姉妹弟子戦
「朝……か?」
上半身を上げ、寝ぼけ眼でベッドのすぐ上にある窓を開けて見れば、まだまだ外は暗かった。
どつやら昨日、寝たのが早過ぎたらしい。
その証拠に、何故か俺の隣でぐうすか言ってるルナは――ニット帽の効果もあるのだろうが――俺が起き上がっても起きる素振りはなく、その眠りが深い事を伺わせている。
体の線に沿うように伸びる長い銀髪が外からの微光で淡く煌めき、示すシルエットは、美しさはもちろん、ルナの妖艶さも微かに醸し出す。
「恋人、なんだよなぁ。」
可愛いらしい事に、垂れ、少し噛んでしまっている一筋の銀糸をそっと指で退かしてやり、手の先に高めの体温を感じながら呟く。
今更ながら、信じられない程の幸運を改めて噛みしめ、同時に申し訳無さが胸中に湧く。
「俺は一体何をしてやれるんだろうな……。」
彼女は、俺に力があったから惹かれたと言った。だが反面、俺にはそれ以外何もない。
その力は――実に不本意ながら――幾度となく戦ってきた事で示してきてはいるが、そんな事で良いとは思えない。
しかし俺には甘い言葉を普段から囁やける程の気概はない。意を決し、一瞬だけ大胆な行動を取るのが精々だ。それでもあとで猛烈に恥ずかしくなるし……。
はぁ、恋人になれば後はそれらしく振る舞えるだろうと思っていた、国境付近での俺を斬り殺したい。
「お前は俺の何が欲しい?」
俺は上半身をまたベッドに寝かせ、ルナの肩から腕に手を滑らせて、寝ている彼女には聞こえないよう、小声で尋ねる。
力なら貸そう。金ならやれる。物理的欲求なら、お前が惹かれたというこの力の限りで、どんな手段を取ってでも叶えてやる。
ただ、映画のように愛をくれと嘯くのだけはできれば勘弁して欲しい。こっちは人を愛したことなんぞない、恋愛ド素人なので、どうやってやれるか分からないのだから。まぁ隣人愛、親愛程度なら何とかなるかもしれないが。
「本当に、力があるだけで良いのか?」
常に抱えている疑問だ。ルナの事を言えないくらいのロマンチストだと、自分でも分かってはいる。それでもつい、ふと、油断すると、負けてしまったら何もかも全て失うんじゃないかと考えてしまう。
召喚されてから今までの旅路、大体の事を腕っ節で解決してきたという自覚はある。自負じゃない、自覚だ。それが良い事だとはこれっぽっちも思っちゃいない。だからこそそんな不安が鎌首をもたげてきてしまう。今更どうする事もできないのに、だ。
だがまぁそれでここまで来た、来てしまったからにはこのまま突っ走るしかないだろうという諦めも少しは付いている。どこまで行けるかは知らないが、最低でもヴリトラを倒すまで、相打ちでも良いから、それまでは生きて、何も取りこぼさず、勝ち続けたい。
昨日のカンナカムイとの手合わせで、最後に剣を使ってしまったのにも無意識でそう考えてしまっているからかもしれん。
「いっそ相打ちなら、全部持ったまま死ねるかもな。」
ルナの腕からさらに手を下ろし、締まった腹部から腰に掛けての緩やかなくびれを手の平で感じ、優しく押すように撫でる。
「んん……。」
と、ルナが身震いして、俺は彼女の尻尾辺りへと滑らせていた手を止めた。
……何考えてるんだか。
「はは、ったく、尻尾ってどういう意味を持ってるんだろうな。教えてくれる日は来るのかね?一応、当たりはつけているんだけどな、ルナの反応からして。」
声に出し、頭を切り替える。どうも長考するとマイナス方面に駆け足で向かって行ってしまう。
下手な考え休むに似たりとは言うが、俺の場合は休んだ方がまだマシだ。
それに、だ。例外はあるが、基本的に目標という物は越えられない代物だ。敢えて高望みをして頑張る事でようやく普通の成果が手に入る。
相打ちなんて狙ってみろ、返り討ちにあって終わるだろう。
狙うのは完勝。特に暗殺なんかできればそれ以上望ましい事はない。
「短剣状のの神器は無いものかね?」
「う、ん……ご主人、様?」
思っていたよりも大きい声が出たようで、ルナが紅の瞳を片方だけ、眠そうに半分開けた。
「おはようルナ。」
「おはようござ……ふぁ……います。」
「はは、眠そうだな、まだ寝てていいぞ?」
急に起きてこられ、心臓が未だ収まっていない俺が心の準備をするために。
しかしルナは横になったまま、プルプルと首を横に――この場合は縦になるのか?まぁとにかく俺から見れば横に――振った。
「ご主人様が起きていますから。」
「俺はかなり前から起きてるぞ?」
「え……ずっとそうしていたのですか?」
「綺麗だからな、いくら見ていても飽きないさ。」
あまりに恥ずかしい、情けない思考の迷路に嵌っていたなんて言えやしない。
「い、いびきは!いびきは……かいてたりしませんでした、か?」
顔を赤くして、恐る恐る聞いてくるルナが愛おしく、少し抱き寄せながら笑いかける。
「え?そんな……冗談、ですよ、ね?」
「……そういえばルナはどうして俺のベッドの中にいるんだ?」
案の定、俺は肩は噛まれた。
「ふふ、同じ刀使い同士だというのにそういえば戦った事が無かったわね。楽しみ。」
「私はルナさんとじゃなくて、あそこのあの人と戦いたかったのだけれど?」
昨日俺がカンナカムイと戦ったときと同じように、長机や椅子を脇に退けてできた円の中心、チロリと赤い舌を出して唇を舐め、鞘から魔刀不死鳥を抜いたルナに相対するユイはそう言って俺を草薙の剣の先で指す。
「私なんて眼中に無いと言いたいのかしら?うふふ、ユイを姉弟子として教育しなければいけないみたいね?」
「……この普段との差にはいつも戸惑わせられるわ。」
少し凄みのある笑みを浮かべたルナに、ユイは額を抑えて首を振る。
「ハッハッハ!無駄話しはそこまでだ!ユイもさっさと構えろ!良いか?負けた方は今日一日俺とみっちり特訓だからな!覚悟しておけ!」
「「ええ!?」」
と、両者の間に入ったバハムートが――本人はそうは思っていないのだろうが――過酷な罰ゲームを宣言し、悲鳴に近い驚愕の声を二人が発した。
「行くぞ!……始めッ!」
バハムートの問答無用な開始の合図に、ルナとユイはすぐさま反応、今日一日の安寧のため、死闘を開始した。
「へぇ、あいつらって両方バハムートが教えてんのか。」
「ええ、でも巫女の方は姉弟子とは言え、バハムートとの修練はご無沙汰しているらしくてよ?」
「ハハッ!ならオレは人間の方に賭けるぜ!勝ったら明日こいつと戦うのは俺だからな?」
「よろしくてよ。私は巫女の方に賭けます。勝った暁には彼を一日借りますわ。ふふ、後悔はありませんこと?後で言っても遅くてよ?」
肩を叩かれ、腕を抱き締められ、それでもなお俺の頭の上で為される会話を敢えて無視しようとしていた俺は、もう我慢できずに叫ぶ。
「そういうのは俺に了承取ってからやってくれ!」
「「え、嫌?」」
するとリヴァイアサンにカンナカムイは揃って意外そうな顔を浮かべ、異口同音に聞いてきた。
「嫌に決まってるだろうが!」
怒鳴り、立ち上がってフェリル達の元へ向かおうとすると、背中が強く叩かれた。
「よしよし、良く言った!なんたって今度はそろそろ俺の番「断る!ていうかあの二人を特訓するんじゃないのか!?」……ん?あーそうだったな……ふむ、なら仕方がないか!」
そうして必死になって今日の休憩時間を守り抜き、俺はフェリルの隣に座り込む。
「人気だねぇ、リーダー。」
「こんな人気は要らん。」
フェリルに返し、長机に背をもたれかけて天井を見、ほぅ、と息をもらす。
「でも驚いたわ、長い時を生きてきた者って全員頑固で話を聞かないって思ってた。」
「いや、まさにその通りだろ?」
あいつらの一体どこが話を聞いてくれてるって言うんだ。何を言ってもそれが取り敢えず楽しければ良い、とこっちの言い分を一切聞いてくれやしない。
今だってラダンの南と西で祀られる二人は俺をどうにかしてやる気にさせようと、あれこれ考えているだろう事は明らかだ。
「全然違うと思うわ。だってエンシェントエルフって呼ばれてる長老達は「カンナカムイ!リヴァイアサン!ここにいるシーラが魔法の特訓をさせて欲しいってよ!」……え?えぇ!?」
「ほら、あいつらを説得してみろ。」
「無理言わないで!」
つまりあいつらは人の話を聞かない。QED。
「なに得意そうな顔してるのよ!……フェ、フェル、お願い「リーダー、今日は良い天気だと思わないかい?」「ああ、全くだ。」貴方達覚えてなさいよオォォ………!」
両腕を古龍二人にガッシリ掴まれ、氷の土台に乗せられて、まるでエレベーターのように、シーラは龍の塔の天辺まで連れ去られていった。
「平和だ……。」
「リーダーが平和になるためにはかなりの犠牲が必要みたいだね。」
「ハッ、バハムートと遠距離戦の練習をしたいのか?それならそうと言えば良いのに。」
「アッハッハ、とてもそそる提案だけど、謹んで遠慮させていただくよ。」
軽く言い合い、俺達二人はそのまま自然と前を向き、ルナ達の戦いを眺める。
瞬く閃光ような素早い打ち合い、という物はなく、ルナは片手、ユイは両手で刀を持ち、互いの動きを少しでも早く察知しようと、摺り足で位置を細かに調節しながら睨み合っている。
「ヤァッ!」
まずルナが動いた。
踏み出し、素早い一閃。
それを少し引いて見切ったユイは、刀を振り切って隙のできたルナとの距離を詰め、
「くっ。」
横に飛ぶことでルナの脇から覗く赤い鞘から放たれた、何本もの火の矢から逃げる。
振り切った刀を腰辺りに構え直し、地を滑るように移動して、ルナはユイへ向けて切り上げを行った。
対するユイもルナに向かって素早く動き、両手に持った刀身を下に向け、切り上げられる刃を斜めに受ける。その刀身の上で鋼を滑らせ、そしてタイミング良く刀身を上に振り上げる事でルナの攻撃を上に完全にいなすと、彼女は上段から草薙の剣を振り下ろす。
「取ったッ!」
しかしルナは刀の行方を気にすることなく、鞘をユイヘ突き出した。
「ファイアァッ!」
そのガラ空きになった胴体に炎がモロにブチ当たると思われたが、ユイの反応は思っていたよりも早く、何とか逃れていた。
「……さっきの古龍達じゃないけど、リーダーはどっちと見る?」
「そうだなぁ……今のままだとルナが勝つだろうな。」
また睨み合いに戻った二人を観察しているとフェリルが聞いてきたので、素直に答える。
「へぇ、僕から見ればユイちゃんの攻撃に苦し紛れの魔法で対処してるように見えたけど、リーダーがそう思う心は?」
「ただ単純にルナのあの魔法が苦し紛れの物じゃなくて、自身の隙を埋める物だと見てるだけだ。あとまぁ、対するユイはそういう魔法の併用に慣れてない。」
だからこそルナは割と大胆に動けるし、その際のリスクも小さい。
まぁ元の世界に魔法なんて無いから、ユイが慣れてないのは無理もないは思うが。
「慣れてないって……ユイちゃんは元々剣士じゃなかったのかい?リーダーは碌な攻撃魔法が使えないから分かるけど、ユイちゃんは人間には珍しいトリプルじゃないか。」
「え?あー……」
もういい加減異世界から来たって言っても……説明が面倒臭くなりそうだな。
「……いやほら、実戦経験が浅いからな。それぞれ習ってはいても噛み合わないんじゃないか?」
「ふーん、そうかい。」
感の良いフェリルは一応、頷いてはくれた。目を見れば納得なぞしてないのは明白だったが。
しかしまぁとにかく、温情で頷いてはくれたのだ。
俺はさっさと視線を刀使い達に戻した。
しかし目に入ってきたのは魔法使いと剣士の戦闘模様。
「フレア!」
「剛体、疾駆!ハァァッ!」
撒き散らされる火の粉を的確なスキルと気合で突破したユイが突きを行えば、ルナは大きく飛びずさりながら大きめの火球を放つ。
「これも避けるの!?」
「オーバーパワー!」
至近距離から放たれた火球が当たる、いや、発動する直前、横に転がって逃げていたユイはスキルを駆使し、ほぼタイムラグ無しに再び距離を詰め、攻勢を続ける。
「真一文字!」
「怪力!」
ユイは刀を真横に振り……抜けず、その攻撃を片手で防いだルナの持つ赤色の鞘の口がユイの腹に打ち込まれる。
「カハッ!?」
スキルでさらに強化された獣人の腕力は、その衝撃でユイの体を宙に少し浮かせた。
「私の勝ち。このまま魔法を使っていたならば流石に避けられなかったでしょう?」
「……は……い。」
そのまま両足で着地するのには無理があったようで、ユイはその場に崩れ落ち、掠れた声で答える。
「白魔法を掛けましょうか?」
「大丈夫……です。呼吸が整えば、問題ありません、から。」
ユイの側に座り、その背に手を置きながらファフニールが尋ねると、ユイは小さく首を振る。
「ふふ、それにしても危なかったです。姉弟子としての立場を守るため、私も頑張らないといけませんね。」
「ああ、頑張らないとなぁ?」
刀を鞘に納め、ニッコリ笑うルナのその肩に彼女の師匠の手が乗せられた。
「バ、バハムート、様?」
「ルナベイン、今日一日魔法を禁じる。」
「え?」
「さぁ鍛え直しだ!俺はお前に刀を教えたのであって魔法なぞ教えていない!だというのに何だあれは!?」
どうやらルナの魔法主体の戦い方がお気に召さなかったらしい。
「ええ!?」
「ユイ、お前の方は良くやった。今日は休め。さぁ刀を抜けルナベイン!まずは素振りからだ!基本が疎かになってないか見てやる!」
バハムートが言い放ち、ルナは泣く泣く素振りを始めた。
そしてユイはと言うと、ようやく呼吸が落ち着いたのか、よろよろと立ち上がり、ただならぬ雰囲気を立ち昇らせてずんずんこちらへと歩いてきた。
怖い。
「じゃ、じゃあリーダー、僕はシーラの様子を見てくるから。」
「あ、こら、待て!」
流れるような動きでいつの間にか俺の手の届かない位置へ移動していたフェリルは、そう言い残して階段を駆け上がっていく。
弓を作り、射落としてやろうと構えたところで、さっきまでフェリルが座っていた所にユイが腰を落とした。
少々の逡巡の後、俺は弓を消して座り直す。
「えーと……お疲れさん?」
「負けたわ。」
「……ま、まぁほらあれだ、人を斬る事とか、魔法を使って戦う戦い方とか、そういう面での慣れの差だろうな。気にするな。」
ポツリと漏らすユイになんと返せばいいか分からず、取り敢えずそう返したら睨まれた。
「そんな事分かっているわ。……この目があれば何とかなると思っていたのだけれど、やっぱり無理みたいね。」
「目?……ああ、魔力視、だったよな?」
「今は魔視というスキルに進化したけれど、ええ、その通りよ。前まで見えていた魔法の発動の前兆やその方向の精度が向上した上に、何よりも意識すれば空気中の魔素が見えるようになったのが大きな変化ね。」
「スキルが進化?」
そんな事があるのか。
「ええ、龍の塔で目眩がしたのは大量の魔素に働きかける古龍の強力な、それも複数の魔力を無意識に感知していたからのようね。魔視に進化した今は問題ないもの。」
「慣れたってことか。」
「ずっと魔力視の鍛錬をしていたような物だからなのかもしれないわね。ここに戻ってきた翌朝にアナウンスが聞こえた時は驚いたわ。」
「……爺さんの裏声か。」
「え?」
「あーいや、何でもない。そ、それじゃあ魔法にはもう当たらないって訳か。凄いな。」
思わず漏れた呟きを誤魔化すため、取り敢えず褒める。
「ええ、発動地点から……そうね、1メートルぐらい離れていれば、咄嗟に避けられる自信はあるもの。」
「しかも魔法の種類は使われる前から把握できる、と。」
「あなた相手だとあまり意味をなさないのだけれどね。」
ユイの自嘲気味な言葉は笑い飛ばす。
「はは、そもそも勇者を相手にするような状況は絶対に避けたいな。」
それはスレインという一国と敵対するような物だ。俺なら多分そうなれば、即座に降参して温情を乞うんじゃないだろうか?
「お前を助けるためにやったあの一回だけで十分だ。」
「うっ、あ、あのときは……ごめんなさい。」
俺の染み染みと言った言葉があまり思い出したくない過去をほじくったようで、ユイは心苦しそうに謝罪の言葉を呟いた。
にしても、魔法陣に魔素を流しながら逃げようとするユイを拘束しつつ、カイトとアイ(主にアイ)の対処をして……ファーレンからボーナスが出ても良かったような気がしないでもない。まぁ貰ったところで爺さんの空間に据え置かれるだけだが。
……そういえば、今はいくら、溜まってるんだろうか。…………よし、全部無事に終わったらネルとアリシアとで分配して、思い切り豪遊してみようかね。どうせこの世界に遺産をやるような親族なぞいないし、パーッと使って少しは経済を回してやる。
「……ちょっと、謝ったのだから、そんなに暗い顔しないでくれるかしら?」
「ん?ああ、すまんな。」
おかしいな、明るい未来を思い描いていただけなのに。
そのまま数秒間の沈黙。
「……そ、それで、何をしに来たんだ?」
意を決し、ずっと気になっていた事を口に出す。
「気晴らしにちょっと私と付き合いなさい。」
「嫌だ。」
「なんでよ!?」