご主人様が反省するまでです。」
俺の背中に手を回し、ギュッと抱き締め続けてきているルナに聞くも、彼女はそう言って微動打にしない。
ルナはこの一週間、俺がいる側に常にいて、夜寝入るときはそれから朝まで、ルナ自身が起き、そして満足するまで俺を抱き締めるという生活を送っている。
これが恋愛感情ゆえだったら、まぁ少しは嬉しかったのだろうなぁ……。
正直、暇なのだろうかとは思わないでもない。……言ったらしばかれる事確実なので言わないが。
だがしかし何よりもまず、俺がルナの言動に困っている一番の理由は、毎晩自制するのに苦労させられるからである。
初めは役得だと気楽に構えていたが、ここ数日はかなり危なかった。
俺を抱き締める事に慣れたのか、寝る前に着物の乱れを一々直さなくなるわ、寝言で甘えるようなかぼそい声を急に発するわ、怖い夢でも見たのか、たまに俺の胸を濡らすわと、とにかくこっちの理性をガリガリ削ってくるのである。
今朝なんて、目覚めて一番、半裸のルナが抱きついていたのがまず目に入ってきた。そろそろ何とかしなければ、それこそルナからの信用が失墜してしまう結果になるのは必至だ。
「ルナ、俺はリヴァイアサンのところなんかに行かないから、そんなに毎夜抱き締めなくたって大丈夫だぞ?」
「信用できま「リヴァイアサンを襲うくらいならまずお前を襲うからな?」……え?」
途端に真っ赤になるルナ。
よし、少なくとも心臓の鼓動を無理矢理落ち着かせなければいけない夜からは脱せそうだ。
「そりゃそうだろ?こんな綺麗な女性が目の前にいるんだから。」
「……リヴァイアサン様とどちらが綺麗ですか?」
「ルナだな。」
「でもご主人様は私にあんな目を向けたことはありませんよ?」
あんな目……ね。
そんなにいやらしい目をしてたのだろうか?もしそうだとしても、変身した姿とはいえ、美人である事には異を唱える者が誰一人としていないであろうリヴァイアサンにああされれば、誰だって動揺し、大いに惑わされるだろうと俺は思う。
「……。」
さて、この今の俺のこの思い、どうやって口にしよう。
「ご主人様?」
リヴァイアサンの色香が凄かったせいだなんて言っても絶対に納得すまい。むしろ張り倒されること請け合いだ。
「どうしてそこで黙るのですか?ご主人様?」
「まぁ……な?「……剛力。」ぐあぁ!?」
笑顔では誤魔化せず、俺はルナに背骨を折られかけた。
「おっ、久しぶりじゃなこの化物め!」
ルナを煽てに煽て、甘やかしに甘やかして部屋の外に出ると、見慣れたドワーフがそこにいた。
だがまぁそんな事より……
「誰が化物だこら!」
「ハッ!スタンピードから国を救った軍隊を、たった一人、酒盃を片手に壊滅させた奴を化物と呼ばずに何と呼ぶ!」
「……お酒に強い人、とか?」
「強いにも程があるわい!分かっておるのか?お前のせいであの屈強な戦士共が皆泣いたんじゃぞ!?人間なんかに酒で負けたとな!」
「……そういうプライドでもあったのか?」
「当たり前じゃ!」
当たり前なのか……。
「くっ……思い出したら目から汗が……。」
「嘘つ、け……うわ、この野郎本当に泣いてやがる。」
髭面で強面な一端の大人が腕を目に押し当て、泣き始めるのには実にシュールな物がある。泣く理由も別に大した物でもないし。
「汗じゃもん!」
あまりに哀れな様子のタイソンを見ていられず、今日の朝ご飯の買い出しを仰せつかっていた筈のフェリルを探す。
「あれ?フェリルがいませんね?」
隣のルナが俺と同じく周りを見渡したし、そう言って首を傾げた。
「フェリルくんならシーラちゃんが探しに行ったヨ。それよりルナベインはコテツくんの部屋でいつも何してるんダ?ワタシとても気になるヨ?」
長机に両手両足を付け、興味津々といった様子の、カンナカムイとはと同じく布地の少ない服装の女性。ルナと同じぐらいの年頃に見える彼女は、4日前に龍の塔にやってきた、カンナカムイの所の巫女、ソニアだ。
ちなみに猫耳。
あとルナとは幼馴染のようで仲が良く、またその現れなのかは知らんがよく口喧嘩する。
「ソニアには関係ないでしょう。」
「ルナベインだから、どーせわんわん泣いてるに違いないサ。」
「そんなことありません!」
「コテツくんも大変だナ。うん、泣き虫ルナベインの相手が疲れるのはワタシも分かるヨ。こっちがちゃんと聞いてあげてても、泣くだけ泣いたら勝手に寝ちゃうんだもんナ。」
とまぁこんな感じで仲の良さが滲み出る喧嘩模様には傍から見ていて微笑みが自然と浮かんでしまう。
あと、どうやらルナが泣き虫なのは近しい者にとっては周知の事実であるらしい。
「私は泣き虫なんかじゃありませんから!昨日の夜だって泣いてません!ね?」
「ふーん、本当かナ?」
ルナはにっこり笑顔で、ソニアは楽しそうに体を左右に揺らしながらこちらを見る。
「まぁ、起きてる間は、な。」
「ふんふん、起きてる間は我慢できるようになったんだナ。偉いネ。お姉ちゃんはとても嬉しいヨ。」
頷きながらもソニアはルナをからかう事を忘れない。
「ソニアは私より一ヶ月早く生まれただけでしょう!むしろ私の方が落ち着きがあってお姉ちゃんらしいです!そして私は夜も泣いてませんから!「たまに泣いてるぞ?」うっ……な、泣いてないです。」
怒りを見せたルナの言葉を一応訂正すると、涙ながらに睨まれた。
「ナハハハハハハ!バゥッ!?」
「全く、騒がしい。ここは神聖な場、静かにせんかッ!」
大口開けて笑い出したソニアに拳骨を落とし、張りのある声で叱ったのは、リヴァイアサンの所の神官であり、一週間と少し前にルナを打ち負かした老人。名前はヴァランだ。ちなみに犬耳。右の耳の先が少し欠けているのが特徴的だ。
実力は確かにあるが、やはりルナやソニアなど、巫女たち (タイソンは種族が違うから置いておく。) に比べれば明らかに高齢。実はルナとソニアは幼少の頃、彼に色んな作法とかについて師事していた事もあったらしい。何故そんなお爺さんが未だ現役なのかというと、それというのも彼の息子が戦争でなくなってしまったため、一度は退いていた地位に戻らざるを得なかったからである。ヴァランは今、孫を鍛え上げ、厳しい教育を施しているとの事。
ちなみにルナが人間憎しという風になっていたのもそのせいだ。
にしてもここが神聖な場、ね……そういえばそうだったなぁ。寝泊まりする宿ぐらいにしか思ってなかった。
「ルナベインと違ってワタシはもう大人だヨ?爺もそろそろ子供扱いをやめてくれないかナ?」
「私だって大人で……」
「黙らっしゃいッ!」
一喝。
「「……はい。」」
なんだろうな、何故だか知らんがなんか微笑ましい。
「座りなさい。」
ヴァランが目の前の地面を指差し、ルナとソニアはまるで条件反射のように素早くそこに正座した。
実際、ルナの小さい頃からよく見られた光景なのかもしれない。
そして始まる説教。
ここがどういう場所なのか、巫女としての自覚はあるのか等々を、怒鳴りはせず、しかし静かな怒りを確かに含んだ声で話すヴァラン。
対する二人は借りてきた猫のように静かだ。
「……だからこれでも急いだ方だと……」
「貴方ならここと東の神殿の間くらい、一日で往復もできるでしょう!?それがニ週間以上も掛かって!」
説教が為されているのは俺の目の前だけでは無いようで、視線をずらせばファフニールがケツァルコアトルに怒鳴り散らしていた。
「彼の調子が完全に戻るのにそれだけ時間が必要だったと私は何度も申し上げたはずですがな、聞いていましたかね?」
「早めにこちらにいらしてくだされば私が魔法で治せたでしょう!?」
「本人を苦しめてまでタイソンを無理矢理ここに連れてくる事には到底賛同できませんな。私は私の判断が正しいと確信しておりましてな、ここは引きませんぞ。加えてファフニール、もう終わった話を荒立てるのは無駄な事ではないかね?こうしてちゃんと来たのですから、責められるいわれはないと思いますが違いますかな?」
「う……。」
言葉に詰まり、ファフニールが押し黙る。
どうやらタイソンはケツァルコアトルが乗せて来たらしい。体調が悪かったっていうのは酷い二日酔いかなんかだろうか?
しっかしファフニールが一体何を焦っているのか非常に気になるところだな。だがまぁ、今はまず腹が減った。
フェリルとシーラを探しに行くかね?
爺さん、任せられるか?
『何度も言うようじゃが、わしは念話で繋がったお主以外の個人を探す事なぞできん。』
龍の塔の大扉の前まで来て聞いてみると、爺さんにそう返された。
うーむ、安定の間抜けなボケ老人ぶりだ。
『何じゃと!?』
良いか?よぉく聞け。……ここはラダン、“獣人とドワーフ”の国だよこの馬鹿野郎!ここにエルフが何人いると思ってやがる!いたとしても数人だ、絞り込めるだろ!?
『…………えーあー、ま、全く、こ、ここれじゃから冗談の通じぬ奴は。』
……呪い殺すぞ。
『ウホン、ふむ、心配には及ばんわい。もう龍の塔の目の前まで来ておる。』
なかった事にはならないからな?
『人の失態をねちねちねちねち、いい加減自分が嫌にならぬか?』
……呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪……
『ぎゃぁぁぁぁ!』
そんな事をやっていると龍の塔の大扉の片側がゆっくりと開き始めた。
俺は一歩下がり、忠犬のように扉の前に待機する。
「ただいま。ユイちゃんは……忙しくて、主人ちゃんは……説教中。…………要る?」
出てきたのは大きめのバスケットを抱えたシーラ。
彼女は目の前に立つ俺からスッと視線をずらし、バハムートにしごかれているユイを見、説教中のヴァランの前でソニアが船を漕いだために、巻き込まれるかたちでさらに叱られているルナを見、しばらく考えてからおずおずとそう聞いてきた。
「その逡巡はなんなんだ……。まぁ一応貰うけどさ。」
バスケットから適当にパンを一つ摘みとり、大口開けて齧り付く。……クリーム!
「リ、リーダー、君の腕力はおかしくないかい?これを一押しで、それも両方開ききるなんて。真似しようとしたら肩が……イテテ……。」
遅れて、フェリルが両肩を回しながら入ってきた。
「フッ。」
鍛え方が違うんだよ、と馬鹿にしたかったが、口が美味しい物でいっぱいなので、肩を竦め、鼻で笑い飛ばすに留めた。
「フェルは技巧派でしょ?古龍と殴り合いができるこれと比べたら駄目よ。」
シーラがフォローし、フェリルかそうだね、と軽く笑う。
“これ”ってなんだよ、“これ”って。
「んぐ……それで?どうして遅かったんだ?」
クリームパンを呑み込み、聞いてみる。
「え!?い、いやぁ……ほら、少し近道をしようとしたら迷ってしまって……ハハ。」
フェリルの少し焦った様子から、どうせまた見目麗しい女のケツでも追い掛けて迷ったんだろうなぁと分かる。そしてフェリルに関してはかなり目敏いシーラも当然ながらそれを察していて、見れば彼女はかなり冷えた目をフェリルに向けていた。
大方、決定的な証拠が無いから、そしてここがラダンであることを踏まえ、変に騒ぎを起こさないよう、街中では自重したのだろう。
「……そ、そうだ、シーラはよく僕をあんな短時間で見つけられたね?」
フェリルが話題をそらし、今度はシーラがピシリと、彫刻のように固まった。
その手が咄嗟に胸元へ伸び、フェリルとお揃いの首飾り(GPS搭載)を隠したのを、俺の鍛えられたきた目は見逃しやしない。
「フェルとは……いつも一緒だったから、と、当然よ、当然。私ほどにもなればフェルの考えなんて大体分かるわ。」
「そ、そうかい?」
「ええ、フェルの見境無しは今に始まった事じゃないわ。」
「……シーラ、僕もパンを一つ貰って良いかい?」
「え、ええ、もちろん。は、はい!」
どうやらフェリルは自己保身に精一杯で、シーラの動きに気付かなかったらしい。
俺はフェリルに差し出されたパン籠の中から適当にもう一個取りながら、緊張が少しだけだが顔に浮かんでいるシーラと目を合わせる。
そしてニヤリと笑いながら胸元をトントンと軽く叩いて見せ、俺はパンに噛み付く。……コッペパン?
目を見開き、何か言い訳でもあるのか口をパクパクさせるシーラを尻目に、パンをくわえた俺はそのままユイの修行模様を観戦しに行った。